314手目 つじつまの合わないお菓子
夜の警察署前――私たちは彦太郎くんと合流した。
あまり騒ぎになっていないのか、マスコミの数はそれほど変わりがない。
私は彦太郎くんを、すこし離れた電信柱のうしろに引き込んだ。
「志織さんが捕まったって、ほんとう……?」
「ああ、1時間前にパトカーが入った。もうちょっと早く駆けつけて欲しかったぜ」
彦太郎くんは愚痴った。私は弁明する。
「買い物があって……で、捕まった理由は……? まさか犯人……?」
「それは分かんねぇけど、容疑者として逮捕した可能性はあると思うぜ」
うわ、最悪。私はしずかちゃんに耳打ちする。
「これ、志織さんが犯人で、警察が事件を解決したらどうなるのかな……?」
「その説明はなかったような気がするね。引き分けかも」
「そんなに甘いゲームじゃないと思う……負けフラグ立ってる可能性……」
「とにかく、中のようすをなんとかして探ろうよ」
3人で方法を考えていると、警察官にいきなり話しかけられた。
「飛瀬カンナさんですか?」
「あ……はい……」
もしかして、私も捕まっちゃうフラグ? 捨神くん助けて。
「小野崎警部がお呼びです。署内へご同行いただけませんでしょうか」
私はしずかちゃんとアイコンタクトした。
しずかちゃんは、チャンス到来、という反応。大胆。
「わかりました……こっちの友だちも入っていいですか……?」
「いえ、飛瀬さんおひとりでお願いします」
私はしずかちゃんたちと別れて、署内へ案内された。
たどりついたのは、あの取調室だった。
「待っていたよ」
小野崎刑事は椅子をすすめた。私は腰を下ろす。
「この部屋で、井東志織さんの取り調べをしていましたね……」
「ほぉ、なぜそう思う?」
「椅子が温かいからです……彼女は、今どこに……?」
刑事は私の質問に答える気がないようで、すぐに取り調べを始めた。
「事件当日の彼女の行動を教えて欲しい」
「それについてはお答えしたと思いますが……」
「くわしく教えて欲しい。アミューズメント施設に到着した時刻は何時頃だった?」
「8時過ぎです……正確には8時5分から10分のあいだだったかと……」
「当日の観客受付は8時半からだったと聞いている。きみたちは一般客ではなくて招待状があったわけだろう。そんなに急いで到着する必要があったのかい? アミューズメント施設と井東さんの家はそんなに離れていない。タクシーなら15分ほどのはずだ」
「出発時刻は志織さんが決めたので……」
「なぜ早めに到着しないといけないか、その理由を井東さんは話した?」
「いいえ……」
やっぱりこれ、志織さんが疑われてるね。どうしよう。
もちろん、志織さんが完全にシロってわけじゃないから、かばうのはよくない。
ただ、小野崎刑事のやり方も、ちょっと一方的過ぎる。
「到着後、どこに行ったかは覚えている?」
「毅多川名人の控え室です……すでにお話しした通り……」
「すぐに行ったのかい? 手洗いへ寄ったりはしなかった?」
「いいえ……手洗いへは寄りませんでした……」
「控え室の場所は知っていたの?」
「志織さんが、入り口の受付でたずねた覚えがあります……」
「普通そういうのは教えてもらえないんじゃないかな?」
「招待状を見せたら教えてくれました……」
「ここまでを整理するよ。きみたちは事件当日、井東志織さんの自宅からアミューズメント施設まで寄り道せずに移動した。到着後、すぐに受付で名人の控え室をたずねて、そのまま一直線にその部屋を目指した。これで合っているかな?」
「はい……」
「会場へ入らずに、名人の控え室を訪問した理由は?」
それは私にも分からないんだよね。事件の大事なところな気もするんだけど。
むしろ、小野崎刑事のほうが、なにか情報を持っていると直感した。
刑事は、その情報の真偽を確かめようとしているんじゃないだろうか。
「分かりません……」
「彼女はなにも説明しなかったのかい?」
「幼なじみだというので、ひさしぶりに会いたいのかな、と……」
「きみ個人の印象として、毅多川名人に対する彼女の態度は、どういうものだと思う?」
めんどくさい質問きた。
「どういうもの、というのは……?」
「単なる幼なじみ関係だと思うかね?」
遠回しだけど、質問の意図ははっきりと理解できた。
「私は感情の起伏が激しくないので、なんとも判断できません……」
「きみはそういうタイプかもしれないが、同性としてどう思う?」
同性として、って言われてもね。そもそも種族がちがうし。
それに、女性的思考っていうのはべつにないんだよ。
ホモ・サピエンスに男性脳と女性脳とのちがいはないって、科学的に判明している。
「なんとも言えません……予断になると思います……」
「ここで述べたことは法廷で使うつもりはない」
その保証は全然ないよね、これ。さすがに洋洋堂の一件で懲りた。刑事が志織さんの連行に踏み切ったのは、まちがいなく洋洋堂でなにかヒントを得たからだ。たまたま出会ったように見せかけて、じっさいには私たちを尾行していたはず。
「ほんとに分からないです……」
「ふむ……では、質問を変えよう。井東さんに会った名人のようすは、どうだった?」
「勝負前という感じで、特にこれと言った反応は……」
「井東さんのことを待っていた、という印象は受けなかったかな?」
ん……こんどは名人のほうに焦点が移った。なんでだろう。
志織さんを連行したのは、もしかして名人の容疑が復活したからなのかな。
「待っていた、という感じはしませんでした……」
「具体的にはどういう反応だった?」
「ちょっとおどろいたような表情でした……」
「おどろいた? なにに? 招待状を出したのは名人自身だろう?」
「たぶん、ノックされたときにスタッフだと思ったんじゃないでしょうか……それに、志織さんが名人の控え室を訪れたのは、アポなしだったようなので……」
「なるほど、名人と井東さんは、なにか会話をしたかい?」
「えーと……『志織、来てくれたんだ』……と言ってから……私の存在に気づいて、自己紹介を求められました……志織さんが私を紹介して……それから、ちょっとお邪魔したいと言ったんですが、名人がこれを断りました……」
「断った理由は?」
「対局に集中したいとか、そういう理由だったかと……」
「そのとき、井東さんはなにか荷物を持っていなかったかい?」
「荷物ですか……? いえ……」
「バックもなにも?」
「小さなショルダーバックは持ってましたけど……」
「どんな?」
「牛柄です……ファスナー式……」
「中身は見たかい?」
そんなわけがない。女の子のカバンをのぞくのはNG。
「いいえ……」
「そのバックは、昼休憩の離席のときも持ち歩いていた?」
私は記憶をたどる。
「はい……」
「で、対局再開ギリギリのところでプリンを持って来たんだね?」
「はい……それは前回も話して……」
私はそこまで言って、自分の見落としに気づいた。
そっか……刑事が志織さんをあやしんでいる理由が分かった。あのプリンは、洋洋堂のプリンだった。でも……洋洋堂のプリンは朝一で売り切れるはず。それを2個も調達できたってことは、昼休憩に買いに行ったんじゃない――最初から買ってあった。
志織さんは昼休憩のあいだ、べつのことに時間を使っていた。なにに?
「どうしたんだい?」
「いえ……なんでもありません……」
「そのプリンは、買って来たばかりにみえた?」
「箱は新品にみえました……」
「プリンの温度は? 温かったことはないかな?」
「すくなくとも冷えてはいなかったように思います……」
びみょうな駆け引き。小野崎刑事はひとつ間をおいた。
「なるほどね……質問は以上だ。ありがとう」
「……」
私は両手で椅子の底を押さえて、うしろに引いた。
警察官につれられて取調室を出る。そのまま署のそとへ案内された。
しずかちゃんは、敷地のそとで待っていた。
「どうだった?」
「収穫あり……志織さんがあやしまれてる理由が分かった……」
私は署内でのやりとりを説明した。
「あ、ふーん、プリンかぁ。言われてみれば変だね」
「ただ、買い置きしてただけかもしれない……いずれにせよ、プリンを買いにいなくなったと思ってたから、そこは推理しなおさないといけないけど……」
「で、志織さんとは会えた?」
「ううん……その代わりに仕掛けをしてきた……」
私はポケットからイヤホンをとりだす。
「あ、さっき商店街の裏路地で買ったやつだよね? なんなの?」
「簡易盗聴器……取調室の椅子に貼ってきた……」
私たちは、ほかの記者に悟られない位置へ移動する。しげみのそばに、腰をおろせそうな煉瓦積みのスペースがあった。私はしずかちゃんとイヤホンを片方ずつ分けた。
《……い……おっしゃるとおりです……》
志織さんの声だ。私としずかちゃんは息を殺す。
《だとすると、プリンを買ったのは当日の朝ということで、いいんだね?》
《はい……6時半頃にならんで、7時半の開店と同時に買いました》
《それを事情聴取のときに話さなかった理由は?》
《事件と関係ないので、話す必要もないかと思いました》
《そうかな。私はそのあたりを集中して質問したと思うが。とりあえず、昼休憩にきみがプリンを買いに行かなかったことは認めるわけだね?》
《はい》
《では、飛瀬さんと別れて会場へもどるまでのあいだは、なにをしていた?》
沈黙が続く。
《会場からは出た?》
《いえ……出ていません》
また沈黙が続く。しずかちゃんは、
「これ、志織さんが犯人なんじゃないの? ヤバくない?」
とつぶやいた。私はくちびるに指をあてる。
すると、鼻水をすするような音が聞こえた。
《正直にお話します……冨田の控え室へ行こうとしていました》
!!?




