369手目 松陰忠信・嘉中平三〔編〕
というわけで、とーちゃーく。
関門海峡ッ! いやぁ、すごい。真っ青な海のうえに、一本の橋が通っている。自動車で渡ると、景色がよさそう。海峡にはタンカーや貨物船が往来していた。これも駒桜ではみられない風景だ。そもそも駒桜には海がないからね。
「んー、きれい。犬井くん、写真撮ろ」
犬井くんとツーショットで撮影。これも掲載しちゃおうかな。
さてと、もうすぐ三時なわけだけど――
MINEの連絡では、お目当のふたり、関門海峡の近くで釣りをしてるらしい。
釣り客って言っても、いっぱいいる……潮の流れが速いから、よく釣れるのかな。
あたしと犬井くんは、散歩がてらに沿岸を散策した。
「……あ、いたいた」
犬井くんは、麦わら帽子をかぶっている少年に声をかけた。
少年はふりかえる。全体的にすらりとしたメガネの少年で、ちょっと冷たい印象。前髪を潮風になびかせて、あたしたちを見つめかえしてきた。
あたしは名簿を思い出す。松陰忠信先輩、だったかな。萩尾さんと毛利先輩が名前をあげていた、松陰亮子さんのお兄さんらしいね。妹の松陰さんは県代表になったことがないけど、お兄さんはなったことがある。だから日日杯には出場できるってわけ。
あたしは挨拶する。
「はじめまして、葉山光です」
「はじめまして……まあ、座ってよ」
松陰先輩は、あたしたちに座るように催促した。
うーん、海岸のコンクリートにそのまま座るのか。ちょっと気がひける。
とはいえ、あんまりぜいたくも言っていられないから、着席。
海沿いの県に行くときは、こんどからスカートじゃなくてズボンにしよう。
さっそく取材を始めようとしたら、なぜか松陰先輩から質問がとんできた。
「そっちの女の子は、見たことがないけど、どこの高校?」
あたしは駒桜市立高校だと答えた。
松陰先輩はじっと海のほうをみつめて、
「駒桜……ああ、姫野さんの出身地か」
と言った。
ひさしぶりに聞いたね、その名前。
姫野さんは駒桜の強豪だったらしいんだけど、あんまり知らない。
さらに、松陰先輩はあれこれ質問をとばしてきた。
いつから将棋を始めたのかとか、棋力はどのくらいかとか、いろいろ。
これじゃああたしがインタビューされてるみたいだ。
犬井くんもちょっと変に思ったらしく、
「どうしたの? なんか警戒心バリバリじゃん?」
とたずね返した。
すると、べつの方向から、
「松陰は、そいつがスパイじゃないかって疑ってるんだよ」
と、知らない少年の声が聞こえた。
みると、顔に麦わら帽子を乗せて、足だけ岸から投げ出し、釣り竿を放置している色黒の少年の姿がみえた。少年は麦わら帽子をどけて、大きく背伸びをした。ちょっとおさない顔立ちで、目が丸っこくて大きかった。なんか人懐っこそう。
この少年も、名簿の写真でおぼえていた。Y口県のもうひとりの男子代表、嘉中平三くんだ。あたしは嘉中くんにもあいさつする。
「こんにちは……えっと、あたしはスパイじゃないですよ」
「忠信が勝手にそう言ってるだけだって。気にすんな」
嘉中くんのコメントに、松陰先輩は、
「用心に越したことはない」
と答えた。ほ、ほんとにスパイだと疑ってたんだ。
高校生同士で疑うのって、不毛だと思うんだけど。
犬井くんもそう思ったらしく、
「松陰はもともと用心深いけど、こりゃなにかあったな」
と勘ぐった。松陰先輩はしばらく釣り竿を垂れてから、
「県代表の動向をさぐってるやつがいる」
とつぶやいた。
え、なにそれは? いきなりスパイものになるの、これ?
一方、嘉中くんはめんどくさそうな反応をしめした。
「幽霊が出るってうわさがあるんだよ。アホらしい」
意外と特ダネなのでは。記者の勘がさえる。
あたしは興味をしめした。
「もうすこし、詳しく教えてもらえませんか?」
「……」
松陰先輩は反応しなかった。代わりに嘉中くんが答える。
「むかーし死んだ小学生の霊が出るんだってさ」
「小学生の霊……また具体的ですね」
嘉中くんは説明してくれた。むかし、全国レベルの強豪小学生がいた。けど、あるときからぷっつり姿を消してしまった。事故で亡くなったんじゃないか、っていう噂が流れていたけれど、最近それらしい人物がネット上にあらわれているとのことだった。
「ネット上って?」
「将棋バトルウォーズっていう対戦アプリ。俺と忠信もやってる」
「でも……そんなのわからないですよね?」
嘉中くんは笑った。
「そりゃわかんないぜ」
「え? さっきネット上に『それらしい人物』が現れたって言いましたよね?」
「俺は信じてない。でたらめだよ。ようするに、そいつのIDがその小学生じゃないとわかんない名前になってるから、本人なんじゃないかって話になってるだけだ。しかもそいつがF岡出身なんだよ。隣県だろ。忠信のやつ、やたらとブルってるんだ」
え……F岡……? この関門海峡のむこうがわじゃん。
あたしは海をへだてて、九州をみやった。ここって壇ノ浦だから、そういう怪談になんだかふさわしい気がしてしまう。
松陰先輩は釣り糸の揺れをみながら、
「幽霊が将棋を指すなんて非科学的なことを、俺も信じてるわけじゃない。むしろ、その小学生がなにかのきっかけで将棋を再開した……とは考えられないか?」
と、あたしたちに問いかけてきた。
まあ、ふつうはそうだよね。
松陰先輩はいずれにせよ、この話題を打ち切りたいらしかった。
「で、取材に来たんじゃないのか?」
「あ、はい……まず、将棋を始めたきっかけあたりから……」
「嘉中、将棋を始めたきっかけだぞ」
「いやいや、なんで俺なの? 今のどうみても忠信に対する質問だろ?」
このメンツもなんか濃いなぁ。気張っていこう。
松陰先輩は、
「たしか毛利といっしょに教わった気がするな」
と答えた。
「毛利輝子先輩ですか? ……つまり、彼女のお姉さんに教わった、と?」
「そうだな」
Y口県はほんとうに横のネットワークが強いんだね。選手が乱立してるのも、そのあたりに原因があるのかな。実力も横並びになっているというか。日日杯は全国大会出場経験が条件だ。県内にぬきんでた選手がいるせいで、1人しか代表がいない県もある。たとえばO山は囃子原くんが3年連続で優勝してるから、男子代表は彼ひとり。
「将棋の練習とか、ふだんはどうしてます?」
「ほかの選手とのスパークリングがメインだ」
んー、これもいっしょだね。
「変な質問かもしれないですけど、どうしてワンチームみたいな感じなんですか?」
「ワンチームでもなんでもない。Y口は東西南北でけっこう気質がちがう」
ああ、それは思う。長門さんとキャシーちゃんは気さくだけど、萩市にいたひとたちはプライドがある感じなんだよね。嘉中くんは九州っぽいイメージ。ようするに、H島に近い東部はH島と似てて、九州に近いところ出身のひとは九州の影響を受けてるんじゃないかな。でも、みんなで和気あいあいな理由がそれだとわかんないよね。
「H島の県代表は、けっこう個人プレーな印象なんです」
「H島は変わり者が多いからだろう」
いやぁ、それはちがうと思う。ここもかなり変わり者が多い。
っていうかまともな県とかあるのかな。
「んー、なんかY口だけ特殊な連帯感があるような……」
そこで嘉中くんが突然、
「やっぱ四境戦争のなごりじゃね?」
と言った。
「しきょうせんそう……? なんかのサバゲですか?」
「攻め込んだほうは覚えてないんだよなぁ。第二次長州征伐だよ」
なんか微妙に政治くさい話になってきた気がする。
嘉中くんは淡々と説明した。
「第二次長州征伐のときはY口vs残り全部で、F岡、S根、H島、E媛の四方向から攻められたから四境戦争。今じゃあとくに気にしてないけど、なんだかんだでそういう意識があるのかもな。県民一体で防衛戦争してる地域ってそんなに多くないだろ」
うーん、歴史がなせるわざ?
どうなんだろうね。たまたまこの世代がそうって可能性もありそうだけど。
まあ、あんまり深く突っ込まないでおく。
あたしは松陰先輩へのインタビューを続けた。
「とくに気になってる選手はいますか?」
「気になってる選手……捨神、吉良、囃子原あたりだな」
そうそう、名指ししてくれなきゃねぇ。
プロレスでも最初の口喧嘩がだいじ、みたいな?
「上位層をあげてきましたね。優勝争いで絡みそうなメンツですか?」
「いや、俺は優勝は狙ってない」
あらら、毛利先輩もそうだったけど、なんか冷めてるな。
「先輩、もうちょっと、こう、テンションあげていきませんか?」
「おい、平三、テンションあげろ」
嘉中くんはガバリと起きあがって、あぐらをかいた。
「忠信はこんな感じだから、俺が盛りあげてやるぞ」
「は、はい……じゃあ、将棋を始めたきっかけは?」
「俺はもともとS関生まれで、親父に習ったんだ。しばらくは趣味でしか指してなかったんだけど、ものつくり高校に入学してからは、萌とかに鍛えてもらってる」
「あ、じゃあ、寮生活とか?」
「おばさんのとこに下宿してる」
「わざわざ萩市の高校に入学したきっかけは?」
嘉中くんは照れくさそうに笑った。
「俺、日本の自給率をあげたいと思ってるんだよね。生活の基本って食じゃん? 温暖化とか戦争とかで食料ストップしたら困るから、無人農業の研究してる」
えらすぎィ!
こ、ここまでの取材で気づいた。この県のひとたち、やたらとテツガクがある。
「で、次の質問は?」
「あ、はい……えーと……将棋の練習とかは、どうしてます?」
「そのへんは忠信といっしょかな」
「萩尾さんと指す機会が多いですか?」
嘉中くんは靴のつまさきをにぎって、体を前後に揺すった。
「萌には勝てないんだよなぁ。毛利先輩か忠信の妹ともけっこう指してる」
と言いつつも、なんだか楽しい高校生活を送っているような笑顔。
いいねぇ、こういうのはインタビュアーとしてやりやすい。
「気になってる選手は?」
「個人的にボコりたいのは捨神と囃子原」
強い。名指しでボコ宣言。
「理由は?」
「金持ちイケメンだから」
これには苦笑。たしかにそうだけど。
嘉中くんもニヤニヤしながら、
「葉山ってH島の高校なんだろ? 捨神に伝えといてくれよな」
いや、それはちょっと……捨神くん、繊細そうだし……。
あたしが困っていると、松陰先輩が、
「平三、記者が困ってるだろ」
と助け船を出してくれた。
「へへへ、こういうコメントしといたほうが記事に載りやすいんだよなぁ」
なんか手玉にとられちゃった感じ。
とはいえ、さすがに加工しちゃうけどね。捨神くんたちにプレッシャーをかけるのが記事の目的じゃないから。スポーツ新聞だったら煽ってそのまま載せる。
「あ、そうだ、載る載らないの話ですけど、さっきの幽霊少年は載せてOKですか?」
嘉中くんはちょっとマジメな顔になって、
「うーん……忠信、どうする?」
と、松陰先輩にふった。
「やめてもらいたいな。不確かな情報を拡散するのがマスコミじゃないだろう」
んー、拒否されちゃった。
これはあとで犬井くんと相談しよう。
あたしは質問をだいたいし終わったので、メモを整理する。
こんな感じでY口県はだいたいOKかな。
予定より早めに終わったので、しばらく雑談をする。
「松陰先輩も嘉中くんも、ぜんぜん釣れませんね」
「そうだな……河岸を変えるか」
松陰先輩がリールを巻いていると、うしろで、
「ここはぜんぜん釣れないな」
と、おなじことを言っている通行人がいた。
ふりかえって、あたしはびっくりする。
御面ライダーの仮面をかぶった変なお兄さんと、サングラスをかけたツインテールの女の子のカップルが、釣り竿をかついで歩いていたからだ。
お姉さん、カレシは選ばないとダメだよ。うん。
それじゃ、Y口編はおしまいッ! 次の行き先は――




