281手目 準決勝 春日川〔藤花〕vs不破〔天堂〕(1)
※ここからは、香子ちゃん視点です。
私が会場に到着したとき、なにやらあやしげな集会がひらかれていた。
「それでは、曲田くんの裁判を始めまぁす。有罪と思うひとは挙手ぅ」
ぼさっとした髪の少年をかこんで、女子が一斉に手をあげた。
なにこれ? 裁判ごっこ?
「有罪っス」
「有罪……」
「Total schuldig」
「有罪だと思うよ?」
「はぁい、ボクも有罪だと思うので、5ー0で有罪でぇす。曲田くん、残念」
なんだか不穏なので、葛城くんにこっそりと近づいてみる。
「あ、裏見先輩、こんにちはぁ」
「こんにちは……なにやってるの?」
「『女の子の好きな相手を勝手にバラした人間』の裁判でぇす」
有罪――ダメでしょ、それは。
「というわけでぇ、曲田くんは棋界永久追放ぉ」
「そういう規定はないと思いますが」
曲田くんは、悪びれもせずに反論した。
「今つくりましたぁ」
「罪刑法定主義違反ですね。抗議します」
「乙女の恋心は、すべてを超越してるんっスよ」
「そんなのめちゃくちゃでしょう。大場先輩のファッションセンス並みです」
「どういう意味っスかッ!?」
ごたごたし始めたところへ、箕辺くんがすっとんできた。
「ふたば、なにやってるんだ? もうすぐ始まるぞ?」
「たっちゃん、曲田くんは辞退するらしいよぉ」
「しません」
「わけわかんないことしてないで、早く席についてくれ」
「あぁ、たっちゃんも乙女心を理解してないねぇ。では、乙女心の痛みを分かってもらうために、今からたっちゃんの好きなひとを発表しちゃいまぁす」
「おいッ! なに言ってんだッ!」
「え? たっちゃん、好きなひといたんっスか?」
「Wer?」
「ほら、やっぱりみんな知りたがりじゃないですか。僕は需要に答えただけですよ」
葛城くんを押さえようとする箕辺くん。それをさらに押さえようとする女子陣営。現場は大混乱。その隙に、こっそりと逃げ出す曲田くんの姿があった。
私もあきれて、その場を離れた。
「みなさんッ! 大会のプログラムが押しているので、そろそろ着席してくださいッ!」
箕辺くんが一喝して終了。
今年はへんな揉めごとが多いわね。下級生、しっかり。
私はとりあえず、トーナメント表を確認した。
古谷vs曲田、不破vs春日川ね。残念だけど順当。
「おーい、裏見」
ふりかえると、松平がこちらに手を振っていた。
「あら、来てたの?」
「裏見こそ、先に会場出たのか?」
「バスがぎりぎりあったから、それに乗ったの」
科目数がおなじだったのかしら。
受けてた部屋はちがったんだけど。
「松平も応援?」
「ああ、応援しに来て……みたが、うちは残ってないな」
駒桜市立高校の1年生は、すでにトーナメント表からすがたを消していた。
「どうも個人戦になるとパッとしないわね」
団体戦は県大会に出場できるし、いいんだけどさ。
あんまり上級生目線で要求してもしょうがない。
「ところで、なにかあったのか? 反則?」
松平は、解散してひとがいなくなった場所をみつめていた。
「乙女心に関する裁判がおこなわれていたのよ」
ま、あんまり突っ込まないでちょうだい。私もよく分かってないし。
松平もそんなに興味がないらしく、すぐに話題を変えた。
「裏見は、どっちの対局を観る?」
「私は不破さんのほうにしようかしら」
「じゃあ、俺は古谷と曲田を観る」
私は松平と別行動で、不破さんたちの対局テーブルへと移動した。
「っと、ごめんなさい」
ポーンさんにぶつかりそうになってしまった。
「Verzeih mir」
ポーンさんも、春日川さんの応援かしら。私はたずねてみた。
「もちろんですわ。個人戦は、がんばっていただきませんと」
ふむふむ、団体戦でうちにやられてるから、その心境は分かる。
対局テーブルでは、チェスクロのセッティングがおこなわれていた。
「たっちゃん、こっちは時間がかかりそうだから、始めちゃっていいよぉ」
「了解……それでは、振り駒をお願いします」
古谷くんと曲田くんの対局は、先に始まったようだ。
こちらでは、春日川さんが手を伸ばして、チェスクロの間合いを計っている。
その向かいに、ぶすっとした不破さん。
「不破さん、機嫌が悪いみたいね」
「シーッ、Frauウラミ、危ないですわよ。いつにも増してキョウボウですわ」
なにかあったのかしら。事情が把握できない。
「はい、これでセット完了ぉ。振り駒をしてくださぁい」
不破さんが黙って歩を集めた。
春日川さんは目が見えないから、振り駒はだいたい相手の仕事だ。
「歩が1枚、あたしの後手」
春日川さんはかるくうなずいて、なにも言わなかった。
オーラを感じる。殺気に近い。
「では、準決勝を始めまぁす。準備はいいですね? ……対局開始ぃ」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ふたりとも頭をさげて、対局が始まった。
不破さんはチェスクロをポンと押し、椅子にふんぞりかえった。
「琴音、今日はやけに殺気立ってるじゃねぇか」
「7六歩です」
「チッ、無視かよ。3四歩」
2六歩、5四歩、2五歩、5二飛、4八銀、5五歩。
後手は中飛車。これは不破さんだから当然。先手がどう出るか。
6八玉、3三角、3六歩、4二銀、3七銀、5三銀。
「4六銀」
「超速ですわね。Das kann man vorsehen」
「春日川さんとしては、速攻で決めたいんでしょうね」
ただ、不破さんの棋風はカラい。
相手が視覚障害者でも、ゆるめてはこないはずだ。
4四銀、7八銀、6二玉、7七銀、7二玉、6六銀、8二玉。
不破さんの動き、穴熊くさい。
「7八玉」
「クマらせてもらうよ。9二香」
不破さんの指し手は、イキイキとしてきた。
さっきまでの憮然とした態度は消えている。
このあたりがザ・将棋バカって感じなのよね。
「持久戦ですか」
春日川さんは顎を引いて、白杖をにぎりなおした。
「穴熊だからって長引くとは限らないよなあ?」
「それもそうです。5八金右」
9一玉、1六歩、8二銀、3七桂、7一金。
長引かせる気、満々のような気が。
2九飛、7四歩、9六歩。
「7五歩」
え? 攻めた?
これにはギャラリーも反応する。
「攻めたっスね」
「大場さん、いたの?」
「さっきからいたっス……角ちゃん、影薄い」
濃いと思う。
「Frauオオバは振り飛車党ですから、解説をお願いしたいですわね」
「その『アジア人』みたいなまとめかたやめて欲しいっス。角ちゃん三間党っスよ」
大場さん、あくまで個性を主張していくスタイル。
とはいえ、三間飛車しか指していないひとにゴキゲンの解説は酷だ。
代わりに私が答えた。
「7五歩、同歩、7二飛と回るつもりじゃない? 先手は9七角で対抗」
【参考図】
「Hmm、これは見たことがあります。3一が急所ですわね」
「楓ちゃんは4一金を動かしてないっス。最初からこれを想定してたみたいっスね」
それっぽい。大場さんの読みは、おそらく正しい。
「持久戦に持ち込むのかと思いましたが、そうはなさらないようで」
「先手が急戦を明示している以上、主導権をにぎるには後手から攻めるしかないわ。選択肢としてはアリだと思う。局面が収まってもいいし、玉頭から押しつぶしてもいいし、そんなに悪くないんじゃない?」
春日川さんも、さすがに長考している。
体力的に脳内将棋盤で指し続けるのはキツいはずだ。
「7五同歩、7二飛、9七角までは確定っスかね。そこで楓ちゃんの手番っス」
「7五同銀はありませんかしら?」
「それは5六歩、同歩、同飛のあとの7六飛が王手銀取りでギャフンになるっス」
「Aha, verstanden」
7五歩のタイミングは完璧にみえる。さすがは不破さん。
パシリ
取った。不破さんは7二飛と寄る。
9七角、6四歩のところで、春日川さんの手がまた止まった。
読み抜けかしら? それとも、6四歩をさらに深く読んでる?
このあたりの間合いは、春日川さんとの対局経験が浅い私には想像がつかない。
「不破さんと春日川さんって、対局成績はどうなってるの?」
ポーンさんと大場さんは、知らないと答えた。
「角ちゃん、高校デビュー組だから昔のことは分かんないっス」
「わたくしもFrauカスガカワと深いおつきあいがあるわけではないので……」
むむむ、全員新参の弊害。駒桜市の学生将棋会は、箕辺くんや捨神くんみたいに小学校からずっとやってるグループと、私みたいに途中から参加したグループに分かれている。特に高校から入ったひとが多い。大場さんはもともとネット将棋が専門だし、ポーンさんは高校から留学してきたくちだ。
「女子の個人戦は、楓ちゃんが優勝しまくってるって聞いたことはあるっス。直接対決が何回かは分からないけど、楓ちゃんのほうがスコアはいいんじゃないっスかね。それなら琴音ちゃんがやる気十分なのも納得がいくっス」
ふむふむ、これは合理的な推論。
私は盤面を確認した。まだ指していない。
「6四歩は、怖いところを突いたわね」
「ひと目、4五銀と出たいですわ。交換なら6三銀で」
【参考図】
これは後手がダメよね。
7四銀成も5四銀成も2四歩もある。よりどりみどりだ。
「放置しても4四銀から同じことになるっス」
「ってことは、6三の地点を受けないといけないわね」
「Dann……5二金しかないような……」
5二金、3四銀、4二角かしら。私はその順を提案してみた。
大場さんたちの評判はかんばしくない。
「それって一方的に攻められてないっスか?」
「不破さんの狙いは、玉頭戦に持ち込むことなんじゃないの?」
「あ、そういうことっスか。4二角〜5三銀〜6五歩〜6四銀っスね」
「しかし、2筋を完全に放棄することになりますわ」
対局者が考えてるのは、その周辺だと思う。4四の銀を移動させた時点で、2筋はほぼ放棄になる。角1枚で支えるのは無理。だけど、そのあいだに7五銀が間に合えば、後手が優勢。おたがいに捨て身の作戦だ。
私がさきの展開を考えていると、対局席からタメ息が聞こえた。
春日川さんだった。
「ふぅ……1日に3局は疲れます」
これを聞いた不破さんは、口の端をゆがめてニヤリと笑った。
「3局目で終わらせてやるから、安心しな」
「ご冗談を……今回準決勝で消えるのは、あなたです。4五銀」




