草薙巴、駒落ちに挑む
「駒の動かし方は、知ってるんだよね……?」
「ルールブックを読んできた」
草薙さんは、はっきりと答えた。
飛瀬先輩は、将棋盤を用意した。折りたたみ式のマグネット盤だ。
「この盤と駒を使って、ちゃんと説明できる……?」
「ひとつ試してみよう」
草薙さんは、プラスチック駒をじゃらじゃらと盤のうえにぶちまけた。
「まず、これが歩だ」
「一番弱い」
「それは語弊があるけど……まあいいや、続けて……」
「前に1マスだけ進める」
草薙さんはそう言って、動かし方を実演してみせた。
「オッケー……その調子で……」
「私が弱いと思う順にやる」
【香車】
【桂馬】
桂馬>香車とみてるわけだね。このへんは意見が分かれそう。
「桂馬の特徴は……?」
「途中に駒があっても、それを飛び越せる、だ」
「他に飛び越せる駒は……?」
「ない。桂馬だけだ」
よしよし、正解。桂馬は混乱することが多いから、第一関門はクリア。
次は、動かし方が似ている金と銀。
【銀】
【金】
「角と飛車は、どちらが強いのか、よく分からなかった」
草薙さんはそう言いながら、先に角を動かした。
【角】
【飛車】
「最後に王様だ。プレイヤーの分身になる」
【玉】
「大丈夫みたいだね……じゃあ、『成る』のルールは知ってる……?」
「敵陣に入ると、駒がパワーアップする」
「あ、それはちょっと違うかな……」
「なぜだ? ルールブックには、そう載っていたが?」
「多分、それは記憶間違い……」
飛瀬先輩は、メモ帳にさらさらとペンを走らせた。
「駒がパワーアップできる条件は、この3つ……」
1 中立地帯あるいは自陣から、敵陣へ駒が移動したとき。
2 敵陣の中を移動したとき。
3 敵陣から、中立地帯あるいは自陣へ駒が移動したとき。
「なるほど、敵陣に入ったときだけではないのだな」
「ちなみに、敵陣がどこか、分かる?」
「敵陣というのは、だな」
「青サイドからみたときは赤のフィールド、赤サイドからみたときは青のフィールドだ。どちらでもない空間は、中立地帯とでも呼ぼう」
「では、成り駒の動きを説明してください……」
「簡単だ。ほとんどの駒は同じ動きをする」
【歩→と、香→成香、桂→成桂、銀→成銀】
「角と飛車は、動けなかった方向へ、ひとつだけ動けるようになる」
【角→馬】
【飛→龍】
「金と王様はパワーアップしない」
「それも正解……」
ふむ、ひと通り大丈夫そうだね。
正面の不破さんも、そう思ったらしい。テーブルに身を乗り出した。
「おい、宇宙人、これなら実戦でもいいんじゃないか?」
飛瀬先輩も、うなずいた。
「そうだね……もう駒落ちでいいみたいだね……」
飛瀬先輩は草薙さんに、駒落ちを知っているかどうかたずねた。
「私が知っているのは、動かし方と勝利条件だけだ」
「勝利条件を知ってるなら、話は早いね……実際に指してみようか……」
飛瀬先輩は、草薙さんのほうも並べて、駒落ちの局面を作った。
「最初はこれで……」
「そっちは未完成ではないのか?」
「これが駒落ち……ようするにハンデ戦だね……」
ハンデという言葉をきいて、草薙さんはフッと笑った。
「勝負事でハンデをもらうのは、ひさしぶりだな」
なんか怖いよ、その発言。格闘技だとハンデはないのかな。
「細かいルールは、指しながら教えるから……じゃ、私から……」
飛瀬先輩は5二玉と指した。
「む? そっちが先だと決まっているのか?」
「ハンデ戦のときは、ハンデを負ったほうが先手です……」
「そうか……では、どうしたものか。なにを動かしても同じにみえるな」
はじめのうちは、そうだよね。7六歩でも1六歩でも同じにみえる。
「好きなように指していいよ……どうやってもこっち勝てないし……」
「そうだな、習うより慣れろ、だ。角を使っていこう」
草薙は、7六歩と突いた。
おっと、これはスゴいな。勘がいい。最善手だ。
駒落ちなら、初手はほぼ角道開け。
特に10枚落ちなら、次に6六角で角成りが受からない。
「いい感じだね……」
飛瀬先輩も感心していた。
「こっちは4二玉……」
「その暗号はなんだ?」
「盤のそれぞれのマスには、名前がついてるんだよ……」
「そうか、81マスもあるから、めんどうだな」
「いたって単純……横と縦の符号をあわせるだけだから……」
飛瀬先輩は、初心者用につくっておいた説明キットを持ち出す。
「横→縦の順か? それとも逆?」
「横→縦だよ……私が動かした先は、4筋二段目だから、4二玉……」
「なるほど、分かりやすくていい。ならば、私は……」
草薙さんは、さらに7筋の歩を伸ばした。
「これは7五歩か?」
「正解……3二玉とするね……」
「王様をうろうろしているだけだな」
「こっちはなんにもできないからね……」
10枚落ちは、詰まされるのを待つだけのゲーム。
よっぽどのミスがない限り、上手負け。
6六角に気づけば、もっと早く終わっていたけど、ま、そこはご愛嬌。
最善、最善で迫れるなら、それは初心者じゃないからね。
「飛車を横にずらす」
これもいい手だ。
王様の守りがないほうに戦場を作れば、受けが利かない。
以下、4二玉、7四歩、同歩、同飛、3二玉と進んだ。
「7二でパワーアップする」
「飛車が龍になった」
「さらに王手だね……」
飛瀬先輩は、2一玉と逃げた。
「歩の壁を突破する」
3三角成、3一玉、3二馬。詰み。
「負けました……」
「ありがとうございました」
ちゃんと一礼できるんだね。
このへんは、武道をやってるからかな。
武道も将棋も、礼に始まり礼に終わる点は同じ。
このあたりの考え方が、西洋のチェスなんかとはだいぶ違う。
チェスのマナーは、開始と終了時に握手。
「もう終わりか? 王様で馬をとり、その王様を龍でとる必要があるぞ?」
「あ、それはちがう……勝敗は、詰んだときだから……」
「つんだとき、とは?」
基本的なところが抜けてるね。勝利条件は知ってるって、さっき言ってたのに。
たぶん、王様をとられたら負け、という説明を受けたのかもしれない。
それは正確にはまちがい。
「王様が動けなくなったらおしまい……とだけ覚えといて……」
「王様は、まだ動けるのではないか?」
「王手がかかるところへ動くのは反則……」
飛瀬の説明に、草薙さんはようやく納得した。
「どこへ動いても王手になってしまうな。反則だ」
「これだけできるなら、途中で5四歩とひねればよかったかな……?」
それは、7四歩〜5四飛の攻めがみえて、どうしようもない。
まあ、草薙さんは気づかなかったかも。
ただ、指導対局でイジワルしてもねぇ。姉さんならそうしそうだけど。
「じゃあ、次は8枚落ち、いってみようか……」
8枚落ちは、まだまだ楽勝の範囲。
大切なのは、どのくらいの早さで寄せられるか、かな。
「じゃ、3二金……」
飛瀬先輩は、左金を上がった。
これは7二金でもいい。順番の問題だよ。
「さっきと同じようにする。7六歩」
7二金、7五歩、6四歩。
今回は、ひねってきた。
草薙さんは、おそらく7八飛〜7四歩が狙いだ。
飛瀬先輩は、それを事前に防いでいる。
「7八飛」
「6二玉」
さあ、草薙さん、どうする?
「誘いのスキに思えるが……仕掛けてみよう。7四歩」
飛瀬先輩は、黙って同歩。
「飛車で取る」
「6三玉……」
これが6四歩〜6二玉の狙いだね。
ちなみに、6二玉のところで6三金を考える人がいるかもしれない。
だけどそれは、7六飛〜9六飛で困る。
同じ理由で、6三玉の代わりに6三金も、7六飛、7四歩、9六飛で困る。
このあたりの攻防は、上手も神経を使うところだ。
攻撃を受け止められた草薙さんは、両腕を組んでうなった。
「なるほど、こういう受け方があるわけか」
「まあ、どのみち潰れるんだけどね……」
それを言ったら駒落ちは終わり。
「7六に引いておこう」
草薙さんは、飛車を浅くひいた。
無意識だろうけど、いい位置だ。上手の金の動きを牽制している。
「7四歩……」
さぁて、下手は攻めを工夫しないといけないよ。
すぐに攻める順はない。方針を変える必要がある。
「すこし考えてもいいか?」
「どうぞ……」
草薙さんは、じっと考え込んだ。
怖いね。殺し屋みたいな風貌だし。でも、美人なのは間違いない。
……………………
……………………
…………………
………………
「端が弱いように思う」
いい勘してる。8枚落ちまでは、端が弱い。
ただ、注意しないと簡単に受け止められてしまう。
「ひとまず、端を伸ばしてみよう」
草薙さんは、端歩を突いた。
「狙い筋としては、間違ってないかな……8四歩」
9五歩、8三金。これは受け止められてしまった格好だ。
「それで受かるのか。気づかなかった」
「受かってると分かること自体が上出来……」
「ムリヤリに攻めてみるか」
草薙さんは、飛車を6六に回った。
よく分からない。9七角が狙いかな。
この手をみて、不破さんが僕に耳打ちした。
「マズいな、下手が圧迫されそうだ」
だね。草薙さんのほうは、しばらく防戦気味になるかも。
飛瀬先輩もチャンスとみたらしく、30秒ほど考えた。
「7五歩……」
「9七角」
「7四金……」
「どうも窮屈だな。下がりなおす」
草薙さんは、上がった角をもとに戻した。
「なるほどね……じゃあ、どんどん圧迫しようか……」
6五歩、9六飛、8五金、9八飛、7四玉。
「9四歩」
草薙さんは、駒音高く端歩を突いた。手つきもいいね。
「こっちは歩切れ……歩があったら受かるんだけど……」
歩切れっていうのは、持ち駒に歩がないことだよ。
飛瀬先輩が歩を持っていたら、取らずに7六歩、9三歩成、9六歩がある。
でも現実は歩切れ。
「8五金より8五歩のほうがよかったかな……7六歩……」
9三歩成、7五玉、8三と、7七歩成、同角、7六金。
意外と危なくなった。
負けそうって意味じゃない。まだ先手勝勢。入玉さえされなければ。
入玉っていうのは、敵の王様が自分のフィールドに入ってくること。
こうなると、捕まえるのがとてもむずかしくなってしまう。
「どうすればいいのだろうな。方針が見えん」
「勝ち筋はいろいろあると思う……」
「勝ち筋がたくさんあるときは、危ないとしたものだ」
なにをやっても勝てそう、ってときが一番危ない。
草薙さん、ほんとに初心者なのかな。
格闘技の勘を応用してるだけかもしれないけど。
「中央に角をあがりたいが、それは8七に金を突っ込まれる」
「だね……」
その順は、あんまり好ましくない。
「となると、こうだ」
へぇ、そう上がったか。
これは取るしかない。でないと、ほんとに5五角と逃げられてしまう。
「じゃ、7七金で……」
「私も金を取る」
「んー……完全に止まっちゃったかな……」
入玉は無理そうだ。角の打ち場所もない。
「ダメだね……もう手がないや……投了……」
飛瀬先輩が投了すると、草薙さんはちょっとだけきょとんとした。
「まだ王様は捕まっていないぞ? 新しいルールか?」
「格闘技でも、意識不明になるまではやらないということで……」
「なるほど、それもそうだ」
あっさり納得てくれた。素直でいい。
最初はびっくりしたけど、これなら戦力になりそうだ。
11人目の問題、意外と早く解決しちゃったなぁ。
あとで箕辺先輩に報告しとこっと。
場所:ゲシュマック
手合割:八枚落ち
下手:草薙 巴
上手:飛瀬 カンナ
△3二金 ▲7六歩 △7二金 ▲7五歩 △6四歩 ▲7八飛
△6二玉 ▲7四歩 △同 歩 ▲同 飛 △6三玉 ▲7六飛
△7四歩 ▲9六歩 △8四歩 ▲9五歩 △8三金 ▲6六飛
△7五歩 ▲9七角 △7四金 ▲8八角 △6五歩 ▲9六飛
△8五金 ▲9八飛 △7四玉 ▲9四歩 △7六歩 ▲9三歩成
△7五玉 ▲8三と △7七歩成 ▲同 角 △7六金 ▲7八金
△7七金 ▲同 金
まで38手で下手の勝ち




