320手目 犯罪のエピローグ、恋のプロローグ
「して、あれでよかったのか」
神崎先輩は羊羹を切り分けながら、そうたずねた。
ここは、洋洋堂の飲食コーナー。
犯人をみつけてゲームに勝利したあとの、至福のひととき。
私はフォークを皿において、こう答えた。
「いずれにせよロボットの犯罪は成立しないので……事故死ともいえます……」
「法律はべつにして、殺人ロボを世にはなつのはいかがかと思うが」
神崎先輩の考えにも一理ある。ただ、私たちはこの世界を裁きに来たわけじゃない。
あくまでもヴァーチャルリアリティのなかでの推理合戦だ。
「むろん、飛瀬殿が解決したのだ。飛瀬殿の判断でよい」
「そう言ってもらえると、助かります……」
神崎先輩は羊羹を口にいれた。私もゼリーを食べる。おいしい。
となりで黙々とコーヒーを飲んでいたしずかちゃんは、ふとその手をとめた。
「遊子ちゃんがにせものだって、いつ気づいたの?」
「再会したときからかな……しゃべりかたがびみょうに違う気がしたし……」
「え? そうなの?」
「うん……遊子ちゃんって、『〜だと思うよ?』みたいな感じで、同意を求めてくることが多い……じっさいは同意を求めるかたちの恫喝なんだけど……それに、アパートのJ1さんをSSDに移すっていう話が、なんか妙だったんだよね……」
「妙? どのあたりが?」
「私たちが脱出するとき、遊子ちゃんは転送が97%完了したって言ったよね……しかも100メガバイト残ってるって教えてくれた……ってことは、全体の転送量は3ギガバイトくらいしかない……あれだけ高性能のAIなのに、データ量がそれだけしかないのは変だと思った……スマホにも入るサイズだから、もっと普及してないとおかしい……」
「そっかぁ。だとすると、あの転送は演技だったの?」
「演技じゃなくて、あの外付けSSDには、ウィルスが入ってたんだと思う……」
「ウィルス? ……J1さんはあの時点で破壊されたってこと?」
「たぶん……あれは坂下くんの捜査妨害……」
「でも、ウィルスなんてどこで入手したの?」
「冨田さんのアパートにあった本をみて自分で作ったんだよ……私たちと合流するまでにはかなり時間があったから、ウィルスの作成に費やしてたんだと思う……その証拠に、あの本はちょうど私とおなじくらいの視線の高さに戻されてた……冨田さんは関連書籍を棚の下に入れてたから、ほかのひとが抜いて読んだのは分かった……しかも、私とおなじくらいの身長のひとだってことも分かった……」
しずかちゃんは感心してくれた。
「カンナちゃん、ほんとよく観察してるね」
「捨神くんの寝癖の角度もラジアン単位で観察してるから……」
「うわぁ……それは引く……」
えぇ? なんで? エスパーは観察力不足。
「遊子ちゃんをあやしんだ理由はわかったよ。でもさ、拳銃をこのヴァーチャルワールドへ持ち込んだっていうのは、確証がなかったんじゃないの?」
「確証はなかったけど、自信はあったかな……」
「私たちみたいに、能力を取り上げられてるかもしれないのに?」
「取り上げられたのは、能力だけなんだよね……神崎先輩は手裏剣を持ってたし、私も通信機を持ってた……つまり、物体はそのまま持ち込まれてる……だから、遊子ちゃんだけ拳銃を没収されてるのは変だと思った……」
この説明には、神崎先輩がうなった。
「拙者は井東家で手裏剣を投げたが、あれもヒントになっていたのだな」
「そういうことです……あれがないと気づくのが遅れたかも……」
「やはり手裏剣は乙女のたしなみといえよう」
「それは違うと思う……」
「なにか言ったか」
「いえ、なんでもありません……事件の全貌については、これくらいでいいかな……?」
最後に、美沙ちゃんが質問した。
「井東さん親子に告発状を送ったのは、だれだったのですか?」
「あれはJ2さんだよ……」
「J2さんが? なんの目的で?」
「今回の事件で、J2さんはほかの人間を巻き込みたくなかったんだと思う……志織さんと源五郎さんの証言で、あの密室は完成した……従業員にお菓子をとどけたのも、おそらくJ2さん……犯行時刻にうろうろしたスタッフがあやしまれないように……」
美沙ちゃんは納得顔。
「なるほど、自分には完璧なアリバイを用意し、ほかのひとは現場から遠ざけたわけですか。ひょっとして、これがあったからJ2さんを見逃したのではありませんか?」
「多少は、そういう理由もあったよ……今回のケースは、人間が自分でつくったものに殺された……つまり製造物の事故……それが結論……」
私は説明を終えた。天井からこうもり悪魔が降りてくる。
「ケケケ、完璧だな。そこまで推理できるプレイヤーはなかなかいないぜ」
「どうも……じゃあ、これを食べ終わったら、もとの世界にもどしてくれる……?」
「もちろん、パンドラボックスは公平無私な魔法の箱だからな」
「坂下くんは、どうなるの……?」
「それは説明しただろう。敗者は勝者の召使いになるのさ」
私たちは顔を見合わせた。
「べつに奴隷が欲しくてここに来たわけじゃないから……全員解放してくれない……?」
「それはできねぇなぁ」
こうもりは強気な態度に出た。
「なんで……? 勝者が頼んでるんだよ……?」
「パンドラボックスで負けた人間の魂を回収するのが、俺様の仕事なんでねぇ」
「もしかしてノルマ……?」
こうもりはケケケと笑った。
「ま、そういうことだね。世知がらいのは人間も悪魔も一緒だから、我慢し……」
そのときだった。空間にヒビが入る。
まるで空気が割れるような光景。紫色の光が漏れて、店舗の中央部が爆発四散した。
あたりに粉塵が舞う。
「こほっ、こほっ……なに……事故……?」
私は煙をはらいながら、あたりを確認した。ガス爆発じゃないよね。
うっすらと視界が晴れてきた。爆発した方向をみて、私はおどろいた。
空間に大きな穴が空いていて、頭に2本のツノを持つ悪魔と、黒衣に身をつつんだ少年が立っていたから。黒衣の少年も、すこしおどろいたような顔をしていた。
「すごいよ、父さん……僕でも封印を解けなかったのに、パンチ一発で……」
「美都男、おぼえとけよ、これが愛の力だ……ハニー、助けにきたぜ」
「ダーリン!」
美沙ちゃんはうれしそうに立ち上がった。
一方、こうもりは慌ててパタパタしはじめる。
「お、おまえ、アスモデじゃねぇか! なんでここにッ!?」
アスモデくんはこうもりをひと睨みした。そして、あっという間に鷲掴みにした。
「ぐ、ぐるじぃ……」
「それはこっちのセリフだろ。なんでひとの女を勝手に監禁してるんだ? あ?」
「は、話せば分か……」
「問答無用ッ!」
アスモデくんは大きくふりかぶると、窓ガラスに向けてこうもりを思いっきり投げた。
ガシャーンとガラスが割れて、こうもりは空の彼方へ消えていった。
……………………
……………………
…………………
………………え、なにこれ?
しずかちゃんはニガ笑いしながら、
「こ、これって、仮に推理がはずれても助かってたオチなのかな?」
とつぶやいた。そうかもしれない。愛の力は偉大。
美沙ちゃんはアスモデくんに駆け寄って、熱くキスをした。
美都男くんはそれを横目にあきれ顔。
「息子のまえでそういうのはやめようね……あ、飛瀬さん、こんにちは」
「こんにちは……助けにきてくれたの……?」
「母さんの居場所がわからなくなったんで、あちこち捜してました」
「そっか……あのこうもりと交渉中だったんだけど……」
「悪魔と交渉しちゃダメですよ。オレオレ詐欺と一緒です」
とはいえ、あれはさすがに交渉しないといけない。私は事情を説明した。
「あ、そういうことですか……さっきの攻撃で、自動的に解放されてると思います。あのこうもり悪魔、しばらく復帰できないんじゃないかな」
なるほど、だったら全部解決――じゃないね。私はスマホをとりだす。
しずかちゃんはそれをみて、
「え? どこに電話かけるの? もしかして小野崎刑事にチクるとか?」
とたずねた。私は首を左右にふる。
「……あ、もしもし、毅多川名人ですか……はい、あのときはお世話になりました……ひとつだけお伝えしたいことがあります……井東志織さんは、いまでもあのときの約束をおぼえています……おしあわせに……」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回からは将棋パートにもどります。




