302手目 虚像と実像
正面玄関に到着した俺たちは、窓口の守衛さんに話しかけた。
「すみません、派手なピンクのスーツを着た女性が来ませんでしたか?」
「ピンクのスーツの女性……? いや、見てないよ」
「そうですか……この建物には入り口が他にもありますか?」
「一応3ヶ所あるけど、お客さんが出入りできるのはここだけだよ。警備の関係でね」
「そうですか……ありがとうございます」
俺たちはあやしまれないように、柱の影へ移動した。
「ハッピーは建物の中だ。待ち伏せするか?」
「そうだね。それがいいよ」
俺と捨神は、レセプションホールの椅子に座って入り口を監視した。
*** 10分経過 ***
全然来ないじゃないか……悪手だったか?
「箕辺くん、もしかしてハッピーはここの関係者なんじゃないの?」
「俺もその可能性を考えてたところだ」
「だったら従業員用の更衣室で着替えてる可能性があるよ」
さすがにそこは俺もうっかりしていない。
服の色だけじゃなくて、髪型や背格好も判断するようにしていた。
でも、該当者がまったくいないんだ。ハッピーは背が高かった。壇上のメンバーと見比べたかぎり、170近かったと思う。女性としては高身長だ。
俺はそのことを説明した。
「アハッ、箕辺くん、よく観察してるね。感心したよ」
「感心してる場合じゃないぞ。関係者なら、べつの2ヶ所からも出られる」
「あ、そっか……他も調べに行く?」
俺は迷った。ここを離れた途端にハッピーと行き違いになる可能性もあったからだ。
「まいったな……圧倒的に人手が足りない……」
「葛城くんに連絡して、正面玄関を見張ってもらわない? 会場はもういいよね?」
それもそうだ。
俺はふたばにMINEで連絡して、正面玄関を見張るように伝えた。
俺と捨神は、べつの玄関をさがしまわる。
ひとつは簡単に見つかった。おなじレセプションホールとつながっていたからだ。
もうひとつはやや複雑で、館内地図を調べてようやく見つけた。
どちらにも守衛さんが立っていたが、ハッピーらしき女性の情報は得られなかった。
「くそっ、もしかして関係者用の特別なドアがあるのか?」
「そこの守衛さんに聞いてみたら?」
「教えてくれないと思うぞ」
っていうか、さっきから守衛にあやしまれてる気がする。
守衛同士で連絡を取り合っているのかもしれないし、自重することにした。
いったん2階へ上がり、自動販売機のある凹んだスペースに身を隠した。
ブーンという自販機の音と、ゴミ箱からただようジュースの香り。
まずは作戦の立てなおしだ。
「捨神、ハッピーは市民ホールを出てると思うか?」
「五分五分だね。目立った以上、早めに逃走したいはずだから。これが五分」
「のこりの五分は?」
「ただの勘なんだけど……伊吹さんと合流するんじゃないかな、って」
ん……それは考えなかったな。ありうる。
あれだけ将棋の息があってたんだ。顔見知りかもしれない。ハッピーはどこかに隠れていて、伊吹のショーが終わるのを待ってるんじゃないだろうか。だとすると、目撃情報がまったくないのも納得がいく。
「捨神なら、どこに隠れる?」
「女子トイレだね。個室で着替えもできるし、長居しても気づかれないから」
百理あるな。俺はふたばにMINEを入れた。
たつきち 。o O (女子トイレをひとつずつ回ってくれ)
ふたば 。o O (ふえぇ、りょーかーい)
「これでよし、と」
「僕たちはどうするの? 正面玄関にもどる?」
「そうだな。やっぱり残りの可能性も潰しておいて……ん?」
だれかの話し声が聞こえた。数人でわいわいやっている。
しかも、こっちに近づいて来た。
「捨神、隠れよう」
「え? 男の声みたいだけど?」
「ハッピーに仲間がいないとは限らないだろ」
俺たちは自販機のうしろがわに隠れた。こっそりと廊下をのぞく。
足音も声も、はっきりとこちらのほうへ向かっていた。
「いやぁ、つかれた、つかれた。このあとどうする?」
「どうするもなにも、深夜バスで直帰だろ」
「そのまえになにするか、って聞いてんの」
「とりあえず葉隠と合流」
「あいつどこ行ったんだよ。まさかフーゾクじゃねぇだろうな」
3人……いや、4人だな。声音からして4人いる。
地元の高校生か? それにしてはH島弁が出てこない。
「葉隠にかぎってそれはないだろ」
「いやぁ、あいつマジでなに考えてるか分かんねぇからな」
「ハハハ、意外とムッツリだったりして」
笑い声。ずいぶんと下世話な話だな、と思いつつ、通り過ぎる4人組を盗み見た。
……え? アイドルユニットのテンペストじゃないかッ!
俺が目を白黒させるなか、4人は自販機のまえを通り過ぎて姿を消した。
声も遠ざかり、最後には聞こえなくなった。
「……行っちゃったみたいだね」
捨神が凹みから顔を出し、廊下の左右を確認した。
「今のひとたち、テンペストだよね? たしか5人組じゃなかった?」
「ハガクレと合流がどうこう言ってたし、2階を捜してたんじゃないのか?」
「なんで2階を捜すのかな? あのひとたちの会場は1階だったと思うけど?」
「それはアレだ。この階にスタッフルームがあるから、控え室もあるんだろ」
俺の推理に、捨神は納得してくれた。
「アハッ、箕辺くん、今日は冴えまくってるね」
「だろ? というわけで、2階を探索してみないか?」
将棋仮面幽玄が消えたスタッフルームは、会場とつながっていた。もちろん、そこだけが入り口じゃないだろう。どこかに廊下と接するドアがあるはずだ。しかも、そのドアは来客から見えない位置にある、というのが俺の推測だった。
2階の案内図を確認すると、奥のほうにスタッフルームとつながるドアが見えた。
「案内図に立ち入り禁止とは書いてないけど……」
捨神はちらりと廊下の奥を見やった。
赤いテープでくくられた金属製のポールが2つ。
「実質立ち入り禁止なんじゃないかな?」
「高校生だし、うっかり迷いこんだって言えば分からないんじゃないか?」
「箕辺くん、けっこう悪いこと考えるね」
「いや、まあ、多少はな。盗みに入るわけじゃないんだ」
俺たちはおたがいに同意して、仕切りポールの向こうがわに足を踏み入れた。
だれもいないことを確認する。早足で突き当たりを右に曲がった。
「っとッ!?」
俺はだれかにぶつかりそうになった。
相手が軽やかによけてくれて、間一髪のところで助かった。
「す、すみません」
「気をつけろ。ここは廊下が急に狭く……ん?」
ジャージに黒いポロシャツをまとったイケメンが、俺たちに鋭い視線を投げかけた。
「おまえたち、スタッフじゃないな? 地元の高校生か?」
「あ、その……トイレが混んでて、従業員用を使おうかな、と……」
「従業員用はカードがないと開かないぞ。上の階を使え」
男――っていうか、少年だな。よくみたら俺たちと同世代くさい。
壁によりかかった俺のまえを、少年は無視するように通り過ぎた。
そのときだった。
「あ、秋月くん?」
捨神が少年の名前を呼んだ。少年は足を一瞬だけとめて、
「なんだ? 俺に話しかけたのか?」
と尋ね返した。
「う、うん……秋月くんじゃない? 僕のこと覚えてる?」
「俺はそんな名前じゃない」
「じゃあなんで足を止めたの?」
「廊下に俺しかいなかったからだ」
合理的な返し。だが、どこか違和感をおぼえた。
捨神も食いさがる。
「ほんとに秋月くんじゃないの? 小学生のとき、将棋大会で……」
「将棋イベントの客か。そろそろ終わる頃だろう。早くもどったほうがいい」
俺は腕時計を確認した。たしかに終演時間は近い。
「アキヅキと俺はそんなに似てるのか?」
少年の質問に対して、捨神は言葉に窮した。
「面影はあるけど……似てないと思う」
「ならこれまでだな」
少年は立ち去ろうとした。そこへ、さっきの4人組がもどってくる。
先頭の少年が、目をぱちくりとさせた。
「あれ? 葉隠、こっちにいたのか?」
「俺はずっと控え室にいたぞ」
「へ、変だな、控え室は一回のぞいたつもりだったんだが……」
「こいつ、葉隠がフーゾクに行ってるんじゃないかって言ってたぞ」
「バカ! なんでしゃべるんだよッ!」
「お客さんのまえだ。そういう話はやめろ」
テンペストのメンバーは、ギョッとして俺たちのほうに気づいた。
「あ、あははは、こんにちは」
リーダーらしき少年が、気まずそうに挨拶した。
俺たちも挨拶して、なんだか微妙な空気になる。
その空気を破ったのは、やはり葉隠だった。
「ぼやぼやするな。マネージャーが待ってる」
「あ、ああ……それじゃ、君たち、バイバイ」
リーダーらしき少年は俺たちに手を振って、姿を消した。
俺はしばらくぼんやりして、それから、
「す、捨神、さっきのアキヅキってのは、だれだ?」
と尋ねた。
「……行方不明になってる少年だよ」
俺はおどろいて、すぐには言葉が出せなかった。
「て、テンペストのメンバーが行方不明になってる少年……?」
「ごめん、たぶん僕の勘違いだと思う。似てたのは面影だけなんだ。目鼻とか」
「それ以外は? 話してみた印象が大事だろ?」
捨神は首を左右に振った。
「秋月くんは、将棋大会の会場でハシャギ回る陽気なタイプだったよ。審判のひとによく怒られてたからね。御面ライダーごっこをしてたのを、今でも覚えてる」
「陽気なタイプか。だったら、ひと違い……おい、ちょっと待て。ってことは……」
俺が言い終えるまえに、捨神もうなずいた。
「将棋仮面は、僕が覚えている秋月くんのイメージにぴったりなんだ」
○
。
.
帰りのバスのなかで、俺たちは無言になっていた。
将棋仮面は、行方不明になっている九州の小学生強豪?
なぜ今ごろ将棋界に帰って来た? なぜ正体を隠す? 内木との関係は?
疑問だらけだ。
「ねぇ、箕辺くんは御面ライダーシリーズをまだ観てる?」
となりに座っていた捨神が話しかけてきた。
「いや……高校に入ってからは観てない。妹は観てるっぽいが……捨神は?」
「僕も観てないよ。でも、ストーリーは知ってるんだ。中学の多喜くんが教えてくれたからね。たしか、子どものころに亡くなったはずの少年が帰って来るんだよ。その少年が御面ライダー幽玄の正体の候補」
「……マジか?」
「そう、そして本作のヒロインは【女子高生アイドル】っていう設定なんだ」
なんだ、それ……現状と一致しすぎじゃないか。
行方不明の小学生強豪。そして、中学生アイドルの内木。
狙ってやってるのか? それともただの偶然?
「その亡くなったはずの少年が、御面ライダー幽玄なんだな?」
「ううん……その少年はツクヨミっていう敵の幹部かもしれないんだ。気になって調べてみたら、ネットの意見は2分されてるみたい。二重人格で幽玄とツクヨミの2役だとか、いろんな推理があったよ」
俺は頭をかきむしった。
「マジで意味が分からん」
「まあ、あんまり深く考える必要はないのかもしれないけど……」
「そうだよぉ。今日見た感じだと、将棋仮面はただの変態さんだよぉ」
それならいいんだが――俺はなにか、とてつもなくイヤな予感がした。




