315手目 学生時代
マズいマズい……ゲームオーバーになりそう。しずかちゃんは、
「今から乗り込んで志織さんを名指ししたほうがいいよ。彼女が犯人だって」
と言った。いや、もう間に合わない。
それに、推理が全然できあがっていない。名指ししても説明ができない。
《刑事さん、犯人はわたしじゃありません。信じてください》
《私はまだなにも言っていないよ。とりあえず説明してもらえないかな》
志織さんは、声をしぼりだすように語り始めた。
《冨田の不正をあばきに行ったんです……》
《不正? なんの不正だい?》
《そ、それは……わかりません……》
《内容がわからなければ、不正とも言えないだろう?》
《そういう手紙が匿名で届いて……ただ、その……》
そこで声がとぎれた。私としずかちゃんは、かたずを飲んでイヤホンに耳をすます。
次に聞こえてきたのは、小野崎刑事の声だった。
《手紙を出した人物にこころあたりがあった、と言いたいのかな?》
《……はい》
《だれだと思ったんだい?》
ふたたび沈黙――1分ほどして、ついにその名前が聞こえた。
《毅多川名人だと……思いました》
さすがの小野崎刑事も、こんどばかりは間をおいた。
《名人が差出人だと思ったのかい? 理由は?》
《……》
《冨田が不正をあばかれて一番得をするのは名人だから……かな?》
《……はい》
なるほど……理解した。ようやく理解した。ここまでわだかまっていた疑問のいくつかが氷解した。対局当日、志織さんが毅多川名人の部屋を訪問したのは、手紙の差出人かどうかを確かめるため。そのまま冨田の部屋へ行こうとしたのも、おなじ理由だ。
《で、冨田とは会えたのかい?》
《いえ……以前お話ししたように、警備ロボットに止められました……》
《それは午前中の話だろう? 昼休憩のときは?》
《昼休憩もおなじです。ロボットがうろうろしていて……朝よりもだいぶ前のところから進めなくなりました……声をかけられて、逃げてしまったんです……もしかするとカメラを内蔵しているかもしれなくて……それで……》
小野崎刑事はタメ息をついた。考えこむ姿が眼に浮かぶ。
《なぜきみの姿をだれも目撃していない?》
《それは……理由はわかりませんが、昼間はだれにも会いませんでした》
志織さんは、お菓子が事務員宛に送られたのを知らな――あれ? シュークリームを注文したのは、たしか女性の声で……あッ!
しずかちゃんもおなじ推理にたどりついたらしく、小声で、
「ねぇ、シュークリームを注文したのは志織さんじゃないの?」
と言った。
「その可能性……ある……職員に見つかると困るから細工したのかも……」
小野崎刑事は、どう考えてるんだろう。しばらく音声が聞こえなかった。
《毅多川名人が差出人だと思った。きみはさっき、そう言ったね?》
《はい》
《なぜそう思ったのか、もういちど説明してくれないかな?》
《さきほど刑事さんがおっしゃった通り、名人が冨田の対戦相手だからです》
《しかし、負けて困るのは本人だけじゃないね? 将棋連合も困るだろう?》
《それはそうですが……連合はわたしのことなんか知りません》
《ふむ……このまえ署に提出してもらった招待状には、きみが話しているような告発文はどこにも書かれていなかったよ》
《べつの手紙だったんです》
《その手紙と招待状は、どちらが先に届いた?》
《招待状です》
《手紙はその何日後?》
《い、いまは正確に思い出せません。2、3日後だったような……》
《あとでその手紙も見せてもらえるかな。消印を確認したい。で、話をもどすが、冨田を告発する手紙のほうがあとから来たわけだろう。すると、名人がきみに招待状を出したことを、だれか知っていたかもしれない。というより、知っていたはずだ。招待状を出すには、席を予約しないといけないからね》
《それは変です。そのひとが告発すればいいじゃありませんか》
《連合職員にせよ他の棋士にせよ、利害関係人だ。きみに告発させるメリットはある。それに、飛瀬さん、彼女の証言によると、毅多川名人はきみの訪問を意外に思っていたようなんだよ。それはきみにも伝わったんじゃないかな? だとすると、きみは名人が差出人ではないと、午前中の時点で気づいていたことになる。ちがうかな?》
《……ちがいます》
え? 私の証言を否定するの?
志織さんに対する疑惑が深まりかけた瞬間、すすり泣くような声が聞こえた。
《そのときは舞い上がっていて、毅多川くんが差出人だと思い込んでいたんです……》
《舞い上がっていた? どういう意味だい?》
志織さんは、涙声でとぎれとぎれに答えた。
《毅多川くんがひっこすとき……「ぼくが名人になったら結婚しよう」って……そう言ってくれて……でも、なにも連絡がなくなってしまって……いきなり招待状がきて……小学生の話を真に受けていたわたしがバカだったんです……》
○
。
.
「なんかすごいことになってきちゃったけど……みんな、どう思う……?」
人混みの多い路上で、私たちは作戦会議をひらいていた。
メンバーは私としずかちゃんと美沙ちゃんの3人。神崎先輩はお留守番。
まずはしずかちゃんが答える。
「ウソを言ってるようには聞こえなかったけどなぁ」
そこは私も同感なんだよね。志織さんが演技派だったら、どうしようもないけど。
「美沙ちゃんは……?」
「思わせぶりなことを言って何年も待たせた名人は最低な男、という感想です」
いや、訊いてるのはそこじゃないから。推理だから。
しずかちゃんはからかうように笑った。
「アハハ、さすがは美沙ちゃん、お尻をさわられて即入籍する女子は説得力がちがう」
「まあ、彼氏いない歴=年齢のエスパーには分からない話だと思います」
「あ、ふぅん、そういう言い方するんだ。ふぅん」
「ダメダメダメ……喧嘩しちゃダメ……推理して……」
昼ドラ的展開はNG。みんなで力を合わせないと勝てない。
しずかちゃんは気まぐれだから、すぐに機嫌がなおった。
「とりあえずさ、こういうことなんでしょ? 志織さんは名人から招待状が来て、それがプロポーズの話だと思った。だから、名人がカンナちゃんたちの訪問におどろいたとき、志織さんは脳内で都合のいいように処理しちゃって気づかなかった。志織さんとしても、未来の旦那さまには勝って欲しいから、告発状のほうも信じちゃった、と」
「うん……志織さんがほんとのことを言ってるなら、そうなるね……」
美沙ちゃんが割り込んでくる。
「私はその場にいなかったので、声の調子などは分かりませんが、筋は通っています」
告発状も、じっさいにあったんだよね。あのあと警察官が同行して、家まで取りに来てたから。源五郎さんは、志織さんが涙目だったから、警察官にすごく怒ってた。
美沙ちゃんがまた口をひらいた。
「今回の件、源五郎さんは知らなかったと思いますか?」
私は質問の意図がよくわからなかった。聞き返す。
「源五郎さんが知らなかった、っていうのは……? 告発状のこと……?」
「志織さんが名人のことを好きだった、という点です」
私はなんとも答えられなかった。しずかちゃんは、
「もしかして美沙ちゃん、源五郎さんのこと疑ってるの?」
とたずねた。
「おふたりがJ1さんと志織さんの両名を調べているあいだ、私と神崎先輩もほかの登場人物のことを調べていました。源五郎さんは、犯行時刻にアリバイがありません」
……………………
……………………
…………………
………………え?
「アリバイがないっていうのは……? 家にいたんじゃないの……?」
犯行時刻の午後3時は、お蕎麦屋さんの仕込みの時間だ。
あの日は志織さんが観戦に出かけたから、源五郎さんが仕切ることになっていた。
すくなくとも今までは、そう思っていた。
「カンナ先輩は、源五郎さんと志織さんが、ジャージの話をしたのを覚えていますか? J1さんのアパートから帰って来た日です」
私は記憶をたどる――あるね。
「ジャージがどうかしたの……?」
「そのときの志織さんのセリフを覚えていませんか? 彼女はこう言いました。『このまえのはなぜか使ってなかったから、タンスに入れてある』と」
あッ……そういうことか。私も理解した。
「なぜか使わなかった衣服がある……?」
「そうです。室内着のジャージを使わなかった日があった、ということです。ここから、志織さんの知らないタイミングで外出した日がある、と推理することができます。私と神崎さんで調べたところ、対局当日、源五郎さんは、2時半頃に裏口から外出するところを目撃されていました。となりのコンビニの店長が証人です」
「え、でも、神崎先輩がいっしょに留守番してなかったっけ……? 私たちがアミューズメント施設から帰ってきたときは、源五郎さんいたし……商工会の会議とかで出かけたのは、たしかそのあと……午後4時過ぎだったような……」
「神崎先輩は2時半頃に買い出しへ行かされていたそうです。1時間ほど」
ぐぅ、忍者とはいったい。
「2時半から1時間ってことは、犯行時刻とかぶってるね……」
「ただし、ひとつ問題があります。アミューズメント施設でも聞き取りをしたのですが、源五郎さんらしき人物は、だれにも目撃されていませんでした。それに、神崎先輩が3時半頃に帰ってきたとき、源五郎さんは1階でテレビを見ていたそうです。1時間まるまる使っていたわけではないと思います。もどってきたのはもっと早いはずです」
私としずかちゃんは、この情報の意味に頭をなやませた。
なにかヒントのような気もするけど――
「あ、目的地についたよ」
しずかちゃんの一声で、私は顔をあげた。
深草児童養護施設の看板が目にとまった。
一見すると幼稚園みたいなところ。何人かの子供が中庭で遊んでいた。
私たちは門をくぐって、左手の建物に入る。薄暗い廊下に受付があった。
50代くらいのおばさんが、なにやら書き物をしている。
「すみません……」
おばさんは顔をあげた。
「あ、はい、こんにちは。どなたさまですか?」
「飛瀬カンナと言います……来島遊子さんの面会に来ました……」
おばさんは名簿を確認する。
「……飛瀬カンナさんですね?」
「はい……」
「そちらの部屋で少々お待ちください」
私たちは待合室に案内された。椅子に腰をおろす。窓からは静かな光が漏れて、木張りの床を照らしていた。壁には、こどもっぽいクレヨンの絵。風景だったり、人だったり。
美沙ちゃんは懐かしそうに、
「私は昭和の頃、日本全国の中高を転々としていましたが、どこもこんな雰囲気でした」
と語った。しずかちゃんは興味津々で、
「中高生になりすますのって、そんなに簡単なの?」
とたずねた。
「あのころは住基ネットもなにもなかったですからね。人間なんて、外見がそれっぽく見えれば、コロッと騙されちゃいますよ。容姿とか声とかですね。逆に、私が300歳超えのおばあさんだなんて言っても、だれも信じてくれません。ミッションスクールに通ったこともあります。『学生時代』っていう歌をご存知ですか? こう、地味なセーラー服を着てですね、みんなでお祈りをするんですよ」
美沙ちゃんは、地球の有名な宗教のおまじないを暗唱した。
天にまします我らの父よ
願わくは 御名をあがめさせたまえ
御国を 来たらせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかすものを 我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ
我らを こころみにあわせず 悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり
アーメン
魔女がミッションスクールに通っていいのかな。地球の宗教は複雑。
「最近は表現が古びているとかで、訳しなおしているようですね。漢字なども、戦前とくらべてずいぶん簡略化されました。やはり旧仮名遣のほうが、日本語としては美しいように感じます。まあ、ひとそれぞれでしょう、三島由紀夫もそう言っています。あ、三島由紀夫といえばですね、彼が割腹したときに、私はテレビで……」
美沙ちゃんの昔話が続くなか、廊下を歩く音が聞こえた。
私たちは会話をやめる――ドアがひらいた。
キャラクターフードをかぶった女の子が現れる。
「カンナちゃん、待ってたよ」




