381手目 梨元真沙子〔編〕
乾いた高音。エンジンの音。
トラック2台は入りそうなガレージをのぞきこむと、裸電球のしたに、ふたつの人影。
ひとりは白い作業着をまとい、バイクの車体をいじっていた。
さっきのはバイクの排気音だ。背中をむけているから、顔はわからなかった。
もうひとりは西部劇でみるカウボーイのかっこう。
腰に革製のホルダーと黒いモデルガンをさしていた。
そのコスプレ少女は、近くのドラム缶に座って、作業を見守っている。
あたしがためらっていると、犬井くんはかまわずに大声を出した。
「梨元さん、はいるよーッ!」
カウボーイコスプレの少女──梨元真沙子さんは、ようやくこちらに気づいた。
梨元さんはパッとふりかえって、
「あれ? もう来たの?」
と、すこし大きめの声で返した。
ドラム缶から飛び降りて、こちらへ歩いてくる。
「約束は3時からじゃなかった?」
「礼音くんがヘリを貸してくれたから、けっこう早かった……出直そうか?」
梨元さんは俳優みたいに大げさなポーズで、両肩をすくめてみせた。
「ここじゃミルクも出せないけど、それでいいなら」
「かまわないよ。飲み物くらい携帯してるし……じゃ、葉山さん、よろしく」
あ、はい。
あたしはまえに出る。
なんか取材しにくいな。なんでだろ。
このひとの雰囲気に押されてるというか、異質なものを感じるというか。
梨元さんは、山陰の高校将棋界でも変わり者で有名らしかった。
じっさい、コスプレしてるしね。
「まず、将棋をはじめたきっかけなどを……」
「『華麗なる賭け』っていう映画、観たことある?」
質問を質問でかえされるパターン。
「いえ……」
「1960年代のアメリカ映画なんだけどさ、すっごくかっこいいチェスのシーンがあるのよ。それを小学生のときに見て、真似したいなぁと思ってまわりに訊いたら、だれもできなくてさ。将棋で代用してたらおぼえた」
な、なんか斜めうえの理由だった。
「映画が好きなんですか?」
「ほぼ毎日1本観てる」
マジで? ……このご時世、サブスクリプション方式でいくらでも観られるのか。
「お好きなジャンルは?」
梨元さんはサッとホルダーからモデルガンを抜いた。
ポーズもさまになっている。
「西部劇」
質問したあたしが悪うございました。
「なんで西部劇が好きなんですか?」
「かっこいいから」
すっごいシンプル。
梨元さんはモデルガンをくるくると回してから、ホルダーにおさめた。
「将棋はだれと練習してますか?」
「高校の部員」
これもシンプルだね。
「とくに気になってる選手はいますか?」
「んー……気になってる選手っていうか、とりあえず4日目に残りたいかな」
4日目にのこる、ということの意味は、あたしにもわかった。
日日杯は3泊4日でやるんだけど、総当たりなのは最初の3日だけなんだよね。ただ、今年は参加選手が多いから、正確には4日目の午前中までが総当たりになりそう。特に女子は18名いるから、予選だけで17局も指さないといけない。
そこで決まったベスト4が、4日目の午後にトーナメントで準決勝と決勝をやる。
「つまり、ベスト4に残りたい、と?」
「ま、できれば優勝したいけどさ」
ほぉほぉ、なかなか強気だね。
あたしはそれをメモしながら、ちょっとイジワルな質問を思いついた。
「ベスト4に残ってるとき、ほかの3人はだれだと思いますか?」
今のところ、そういう予想をしてくれた選手はいない。
拒否されるかな、と思いきや、梨元さんはマジメに考えてくれた。
「ベスト4でしょ。あたしと好江と萌とお花ちゃんとひよこっちと……」
あふれてるあふれてる。
梨元さんも笑って、カウボーイハットごしに頭をかいた。
「いっぱいいるね。あと、あざみと桃子ちゃんとカァプ娘とみかんちゃんも」
ライバル多し、と。やっぱり女子のほうが接戦な感じかな。
「えっと……それじゃ、以上です」
「それだけ? 質問3つしかないの?」
「いえ、実質的には4つです。ただ、趣味は途中で聞いちゃったので……」
「趣味? あたしの趣味、言ったっけ?」
「西部劇ですよね?」
梨元さんは、ひとさしゆびを振ってチッチッチッと舌打ちした。
「ちがうちがう、あたしの趣味はバ・イ・ク」
あ、やらかした。先入観で取材しちゃった。
「すみません、勘違いしてました」
「ノープレブレム、ジェーン梨元さまはアリゾナの砂漠のように心が広いから」
なんでニックネーム? なんでアリゾナ?
ひとまず、梨元さんの趣味をさぐる。
倉庫の奥にあるバイクに目をつけた。
「あれ、もしかして梨元さんのバイクですか?」
「もちろん」
梨元さんは胸を張って答えた。
うーん……どう持って行こうかな。
あたしはバイク持ってないし、種類もよくわかんないんだよね。
ちょっと迷ったあと、やや遠回りな方向から話題をひろげた。
「K知の磯前さんも、バイクを持ってましたね」
「好江ともう会ったの?」
「はい、取材で」
「好江とはツーリング仲間だよ」
「あ、そうなんですか。どのへんを走ってます?」
「あちこち。今年の夏は、しまなみ海道を走る予定。因島っていう聖地があるから」
ん? どっかで聞いたことがあるような?
「もしかしてH島のO道ですか?」
「そうそう、O道に魚住っていう男子がいて、その男子が好江の釣り仲間なの」
へぇ、まさかバイクと釣りが繋がるとは思わなかった。
O道には六連くんもいるから、そのときにも訊いてみよう。
「梨元さんも釣りしたりします?」
「いやぁ、釣りはちょっと」
梨元さんは苦笑いした。
あれかな、衣装が汚れるからかな。あるいは、生きてる魚が嫌いなのかも。
あたしはバイクの話にもどす。
「ちょっと突っ込んだ質問なんですが……さっきバイクの音が大きかったですよね?」
「音? ……排気音?」
「たぶんそれです。あれって、なんでわざわざ大きくするんですか?」
まえから疑問だったんだよね。
道路でファーン!ってすごい音出して走ってるバイクがあるけど、なんでわざわざ音が出るように改造してるのか、あたしは理由を知らなかった。
すると、梨元さんは笑った。
「あれは改造マフラーでしょ。目立ちたいんじゃない?」
「じゃあ、あのバイクもそういう改造を?」
「あ、ちがうちがう、あれは純粋なエンジン音だよ。排気量ってわかる?」
「わかんないです」
「50ccとか100ccとかは?」
あ、それは知ってる。
某社のカーレースゲームでも、カートの基準になってるし。
ただ、具体的な意味はよくわかっていなかった。
あたしが正直に答えると、梨元さんは説明をしてくれた。
「ccっていうのは、エンジンの排気量だよ」
「排気量ってなんですか? なんとなく日本語としてはわかるんですが……」
「エンジンがガソリンの燃焼で動いてるのはOK?」
「はい」
「レシプロエンジンって呼ばれるタイプは、ガソリンを燃焼させたときのシリンダーの動きを利用するの。このシリンダーを動かす過程で、空気が入ったり出たりするんだけど、排気するときの空気の量が総排気量」
「ああ、なんとなくわかりました。エンジンを動かすときに使う空気の量なんですね」
「そうそう、で、この空気の量はけっきょくエンジンの大きさで決まるから、50ccバイクはエンジンのシリンダーの総排気量が50立方センチメートル、100ccは100立方センチメートルってこと。数字が大きくなればなるほどエンジンは大きい、と」
メモメモ。
50立方センチメートルって、けっこう小さい気がする。
それであれだけ速度が出るってすごいね。ガソリンの力。
「改造車の音がうるさいのは、エンジンの大きさと関係があるんですか?」
「シリンダーを大きくして総排気量を増加させたら、とうぜんにパワーは上がるでしょ。たとえばこのバイクは小型二輪だから、ほんとなら125cc未満なんだけど、シリンダーの交換で140ccまで出せる」
「140ccのバイクって、市販されてないんですか?」
「ふつうにされてるよ」
「じゃあ、そっちを買わない理由は?」
梨元さんはホルダーからモデルガンを抜いて、それをみせてくれた。
銃身は黒くて、にぎりの部分だけ木目があった。
タイプは、えーと、なんだっけ、リボルバー? 真ん中に回転式の弾倉がある。
「これって市販品にみえる?」
「……その質問があるってことはノーですよね?」
梨元さんは笑って、銃口でカウボーイハットを持ち上げた。
「正解。これは亜季からのプレゼント」
二階堂さんから? ……そんなわけないか。うどん屋っぽくない。
もうひとりのほうだ。
「Y口の長門さんからですか?」
「そうそう、誕生日プレゼントにもらったの」
誕生日プレゼントが改造モデルガンな女子高生、強い。
「んー、たしかに、長門さんの部屋ってすごいマニアックだったというか……」
「マニアックで悪かったですね」
うわぁああああッ!?
ふりかえると、さっきの作業着のひとが立っていた。
っていうか長門亜季さん本人じゃんッ!?
長門さんは三白眼であたしのほうをじっとみていた。
「ご、ごめん、今のはナシで……」
長門さんは機械油でよごれた手をふきながら、
「べつにいいですよ。ところで、なんの話ですか? 将棋の取材だったのでは?」
とたずねた。
梨元さんは、
「亜季のプレゼントを自慢してたの」
と言った。まちがってはいない。
長門さんは拭き終えたタオルを、そばのテーブルにおく。
そして、梨元さんのモデルガンへ視線をうつした。
「コルト・シングル・アクション・アーミー……別名、ピースメーカーですね」
「これ、亜季のお手製なんでしょ? あのときは通販で買ったって言ってたけど」
「市販品にスプレーして、グリップ部分を木製と交換しただけです」
「んー、高かったんじゃないかなあ」
「プレゼントの値段は言わないのがマナーですよ、梨元先輩」
長門さんはそう言ってから、あたしたちのほうへ顔をむけた。
「おふたりとも、今週がT取なんですね」
「あ、うん……長門さんは、梨元さんのお手伝い?」
「お手伝いというか、あのバイク、去年買ったときから先輩と私で仕上げてるんです。こんどのミニバイクサーキットに出ようと思って……去年は入賞できませんでしたが、今回は狙ってます。レディース大会とはいえ、おとなも出てるからむずかしいんですが……」
ふーむ、なんか将棋の大会以外にもいろいろ参加してるんだね。
っと、なんかだいぶ話が逸れてきちゃった。
あたしは本題へもどす。
「梨元さん、けっきょくバイクを改造する意味ってなんなんですか?」
梨元さんはニヤリと笑って、かっこつけたポーズをとった。
モデルガンを持った右手をあたまに、空いた左手を腰にあてて、ななめに構える。
「ハンドメイドで『かっこいい』って言われたら、センス丸褒めじゃん? 将棋もそう。ソフトの正解手より、じぶんで考えた手を褒めてもらいたくないかな、高校生諸君ッ!」
おお、かっこいい。
記事もオリジナル記事を褒めてもらえると、うれしいよね。
メモメモ──あ、そうだ、毛利先輩からメッセージがあるの忘れてた。
「毛利先輩から伝言です。1000円返してくれ、だそうです」
「さーて、亜季とサスペンションの調整でもしようかな」
ダメだこりゃ、次いってみよう。




