340手目 水と光の迷宮
チーン
エレベータは34階で止まった。やっぱり1階ずつしか進めないようだ。
ドアが開いた瞬間、大量の水が流れ込んできて、私は悲鳴をあげた。
「落ち着け、ホログラムだ」
わかっててもびっくりするでしょ、これ。
まったく。囃子原先輩の趣味をうたがう。
34階は、フロア全体が水没していた。私たちは水中を歩くかっこう。床には砂が敷き詰められ、色とりどりの生き物がそのなかを遊泳していた。まるで海のなかを歩いているような錯覚におちいってしまう。
「アトラクションに使う技術のようだな。テーマパークで、ジャングルや海のなかを体験できるようにするつもりだろう。ここはその試作品というわけだ」
将棋仮面が歩くたびに、足元で砂が舞った。
「モーションセンサーか。よくできてる」
「感心してる場合じゃないわ。ここにも伊吹さんたちがいないとなると、彼女たちはもうゴールしてるか、あるいは35階ってことよ」
「すこし妙だと思わないか?」
私と将棋仮面のあいだを、大きなタコが泳いだ。
私はまた悲鳴をあげてしまう。
「『すこし妙』とか言わないで、タコがいるならタコがいるって言いなさいよ」
「い、いや、タコの話じゃない。パズルについてだ」
「パズル? パズルがどうかしたの?」
「伊吹が解けるのは、まだわかる……が、天城と花咲は、なぜ解けるんだ?」
……あれ? 私は将棋仮面の疑問を共有できた。足をとめて、その場で考え込む。
将棋仮面は、歩きながら相談しよう、と先をうながした。
「あのふたりは素人だ。伊吹と指したとき、どちらも反則負けだったからな」
「たしかに、あのジャングルのパズルすら解けそうになかったわね……天城さんと花咲さんは、32階で迷子になってるのかしら? たまたま出くわさなかっただけとか?」
「それならいいんだが……ん?」
私と将棋仮面は、円形の広場に出た。天井から太陽の光がふりそそぎ、白い砂にリボン模様のゆらめきを作っていた。幻想的だ。水深は2メートル半ほどだろうか。周囲には岩がならんでいる。かたちはいびつだけど、等間隔だから、それがソファーだということはわかった。どうやら、この階の中央ホールに出たようだ。
「いかにも、なにかありそう……って雰囲気だけど、魚しかいないわね」
「待て、そこの海藻のところに、なにか挟まっていないか?」
将棋仮面は岩場のそばにかがみこんだ。パネルを1枚ひろいあげる。
「なるほど、これがパズルか……3手詰めだな。33階とは色違いだ」
「でも、マークはどれもみたことがあるわね」
私と将棋仮面は、パズルとにらめっこした。
「あら? これも2通り答えがない?」
「だな……1七飛、2一玉に1二桂成か1二飛成だ」
ということは、まちがい……でも、それ以外に思いつかない。
「とりあえず試してみたらどうだ?」
「そ、そうね」
ブッブーッ
ブッブーッ
画面が暗転した……なんで? 合ってるでしょ?
しかも2つめの回答は、桂馬が成っていない。意味不明。
「しょ、将棋仮面の答えは?」
「レモンとおなじだが……なぜこれがまちがいなんだ?」
画面が明るくなったので、私たちはもういちどおなじ手順を試してみた。
やっぱりまちがいのブザー音が鳴る。
わけがわからない。
将棋仮面は、ふむと息をついた。
「ひょっとして、駒の対応がちがうのか?」
「これまでのルールが応用できないんじゃ、解きようがなくない?」
「そうだな……いきなり理不尽な問題を出すとも思えない。ほかに見落としてるパネルがあるんじゃないか。合わせて解くのかもしれない」
私たちは、あたりの海域を探索した。なにも見つからない。
しかたがないので、マークと駒の動きをもういちど1からあてはめなおす。
「まず、♦︎が飛車で#が龍というのは正しいんだろう」
「でしょうね……問題は王様よ。盤上に1つだから▲か▼か●のはず」
「これまでは▼が王様だったな。今回も1一のマークが敵将にみえる」
「それが間違ってるんじゃないの?」
「しかし、ほかのマークは詰みそうな位置にいないぞ」
私たちはそれぞれのパターンを考えてみた。可能性があれこれありすぎて、どうしようもなかった。時間がどんどんすぎる。まいった。
「ダメだわ、こうなったら総当たりで……」
「それもなくはないが……このパネル、ほんとうに正しいのか?」
「パズルがミスってたら、もうどうしようもないわね」
「ミスという意味じゃない。33階のパズルは水につかると駒が溶けたな?」
「そうよ……あ、これは溶けてないわね」
「マーク……水……」
将棋仮面は、ホログラムの空を見上げた。私もつられて見上げる。太陽がまぶしい。
「さすがに手が届かないか……レモン、俺の肩に乗れ」
「はい?」
「このパネルを水中から出すんだ。水に反応してるせいで解けないのかもしれない」
私はポンと手をたたいた――と同時に、気まずくなった。
「あの……それって、ようするに肩車よね?」
「もちろんだ。サーカスみたいに足だけ支えるのはできないぞ」
私は自分の衣装を確認する。局が用意したふりふりのミニスカートだった。
「レモン……まさか俺にふとももを当てるのが恥ずかしごふぅッ!?」
腹筋パンチ! 腹筋パンチ!
「なに勝手に妄想してるのよッ! っていうかそこの岩を動かせば届くでしょッ!」
どさくさにまぎれてセクハラするな。
私たちは岩(というホログラムをかけられたソファー)を移動させた。
T字型に2つ重ねて、そのうえに将棋仮面が乗る。
「不安定だな。しっかり支えておいてくれ」
将棋仮面は慎重に腕を伸ばして、パネルを水中から出した。
きたぁッ!
「レモン、ソファーから手をはなすなッ!」
あ、いけないいけない。私はソファーに手をかけなおす。
それから、遠目にパネルを見つめた。
「あッ! 上下逆ッ! しかも双玉形ッ!」
「なるほど、盤がひっくりかえっていたのか。ということは……」
「こうだ」
まちがいない。これならどこも矛盾していないし、無駄駒もない。
「将棋仮面、答えは8七玉、8九玉、7八飛成よ」
「正義は勝つ、と……」
将棋仮面はパネルをささっと操作した。
ピンポーン
よしよし。私は将棋仮面が岩から降りるのを手伝った。
「さて、正解したわけだが……」
将棋仮面は、あたりをみまわした。
「おかしいな。エレベータが出現しない」
「ここが中央ホールっぽいから、エレベータはここにありそうだけど……」
そのときだった。私は周囲に違和感をおぼえた。その正体がなんなのか、すぐにはわからなかった。けど、視覚的にどこか違っているような気がした。
「ねぇ、風景がちょっと変わってない?」
「ああ、俺もちょうどそのことを考えて……ん」
将棋仮面は足もとに視線を落とした。
わたしもつられて見る。
うわぁ、砂のうえにマークが現れてる。色はついていない。
「無色図式というわけか」
「色をつける方法がないと、さすがにどうしようもないわね」
「水が関係しているはずだ。色が消えているのは、水に触れているからだろう」
「地面はパネルみたいに持ち上げられないわよ」
わたしたちは水を抜く方法を考えた。どこかにスイッチがないか確認する。
だけど、どこにもそれらしいものは見当たらなかった。
「もうすこしちがう発想が必要そうだな……」
「あ、わかった」
わたしはパンと両手をあわせた。
「その心は?」
「パズルを水から出せないなら、わたしたちが水から出ればいいのよ」
「俺たちが……? パズルが水に触れてるのは変わらないぞ?」
「水に反応してるとはかぎらないでしょ。光の屈折かもしれないじゃない」
「……一理ある」
私たちは天井を見上げた。水面から顔を出すには――ぐッ! まさかッ!
「さすがに肩車するしかないんじゃないか、これは」
「ソファーを3つ重ねて乗りなさいよ」
「2つであれだけバランスが悪いのに、3つはさすがにムリがあるだろ」
このセクハラ仮面がぁ。私はいきどおりつつ、将棋仮面を地面にかがませた。
「ちょっとでも変なことしたら、屋上から放り投げるわよ」
「ヒーローはセクハラしない……と」
将棋仮面はスッと立ち上がった。けっこう筋力あるのね。
私は水面から顔を出して、砂に描かれた模様を観察した。
なッ!?
「こ、こんどは5色になったわよ」
「なに? どういう配置だ?」
私は盤面を説明した。
「うーむ……後半戦とあって、さすがに難しくなってきたな……」
「しかも、右上の数字が4だわ」
「4? ……4手詰めということか? ありえないぞ」
私たちは頭をひねる。
色の組み合わせがヒントになってるはずだけど、5色になるパターンが思いつかない。4手詰めというのも謎。
「右上の数字は、手数じゃなかったとか?」
「ほかに解釈がないだろう。これまでも正解の手数と右上の数字は一致していた」
「……そうよね」
私は太陽を見上げる。ホログラムとはいえ、まぶしい。
目を細めると、白色光が虹色にわかれた。
「……ん? 虹色?」
「どうした? また色が増えたのか?」
「ねぇ、白色光って、いろんな光の色が組み合わさって白くなるのよね?」
「そうだ。絵の具は混ぜると黒に近づくが、光は逆になる」
私はいまの情報を整理する。たしか、青い光と赤い光の組み合わせは――
「わかったわッ!」
「なに? ほんとうか?」
「2つの詰め将棋が重なってるのよッ!」
「そうか。5色なのは、赤い駒と青い駒の合成色があるからか」
「数字もこれで解決するわ。1+3=4で、手数の合計ッ!」
「レモン、でかしたぞ」
からくりがわかれば、あとは簡単だ。まずは1手詰めから。
「2二銀成!」
ピンポーン
次は3手詰め。
「1一飛成、同玉、2二金!」
ピンポーン
よーしよしよし、絶好調。
ガッツポーズをした瞬間、ガタンと音がした。
水中に割れ目ができて、エレベータがあらわれる。
「やはり正義は勝つッ! 最上階へゴー!」
こらぁ、乙女はもっと静かにおろしなさーいッ!




