378手目 大谷雛〔編〕
というわけで、那賀さんと鳴門くんに教えてもらった場所へ到着。
大谷さんはスマホを持っていないから、連絡をとれていなかった。助かる。
そこは、6月の終わりにふさわしくない、涼しげな風の吹くお寺だった。ところどころささくれだった門をくぐると、シンとした空間が広がっていた。左手にはお墓がみえる。敷地はだいぶ広くて、駒桜市立高校の校庭くらいありそうだった。
時刻は4時過ぎ。だんだんと陽が落ちてくる頃だ。怪談には、まだ早い季節。
あたしは周囲を見回し、念のため1枚だけシャッターを切った。
「……ほんとにいるのかな?」
あたしは自問自答した。
犬井くんも、あんまり自信なさげだった。
「ここが大谷さんの実家だから、待ってれば会える……と思う」
カラスが遠くで鳴いた。
まだ明るいのに、すこし心細くなった。
「ねぇ、お寺のそとで待たない?」
そう尋ねたあたしに、犬井くんはシーッと注意した。
「なんか聞こえる」
耳を澄ます――なにかを打ちつけるような音が聞こえた。
犬井くんは黙って、音のほうへ歩き始めた。
あたしはあわててあとを追った。音はお寺の裏手から聞こえていた。
ぐるりと建物を回ると、ふたりの少女がキャッチボールをしていた。わりと本格的で、ひとりは土壁を背に、キャッチャーのプロテクトをつけていた。もうひとりは軽装で、簡単なロゴ入りに白いシャツに、スポーツ用のハーフパンツを履いていた。
ピッチャー役の少女が速球を投げて、痛快な音が響いた。
先にあたしたちに気づいたのも、そのピッチャー役の少女だった。
「おや、犬井さん、取材は今日でしたか」
少女は澄んだ声で、そう言った。
「とつぜんでお邪魔します。出直したほうがいいですか?」
「いえ、そろそろ休憩に入るところでしたので」
少女は、キャッチャー役の子に休憩の指示を出した。
それからあたしにあいさつをする。
「はじめまして、大谷雛です」
えッ……このひとなの?
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ……なんか、写真でみたときとだいぶイメージが違うな、と……」
なんかお遍路さんみたいなかっこうしてなかったっけ。
それですごい印象に残っていた。
今の大谷さんは、中性的なスポーツ少女という感じだ。
「ラフなかっこうで申しわけありません。ソフトの練習をしていたもので」
そうか、大谷さんは女子ソフトのピッチャーだった。
服装はラフでも、しゃべりかたにずいぶんと落ち着きがあった。
「ここでは立ち話になります。どこか喫茶店へでも?」
これには犬井くんがことわりをいれた。
「ここでけっこうです。雰囲気があります」
「左様ですか……ところで、そちらの女性のかたは?」
しまった、自己紹介を忘れていた。
「はじめまして、葉山光です」
「はじめまして……どちらのご出身ですか?」
「H島の駒桜市です」
大谷さんは、オヤッという表情をした。
「もしや裏見香子さんとお知り合いですか?」
「あ、はい……おなじ高校です」
大谷さんは両手を合わせて拝んだ。
「奇遇です。拙僧も裏見さんとは縁がありますもので」
うわぁ、いきなり女子高生らしくなくなってきた。
っていうか、裏見先輩、なんか四国に顔が広くない? なにかあった?
「して、拙僧はなにをお答えすればよろしいのですか?」
「えーと、まずは将棋を始めたきっかけなどを」
「将棋は父に教わりました。小学校に入る直前だったかと思います」
「ふだんの練習はどうですか? お父さんと指したりします?」
大谷さんは一瞬、口を閉ざした。
「父と母はすでに他界しています」
……………………
……………………
…………………
………………
「すみません、今のは悪気があったわけじゃ……」
「いえ、かまいません。練習は、もっぱら高校の将棋部員とです」
ああ、葉山光、自己嫌悪。
「ほんとうに気になさらなくてけっこうです。次のご質問は?」
「……趣味はなんですか?」
「趣味ですか。いろいろありますが……写経などを少々」
「しゃきょう?」
大谷さんは、お経を写すことだと答えた。
「お経を写すとパワーがもらえる、みたいな?」
「いえ、拙僧はスピリチュアルのたぐいは信じておりません」
「あ、そうなんですか……じゃあ、なんのために?」
「写経というものは元来、複製の目的でおこなわれていました。信徒が写経して、印刷の代わりをしていたのです。もちろん、時代がくだっていくと、お経を写すことで功徳を得られるという考えも出てきました。しかし、拙僧はその考えには賛同していません。拙僧が写経をするのは、あくまでも経典を記憶したり、檀家に配布したりするためです」
うーん、すごい実利的というか、実用的というか。
それって趣味なのかな。実家の手伝いのような気がする。
あんまり他人の趣味にとやかく突っ込んでも、しょうがないか。
「最後の質問です。気になってる選手はいますか?」
「総当たりなので、特には」
「マークしている選手も?」
「各選手の得手、不得手などは調べています」
「なるほど……」
あたしはそれをメモした。すると、大谷さんはピッチャー役の子に声をかけた。
「もうすこし投げ込みますか?」
「ああ、わりぃ、このあと家の手伝いがある」
なんか邪魔しちゃった感じかな。
あたしたちはお礼を言って、お寺の敷地を出た。
太陽が西の山の端にむかっていく。
なんだか不完全燃焼。
犬井くんもそう感じていたらしく、歩き出すまえに、
「優勝候補の一角のわりに、ずいぶんと抑えた取材だったね」
とコメントした。批判ではない、と願う。
「内容が薄かった?」
「そんなことはないと思うよ。ほかの選手もこんなもんだし」
そうだよね。
頭のなかでザッと記事を組んでみたら、ほかの選手と分量的に遜色はなかった。
ただ、どこか掘り下げが足りなかったような気がしている。
あたしたちはとりあえず、バス停の方向へ歩き始めた。
このお寺は、市街地からけっこう距離があるのだ。
さやさやと風に揺れる木々のしたを、あたしたちは無言で歩いた。
「おーい」
ふいに、うしろから声をかけられた。
ふりかえると、さっきのキャッチャー役の少女が走ってきた。
あっという間に追いつく。
「おまえら、駅のほうか?」
あたしたちは、そうだと答えた。
近くでみると、なかなか大柄な少女だった。よく日焼けしている。
「送ってやるよ。この先に、うちの店のワゴンが停めてある」
いきなりの申し出に、あたしはじゃっかん困惑した。
けど、あいての少女は、
「ひよこに送ってくれって頼まれた。あたしんちは市内だから、ついでだ」
と付け加えた。
なんか悪い気がしたけど、好意に甘えることにした。
その少女は、大田原と名乗った。
実家の酒屋の手伝いで、先月から免許を持っているらしかった。
若葉マークってことだよね。なんかちょっと不安。
しばらく歩くと、空き地に白いワゴンが停めてあった。
あたしと犬井くんは後部座席に乗る。
大田原さんはソフトの道具をうしろのスペースに放り込んで、運転席へ回った。
シートベルトを締め、クラッチを切り替えた。
「ふたりとも、どっかの新聞部かなにか?」
ちょっと違うんだけど、あたしはそうだと答えた。
「へぇ、あんまりそうは見えないね」
「そうですか? カメラをぶら下げてて、目立つかな、と思ったんですけど……」
「見た目の話じゃないよ。さっき、ひよこの両親について根掘り葉掘り訊かなかったじゃん……訊いて欲しかったわけじゃないぞ。女子ソフトの取材で来る記者は、どいつもこいつも、ひよこに両親がいないことをやたらさぐりたがるからな」
なんとなく分かる。
たぶん【幼いころに両親を亡くした女子高生、悲しみをバネに】みたいな記事が書きたいのだろう。さっきはそういうことに頭が回らなかった――し、回っても訊かなかったと思う。不完全燃焼の理由は、たぶんそこ、なんだけどね。
ワゴンは赤信号に引っかかった。速度を落とす。
車内の空気が重かったから、あたしは話題を作ろうとした。
「大谷さんって、ソフトでも名投手なんですか?」
「もちろん……もしかして、ソフトに興味ない?」
「あ、えっと……」
「べつにいいよ。ないもんはないしな。あたしも将棋は興味ないから、どんだけ凄いのか分かんないしさ。ひよこは女子ソフトの全国レベルだよ。さすがにオリンピック代表とかはむずかしいけどね。できれば大学でも、ソフトをして欲しいと思ってる」
大田原さんのセリフには、どこか惜しむような響きがあった。
信号が青になる。大田原さんはアクセルを踏んだ。
「これを言うと怒られるかもしれないけど……ひよこには将棋をやめて欲しいんだよね」
あたしと犬井くんは顔を見合わせた。
大田原さんはバックミラー越しに、ニヤリと笑った。
「理由を訊かないの?」
「……もしよろしければ」
「簡単だよ。将棋を打ってる時間がもったいないだろ」
なるほど……ソフトボールからみれば、そうなるわけか。
ただ、犬井くんはこれに対して強気で、
「将棋関係者からみれば、ソフトのほうをやめて欲しいですね」
と返した。
あたしはヒヤヒヤする。
ところが、大田原さんはその返しが痛快だったみたいで、
「ハハッ、そりゃそうだ。だけどさ、どっちかやめたら残りが弱くなったりしてな」
と冗談を言った。
犬井くんはすこしも笑わずに、
「そういうことってありますよね……周囲はムダだと思ってたことが、本人にとっては大切なシナジーだったっていう……他人って、けっきょく分かり合えないですから」
とつぶやいた。
そのあとあたしたちは、駅までひとこともしゃべらなかった。
○
。
.
ヴィー ヴィー
ん……? 電話?
あたしは布団から起きあがって、枕もとのスマホをひろいあげた。
見知らぬ番号から電話がかかっている。
時刻は10時10分前――あたしはちょっと警戒した。
けど、囃子原グループからかもしれないと思い、電話に出た。
「もしもし、葉山ですが……」
《こんばんは、大谷です》
あたしはベッドのうえで姿勢をただした。
「あ、こんばんは」
《夜分に申しわけありません。携帯電話を拝借するのと、葉山さんの電話番号を教えていただくのに時間がかかりまして……今、よろしいでしょうか?》
「はい、ちょっと早めに寝てただけなんで……なんでしょうか?」
あたしはドキドキした。
取材のことでクレームかな、と思ったからだ。
《今日の取材で、なにか尋ねるのを控えられたことがありませんか?》
「……」
《もしもし?》
「あ、はい……いちおう、あります」
《あのときは慌ただしかったので、よろしければ今、電話でお答えします》
あたしは迷った。
たしかに尋ね損ねたと思った点はある。でも――
「帰り道に感じたことでもいいですか?」
《けっこうです》
「大谷さんは、なぜ勝敗のつくゲームに取り組んでいるんですか?」
《なるほど……拙僧らしくない、と?》
「うまく言えないんですが……」
スポーツでも、宗教団体が母体のチームは多い。
たとえば高校野球だ。
でも、大谷さんはそういう流れともどこか違う。
《葉山さんは、鬼子母神伝説をごぞんじですか?》
「きしも……いえ」
《むかし、八大夜叉大将にパーンチカという神がいて、その妻の女神には500人の子がいました。彼女はじぶんの子を育てるために、人間界のこどもをさらっては食べていました。ある日、釈迦はその女神の末っ子をお隠しになられ、女神はこれをついに見つけることができなかったので、釈迦に泣きすがりました。釈迦は言いました。おまえには500人も子がいる。それにもかかわらず、ひとりの子がいなくなれば、これほど嘆き悲しむではないか。だとすれば、それほどの子を持てない人間の親の悲しみは、どれほどであろうか、と。女神は改心し、人間の子を食べることをやめたそうです》
あたしはしばらく沈黙した。
真っ暗な部屋に、スマホの液晶画面が輝く。
「あの……すみません、ちょっと分かりかねます……」
《葉山さんの解釈に、お任せいたします》
「そうです、か……質問しておいて申しわけないんですが、今のは個人的な質問だったんです。たぶん、記事にはしないんじゃないかな、と……」
《ええ、そう思ったからこそ、お話ししました》
あたしは、ちょっとおどろいた。
《昼間、あなたが拙僧の父と母のことに触れていたら、この電話はしていません》
「……信用していただいて、ありがとうございます」
あたしはだんだんと目が冴えてきた。
ぼんやりしていた頭が、スマホから聞こえる声をはっきりと捉える。
その声は――昼間のときと、雰囲気が違っている気がした。
「ありがとうございました。記事は、今日のインタビューで大丈夫だと思います」
《そうですか……ところで、葉山さん、さきほどの話には続きがあるのです》
「続きですか?」
《改心した女神に、釈迦は言いました。もしどうしても人間を食べたくなったときは、このザクロの実を食べるがいい、と……これは民間の俗説です。しかし、俗説にもいちまつの真理があるのではないか……拙僧はそう思っています》




