379手目 囃子原礼音〔編〕
【2015年6月28日(日)】
青空に、小さな白球が舞った。
それは弧をえがいて飛び、はるか遠くの芝生のうえに落ちた。
囃子原くんはドライバーをにぎりしめ、ショットの体勢をたもったまま、
「もう5県も回ったのか……仕事が早いな」
とコメントした。
それから姿勢をもどして、ドライバーを剣さんに手渡す。
剣さんはいつものようにスーツ姿で、なんか場違いな印象を受けた。
ここは囃子原グループ所有のゴルフ場。そのプライベートコース。
囃子原くんと剣さん、それにあたしと犬井くんをふくめた4人は、最初のショットを打つティーに立っていた。ここは9番ホールらしい。あたしと犬井くんがアポを取ろうとしたら、コース上で会うことになったのだ。あたしと犬井くんは、普段着にゴルフキャップというかっこうで、ちょっと浮いている。靴はさすがにスポーツシューズを借りた。
「あの、なんかお邪魔しちゃったみたいで……」
恐縮するあたしに、囃子原くんはほほえんだ。
「そんなことはない。商談をするのに、ゴルフ場はもってこいだ」
「は、はい……」
商談って言われると、また緊張する。
四国の旅館で犬井くんと話したときのように、ギャラが発生していることを思い出してしまうからだ。とはいえ、あんまりヘコヘコしてもしょうがない。
あたしたちはボールの落下地点まで歩き始める。
キャディは剣さんだった。重そうなゴルフバッグを、すいすいと運んでいた。
「で、用件はそれだけか?」
先頭の囃子原くんは、前を向いたままたずねた。
あたしは犬井くんに目配せする。
犬井くんはアイコンタクトで「いいよ」と返した。
「あのぉ、今日は、囃子原くんにも取材を、と……」
「なるほど、ついでに剣の取材もしていくつもりか?」
「あ、はい、できれば……」
剣さんの視線を感じる。怖いなぁ。
「よろしい、質問をしたまえ」
あたしはさっそく、メモ帳をとりだした。
「将棋を始めたのは、いつですか?」
「囃子原グループの幼稚舎で習った」
「習った、というのは?」
「幼稚舎ではいろいろなゲームを学ぶ。そのなかに将棋もあった」
「あ、じゃあ、囲碁とかもできたりします?」
囃子原くんは、もちろんだ、と答えた。
あたしはそれをメモしつつ、
「なぜ将棋をとくに選んだんですか?」
と追加の質問をした。
「選んではいない。囲碁もチェスも現役だ」
んー、オールマイティなのか。
囃子原くんってほんとに【ザ・帝王学】みたいな感じだなぁ。
「では、次の質問を……」
「『ふだんの練習はどうしていますか』かね?」
あたしはギョッとした。
「ハハハ、そんなに驚くことはないだろう。ちょっとした情報収集だよ」
うわぁ、どっから漏れてるんだろ。
ちょっと怖い。
「あ、はい、それじゃあ、その質問で……」
ここで剣さんのストップがかかった。
芝生のうえにボールが見えたのだ。
剣さんはゴールの旗のほうを遠目にみながら、
「ピンまで216ヤード、風は1時から7時へのアゲインストです」
と報告した。
あたしには、なんのことかわからない。ゴルフはやらないから。
囃子原くんは腕組みをして、向かい風に吹かれながら、
「プロなら5番アイアンでツーオンを狙うのだろうが、さすがに僕ではムリだな」
と言って、剣さんのほうをみた。
「ハザードは?」
「右手前にバンカーがあります」
「風は強く、コースは狭い、か。ユーティリティでいこう。20度」
剣さんは、ヘッド部分がちょっと丸っこくて黒いクラブを渡した。
囃子原くんはそのままアドレスに入る。
静かにしないといけない。ギャラリーなのに、なんか緊張しちゃうね。
パシュ
風を切る音がして、ボールは青空に舞いあがった。
「礼音さま、グッドショットです」
あたしたちはふたたび歩き始めた。
囃子原くんはクラブを返しながら、
「将棋の練習は、部員と指すことが多い」
と答えてくれた。
「大都会高校の部員ってことは、剣さんとかですよね?」
「鬼首や犬井とも指すし、妹と指すこともある」
「妹さんがいらっしゃるんですか?」
囃子原くんはちらりとふりむいた。
情報網がせまいのではないか、と釘を刺された気がした。
けど、あくまでも笑顔だったから、あたしの錯覚かもしれなかった。
「このホールをあがったら、クラブハウスへ行こう。妹を紹介したい」
昼食付きだ、と言われたあたしは、よろこんで快諾した。
○
。
.
30分後、あたしたちは、クラブハウスに備えつけのテラスにいた。白い円形テーブルに腰をおろす。グリーンに一番近い席で、夏場だからパラソルで影をつくっていた。
昼食をおごってくれるということで、サンドイッチと飲み物を注文。
あたしは野菜たっぷりの卵サンドとオレンジジュース。
犬井くんはハムカツポテトサンドにジンジャエールを注文した。
うーん、あっちのほうがよかったかなぁ。でも、カロリーがすごそうだったしなぁ。
囃子原くんはミネラルウォーターをグラスにそそぎながら、
「さて、3番目の質問に答えよう。たしか『趣味』だったな」
と言った。
あたしはうなずき返し、メモの用意をする。
「この質問は、なかなかむずかしいな。僕には、これといった趣味はない」
「ゴルフはちがうんですか? 仕事ではないですよね?」
「ゴルフに力を入れているということはない。今日がゴルフだったのは、たまたまだ」
テニス、乗馬、ウィンドサーフィン――どれもおなじように楽しむ、とのことだった。
「すごいですね。スポーツもボードゲームも、だいたいプレイできるとか……」
「そうかな? 同世代の一流アスリートと肩をならべているものは、ひとつもないが」
なんか急に謙虚になった。
それとも、本心で言ってるのかな。
いずれにせよ、囃子原くんだけ趣味欄が【なし】というのは困る。
あたしは質問を掘りさげた。
「そのなかでも特にこれ、っていうものはありませんか?」
囃子原くんはグラスを手にとって、しばらく瞑想した。
「そうだな……もしかすると、将棋がそうなのかもしれない」
ん、ここで【趣味:将棋】なのか。
意外だった。囃子原くんは、ぜったいに変わった趣味だと思ってたから。
「ほんとうに将棋が趣味なんですか?」
「納得がいかないかね?」
「理由を説明していただきたいかな、と」
囃子原くんはグラスの水を3分の1ほど飲んだ。
ひと息ついて、ゆっくりと答える。
「……そもそも、趣味とはなんだろうか?」
むずかしい質問きた。
こういうのって、感覚的にはわかってるけど、言葉にしにくいんだよね。
「仕事とはちがって、楽しんでやるもの……じゃダメですか?」
「いい回答だと思う。日本語の『趣味』はそうだろうな」
「日本語でない『趣味』があるんですか?」
「おっと、失礼、僕が念頭においていたのは英語のhobbyだ」
ホビーか……あんまり意味が変わるようには思えないけど。
あたしは意味のちがいをたずねた。
「趣味は楽しんでやるものだが、hobbyは向上心をもって取り組むものだ」
「つまり……ゲームをだらだらプレイしたりするのは趣味じゃない、と?」
囃子原くんは、ネイティブが常にそう解釈するとはかぎらないが、と前置きして、
「僕はそう思う。そして、僕が今hobbyと呼べるのは将棋だけだ」
ん? あたしはこの言い回しが気になった。
「つまり、将棋は向上心をもって取り組んでるんですか?」
「多少は、ね」
囃子原くんは、すまし顔でそう答えた。
あたしは今の回答の意味を、じゅうぶんには理解できなかった。
どうまとめるか悩んでいると、サンドイッチが運ばれてきた。
メニューの写真でみたよりも豪華だった。厚切りのライ麦パンに、数種類のハーブ、そこへ卵ペーストがたっぷりと挟んであった。犬井くんが注文したハムカツも、厚さ的にはトンカツくらいありそう。すくなくとも、あたしの家のトンカツより厚い。
「どうぞ、召し上がりたまえ」
「ごちそうになります」
どれどれ……うーん、おいしい。食感がべとべとしてなくて、ちょうどいい具合のゆでタマゴを食べてるみたい。ホウレンソウかな、と思ったのは、ルッコラだね。中学のときに理科の授業で育てたことがある。
「すみません、食べながら質問してもいいですか?」
「もちろん」
「なんで将棋には向上心をもってるんですか?」
囃子原くんはすぐには答えなかった。
「なぜだろうな……妹に訊いてみるか」
そう言って囃子原くんは、テラスの入り口へ視線を移した。
白いワンピースを着た少女が、日傘をさして姿をあらわした。
くるくるカールの髪型で、靴はおませなローヒール。
囃子原くんとはちがって、目が丸っこいカワイイ系の女の子だった。
「お兄さま、こちらにいらっしゃいましたか」
「絆奏、こちらに座るといい。ちょうどおまえの意見を聴きたかったところだ」
「まあ、お兄さまにわたくしからお教えするようなことは、ございませんけれど」
近くに立っていた剣さんが、ハンナさんのために椅子をひいた。
ハンナさんはスカートをととのえて優雅に着座する。
「僕の趣味が将棋なのはなぜか、だ」
ハンナさんは、ややひかえめな表情をつくって、
「お兄さまのご趣味について、とやかく申せる立場にはありません」
と、いかにも答えをはぐらかした返事をした。
囃子原くんのほうも、深追いはしなかった。
これが上流階級のたしなみ?
それからハンナさんは、にこやかになって、
「犬井さん、いつも兄がお世話になっております」
と、あたしたちのほうにあいさつした。
犬井くんは会釈をしてあいさつを返した。
「こちらこそ、いつもお世話になっています」
「こちらのお嬢さまは? 犬井さんのご友人ですか?」
お嬢さま? もうひとりいるの? ……って、あたし?
「いえ、あたしはお嬢さまでは……葉山光といいます」
「わたくし、囃子原絆奏ともうします。お見知りおきを」
「こちらこそ……ハンナさんは、高校生ですか?」
「いえ、中学3年生です」
ほーん、中学生なのか。
とはいえ、年下のあつかいをしていいってわけじゃないよね。
「ハヤマさんは、どちらのご出身で?」
「H島です」
「でしたら、姫野お姉さまをよくごぞんじなのでは?」
でたぁ、藤花女学園にいた姫野さん。
知ってて当然みたいに言われるのがすごく困るひとナンバーワン。
あたしが将棋部に入ったときには、もうはんぶん引退していた。
「すみません、2コうえの先輩っていうのは知ってるんですが……」
「さようですか……では、裏見さんはごぞんじですか?」
あれ? こんどは裏見先輩の名前が?
「はい、おなじ学校です」
「あら、でしたら、よろしくお伝えください」
裏見先輩、じつはセレブリティだった?
いや、そんなはずはない(反語)
先輩の家に寄ったことがあるけど、ふつうの住宅だった。
「裏見先輩と、どちらでお知り合いに?」
「去年、ポーカー*をごいっしょさせていただきました」
ハンナさんの話によると、どこかの将棋パーティーで出会ったらしい。
なるほどなるほど、それなら納得。
「ってことは、ハンナさんも将棋が趣味ですか?」
「いいえ、わたくしの趣味はアンティークドール集めです」
ほらぁ、こういうほうがお金持ちっぽいじゃん。
囃子原くんのさっきの返答、本心なのかな。
じつはハンティングとかで、印象を気にして言わなかったとかもありそう。
あたしは囃子原くんをちら見した。
すると、目が合ってしまった。
「さて、最後の質問がまだ残っているのではないかな」
「あ、はい……気になってる選手はいますか?」
「僕は選手よりもスタッフのほうに関心がある」
「スタッフ……ですか」
「おかしいかね」
あたしは「いいえ」と答えたあとで、
「ちょっと吉良くんのことを思い出しました。似たようなコメントをもらったので」
と答えた。
「ふむ……彼らしい話だな。しかし、僕の関心は彼とはすこし異なる」
「というと?」
「日日杯は囃子原グループ後援のイベントだ。スポンサーとして成功を期待している」
あくまでも主催者として、ってことか。
こういうドライな感じも、囃子原くんらしくて悪くないかな。
あたしがメモをまとめていると、囃子原くんは剣さんに声をかけた。
「今日のゴルフはここできりあげる。葉山さんたちを高校の校舎へご案内しなさい」
「承知いたしました」
おっと、ついに大都会高校にご招待?
これは行くっきゃないでしょ。
あたしはサンドイッチを頬張りながら、記者の好奇心に胸をおどらせた。
*148手目 ファイブ・スタッド・ポーカー
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