372手目 宇和島伊代・香宗我部忠親〔編〕
愛甲をあとにしたあたしたちは、お昼ご飯を近くのレストランでとった。
これも経費で落ちるから奮発して高級イタリアンにしちゃった。えっへっへ。
瀬戸内の幸をふんだんに使った海鮮パスタと名物オレンジジュースを堪能。コーヒーを飲んでから次の取材地へ。犬井くんと合流したから百人力だね。あとは流れでいけそう。
「って、なんで野球場に……?」
あたしと犬井くんは、M山にある野球場に来ていた。
通称『お坊ちゃんスタジアム』だ。総面積はけっこうあるね。マヅダスタジアムよりもすこし大きいかも。開放型の球場で、空には夏空が広がっていた。観客はそこそこ。
今日のデイゲームはカァプvsジャイアント。まさかのプロ野球。たぶん年に何回かしかない特別試合だと思う。
あたしたちはジャイアントサイドのスタンドに座っていた。まだ2回の表で、ちょうどジャイアントの攻撃が始まったところだ。
「いけいけ、我らがジャイアント、邪悪カァプをやっつけろッ!」
だれが邪悪やねん。
なにこの三つ編みメガネの女子。ジャイアントの応援ユニフォームを着て、両手にメガホン。腰にはジャビットくん人形。すごく危ないオーラがする。
そのとなりには、ちょっと冷静そうなメガネの男子。このひとが四国将棋界のブレイン役、香宗我部先輩らしい。K知のひとだからK知で落ち合うはずだったのに、なぜかこのスタジアムを指定してきた。こちらはラフな私服で、とくにどちらのチームを応援するわけでもなく、野球観戦をしに来たという雰囲気じゃなかった。
ひとつうしろのベンチに座った犬井くんは、
「香宗我部先輩がわざわざ出向いてくるってことは、なにかありますね」
と勘ぐった。
香宗我部先輩は試合のほうをみながら、
「べつになにもないさ。伊代と打ち合わせがあったからついでに寄った」
と答えた。
なんかあやしいなあ。
あたしたち、けっこう疑われてる気がする。Y口から帰ったあと、松陰先輩があたしたちのことをあやしんでいた理由を考えた。あたしたちは囃子原くんから派遣されてるわけで、その囃子原くんは日日杯の出場選手だ。つまり、情報収集だと思われてるわけだ。
バットの乾いた音がする。巨神軍のヒットで、三つ編みの少女はメガホンを叩いた。
「いいぞ〜」
少女の狂乱ぶりに、犬井くんは、
「伊代ちゃん、あいかわらずジャイアント好きだね」
と言った。
えぇ……この子が宇和島伊代さんなの?
四国の現・幹事長? よその地域ながら心配になる。
とりあえず、香宗我部先輩へのインタビューを開始。
「では、質問です。香宗我部先輩が将棋を始めたきっかけは?」
「祖父に教わった」
よくあるパターン。裏見先輩といっしょだね。
「いつ頃ですか?」
「小学校に入学するまえだな。ただ、本格的に始めたのは中学になってからだ。小学校では祖父か友だちとしか指さなかった。戦法を研究したり棋譜並べをしたりしてたわけじゃないんだ……葉山さんは?」
「あたしは高校からです」
「なんで始めようと思ったの?」
えー、悪い先輩に騙されてですね、というのを外部で話すのもよくないのでごまかす。
「将棋ブームなので」
「ああ、それはあるよね。うちの部でも高校から入ってくる生徒は多い」
「しろうとが入部してくるのって、ベテランからみるとどうなんですか?」
「もちろんうれしいよ。羽生さんも言ってるけど、ジャンルの裾野は広いほうがいい」
なるほど、新聞部でも新人が入ってきて悪い気はしないよね。
あれこれ教えているとじぶんの勉強にもなる。たとえば、カメラの扱い方とか、記事の書き方とか、そういうのを感覚で教えるのはむずかしい。だから、ネットで用語とかを調べて教えることになる。そのときにじぶんが知らない情報もゲットできてお得。
「ふだんはどういう練習をしていますか?」
「去年は四国の代表幹事で事務仕事が忙しかったから、ほとんどネット将棋だった。今年は宇和島に代わってもらって、吉良とバーサスしてる」
「それは大変ですね。うちの市の会長でもけっこう忙しそうなのに」
香宗我部先輩はメガネをくい〜っとさせて、
「将棋界は魑魅魍魎が多いからな」
と言った。
それは同意。自称宇宙人とか自称宇宙人とか自称宇宙人とか。
「とくに気になる選手はいますか?」
「捨神、六連、囃子原の3人だ」
「上位3人ですね……あれ、吉良くんは?」
「吉良は同郷だからな。俺は中国地方勢を中心にマークしてる」
いやいやいや、これ地域対抗戦じゃないから。総当たりの個人戦だから。
さすがに犬井くんもあきれて、
「八百長はやめてくださいよ」
と釘を刺した。
「吉良にわざと負けるつもりはない。ただ、情報収集は身内より外部だろ」
んー、それもそうか。ただなぁ、なんか取ってつけたような理由なんだよね。いくら主催者が個人戦だって言っても、地域戦の雰囲気が出てしまうのは仕方がないと思う。たとえばプロの将棋会だって、関東所属か関西所属かの区別はある。
まあ、そこはあたしが気にする必要もないかな。最後の質問に移る。
「趣味はなんですか?」
「天体観測だ」
うわぁ、すごいそれっぽいのきた。
「天体観測って、なにをするんですか?」
「なにって……天体を観測するんだぞ」
「そういう『将棋とは将棋を指すことだ』みたいのはちょっと……」
香宗我部先輩はすこし考えて、
「……美しい規則性を観察しながら新しい発見をする、かな」
と答えた。
こんどはテツガクになっとるやないかーい。
「星を観測するんですよね?」
「まあ、そうなんだが……ただ観るわけじゃない。たとえば、葉山さんが天体観測をするとしたら、まずなにを用意する?」
「天体望遠鏡です」
「天体望遠鏡がなくても、惑星や一等星なら肉眼で判別できるよ」
「……スケッチブック?」
「コンパスだよ。あるいは、方位がわかるスマホアプリでもいいけど」
方位を調べてどうするのか、とあたしは尋ねた。
「天体はすべて一定の方角に一定の規則であらわれるだろう。方角が重要なんだ。じぶんがどの地点からみているかを特定しないと、デタラメな観察しかできないからね」
あ、ふーん、そういえば、理科の授業で天文盤をもらったね。あれは方角と日時を合わせると、そのときの星の配置と一致するんだよね。
「葉山さんも自宅のベランダで調べてみるといいよ。意外な気づきがある」
「スマホでも天体観測アプリありますよね。あれ使ってみます」
あたしはメモを取り終えて、宇和島さんのほうをちらりと見た。
メガホンを叩いてずっと応援している。
これ、話しかけていいのかな。
「あのぉ、宇和島さん、ちょっとインタビューいいですか?」
「今年のゴールデングラブ賞の予想ですか?」
「いえ……将棋を始めたきっかけなどを……」
「テレビで将棋の番組をみて、気になったので調べて勉強しました」
これは初めてのパターンかな。
ああいう番組をみてじぶんで調べるひとってあんまりいないはず。
「いつのことですか?」
「中1です」
「そのあと、実戦など?」
「そうですね、ネットで調べたり指したりしてました……ああッ!」
場内が沸く。ジャイアントのバッターが打ち取られたようだ。
宇和島さんは地団駄を踏んだ。
「もぉ、見逃し三振はダメでしょ〜!」
「えーと、ふだんはどういう練習をしてますか?」
「スクワットは大事ですよね。応援のときのウェーブは体力を使うので」
「将棋の話なんですが……」
「え? 将棋の練習ですか? 私は本を読んで研究するタイプです」
ほんとぉ? なんかイメージと全然違うんだけど。
「本っていうのは、定跡書とかですよね?」
「はい」
「とくにお気に入りの本はありますか?」
宇和島さんは両手のメガホンを持って万歳した。
「やっぱり藤井猛先生の『四間飛車を指しこなす本』ですよッ!」
あれ、その本、部室にもあったけど出版年がめちゃくちゃ古かったような。
あたしはスマホで調べた――2000年だね。
「最近の本は読まないんですか?」
「読みますけど、あれはあれで完成されてるんです……ああッ!」
また打ち取られたね。これでチェンジ。
じつはあたし、カァプファンなんだよね。H島出身だからふつうなんだけど。
ちょっと言い出せる雰囲気じゃないかな。
宇和島さんは一回着席した。なにかぶつぶつ言っている。
おちついたところで次の質問。
「趣味はなんですか?」
「野球観戦です」
はい、見てわかります。
「とくに気になってる選手とかいますか?」
「やはり期待のルーキー吉山選手です。打ってよし守ってよしですよ」
「あの、将棋……」
「日日杯ですか? 早乙女さんです」
あ、即答するんだ。
これはアレだね、なにか因縁がある。
「理由を教えてもらえますか?」
「彼女、カァプから宗旨替えしないんですよ。邪教はいけません。来月、マヅダスタジアムで決着をつけます」
野球の因縁かい。
そういえば、早乙女さんもそうとうな野球フリークらしいね。
彼女の取材もちょっと怖いかな。
「ところで、幹事長ってどういう仕事を……」
カーン
「ああぁあああああああああああああッ!」
あ、カァプのホームランだ。宇和島さんの絶叫がこだまする。
その絶叫をよそに、ボールはこっちへ飛んできた。
犬井くんはサッと立ち上がって、それをキャッチした。
ナイスキャッチ。まわりのお客さんも拍手してる。
犬井くんはボールをしばらく見つめて、あたしに差し出した。
「葉山さん、いる? カァプファンだって言ってたよね?」
「ありがとうございますッ!」
ボールを受け取ってニンマリ。やったぜ。菊地のホームランボール。
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………………ん? なにか視線を感じる。強烈な視線を。




