25手目 男子の部準決勝 古谷vs駒込(1)
もう、ほんとに負けてるじゃないですか。
「すまん」
「これじゃ応援しようがないでしょ」
「そう怒るなって」
松平はデザートのプリンを食べながら、そう弁明した。
プラスチックの透明なスプーンが、公民館のライトに光る。
「べつに怒ってないわよ」
「それはそれで無視されてるみたいでツラい……」
えぇい、めそめそしない。私はお茶を飲んで、気分をリフレッシュさせた。
「裏見、午後はどうする? 帰るか?」
「3年生で来てるのって、私たちくらいなのよね……っと?」
私は、公民館の入り口に視線をとめた。
男女のふたり組が、話しながら入ってくるのが見えたからだ。
「サーヤとくららんよ」
私が指摘すると、松平もそちらをふりかえった。同時に、相手もこっちに気づいた。
ふたりは手を振って、駒桜のブースへ接近してきた。
「おはよ、剣ちゃんと裏見さんも来てたんだね」
そう挨拶したのは、スポーティだけどちょっと気の弱そうな蔵持くん。
私たちとおなじ3年生だ。
「剣ちゃんと香子ちゃんは、2日目進出じゃなかった?」
となりのおなじくスポーティな少女が、訂正を入れた。
彼女は藤花女学園将棋部のメンバーで、鞘谷さん。やっぱり3年生。
くららん(蔵持くんのニックネーム)は、笑って後頭部をかいた。
「あ、そっか、ごめん、受験勉強のし過ぎで、最近ボケてるね」
「くららんたちこそ、どうしたんだ? なにか問題でもあったのか?」
松平がそう予想するのも、無理はない。
くららんは去年の連盟会長、サーヤは副会長だから、いわゆる大御所なのだ。
「問題はないけど、僕は会計監査だから、ハンコを押さないといけないんだ」
「ああ、そういう……役職持ちはたいへんだな。サーヤは?」
「今日は剣道連盟の会合もあったから、ずっと同伴してるのよ」
松平は、うしろに椅子を倒した。
「なんだかんだで、3年生は忙しいよなぁ」
「つじーんは、どうしたの?」
くららんの質問に対して、松平は、
「ベスト8で負けたら、先に帰ったぞ」
と答えた。
「んー、タイミングが悪かったかな。渡したいものがあったんだけど……」
「男子の準決勝を始めます。選手は着席してください」
私たち4人は、会場のほうへ視線をむけた。
幹事の箕辺くんたちが、対局テーブルの設置を終えていた。
「裏見、どうする? 観て行くか?」
「そうね。空き時間でちょいちょい勉強したし、息抜きしましょ」
というわけで、レッツ観戦――で、どこにしましょ?
「まあ、駒込だろ。部員は応援しないとな」
なんですか、それは。私に対する当てつけですか。
とりあえず、私たちは準決勝のテーブルへと向かった。
ちょうど始まるところだった。
「それでは、振り駒をお願いします」
いよいよ残り4名というわけで、会長の箕辺くんが仕切る。
右では捨神くんが、左では駒込くんが歩をほうった。
「アハ、歩が4枚、僕が先手だね」
「歩が2枚で、古谷くんの先手」
ふたりは歩の位置を戻して、対局の合図を待つ。
「不備はありませんね? ……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
4人が一斉に頭をさげて、対局開始。
パシリ
古谷くんの7六歩でスタートした。
8四歩、6八銀、3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩。
おっと、矢倉ですか。王道。
4八銀、4二銀、5八金右、3二金、7八金、4一玉。
「ふたりとも居飛車党なのね」
「古谷と駒込なら相居飛車でだいたい決まりだ」
古谷くんのほうは全然知らないけど、駒込くんのほうは、お姉さんを知っている。
私のひとつ年上で、将棋部に勧誘してきた張本人だからだ。
それが2年もまえのことなのだから、月日が経つのは早い。
「6九玉」
7四歩、6七金右、5二金、7七銀、3三銀、7九角、3一角。
古谷くんは3六歩、駒込くんは4四歩。
ここで3五歩と仕掛ける急戦もあるけど、古谷くんは選択しなかった。
3七銀から、さらに王道の加藤流へと進む。
6四角、6八角。
ここが第一の分岐点かなぁ。
8五歩と突くか、それとも、森内流で9四歩と端歩を突くか。
「8五歩」
おっと、素早い決断。
矢倉だから、序盤に時間をかけられないという判断だろう。
7九玉、5三銀、8八玉、7三角、4六銀、6四歩、3八飛。
「6四歩ってことは、完全に受けに回るのかしら?」
「6五歩の阿久津流の阻止じゃないか? 事前準備してきた感はあるな」
トーナメントの抽選は当日にやるから、準備はけっこう手間だ。
それをしてくるということは、かなりヤル気が感じられる。
パシリ
後手は4三金右と上がった。
3七桂、3一玉、2六歩、2二銀、1六歩、9四歩、9六歩。
「8四角」
古谷くんの手が止まった。
「ノータイムで1五歩といきたいけど……古谷くんって、慎重なタイプ?」
私の質問に、松平はなんとも言えない顔をした。
「どうだろうな……古谷は、あんまり内心を見せないタイプだ」
「内心を見せない? 対局中は当たり前でしょ?」
「いや、日常でもそうだと思う」
なんだか、よく分からない返事。
つきあいの浅い個人的な印象として、古谷くんは爽やかな子だ。
先輩に対しては礼儀正しいし、同級生からは信頼されているし、後輩には優しい。
清心に通っているのは、両親が清心だったからで、ほんとうはもっと上の進学校(市内なら升風高校、H島市まで出るなら修身高校)も狙えたという噂だった。
完璧じゃないですか。
私がそう言うと、松平は、
「完璧なやつってのは、だいたい怪しいもんだ」
と答えた。嫉妬? 嫉妬ですか?
パシリ
駒音にふりかえると、古谷くんは1五歩で端を詰めていた。
駒込くんは軽くうなずいて、反対側の端に手を伸ばした。
「9五歩」
ふわぁ、いきなり攻めた。
「これって、アリ?」
私は、松平の脇腹を突つく。
「普通は、ないよな」
「そうよね……ちょっと考えてみましょう。
……………………
……………………
…………………
………………
「同歩、同香、同香、同角だと、成立してるっぽい?」
私のコメントに、松平は手順をたずねた。
「同歩、同香、同香、同角、9九香、7三角、9四歩、9二歩、3五歩、同歩、同銀は、先手の調子がいいわよね。後手はやるがことないから。でも、7三角のところで8四角と浅く引いて、9四歩、9二歩、3五歩、同歩、同銀、7三桂、2五桂、6五歩、3三歩、同桂、同桂成、同銀、2五桂、2二銀、3四銀、同金、同飛、3三歩、3八飛、6六歩なら、反動がキツくて後手のほうがいいと思う。あるいは、もっと単純に、3五歩の時点で3六香と置いて、2五桂と跳ねさせない手もありそう」
【参考図】
「なるほど。だけど、3五歩を放置は、3四歩、同金、3五銀、同金、同角もあるぞ。3四歩、6八角と引かせて2七銀の羽生ゾーン……んー、これも後手の調子が良さげか」
むずかしい。これを即指ししたってことは、研究手でしょうね。
「用意してきた手っぽいね」
古谷くんは、独り言のようにつぶやいた。
「まあね」
と駒込くん。正直でよろしい。
「ってことは、お姉さんとも検討済みかな……同歩」
「同香」
古谷くんは同香と取り返さずに、9七歩とおさめた。
どうやら、対局者もギャラリーも【同香は後手よし】で一致したようだ。
「7三桂」
「3五歩」
「無視して6五歩と突っかける?」
私は松平の意見をうかがった。
「さすがに一回は取るだろ。3五同歩、同銀、6五歩じゃないか?」
なるほど、3四歩〜2五桂はキツすぎるってわけね。
「6五歩に同歩は3七歩で困るから、無視して2五桂かしら?」
【参考図】
3七歩、同飛、6六歩、同銀、6五歩、5七銀、同角成は、さすがに成立しない。
「3七歩自体、打たないかもしれないわね」
「うーん、3七歩は打つような気がするが……6六歩以外で絡むんじゃないか?」
「例えば?」
「うーん……」
松平は考え込んでしまった。
パシリ
おっと、3五同歩が指された。
同銀、6五歩、2五桂。
「3七歩」
へぇ、松平が正解。でも、手として正解かどうかは、分からないわよ。
悪手かもしれない。
古谷くんは、まるで悪手だと言っているかのように、ノータイムで3七同飛と取った。
「8六歩」
この手を見て、松平は髪の毛をくしゃくしゃにした。
「うまいな、駒込。同歩に8五歩と継ぐ気だ。7三に桂馬がいるから成立する」
3筋かと思えば6筋、6筋かと思えば8筋で、駒込くんは臨機応援に動いていた。
一方、古谷くんは相貌をまったく崩さない。
「同歩」
「8五歩」
私もだんだん分かってきた。
一見、3三歩が厳しそうだけど、同桂、同桂成、同銀、2五桂は、3四歩、3三桂成、同金直で止まる。だから、2五桂の前に3四歩と押さえたくなるわけだけど、これは2二銀と引いて、2五桂に2一桂、3三歩成、同桂、同桂成、同銀で、一歩損しただけ。
「3三歩が効かないとなると、3四銀しかないわね」
3四銀は放置できない。放置すると4三銀成で即死する。
「3四銀しかないというか、それがかなり厳しいと思うぞ。後手は歩切れだ」
「歩は8六で回収できるから、3四銀、同金、同飛、8六歩じゃない?」
「その瞬間に8三歩がある」
【参考図】
「同飛は9四金で飛車角両取りだ。しかも、9二飛以外は9四金で角が死ぬ。だから、8三歩、9二飛までが必然で、そこでまた3筋に狙いを定められると、後手はどうしようもなくなると思う」
ふむふむ、これは参考になった。8六歩と取り込んだ瞬間に手裏剣があるわけか。
「ってことは、3筋を受けないの? それはそれで無理筋じゃない?」
「そうなんだよな……6六歩のほうで歩を回収する手を調べて……」
パシリ
3四銀が指された。
のこり時間は、先手の古谷くんが15分、後手の駒込くんが16分。拮抗している。
同金、同飛、8六歩、8三歩。
「そうだよな。やっぱり打つよな」
松平がつぶやいたのと同時に、駒込くんは9二飛と寄った。
「3八飛」
んー、この局面、どっちがいいの?




