317手目 意外な収入
「こんにちは、飛瀬カンナさんだね」
マンションの一室から、ひとりの青年が姿をあらわした。
まだ寝起きなのか、それともよく寝られなかったのか、すこし眠たそう。
私は礼儀正しくあいさつする。
「おはようございます……飛瀬カンナです……」
「おはようございます、前空静です」
「毅多川晃です。中へどうぞ」
私としずかちゃんは、すごすごとお邪魔した。
名人だけあって、そこそこお金がありそう。床ランプだし。
私たちは廊下をすすんで左の部屋へ案内された。
向かい合ったソファーと低めのテーブル。【王将】と書いた木彫りの置きもの。
壁には賞状がいくつか飾られていて、応接室だとすぐにわかった。
「お茶がいいかな。それとも、コーヒー?」
「おかまいなく……」
「どっちでもいいならコーヒーにするね」
名人は部屋を出て行った。キッチンはべつにあるようだ。なんだか気まずい。
私はここへ来るまで、しずかちゃんと念入りに相談したセリフを反芻する。
ああして、こうして……大丈夫かな。慎重に質問しないといけない。
5分ほどして、淹れたてのコーヒーが出てきた。
「冷めないうちに、どうぞ。ミルクと砂糖は?」
「ミルクだけお願いします……」
「私はブラックでオッケーです」
しずかちゃんは、さっそく飲み始めた。このエスパー、肝が太い。
しずかちゃんが質問したほうがいい気もする。とはいえ、美沙ちゃんによると「堂々としすぎなひとは、相手がかえって警戒する」とのことで、私にインタビュワーのお鉢がまわってきてしまった。
名人はソファーに腰をおろして、私たちふたりをみくらべた。
「きみたちは井東志織さんのところに下宿していると聞いたけど、ほんとうかな?」
「はい……海外から留学してきたんですが、下宿先の手配不備で……」
「そうか、たいへんだね。井東さんは元気?」
「今日は、その件で相談にあがりました……」
「その件?」
私は、井東さんがうたがわれていることを説明した。
名人は動揺した。
「まあ……その話は多少聞いている」
「小野崎刑事からですか……?」
「どうして彼の名前を?」
「私も取り調べを受けたからです……」
変な親近感を持たせる作戦。けっこう有効。
名人も乗ってきた。
「あの刑事さん、いろいろ質問をひねってくるから、たいへんだっただろう」
「はい……私のときは、名人の控え室に行った理由を訊かれました……」
「それは僕も訊かれた。僕が井東さんを呼んだんじゃないかって、しつこく確認されたからね。僕が招待状を出したのは事実だけど、控え室に来て欲しいとは言ってないよ」
ここで招待状の話が出た。予定より早い。
いきなりくわしく訊いたら、警戒されそう。アイスブレイクに徹する。
「あの日の対局、井東さんといっしょに大盤解説場で観てました……」
「ん? そうなんだ……あれはもう再開されそうにないね」
なんだか残念っぽさそうな雰囲気。ここから推測できる心境は、ひとつ。
「最後、優勢でしたか……?」
「ああ……おっと、これは他言しないで欲しい。僕の形勢判断として、だからね」
「解説の建山四段も、先手優勢っぽいコメントでした……」
名人は苦笑した。その意味は、イマイチつかめなかった。
「きみ、将棋は指せるのかい?」
「免状は持ってないですが、初段以上はあると思います……」
「へぇ、すごいね」
「J2さんのレーティングは、どれくらいあったんですか……?」
核心部分にむけて話題を変える。まずは、名人がどこまで知っているのか確認。
「あれはロボットが指してるんじゃないんだよ。外部のソフトだ」
「外部……というのは……?」
「僕もよく知らないけど、冨田さんの控え室にあるパソコンじゃないかな」
「そのソフトのレーティングをごぞんじですか……?」
「いや、知らない。ソフト名も分からないからね」
私は名人の挙動をよく観察した。ウソをついているようにはみえない。
けど、勝負師だから念入りにウラをとる。
「KASUMI−J1っていう名前を、ごぞんじですか……?」
「カスミさんなら、僕の対局相手だろう?」
「名人の対局相手はKASUMI−J2です……J1さんをごぞんじですか……?」
「ジェイワン? ……知らないな。冨田さんのオリジナルソフト?」
「まあ、そんな感じです……対戦相手を知らされなくて不安はなかったんですか……? もしかすると、不正があるかもしれないんですよ……?」
私は【不正】という言葉にアクセントをおいた。
でも、名人の顔色は変わらなかった。
「不正って言われてもね。巧妙にされたら調べようがないし、スポンサーのJBMさんが保証してくれたから、そこは信用するしかなかったよ。ただ……」
「ただ……なんですか……?」
名人は後頭部に手をあてて、気恥ずかしそうに笑った。
それは、年相応の笑顔だった。
「これはナイショにして欲しいんだけど、市販のソフトでスパークリングしてたんだよ。対局が組まれることは、何ヶ月もまえに分かっていたからね。そのときの勝率がすごく悪かったから、簡単に劣勢になるかな、と思ってた。でも、本番はいい勝負で、コンピュータ将棋大会に出てる有名なソフトじゃないんだろうな、という気はしてたんだ」
なるほど……さっきの苦笑はそういう意味か。
弱いソフトと対局している自覚が、本番の段階であった、と。
だから褒められてもあまりうれしくなかったわけだ。
「なぜ冨田さんは、市販のソフトで代用しなかったんでしょうか……?」
「宣伝にならないからじゃないかい?」
「ソフト名は外部に公開されなかったんですよ……? 宣伝目的なら、対局するまえに自前のソフトを使うことを公表するはずです……」
「勝ったら公表して、負けたら伏せるつもりだったとか?」
それは一理ある……けど、なんかひっかかる。
「ところで、井東さんがうたがわれているっていうのは、どういうことなんだい? 僕になにかできることがあるのかな?」
あ、核心部分へ勝手にスライドしてくれた。
「はい……井東さんは大盤解説場へ入るまえに、名人の控え室を訪問しました……それがあやしまれている原因です……冨田さんの控え室は、その奥にあったので……」
「そういうことか……招待状を出したのは僕だから、責任は感じている」
「名人は、なぜ井東さんに招待状をお出しになったんですか……」
この質問に、名人はあまり明確な答えを与えなかった。
「昔なじみというのもあったし……会場の近くに住んでいたのを思い出したからね」
○
。
.
マンションを出たところで、私たちは彦太郎くんの迎えを待った。
そのあいだに議論する。
「しずかちゃん、どう思う……?」
「名人は犯人っぽくないね。アリバイがあるだけじゃなくて、ウソを言ってるようにも、なにか動機があるようにもみえなかったよ。負けて困るとは思ってたみたいだけど、それはソフトとの対局の時点で覚悟してたみたいだし」
「だね……ただ、よくわかんないことが増えたかな……」
「なに?」
「冨田さんは、どうやって生活費を稼いでたんだろう……?」
しずかちゃんは「生活費?」とつぶやいて、上目づかいに空をみあげた。
「……退職金で投資してるんじゃない?」
「株とかFXとか……?」
「うん」
「だったら、J1さんとJ2さんのソフト開発を継続していた理由は……?」
「趣味とか?」
「ソフト開発が趣味なら、コンピュータ将棋大会に出るんじゃないかな……」
しずかちゃんは「それもそっか」と言って、疑問を共有してくれた。
「たしかに変だね。名人はJ1さんが将棋ソフトだってことも知らなかったし、名前が売れそうなところで情報を隠したのは、なんか理由がありそう。あれだけのスポンサーをつけたんだから、お金の匂いがするよ」
「うん……そのお金の流れがみえてこない……」
そのときだった。古びたライトグリーンの軽自動車が到着する。
運転席の窓が開いた。彦太郎くんが顔をのぞかせた。
「待たせたな。どうだった?」
「収穫はあったよ……」
「ないと困るぜ。社長を拝み倒してアポ取ってもらったんだからな」
彦太郎くんは、蕎麦屋まで送ってくれると言った。
「待って……そのまえに、もういちど冨田のアパートへ行ってくれない……?」
「冨田のアパート? あのAIがあったところか?」
「そう……なにか見落としてることがあると思うから……」
私たちは後部座席にすわって、アパートへ一直線。彦太郎くんはナビを駆使して、なんとか目的地まで到着してくれた。近くに無断駐車する。5階へエレベーターで移動。ところが、ドアには南京錠がかかっていた。このまえはなかった。
「こいつは無理だ。さすがに俺のピッキングじゃ開けられない」
私たちは裏手の非常階段をのぼってみた。
彦太郎くんは体をのりだして、窓が開かないかどうか確認する。
「……ん、なんか開きそうだぞ」
鍵はかかってるけど、ネジが緩んでガタガタいっている。
彦太郎くんがすこし強めに押すと、カランと音がして、そのまま窓が開いた。
「へへへ、さすがは俺様」
「彦太郎くんが緩めておいたの……?」
「いや、立てつけが悪いんだろ。乗り込むぜ」
私たちは土足で入室。大丈夫かな、これ。
部屋のなかは、以前とだいぶ違っていた。いろいろ押収されたっぽい。
ただ、残っているものもかなりあった。衣服とかはそのままだし、ゴミ箱も、漁られた形跡はあるけど、中身を全部持っていったわけじゃないみたい。
「目当てのものはありそうか?」
「収支の明細が欲しい……自営なら出費からでも推測できる……」
とはいったものの、ここはJ1さんの姥捨山みたいなところ。
生活の形跡は、あまりなかった。棚やタンスをあさっても、なにも出てこない。
「数学とかプログラミングの本しかないね」
しずかちゃんはそう言って、本棚を物色した。
「だね……ん……?」
私は、ある本に目がとまった。ちょうど目線の高さにあった。
手にとってめくってみる。かなり読み込んだあとがあった。書き込みも。
「Computer Viruses and Malware Series……?」
「なにそれ?」
しずかちゃんも横合いからのぞきこんだ。
「これは……コンピュータウィルスとマルウェアの開発本だね……」
「マルウェア?」
「パソコンなんかを不正に動作させるためのソフトウェアだよ……」
私はパラパラとページをめくった。
書き込みも丹念に追う。次は本棚の背表紙――1番下の棚に、似たようなタイトルの本がならんでいた。そこに1冊分のスペース。手にとった本は、もともとそのスペースに配架されていたことに気づいた。
「そっか……冨田さんの収入源がわかった……」
「え? ほんと?」
「仮想通貨のマイニングマルウェアだ……」
「???」
「仮想通貨はその真正性を保証するために、チェックをしてくれたユーザに報酬を付与するシステムがあるの、知ってる……?」
「ごめん、よくわかんない」
「仮想通貨は、仲介をしたり管理をしたりする必要があるよね……?」
「まあ、そうなんじゃないかな。でないと取引できないし」
「そのときにボランティアでやってると思う……?」
しずかちゃんはなんとなく理解してくれた。
「ようするに協力報酬ってこと?」
「そう……そして、協力をするにはコンピュータリソースが必要……」
「コンピュータリソースと不正動作……あ、わかった。もしかして、他人のパソコンを勝手に協力させちゃうってことかな?」
「正解……冨田さんは、他人のパソコンにマルウェアを仕込んで、そこから協力報酬をかすめとる仕事をしていたんだよ……この書き込みをみてみると、いろんな種類の仮想通貨に応じて、それぞれマルウェアの動作を変えていたことがわかる……」
彦太郎くんもこの話を聞いて、かなり興奮した。
「こりゃすげぇや。スクープまちがいなしッ!」
「たしかにスクープかもしれない……けど……」
このことと事件とのあいだに、なにか関係があるのかな。
私たちは冨田さんの犯罪を追っているわけじゃない。
知りたいのは殺人犯だ。それとも、マルウェアが殺人の動機なのだろうか。
「……」
「カンナちゃん、どうしたの?」
「なにか繋がりかけてる気がする……」
プルルルル プルルルル
ん、電話? 私はスマホをとりだした。神崎先輩からだ。
「もしもし、飛瀬です……」
《神崎だ。至急、井東宅までもどってもらいたい》
「どうかしましたか……?」
《源五郎殿から、事件についてなにか話したいことがあるらしい》
「なにか、というのは……?」
神崎先輩は、ひとつ間をおいた。信じられない答えが返ってくる。
《殺人現場を目撃したというのだ、あの日、直接に》




