296手目 御面ライダー幽玄
「へ、変態仮面ッ!」
あたしの大声に、目の前の男はひとこと、
「変態仮面じゃない。将棋仮面だ」
と答えた。どう見ても変態だろ。ちゃちぃコスプレなんかしやがって。
御面ライダーの御面をかぶっているだけで、首から下はラフなかっこうだった。
黒のTシャツに黒の長ズボン。ロゴもなにも入っていない。
「なんだそれ、ウニクロか?」
「ひとつ頼みがある」
「頼みぃ? 早乙女なら来てないぜ。それとも『投了を伝えてくれ』ってか?」
あたしはH島のホテルの対局を思い出していた。
そのとき、あたしは将棋仮面がなにか持っていることに気づいた。
真っ白な色紙だ。イヤな予感がする。
「天王寺了のサインをもらって来てくれないか?」
……………………
……………………
…………………
………………
「どうした? 天王寺を知らないのか? 今シーズンの主役で……」
「いや、知ってるよ。御面ライダー幽玄の中の人だろ」
「だったら話が早い。その中の人のサインをもらって来てくれ」
あたしは大きくタメ息をついた。飴玉を舌で転がしながら、
「あのな、ガキじゃないんだから自分でもらえ」
と断った。
「もらえない事情がある」
「ははーん、さては出禁になったな」
「そういうわけじゃないが……とりあえず、天王寺のサインをもらって来てくれ」
「いや、とりあえず、じゃねぇだろ。まずは顔を見せろっての」
将棋仮面は露骨にイヤがった。
なんだなんだ、意外とシャイボーイかぁ。
将棋仮面は色紙を持ったまま、腕組みをする。
「ふぅむ……こうしよう。俺が将棋で勝ったらサインを……」
「すみません、警備員さん、このひと変態だと思うんですけど」
将棋仮面はあわててあたしを引き止めた。
「待て待て、正義の味方が変態なはずがない」
「普通に事案だろ。女子高生にいきなり将棋挑むとか」
あたしたちが揉めていると、いきなりスピーカーから女の声が聞こえた。
「きゃ〜助けてぇ」
ん? なんか聞き覚えがあるぞ?
あたしはステージのほうを振り返った。
すると、ひらひらな服を着たツインテールの少女が、カニの怪人に襲われていた。
内木檸檬じゃねぇかッ!
「だれか助けて〜ッ!」
「ワハハ、おとなしくしろ」
定番の劇が始まって、ちびっこたちは盛り上がる。
あたしはこの隙に逃げようとした。すると、反対方向でまたぶつかった。
「いたた……回り込むの早すぎだろ……」
「おお、こいつはいい獲物だ」
は? ……とわぁ!?
あたしはいきなり持ち上げられた。
黒い覆面をかぶった屈強な男たちに運ばれて、そのままステージへ。
「また新しい人質が来たなぁ」
カニ怪人はハサミをぱちぱちやる。
視聴者参加かよッ! 小学生くらいのガキも周りにたくさんいた。
「こわいよぉ……」
「幽玄早くきてぇ」
さすがにこいつらの年齢だとビビるんだな。あたしはむしろ恥ずかしいんだが。
しかも、あたしの登場に、人質役のレモンはじっとりとした目で、
「なんでここにいらっしゃるんですか?」
と小声で質問してきた。
「こっちが聞きたいぜ。おまえこそなんでいるんだ?」
「私は仕事です……楓先輩、ほかのひとと一緒ですよね?」
ぎくぅ。あたしはしどろもどろになって、
「し、師匠と一緒だぞ」
と答えた。
「その反応、ウソですね。捨神先輩はこのステージを観に来ないでしょう」
くそぉ、やっぱり悪手だった。変態仮面の野郎、赦さねぇからな。
「いいか、あたしがここにいたことは……」
「シーッ」
レモンはくちびるに指をそえた。
その瞬間、大歓声が起きた。ステージの端から正真正銘の御面ライダーが現れる。
「やった幽玄だッ!」
「カニ怪人、さっさと降参しろッ!」
次々と大声で怪人を威嚇するちびっこたち。
「楓先輩も、なにかひとこと」
「ぐぅ……ええぃ! 御面ライダー、さっさと終わらせてくれッ!」
とはいえ、こんなイベントが一瞬で終わるわけもなく。
御面ライダーは決めのポーズを取ってから、怪人と対峙した。
「諸君、私が来たからにはもう安心だ」
「ワハハ、それはこっちのセリフだ、幽玄。今日こそカニカマにしてやる」
御面ライダーは戦闘員に囲まれた。
「かかれーッ!」
大音量のBGMで場内が盛りあがる。御面ライダーは正面の2人をあっさりと倒した。
もちろん、戦闘員が殴られたフリをして勝手に倒れてるだけだが。
「しかし、いい動きしてるな。スーツアクターか?」
あたしの質問にレモンは、
「そういうこどもの夢を壊す発言はお控えください」
とたしなめた。
売り出し中のイケメン俳優がバトルシーンはやらないよなぁ。
特撮スーツは動きにくそうだし、怪我でもしたらたいへんだ。
あたしは飴玉を頬張りながら、ショーを眺めた。
華麗なスタントを駆使しつつ、アクターはいろいろな見せ場を作る。
わざと追い詰められてみたり、ふたり同時に倒してみたり。
ところが、
「うッ!」
御面ライダーは、戦闘員の攻撃をさけようとして、ステージの端でふらついた。
体勢を立て直そうとしたが、あとの祭り。そのまま地面に落下した。
場内で悲鳴があがる。しかも怪人役のおっさんが動揺している。事故っぽい。
「おいッ! チャンスだッ! さっさと捕まえて連れてこいッ!」
おっと、さすがはプロ。台本になさそうなセリフだ。
戦闘員ふたりがステージから飛び降りて、御面ライダーを確保(救出)した。
肩と足の部分を持って、ステージに担ぎ上げる。
「ワハハ、これで御面ライダー幽玄の終わりだ」
怪人役のおっさん、そこで言葉に詰まる。
「えーと……とりあえずだな……拷問とか……」
と、そのとき、不思議なことが起こった。
「そうはさせんぞ、ジョッカー!」
ステージのしたから、御面をかぶったべつの男性――将棋仮面じゃねぇかッ!
将棋仮面はステージの上で決めポーズをとった。
「幽玄に手出しはさせん」
狂ったか。怪人役のおっさんもかなり困惑して、
「だ、だれだおまえッ!?」
と、完全に素のコメントをした。
「通りすがりの者だ……と」
将棋仮面は、うしろから取り押さえようとした戦闘員を軽くかわした。そのまま肘打ちでノックダウンさせる。そこから流れるようなハイキックと正拳突きで、御面ライダーの周りにいたふたりも薙ぎ倒した。
「大丈夫か」
「あの……どなた……」
「俺の出番はここまでだ。さらば」
将棋仮面はステージから飛び降りて、人混みに姿を消した。
しばらく沈黙が続く。
「え、えーい、なんだかよく分からんが、幽玄をもう一度捕まえろッ!」
カニ怪人の号令で、ふたたびショーが始まった。
あとは戦闘員全滅→カニ怪人と対決→勝利で、お決まりのパターン。
「幽玄ありがとうッ!」
「幽玄かっこいいッ! 抱っこしてッ!」
ちびっこに囲まれて、幽玄はご満悦。
あたしは遠目にそれを眺めながら、
「いちおう医務室に行ったほうがいいんじゃないか?」
とつぶやいた。するとレモンは、
「あれは天王寺さんです。さきほど怪人と追いかけっこでステージ裏に回ったでしょう。あのときに入れ替わっているんですよ」
と教えてくれた。
「そっか、じゃあ安心だな。主演は楽でいいね」
「そんなことはありません。それぞれの役割ごとにきちんとした仕事があります」
ふぅん。芸能界のはしくれレモンが言うなら、そうなのかね。
あたしはそれ以上、口出ししなかった。
御面ライダーはマスクを脱いで、ちびっこたちと記念撮影。
それからサイン会が始まった。ステージの周りが混乱し始める。
「ちぇっ、こいつは見つけるのにひと苦労だな」
「やっぱり誰かと一緒だったんですね。どなたですか?」
「おまえにゃ関係ないっつーの」
「つれませんね。せっかくですから楽しんでいただきたいのですが」
「おまえこそ、せっかくの大舞台がモブAみたいな役で良かったのか?」
レモンはちょっとムッとした表情で、
「本命の仕事はこれではありません。このあとの将棋イベントです」
と答えた。
「将棋イベント? ……もしかして、すみっこにあるシーソーゲームか?」
あれはやめとけよ、と言おうとしたが、そのまえに口を挟まれた。
「ちがいます。この会場は、御面ライダー幽玄ショーのあとで将棋イベントに使います」
「なんだ、そういうことか」
「楓先輩もどうですか、一局?」
だからなんで遊園地に来てまで将棋なんだ。指したがりか。
「遠慮しとく」
「人手不足ですし、楓先輩が適任かと思ったんですが」
あたしはあきれて頭をかいた。
「あのな……スタッフでこき使うつもりだったのか」
「お給料はいいですよ。1時間2000円です」
「マジかよ。高けぇな」
「いちおう『技能職』扱いなので」
ぐらっとくるけど、デート中だしなぁ。
そんなことを考えていると、ふと人影が現れた――将棋仮面だった。
「レモン、待たせたな」
……は? レモンの知り合い?
レモンは怒ったような顔をして、人差し指で将棋仮面の胸ぐらをつついた。
「警備員が止めに来たらどうするつもりだったの?」
「そのときは、そのときだ。ヒーローにピンチは付きものだからな」
レモンは腰に手をあてて、首を振った。
「あほくさ」
「アイドルが『あほくさ』なんて言葉を使うのは、良くない……ん?」
将棋仮面は、あたしのほうに気づいた。
「きみはさっき怪人に捕まっていた少女だな」
「つーかそのまえに会っただろ」
「ははは、もちろん覚えている。で、サインはもらって来てくれるのかな?」
「アホか。なんでおまえの代わりに行列しないといけないんだよ」
「ジョッカーから助けてやったお礼、というのは?」
「あーれーはーおーしーばーい」
あたしは一語一語区切って発音した。将棋仮面は「ふむ」とうなり、
「仕方がない。タダ働きもヒーローの宿命だ」
とかなんとか言って、レモンのほうに向きなおった。
「さて、設営を始めるか」
「まだ早いでしょ。サイン会が終わるのに1時間近くかかるわよ、これ」
「終わった人から順番に勧誘していけばいいのさ」
将棋仮面はそう言って、折りたたみ机をちゃちゃっと準備した。
白いテーブルクロスをかけて、将棋盤を並べていく。
「さて、ウォーミングアップだ。レモンくん」
「あ、ごめん、私は着替えがあるの。さすがにこのモブAみたいな私服じゃ、ね」
「そうか……よし、きみ」
やめてくれぇ。あたしは先手を打つ。
「拒否する」
「まだなにも言っていないだろう」
「ウォーミングアップの相手にあたしを指名する気だろ」
「よく分かったな。で、拒否する理由は?」
あたしは親指で自分の胸をゆび指す
「あたしは将棋を指しに来たんじゃないの。ツレがいる」
「ツレというのは、あそこに並んでいる少年たちか?」
サイン会の行列を見やる。歩夢たちは、列の後方に陣取っていた。
「あーゆーむぅ!」
「あの位置なら30分以上余裕がある。10秒将棋で決着をつけよう」
あたしは地団駄を踏んだ。
「えーい、指せばいいんだろッ! 指せばッ! その代わり、バイト代は払えよッ!」
「約束しよう。じゃんけんだ」
じゃんけんぽんで、あたしが後手になった。
「では、オープニングソング、スタート! 2六歩ッ!」




