282手目 準決勝 春日川〔藤花〕vs不破〔天堂〕(2)
決戦だ。不破さんは飴を交換して、長考に入った。
「先手はバランスがいいのか悪いのか、分かんないっスね」
大場さんはひたいに手をかざして、盤面を遠目に見た。おおげさ。
「5二金、3四銀、4二角は確定みたいですわ」
「5一角はないんっスか?」
「それは角の狙いがunklarですのよ」
あいかわらずドイツ語を挟むの、解読に困る。
5一角と4二角の比較は、むずかしい。4二角、2三銀成、5三銀は、この瞬間に角筋が止まるから3二成銀と当てたい。
【参考図】
5一角、2一成銀で、どうかしら。
これを嫌って最初から5一角は、アリっちゃアリだけど……2三銀成、5三銀、3二成銀の次の手が不明なのよね。4二に角がいないから、6五歩は同銀で無効なんじゃないかしら。それとも、8四角と出て、次に6五歩、同銀、7五角の強襲を狙う?
私は大場さんたちに、自分の読みを伝えてみた。
「5一角、2三銀成、5三銀、3二成銀、8四角のあと、先手はなにを指すんっスか?」
「2一成銀じゃない?」
「そこから6五歩……同銀は7五角、同角、同飛が十字飛車っスね」
「いちおう7六角で紐はつけられるけど、将棋の手じゃないわ」
「つまり、6五歩に7七銀と引くしかないっス」
【参考図】
あぁ……これは冷静。
「7五角なら同角、同飛、8六角と打って、7二飛、4五桂っス」
「4五桂は6四角で消せませんかしら?」
「消す消さない以前に、4五桂じゃなくて6四桂の両取りは?」
「同銀、同角のあとが続かなくないっスか? 後手は8五桂の打ち返しがあるっス」
うーん、思ったより難解だ。途中の2三銀成がいいのかも分からない。普通なら、飛車先を通す2四歩のほうが自然だからだ。
先に2四歩を入れる? そうなると、後手はどこかで5六歩を入れたい気もする。
パシリ
議論を中断して、盤面を確認した。5二金が指されていた。
3四銀、4二角と進む。
「楓ちゃん、4二を選んだっスね」
「となると、2三銀成、5三銀、3二成銀、5一角、2一成銀コースですわ」
5一角を嫌った理由が、いまいち分からない。
けど、これはこれでさっきの検討手順と合流する可能性もある。
パシリ
あれ? 全然ちがった。2四歩ですらない。
不破さんは、腕組みをしたまま盤面をのぞきこむ。
「あたしに1手指せってか?」
「2手でもかまいません」
「ふざけんな。それじゃ反則負けだろ」
不破さんは5三銀と指した。
これがあるから、先手は手渡ししちゃいけなかった気がする。ここから2三銀成だと、6五歩、7七銀、6四銀が間に合ってくる。2三銀成に代えて2四歩は、同歩のあとに角をどかす手順がない。春日川さん、なにか見落としてるのでは?
「7七銀」
連続でハズレた。
「わたくしたちの読みと異なりますわ」
「殴り合いだと勝てないから、固めなおしてるんっスかね」
大場さんの説は有力。後手に盛り上がらせる作戦かも。
不破さんも口もとに手をあてて、しばらく考え込んだ。
「なんか変なことしてやがるな……6五歩」
「2四歩」
やっと攻めた。
「同歩」
春日川さんは、銀を2三の地点にひっくり返した。
突いてからの銀成。
まあ、これくらいしか……………………
…………………………………………
………………………………………
………………あれ?
「後手が困ってない?」
私のひとことに、ポーンさんたちはきょとんとした。
「そうっスか? 6四銀のほうが速いっスよ?」
「3二成銀、5一角、4一成銀だと?」
【参考図】
「8四角は2四飛で十字飛車になるっスね……」
「さすがに飛車を成らせるとマズいんじゃないかしら」
私たちはいろいろ検討したけど、6四銀と出た場合、これは回避できないようだ。
つまり、6四銀と出られない。
予定外の攻防だったらしく、不破さんの動きが止まった。
普段のリアクションが大きから、困っているのは明らかだ。
「これは決まりましたわ。Frauカスガカワの勝ちです」
「エリーちゃん、あんまりフラグ立てないほうがいいっスよ……」
まだ優勢・劣勢の話をする段階じゃないと思う。
ただ、不破さんの目論見がはずされたことだけは確かだ。
「……やるじゃねぇか」
不破さんは飴玉のスティックを噛み締めた。
「さあ、どうしますか?」
「ちょっと静かにしろ」
不破さんはたっぷり3分考えて、6三金と上がった。
次こそ6四銀、という手だ。
「3二成銀」
春日川さんは、6四銀と上がられるまえに対処する。
5一角、2一成銀、1二香(香車はタダで渡すとマズい)、2六飛。
あくまでも攻めさせる気? それとも、次に3五歩からの飛車スライド?
「3二飛ッ!」
不破さんは、どちらにも対応できる手を指した。
むりやり3五歩は、同飛、7六飛、3六歩、4五桂、6四銀のあと、3七歩〜4八とと捨てられて、3九飛成が厳しい。
「7四桂」
春日川さんは桂馬の単騎で攻めた。
「7三銀……は、する意味がねぇな。5六歩」
「同歩」
不破さんは6四銀と上がった。けど、角の位置が微妙すぎる。
「後手の陣、スキだらけです。3五歩」
ん? 同飛で? ……あ、4六飛があるのか。6四銀と上がったから、4四歩じゃなくて5三金で受けるしかない。でもそれは、4五桂と跳ねられて崩壊する。
「4三飛と成らせるのは、よろしくないのですかしら?」
「よくないっス。4三飛成は金当たりで、5三金と弾くのは4一龍が角当たりっス」
さっき春日川さんが言った通り、後手は陣形が悪い。
とはいえ、ここまで悪かったとは――さすがに予定外だったと思う。
2九飛〜2六飛〜4六飛と回られたときのバランスなんて、普通は考えない。
「でも、4六飛自体は5三金で防げるっス。3五飛、4六飛、5三金、4五桂、5二金と引けば、手が続かないんじゃないっスか」
「だめよ。8二桂成、同金、6二銀で死んじゃうわ」
私の指摘に、大場さんはアレっとなった。
「じゃあ、7三銀が必要っスね。7三銀、4六飛、5三金っスか」
不破さん、大長考。残り時間は15分を切った。
まだ60手くらいだから、妥当と言えば妥当なんだけど……流れがおかしい。
ギャラリーも、固唾を飲んで見守る。
「……5三金」
春日川さんは2三歩と置いた。
ゆったりとした攻め。
「さすがに間に合わないんじゃないっスか?」
「Ich stimme zu!! 2二歩成〜3一成銀はかなり手数が掛かります」
春日川さんは、寄せて行く方針じゃないのでは。
うまく言えないけど、今回の指し回しは、嬲り殺しを狙っているようにみえる。
パシリ
「なにをお指しになられましたか?」
不破さんが符号を言わなかったから、春日川さんは確認をいれた。
「7三銀」
不破さんはふてくされたように答えた。
返事を聞いた春日川さんは、かるくうなずいた。
「4六飛」
「3五飛」
「3六歩です」
冷静。一回飛車を追い返す。
3四飛、2二歩成、2五歩、2三と――ここで不破さんにどういう手があるか。
「7五銀ではございませんこと?」
ポーンさんは、一番ありそうな手を答えた。
「7五銀、同角、7四飛は、常に狙ってるっぽいっス」
「しなしながら、このままでは7五銀に3三とがありますわね」
そう、この時点で7五銀は、3三とがある。
同飛なら7五角。これが金当たりで、7四銀とすらできない。
「5二金と先に引いておくんじゃない?」
私のコメントに、ふたりとも同意してくれた。
「そうなると、先手はもう一手指せることになりますわ」
「角ちゃんなら、2五桂か4五桂って跳ねるっス」
私も大場さんの案推しかな。
「2五桂、7五銀に3三と、あるいは、7五同角ね」
「3三とには6四銀で逃げられるんっスけど、4三とがあるっスからね。6二金寄、5三とと押し売りして、同金、4一飛成が角当たりっス。これを嫌って5四飛と逃げるのは、やっぱり4三と、6二金寄、5三とと捨てて、同飛なら7五角、同金なら4一飛成っス」
「5二金、2五桂、7五銀、同角、7四飛も捨てがたいですわ」
「それなんだけど、7四飛は3一角成で困らない?」
【参考図】
「これ、8五桂と打っても止まると思うんだけど」
「たしかに、最悪7五歩があるっスね。7五銀は、取っても放置でも後手不利っス」
もしかして、先手有利が明らかになってきた?
今3人で検討した限りでは、どれも後手が困っている。
パシリ
「5二金」
不破さんは金を引いた。
春日川さんは1分ほど読みなおして、2五桂と跳ねた。
「7五銀」
問題の局面だ。春日川さんの回答は――
「同角」
取るほうを選択した。
不破さんはすかさず7四銀と押し返す。
「あッ、これはいい手っス。3一角成には7六歩と叩けるっス」
「Aha!! 7六同銀は7五歩、同銀、同銀、同馬、8四角と消すわけですね」
「でも危なくない?」
そんなに単純な順には見えないけど。
「なにを指されましたか? 7筋当たりかと思いますが?」
春日川さんはふたたび指し手をたずねた。
「7四銀だよ」
それを聞いた途端、春日川さんは例の邪悪な笑みを浮かべた。
「7四銀……最後までバランスが悪いようで」
「あん?」
「7二歩です」
……………………
……………………
…………………
………………あッ、決まったくさい。
同金は6一銀だ。そこから6二金左は4三飛成、6二金右は5二銀成、同金のとき穴熊が丸裸になっている。金銀を打ち付けられたら即座に寄る。
不破さんは両手をついて立ち上がった。
「ば、バカな!? こんな簡単に……!?」
いや、寄っている。
6一金と逃げても3三ととされて崩壊する。
後手の穴熊は、中盤からここまで一度も連結しなかった。
駒の配置が悪すぎたとしか言いようがない。
不破さんは椅子に座りなおして、長考に沈んだ。
ピッ
30分を使い切り、秒読みに入る。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「ダメだ、どうにもならねぇ……負けました」
「ありがとうございました」
おおおおッ! これにはギャラリーも歓声をあげた。
ざわくつ周囲をよそに、不破さんはぐったりと椅子にもたれかかった。
「なにが悪かったんだ……? 布陣は普通だったはずだ……」
春日川さんは白杖をにぎりしめ、しばらく押し黙った。
「たまたま……ではないでしょうか」
気を遣っているようにみえて、けっこう残酷な答えだ。
先手の陣形と後手の陣形が噛み合ってしまったのは、確かにたまたまだ。けど、勝者がそれを口にするのは、敗者にとっては酷なところがある。
不破さんはくちびるを噛み締めた。
「たまたま、じゃしょうがねぇな……おひらきだ」
不破さんは席を立った。春日川さんは椅子の音を聞いて一礼した。
「Das kann ich gar nicht erwarten……すさまじい試合でしたわ」
「チェスクロの表示は77手っスね。77手で穴熊粉砕とか痺れるっス」
私たちが感想を述べあっていると、うしろから声をかけられた。
「おーい、裏見、どうした? なにかあったのか?」
松平だった。私は今の対局内容を伝えた。
「春日川が不破に勝った? 70手台で? ……凄いな」
「でしょ。ちょっと圧巻だったわ」
そのとき、対局席のほうから悲鳴があがった。
「か、春日川さん、しっかりぃ!」
見ると、春日川さんは白杖をにぎりしめたまま、テーブルに突っ伏していた。
駒が散乱している。あたりはパニックになった。
「救急車ッ! 救急車ッ!」
「気道確保しないとマズいんじゃないのか?」
「こら、動かすなッ!」
場所:2015年度 駒桜市高校新人戦 準決勝
先手:春日川 琴音
後手:不破 楓
戦型:後手ゴキゲン穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲4八銀 △5五歩 ▲6八玉 △3三角 ▲3六歩 △4二銀
▲3七銀 △5三銀 ▲4六銀 △4四銀 ▲7八銀 △6二玉
▲7七銀 △7二玉 ▲6六銀 △8二玉 ▲7八玉 △9二香
▲5八金右 △9一玉 ▲1六歩 △8二銀 ▲3七桂 △7一金
▲2九飛 △7四歩 ▲9六歩 △7五歩 ▲同 歩 △7二飛
▲9七角 △6四歩 ▲4五銀 △5二金 ▲3四銀 △4二角
▲6八金上 △5三銀 ▲7七銀 △6五歩 ▲2四歩 △同 歩
▲2三銀成 △6三金 ▲3二成銀 △5一角 ▲2一成銀 △1二香
▲2六飛 △3二飛 ▲7四桂 △5六歩 ▲同 歩 △6四銀
▲3五歩 △5三金 ▲2三歩 △7三銀上 ▲4六飛 △3五飛
▲3六歩 △3四飛 ▲2二歩成 △2五歩 ▲2三と △5二金
▲2五桂 △7五銀 ▲同 角 △7四銀 ▲7二歩
まで77手で春日川の勝ち




