370手目 今治健児・阿南是靖〔編〕
【2015年6月20日(土)】
いやぁ、ずいぶんと時間が空いちゃったね。
先週*、先々週**は日日杯のミーティングがあって、いよいよ取材を再開。
畳の香り――やって来たのは、E媛県新浜高校の柔道場。
ごついお兄さんたちが、柔道着で練習にいそしんでいた。
あたしのまえで男子がひっくり返り、みごとな受け身を披露する。
「ほんとにここにいるのかな……?」
あたしは写真を撮りつつ、道場をみまわした。
柔道部のひとたちは、あたしの存在をあまり気にしていないみたいだ。
たぶん、取材には慣れてるんだろうね。じつは柔道の取材じゃないんだけど。
あたしは名簿の顔写真をチェックして、今治というひとをさがした。犬井くんがそばにいないから、簡単にはみつからなかった。犬井くんは学校の用事があるとかで、現地集合の約束になっていたのだ。あたしは囃子原グループの高速艇で瀬戸内海を渡った。
「いないっぽい……?」
「僕ならここにいるよ」
とつぜん声をかけられて、あたしはふりかえった。
すると、シチサン分けにしたちょっとキザっぽい少年が立っていた。
柔道部……じゃないね。ふつうの制服を着ている。
「こ、こんにちは……どなたですか?」
「いやだなぁ、この阿南是靖の顔を忘れてもらっちゃ困るよ」
アナン……あ、思い出した。
「愛甲の阿南くん?」
「そうだよ。四国最強の高校生将棋指し、阿南是靖とは僕のことさ」
す、すごいビッグマウス。
四国最強は吉良っていうひとじゃなかったっけ。
ま、いいや、犬井くんがまだ来てないけど、とりあえず対応しておく。
さすがにあたしもガキの使いじゃないからね。
「阿南くんは柔道部じゃないですよね? 場所を移動して……」
「あ、べつにここでいいよ」
助かる。さっそく質問タイム。
「阿南くんが将棋を始めたきっかけはなんですか?」
「そういう質問、つまんなくない? もっと過激にいこうよ。だれをボコりたいとか」
「あ、それはあとで訊きます」
「んー、そっか。小学校でクラスメイトに教わった」
「最初はクラスメイトと指してたわけですか?」
「うん、1ヶ月くらいしたらだれも僕に勝てなくなって、そのまま将棋部に入ったよ」
このひと、友だちいなさそう。
Y口の嘉中くんとはちがったKYさがある。
「最近は、だれと指してます?」
「僕は愛の使徒だから、アプリでいろんなひとと指すよ」
「えーと……それは愛と呼べるんですかね?」
あ、しまった、あんまり取材と関係ないこと訊いちゃった。
けど、阿南くんはこれに乗ってきた。
「人類愛っていうじゃん?」
「んー、人類愛と将棋ってなにも関係なくないです?」
「なんでそう思うの?」
「愛が欲しくて将棋を指してるわけじゃないですよね」
「愛は与えるものでしょ? 僕が与えてるんだから、あいては関係ないよ」
どこかで聞いたことのあるセリフだね。とはいえ、あたしはあんまり納得しなかった。だってさ、愛だって一方的に与えられたらウザいというか、ちょっと迷惑だよね。もらえればなんでもうれしい、ってもんじゃないと思う。
あたしがこれを伝えると、阿南くんは笑った。
「たしかに、将棋にも『駒の押し売り』って言葉があるしね」
「ですよね。アプリでいろんなひとと指すのも、愛じゃなくてランダムだと思います」
「アハハ、きみ、面白いね。じゃあ、えーと……」
「葉山です」
「葉山さんは、愛ってなんだと思う?」
なんか将棋とぜんぜん関係ない話題になってきた。
「むずかしい質問ですね……決まったかたちの愛ってないんじゃないですか」
阿南くんは意地の悪そうな笑みを浮かべて、
「ちょっと逃げっぽい答え方だなぁ」
と言った。
消極的な答えなのはわかってる。けど、抽象的な質問は苦手。
まるで立場が入れ替わったかのように、あたしのほうが質問攻めにあう。
「葉山さんって将棋部なの? それとも新聞部?」
「両方です」
「あ、そうなんだ、犬井といっしょだね。だったら話が早いや。たとえば、団体戦でチーム勝ちがもう決まってるとするじゃん? じぶんが勝っても負けてもどっちでもいい状況になったとき、あいてに温情をかけてわざと負けるのは愛かな?」
それはさすがにちがうと思う。あたしはそう答えた。
っていうか八百長負けはダメだよ。
あたしの答えに、阿南くんは笑った。
「でしょ? 葉山さんだって、愛はなんでもアリだとは思ってないじゃん?」
「うーん……たしかに……ちょうど将棋の話になったので訊きますけど、阿南くんはそういう状況ならどうします? 八百長負けはないとしても、あんまり本気で指さないとか、そういうのは? こんどの日日杯でも、そうなる可能性ってありますよね?」
日日杯は、総当たりのあとにベスト4がトーナメントへ移る。
だから、勝っても負けても関係なくなる状況は十分にありえた。
「それって危ない質問だね。オフレコかな?」
「あ、オフレコにします」
「僕はね、全体のポジションを気にしないタイプなんだ」
あ、はい、なんかそんなイメージがある。
あたしはその理由をたずねた。
「アハハ、理由なんかないよ。そもそもさ、優勝が決まっていようがいまいが、将棋を指すことには変わらないよね?」
「でも、1勝がプラスになるかならないかっていうちがいがありますよ?」
「つまり、優勝が確定してる状況で1勝してもムダ?」
阿南くんがあまりにも堂々と質問してくるから、あたしは自信がなくなった。
「……じゃないですかね」
「それ自体が視野狭窄じゃない?」
「視野狭窄なのは、個人プレイにこだわるほうじゃないですか?」
「そうかな? とりあえず勝っておけば、僕の棋力を外部にきっちりアピールするチャンスになるよね? 大会が終わったらみんなの記憶が消えるわけじゃないんだよ?」
あ、なるほど……大会よりも広い視点でみてるわけか。
「一理ありますね」
「でしょ。ものごとは大局的にみないといけないのさ」
そのときだった。あたしのそばに大きな影があらわれる。
「是靖の口から『大局的』という言葉が出るとは、俺の聞きまちがいか」
大柄な無精髭の男子が、柔道着のかっこうで出てきた。
あたしは彼が今治先輩であることに気づいた。
阿南くんも知り合いらしく、笑顔であいさつした。
「今治先輩、お先に失礼してます」
「ふん、年功序列はどうでもいい……で、大局が、どうした?」
「今治先輩の将棋は大局観があっていいですね、っていう話です」
大嘘。阿南くん、しれっとウソをつくなあ。
さっきの会話も話半分で聞いたほうがいいかも。このひとの記事は慎重に書こう。
あたしは今治先輩に自己紹介してから、
「まだ阿南くんのインタビューが終わってないんですが、だいじょうぶですか?」
とたずねた。
今治先輩は「かまわん」と答えて、仁王立ちになった。
「ただ、後輩に稽古をつけてやらんといかん。手早く頼む」
はいはい、のこりの質問は少ないからね。さくさく。
「趣味はなんですか?」
「趣味……彰のスイーツを最初に試食することかな」
どんだけピンポイントな趣味なの。
アキラっていうのは、K川県の長尾彰くんのことかな。高校生シェフで有名だよね。
「最後の質問です。とくに注目してる選手はいますか?」
「義伸だね」
「よしのぶ……吉良くんですか?」
「そうそう、今回の日日杯で、四国最強は僕だって証明してみせるよ」
いいねぇ、このセリフは採用しちゃお。
メモメモ……こんどは今治先輩に交代。
「お待たせしました。まず、将棋を始めたきっかけをお願いします」
「兄貴に教わった」
「柔道は、いつから?」
「柔道は小3からだ。生まれつき体格がよくてな、近所の道場に目をつけられた」
今治先輩はひとりで豪快に笑った。
「人生、きっかけなど適当だな」
それはあるかも。あたしも某見先輩に騙されて入部させられたし。
まあ、そこはいったんおいておき。
「ふだんの練習などを、すこし」
今治先輩は耳の穴をかっぽじりながら、
「んー、練習はあまりしとらん。気が向いたら、てきとうなあいてと指す」
と答えた。
「将棋アプリでランダムマッチとか?」
「いや、俺はああいうのはやらん。手がでかくて画面がうまく押せん」
たしかに、でかいね。
「それに、木の駒で指したほうが雰囲気がある」
これには阿南くんがつっこみを入れた。
「今治先輩、あいかわらず古いですね」
「ようは遊びだ。ならばじぶんにしっくりくるほうがよかろう」
それは正論だと思う。
仕事ではスタイルを曲げる局面が出てくるけど、これは趣味だからね。
あたしはちょっと興味のある質問をしてみた。
「アマチュアが将棋に打ち込む動機って、なんだと思いますか?」
今治先輩と阿南くんは、ちらりとおたがいに視線をあわせた。
阿南くんから答える。
「勝ってるときの優越感、みたいな?」
「……それ本音で言ってます?」
「あれ? 疑うの? 僕らしくない?」
うーん、なんか阿南くんの会話って、半分演技な気がするんだよね。
キャラを作っているというか、なんというか。
今治先輩もニヤリと笑って、
「葉山、なかなかするどいな。こいつはけっこう繊細なところがあるぞ」
と言ってから、じぶんの答えも告げた。
「楽しく指していつかじぶんの限界に達する……それがアマチュアの楽しみ方だろう」
「プロでもいつか限界が来ますよね?」
「トップアスリートと普通のアスリートのちがいか?」
「ええ、スポーツでもいいですし、将棋でもトップ棋士とそれ以外がいますし」
今治先輩は、限界がみえたときの対応がちがう、と言った。
あたしはこれを、
「つまり、壁にぶつかってもがんばるのがプロだ、と」
と解釈した。
ところが、これはハズれ。今治先輩は目を閉じて首を左右にふった。
「根性論ではない……限界がみえても、金が取れるようにがんばるのがプロ、だ」
え? お金の話になるの?
これが今治先輩から出てきたのは意外。
阿南くんはさっきの仕返しみたいな感じで、
「先輩、けっこう打算的なところがありますよね」
と言った。
「リアリストと言え、リアリストと……話をもどすとな、アマとプロの差は『仕事として金をもらっているかどうか』しかないんだ。プロ柔道を知っているか?」
「プロ柔道……オリンピックに出てるひとたちですか?」
「プロ柔道というのは、国際柔道協会のことだ。各地を回って試合をして観戦料を取っていた。1950年に経営難で解散したがな」
「え? それじゃあ、まるでプロレス……」
「そう、プロレスラーとおなじだ。そもそもプロレスの『プロ』はプロ棋士とかプロ野球選手のプロとおなじだろう? 単に呼ぶならレスラーだ。オリンピックに出ているレスリング選手はなんだ? 多くはアマチュア、つまりアマレスだ。オリンピック級のレスラーでも、プロは少ない。ふつうはべつのことを仕事にしているからだ。将棋もおなじで、プロというのは日本将棋連盟の正会員という意味で、それ以上でもそれ以下でもない」
はぇ〜、たしかにフリー記者っていうのも、新聞社なんかに属してないっていう意味でしかないからね。取材能力が高いとか低いとかはぜんぜん関係がない。
今治先輩はさらに続けた。
「アマチュアが将棋に打ち込む動機はなにか……葉山の質問は、仕事でもない将棋に打ち込む理由はなにか、というのと変わらん。答えは単純だ。金がもらえないという状況を楽しめるから……つまり、生活の余裕だな」
すっごい納得。
あたしは次の質問に移る。
「趣味はなんですか?」
「是靖とかぶるのはしゃくだが、食べ歩きだな。体を動かしたあとの飯はうまいぞ」
「とくに注目している選手はいますか?」
「うーむ……同学年の連中だ」
ってことは、3年生のひとたちだね。
男子だとY口の松陰先輩、T取の今朝丸先輩、S根の葦原先輩、K知の香宗我部先輩。
戦ってる期間がかぶってて、いろいろと因縁があるのかな。
「質問は以上です。ありがとうございました」
「よし、稽古でもするか」
「じゃあ、僕は帰りますね」
今治先輩は阿南くんの襟首をつかんだ。
「まあそう言わずに、阿南もひとつ稽古していけ。柔道経験はあるんだろう?」
「いえ、あの、僕は体育の授業でやってるだけで……」
今治先輩に引きずられる阿南くん。
稽古の掛け声に合わせて、彼の悲鳴が聞こえた。
その去りぎわ、今治先輩はいちどふりかえり、こちらに親指を立ててみせた。
「余裕があるから楽しめる……ちがうか、葉山? 俺は楽しみでしかたがないぞ」
*213手目 上陸した強豪たち
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*241手目 下見するひと、されるひと
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