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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第37局 葉山光、中四国9県を取材せよ!(2015年5月18日金曜)
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378手目 大谷雛〔編〕

 というわけで、那賀ながさんと鳴門なるとくんに教えてもらった場所へ到着。

 大谷おおたにさんはスマホを持っていないから、連絡をとれていなかった。助かる。

 そこは、6月の終わりにふさわしくない、涼しげな風の吹くお寺だった。ところどころささくれだった門をくぐると、シンとした空間が広がっていた。左手にはお墓がみえる。敷地はだいぶ広くて、駒桜こまざくら市立いちりつ高校の校庭くらいありそうだった。

 時刻は4時過ぎ。だんだんと陽が落ちてくる頃だ。怪談には、まだ早い季節。

 あたしは周囲を見回し、念のため1枚だけシャッターを切った。

「……ほんとにいるのかな?」

 あたしは自問自答した。

 犬井いぬいくんも、あんまり自信なさげだった。

「ここが大谷さんの実家だから、待ってれば会える……と思う」

 カラスが遠くで鳴いた。

 まだ明るいのに、すこし心細くなった。

「ねぇ、お寺のそとで待たない?」

 そう尋ねたあたしに、犬井くんはシーッと注意した。

「なんか聞こえる」

 耳を澄ます――なにかを打ちつけるような音が聞こえた。

 犬井くんは黙って、音のほうへ歩き始めた。

 あたしはあわててあとを追った。音はお寺の裏手から聞こえていた。

 ぐるりと建物を回ると、ふたりの少女がキャッチボールをしていた。わりと本格的で、ひとりは土壁を背に、キャッチャーのプロテクトをつけていた。もうひとりは軽装で、簡単なロゴ入りに白いシャツに、スポーツ用のハーフパンツを履いていた。

 ピッチャー役の少女が速球を投げて、痛快な音が響いた。

 先にあたしたちに気づいたのも、そのピッチャー役の少女だった。

「おや、犬井さん、取材は今日でしたか」

 少女は澄んだ声で、そう言った。

「とつぜんでお邪魔します。出直したほうがいいですか?」

「いえ、そろそろ休憩に入るところでしたので」

 少女は、キャッチャー役の子に休憩の指示を出した。

 それからあたしにあいさつをする。

「はじめまして、大谷おおたにひよこです」

 えッ……このひとなの?

「どうかなさいましたか?」

「あ、いえ……なんか、写真でみたときとだいぶイメージが違うな、と……」

 なんかお遍路へんろさんみたいなかっこうしてなかったっけ。

 それですごい印象に残っていた。

 今の大谷さんは、中性的なスポーツ少女という感じだ。

「ラフなかっこうで申しわけありません。ソフトの練習をしていたもので」

 そうか、大谷さんは女子ソフトのピッチャーだった。

 服装はラフでも、しゃべりかたにずいぶんと落ち着きがあった。

「ここでは立ち話になります。どこか喫茶店へでも?」

 これには犬井くんがことわりをいれた。

「ここでけっこうです。雰囲気があります」

「左様ですか……ところで、そちらの女性のかたは?」

 しまった、自己紹介を忘れていた。

「はじめまして、葉山はやまひかるです」

「はじめまして……どちらのご出身ですか?」

「H島の駒桜こまざくら市です」

 大谷さんは、オヤッという表情をした。

「もしや裏見うらみ香子きょうこさんとお知り合いですか?」

「あ、はい……おなじ高校です」

 大谷さんは両手を合わせておがんだ。

「奇遇です。拙僧も裏見さんとは縁がありますもので」

 うわぁ、いきなり女子高生らしくなくなってきた。

 っていうか、裏見先輩、なんか四国に顔が広くない? なにかあった?

「して、拙僧はなにをお答えすればよろしいのですか?」

「えーと、まずは将棋を始めたきっかけなどを」

「将棋は父に教わりました。小学校に入る直前だったかと思います」

「ふだんの練習はどうですか? お父さんと指したりします?」

 大谷さんは一瞬、口を閉ざした。

「父と母はすでに他界しています」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「すみません、今のは悪気があったわけじゃ……」

「いえ、かまいません。練習は、もっぱら高校の将棋部員とです」

 ああ、葉山光、自己嫌悪。

「ほんとうに気になさらなくてけっこうです。次のご質問は?」

「……趣味はなんですか?」

「趣味ですか。いろいろありますが……写経しゃきょうなどを少々」

「しゃきょう?」

 大谷さんは、お経を写すことだと答えた。

「お経を写すとパワーがもらえる、みたいな?」

「いえ、拙僧はスピリチュアルのたぐいは信じておりません」

「あ、そうなんですか……じゃあ、なんのために?」

「写経というものは元来、複製の目的でおこなわれていました。信徒が写経して、印刷の代わりをしていたのです。もちろん、時代がくだっていくと、お経を写すことで功徳を得られるという考えも出てきました。しかし、拙僧はその考えには賛同していません。拙僧が写経をするのは、あくまでも経典きょうてんを記憶したり、檀家だんかに配布したりするためです」

 うーん、すごい実利的というか、実用的というか。

 それって趣味なのかな。実家の手伝いのような気がする。

 あんまり他人の趣味にとやかく突っ込んでも、しょうがないか。

「最後の質問です。気になってる選手はいますか?」

「総当たりなので、特には」

「マークしている選手も?」

「各選手の得手、不得手などは調べています」

「なるほど……」

 あたしはそれをメモした。すると、大谷さんはピッチャー役の子に声をかけた。

「もうすこし投げ込みますか?」

「ああ、わりぃ、このあと家の手伝いがある」

 なんか邪魔しちゃった感じかな。

 あたしたちはお礼を言って、お寺の敷地を出た。

 太陽が西の山の端にむかっていく。

 なんだか不完全燃焼。

 犬井くんもそう感じていたらしく、歩き出すまえに、

「優勝候補の一角のわりに、ずいぶんとおさえた取材だったね」

 とコメントした。批判ではない、と願う。

「内容が薄かった?」

「そんなことはないと思うよ。ほかの選手もこんなもんだし」

 そうだよね。

 頭のなかでザッと記事を組んでみたら、ほかの選手と分量的に遜色はなかった。

 ただ、どこか掘り下げが足りなかったような気がしている。

 あたしたちはとりあえず、バス停の方向へ歩き始めた。

 このお寺は、市街地からけっこう距離があるのだ。

 さやさやと風に揺れる木々のしたを、あたしたちは無言で歩いた。

「おーい」

 ふいに、うしろから声をかけられた。

 ふりかえると、さっきのキャッチャー役の少女が走ってきた。

 あっという間に追いつく。

「おまえら、駅のほうか?」

 あたしたちは、そうだと答えた。

 近くでみると、なかなか大柄な少女だった。よく日焼けしている。

「送ってやるよ。この先に、うちの店のワゴンが停めてある」

 いきなりの申し出に、あたしはじゃっかん困惑した。

 けど、あいての少女は、

「ひよこに送ってくれって頼まれた。あたしんちは市内だから、ついでだ」

 と付け加えた。

 なんか悪い気がしたけど、好意に甘えることにした。

 その少女は、大田原おおだわらと名乗った。

 実家の酒屋の手伝いで、先月から免許を持っているらしかった。

 若葉マークってことだよね。なんかちょっと不安。

 しばらく歩くと、空き地に白いワゴンが停めてあった。

 あたしと犬井くんは後部座席に乗る。

 大田原さんはソフトの道具をうしろのスペースに放り込んで、運転席へ回った。

 シートベルトを締め、クラッチを切り替えた。

「ふたりとも、どっかの新聞部かなにか?」

 ちょっと違うんだけど、あたしはそうだと答えた。

「へぇ、あんまりそうは見えないね」

「そうですか? カメラをぶら下げてて、目立つかな、と思ったんですけど……」

「見た目の話じゃないよ。さっき、ひよこの両親について根掘り葉掘り訊かなかったじゃん……訊いて欲しかったわけじゃないぞ。女子ソフトの取材で来る記者は、どいつもこいつも、ひよこに両親がいないことをやたらさぐりたがるからな」

 なんとなく分かる。

 たぶん【幼いころに両親を亡くした女子高生、悲しみをバネに】みたいな記事が書きたいのだろう。さっきはそういうことに頭が回らなかった――し、回っても訊かなかったと思う。不完全燃焼の理由は、たぶんそこ、なんだけどね。

 ワゴンは赤信号に引っかかった。速度を落とす。

 車内の空気が重かったから、あたしは話題を作ろうとした。

「大谷さんって、ソフトでも名投手なんですか?」

「もちろん……もしかして、ソフトに興味ない?」

「あ、えっと……」

「べつにいいよ。ないもんはないしな。あたしも将棋は興味ないから、どんだけ凄いのか分かんないしさ。ひよこは女子ソフトの全国レベルだよ。さすがにオリンピック代表とかはむずかしいけどね。できれば大学でも、ソフトをして欲しいと思ってる」

 大田原さんのセリフには、どこか惜しむような響きがあった。

 信号が青になる。大田原さんはアクセルを踏んだ。

「これを言うと怒られるかもしれないけど……ひよこには将棋をやめて欲しいんだよね」

 あたしと犬井くんは顔を見合わせた。

 大田原さんはバックミラー越しに、ニヤリと笑った。

「理由を訊かないの?」

「……もしよろしければ」

「簡単だよ。将棋を打ってる時間がもったいないだろ」

 なるほど……ソフトボールからみれば、そうなるわけか。

 ただ、犬井くんはこれに対して強気で、

「将棋関係者からみれば、ソフトのほうをやめて欲しいですね」

 と返した。

 あたしはヒヤヒヤする。

 ところが、大田原さんはその返しが痛快だったみたいで、

「ハハッ、そりゃそうだ。だけどさ、どっちかやめたら残りが弱くなったりしてな」

 と冗談を言った。

 犬井くんはすこしも笑わずに、

「そういうことってありますよね……周囲はムダだと思ってたことが、本人にとっては大切なシナジーだったっていう……他人って、けっきょく分かり合えないですから」

 とつぶやいた。

 そのあとあたしたちは、駅までひとこともしゃべらなかった。


  ○

   。

    .


 ヴィー ヴィー

 

 ん……? 電話?

 あたしは布団から起きあがって、枕もとのスマホをひろいあげた。

 見知らぬ番号から電話がかかっている。

 時刻は10時10分前――あたしはちょっと警戒した。

 けど、囃子原はやしばらグループからかもしれないと思い、電話に出た。

「もしもし、葉山ですが……」

《こんばんは、大谷です》

 あたしはベッドのうえで姿勢をただした。

「あ、こんばんは」

《夜分に申しわけありません。携帯電話を拝借するのと、葉山さんの電話番号を教えていただくのに時間がかかりまして……今、よろしいでしょうか?》

「はい、ちょっと早めに寝てただけなんで……なんでしょうか?」

 あたしはドキドキした。

 取材のことでクレームかな、と思ったからだ。

《今日の取材で、なにか尋ねるのをひかえられたことがありませんか?》

「……」

《もしもし?》

「あ、はい……いちおう、あります」

《あのときは慌ただしかったので、よろしければ今、電話でお答えします》

 あたしは迷った。

 たしかに尋ね損ねたと思った点はある。でも――

「帰り道に感じたことでもいいですか?」

《けっこうです》

「大谷さんは、なぜ勝敗のつくゲームに取り組んでいるんですか?」

《なるほど……拙僧らしくない、と?》

「うまく言えないんですが……」

 スポーツでも、宗教団体が母体のチームは多い。

 たとえば高校野球だ。

 でも、大谷さんはそういう流れともどこか違う。

《葉山さんは、鬼子母神きしもじん伝説をごぞんじですか?》

「きしも……いえ」

《むかし、八大夜叉大将にパーンチカという神がいて、その妻の女神には500人の子がいました。彼女はじぶんの子を育てるために、人間界のこどもをさらっては食べていました。ある日、釈迦しゃかはその女神の末っ子をお隠しになられ、女神はこれをついに見つけることができなかったので、釈迦に泣きすがりました。釈迦は言いました。おまえには500人も子がいる。それにもかかわらず、ひとりの子がいなくなれば、これほど嘆き悲しむではないか。だとすれば、それほどの子を持てない人間の親の悲しみは、どれほどであろうか、と。女神は改心し、人間の子を食べることをやめたそうです》

 あたしはしばらく沈黙した。

 真っ暗な部屋に、スマホの液晶画面が輝く。

「あの……すみません、ちょっと分かりかねます……」

《葉山さんの解釈に、お任せいたします》

「そうです、か……質問しておいて申しわけないんですが、今のは個人的な質問だったんです。たぶん、記事にはしないんじゃないかな、と……」

《ええ、そう思ったからこそ、お話ししました》

 あたしは、ちょっとおどろいた。

《昼間、あなたが拙僧の父と母のことに触れていたら、この電話はしていません》

「……信用していただいて、ありがとうございます」

 あたしはだんだんと目が冴えてきた。

 ぼんやりしていた頭が、スマホから聞こえる声をはっきりと捉える。

 その声は――昼間のときと、雰囲気が違っている気がした。

「ありがとうございました。記事は、今日のインタビューで大丈夫だと思います」

《そうですか……ところで、葉山さん、さきほどの話には続きがあるのです》

「続きですか?」

《改心した女神に、釈迦は言いました。もしどうしても人間を食べたくなったときは、このザクロの実を食べるがいい、と……これは民間の俗説です。しかし、俗説にもいちまつの真理があるのではないか……拙僧はそう思っています》

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