不破楓、大いに怒る
「チェッ、あの眼帯野郎、最後まで居座りやがって」
不破さんは、そう言って足もとの小石を蹴った。
ダメだよ。車に当たったら怒られるからね。
「でも、おかげで問題がひとつ解決したよ」
「問題?」
僕は事情を話した。すべてを聴き終えた不破さんは、
「市立も、くだらねぇことしてるなぁ」
と、ばっさり。あいかわらず厳しいね。
「部室が大きくなるのは、いいことだと思うんだ」
「そんなに狭いのか?」
「もともとは物置部屋だったみたい」
駒桜市立の将棋部は、不祥事で一回潰れている。
そのときに、部室も没収されたんじゃないかな。くわしくは知らないけど。
「まあ、部室があるのはいいことだぜ。うちはねぇからな」
「天堂は非公認サークルなんだっけ」
「非公認サークルっつうか、うちの文化部に部室はないぜ」
「え? そうなの? どうして?」
「……」
察しろよ、というオーラ。
なんとなく分かるよ。タバコを吸う学生が出るからだろうね。
天堂は駒桜一の不良校。地元では有名なのさ。
「ところで、歩夢は団体戦に出るのか?」
「出られないよ」
「ふぅん、市立は大した戦力がなさそうだな」
不破さんは、馬下さんたちをあんまり高く買ってない。
実力的にも大差だし、しょうがないかな、と思う。
それに、性格が合わないからね。
馬下さんは、学級委員長を任されるマジメさん。不破さんは、欠席遅刻魔。
「次は新人戦だから、そっちをがんばるよ」
新人戦というワードに、不破さんはするどく反応した。
「あたしが優勝だな。やらなくても分かるぜ」
「そうかなぁ、僕も狙ってるんだけど」
「歩夢も優勝候補ではあるな」
「あと、兎丸くん」
不破さんは、あんまりおもしろくなさそうな顔。
「あの野郎、なんかいけすかねぇんだよな。絶対二重人格だぞ」
「勝手にサイコパス認定しちゃダメだよ」
「サイコパスとは言ってないだろ……ただ、ああいうやつは絶対にウラがある」
アマチュア精神鑑定かな。
いずれにせよ、県大会準優勝の兎丸くんは、優勝候補だよ。
「あ、そうだ、せっかくだから予行演習しない?」
僕の提案に、不破さんはきょとんとした。
「なんの予行演習だ?」
「新人戦だよ。当たる確率は、けっこう高いよ?」
1年生だけだからね。新人戦は男女混合。
不破さんは、あきれたように頭をかいた。
「あのなぁ……もうちょっと雰囲気ってもんがあるだろ」
「雰囲気? なんの?」
不破さんは赤くなった。ぷいっと視線をそらす。
「そりゃ……まぁ……なんだ……こう……ふたりで……」
「ふたりなら将棋じゃないの?」
ひとりなら詰将棋。ふたりなら将棋。さんにんなら詰将棋+将棋。以下、無限に続く。
「あぁッ! 分かったよッ! 指しゃいいんだろッ! 指しゃッ!」
不破さんはポケットに手を突っ込んだ。新しい飴玉をとりだす。
飴ばっかり食べてると虫歯になるよ。
「その代わり、あたしが勝ったらゲシュマックでもう一回おごれよなぁ」
「あのパフェ高いんだけど」
「じゃあ、負けたほうが自販機のペットボトルをおごるのは?」
それならいいかな。姉さんとは、賭け将棋をよくしている。チャンネル争いとか。
まずは、先手と後手を決めよう。じゃんけんぽん。
「僕の勝ち。先手。20秒でいい?」
「ああ、いいぜ」
「7六歩」
「3四歩」
「6八飛」
「なんだよ、そりゃッ!?」
「角交換型四間飛車だけど?」
不破さんは真っ赤になって、飴玉を噛み砕いた。
「あったまきたッ! ぼこぼこにしてやるッ! 2四歩だッ!」
頭に血がのぼると、よくないよ。冷静に。
4八玉、2五歩、3八玉、5四歩。
「まさか四間飛車vsゴキゲンにするの?」
「んなわけねぇだろッ!」
あ、はい。なんか怒ってるから黙っておこう。
5八金左、4四歩、6六歩、4二銀、7八銀、4五歩。
えぇ? こんなの見たことないけどなぁ。
ちょっと考え込てしまう。
「おい、20秒経つぞ」
「秒読み係がいないと、むずかしいね。6七銀」
3五歩、5六銀、4三銀。
ここで4五銀は、やりすぎかな。誘いのスキ。
「こっちも圧迫するね。7五歩」
「3二飛だ」
ふぅん、四間vs三間ってことか。
相振りは中央に飛車が近いほど不利だから、一本取られたかも。
「位を3つも取られてて、矢倉にできないしなぁ」
「投了か?」
いやいや、早すぎでしょ。
「とりあえず4八金直」
不破さんは5五歩と突いてきた。徹底的に盛り上がる気だね。
6七銀、3六歩、2八銀、3七歩成、同銀、3六歩、2八銀。
へこまされちゃった。
「けど、それって位の確保が不可能じゃない?」
「歩夢の振り飛車には、これくらいでいいんだよ。6二銀」
一応、姉さんと練習してきたんだけど。レパートリーを広げるために。
それはともかく、6二銀〜5三銀のあいだに動きたい。
「6五歩」
「5三……いや、こっちが先か。7二金」
「反発。5六歩」
さすがに取らないかな。4四銀を予想。
「4四銀」
やっぱりね。このあたりの性格は読めるよ。小学校以来のつきあいだし。
「5五歩」
「同銀」
7八飛と飛車を回って、以下、6一玉、7四歩、5六歩、7六飛。
「そろそろ潰れるんじゃねぇか? 4六歩だ」
まだまだ、なんのその。飛車の横利きがある。
「同歩で、どうするの?」
「そりゃあ……ん?」
不破さんは顎に手をあてて、虚空をにらんだ。
気づいたかな。
4六銀は2二角成、同飛、5六飛で、歩を払える。5七歩成は成立しない。
「不破さん、20秒経ったよ?」
「待て待て、細かい男は嫌われるぜ」
これは将棋だよ。将棋に性別はないのさ。
「10秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「7一玉ッ!」
合計40秒の長考。不破さんは王様を囲った。
僕は7七角と上がって、8八角成の素抜きを回避しておく。
「しょうがねぇ、もう一回振りなおすか。5二飛」
へぇ、ほんとに中飛車にしてきた。
次こそ4六銀だね。こんどは5六飛が効かない。
「攻めるね。7三歩成」
同桂、5三歩、同飛、8六角。
不破さんの手が、だんだん遅くなってきた。
「これ、後手が悪くない?」
「ちょっと静かにしろ」
あ、はい。静かにしよう。
「……5四飛」
なんだろう? ……飛車の横利きかな。7四の地点を受けたっぽい。
「じゃあ、攻め駒を足すね。7七桂」
「7四歩」
うわっ、重ねて受けてきた。どうしよう。もう追加する駒がないや。
「おーい、歩夢、20秒経ったぞ」
「さっき40秒待ったよね?」
「しゃーねぇなぁ……10秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「4七金左」
一回受けておこう。最悪、3六金からの脱出をはかれる。
「んー、8四歩」
「9六歩」
「このままだと手がねぇな……1四歩」
これは1三角の準備だね。
「5八歩」
受けてオッケー。
「もうちょっと派手な手は出せないのか?」
「地味な男も嫌い?」
「そ、そう言うわけじゃないが……」
「夫婦でも、派手より地味なほうが長続きしたりしないかな?」
僕のコメントに、不破さんは激しく動揺した。
「ふ、ふ、ふ、ふ、夫婦って、おまえ……」
「どうしたの? ……あ、20秒経ったよ」
「あ、え、4五歩」
ん? 4五歩? 3六金があるのに?
「あ、しまっ……」
「3六金」
がんがん削っていくよ〜。
4六歩、4五金、5二飛、3七銀。
「くそッ! 絶対止めるッ! 1三角ッ!」
不破さんは角をのぞいてきた。
このかたちなら……歩で直接ガードできそうかな。
「3五歩」
「3三桂ッ!」
「5・五・金」
この銀を払えば、入玉は楽になる。
飛車はナナメを止められないからね。
「と、取るしかねぇ……同飛」
4六銀と進出。
「5四飛ッ! ここが絶対防衛ラインだッ!」
んー、そっか。飛車の横利きを使う手があったね。
5五銀打でムリやり突破してもいいけど……こっちかな。
「5六飛」
ぶつけて交換させる。
「ぐッ……こっちは金が浮いてやがる……」
「うん、そこ狙いだよ」
「くそぉ……さっき動揺しなけりゃ……」
そういえば、なんで動揺したんだろうね。
派手より地味っていう価値判断が、気に入らなかったのかな。
不破さんは派手好きだし。
まあ、詮索してもしょうがない。秒読みでプレッシャーをかけていこう。
「10秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「同飛ッ!」
同銀、4五歩、3七銀(ムリせず後ろへ)、5一金。
「2一飛」
さぁ、5二銀があるから、寄せも視野に入ってきた。
「8二玉」
さすがに回避したね。
こっちも、すぐに入玉できるわけじゃない。まずは寄せを目指そう。
「7五歩」
8九飛(後手も入玉狙いかな?)、7四歩、3九金。
うーん、寄せられることは……ないよね? さすがに駒が足りないはず。
僕は19秒まで考えて、4七玉とあがった。
「8七飛成」
やっぱり入玉狙いかな。そうなると引き分けだね。
さすがに、目隠しで持将棋までは指さないよ。姉さんは指すけど。
「7三歩成」
「同金」
「7四歩」
どっちを選択してくるかな。7四同金か8六龍か。
「10秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「8六龍」
不破さんは角を取った。僕は7三歩成と成り込む。
同玉、7四歩、同玉、7五歩、同龍。
「6七金」
これで阻止できそう。次に7六銀を狙っている。
「桂馬が邪魔すぎる……」
「いい位置にいるでしょ?」
「ひとまず8六龍だ。7六銀は回避」
それでも7六銀って打てるんじゃないかな?
僕はちょっと悩んだ。駒を補充するという手もあったからだ。
「10秒、1、2、3」
「あ、今のはまだ9秒だったよ」
「4、5、6、7、8、9」
「1一飛成」
無難に駒の補充。秒読みは正確に。
3六歩、同玉、2九金。
後手は次に4四桂の狙いっぽい。
8六の龍で頓死しないように気をつけよう。
「6六桂」
利きそのものを止める。
「くそぉ、その手はカラすぎだろ」
「10秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「は、8三玉」
下がらせてから殺到――7四銀、9二玉、7三歩。
この手が詰めろに近い。次に5一龍、同銀、8三金、8一玉、7二歩成だ。
「9四角ッ!」
「粘るね」
「往生際が悪いからな」
不破さんはそう言って、僕に中指を立ててきた。怖い、怖い。
「端角には端歩だね。9五歩」
「金と交換だッ! 6七角成ッ!」
同銀、8二金、5一龍、同銀。
あ、詰んだね。
「8三角、っと」
以下、同金、同銀成、同玉、7四金、8二玉、8三金打、7一玉、7二歩成まで。
さすがに頭金までは指さないんじゃないかな。
その証拠に、不破さんはプルプルしていた。
「くぅ……投了だ」
「ありがとうございました」
僕が一礼すると、不破さんは胸ぐらを掴んできた。
「てめぇ! 対局中に口三味線するなって言ってるだろッ!」
「え? どの発言?」
「ちくしょうッ! 乙女心をもてあそびやがってッ! 歩夢のバカ野郎ッ!」
不破さんは手をはなすと、猛ダッシュで姿を消してしまった。
……………………
……………………
…………………
………………
あれ、ペットボトルは?
場所:駒桜市の路上
先手:駒込 歩夢
後手:不破 楓
戦型:相振り飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲6八飛 △2四歩 ▲4八玉 △2五歩
▲3八玉 △5四歩 ▲5八金左 △4四歩 ▲6六歩 △4二銀
▲7八銀 △4五歩 ▲6七銀 △3五歩 ▲5六銀 △4三銀
▲7五歩 △3二飛 ▲4八金上 △5五歩 ▲6七銀 △3六歩
▲2八銀 △3七歩成 ▲同 銀 △3六歩 ▲2八銀 △6二銀
▲6五歩 △7二金 ▲5六歩 △4四銀 ▲5五歩 △同 銀
▲7八飛 △6一玉 ▲7四歩 △5六歩 ▲7六飛 △4六歩
▲同 歩 △7一玉 ▲7七角 △5二飛 ▲7三歩成 △同 桂
▲5三歩 △同 飛 ▲8六角 △5四飛 ▲7七桂 △7四歩
▲4七金左 △8四歩 ▲9六歩 △1四歩 ▲5八歩 △4五歩
▲3六金 △4六歩 ▲4五金 △5二飛 ▲3七銀 △1三角
▲3五歩 △3三桂 ▲5五金 △同 飛 ▲4六銀 △5四飛
▲5六飛 △同 飛 ▲同 銀 △4五歩 ▲3七銀 △5一金
▲2一飛 △8二玉 ▲7五歩 △8九飛 ▲7四歩 △3九金
▲4七玉 △8七飛成 ▲7三歩成 △同 金 ▲7四歩 △8六龍
▲7三歩成 △同 玉 ▲7四歩 △同 玉 ▲7五歩 △同 龍
▲6七金 △8六龍 ▲1一飛成 △3六歩 ▲同 玉 △2九金
▲6六桂 △8三玉 ▲7四銀 △9二玉 ▲7三歩 △9四角
▲9五歩 △6七角成 ▲同 銀 △8二金 ▲5一龍 △同 銀
▲8三角
まで115手で駒込(弟)の勝ち




