272手目 2回戦 古谷〔清心〕vs五見〔駒北〕(1)
※ここからは五見くん視点です。
さて、漫才――じゃなかった、大喜利も終わったところで、ひと休み。
「あれ? 五見くん、もう終わったんっスか?」
この独特の口調。ふりかえらなくても分かる。
「大場先輩こそ、どこ行ってたんですか? 一度も応援に来なかったですよね?」
「ヤンキーの将棋を観に行ってたっス」
不破さんのことかな。個人戦でやられて以来、どうも目の敵にしてるみたいだ。
あんまり触れないでおこう。
「ほかは、どうなってますか?」
「古谷くんのところは勝勢っス。馬下vs獅子戸がいい勝負っスかね」
「ってことは、次の相手は古谷くんですね」
これは予想どおりかな。福留さんの金星は期待していない。
「古谷くんって、そんなに強いんっスか?」
「強いですよ」
「九十九ちゃんとちがって、派手に勝ってる印象がないんっスよね」
そこが古谷くんの怖いところ。確実に勝ってくるタイプ。
捨神先輩はポカが出るけど、古谷くんはそれも滅多にない。
「うちで優勝を期待できるのは、五見くんだけっス。がんばるっス」
「善処します」
○
。
.
「それでは、2回戦を始めます。準備はいいですか?」
進行役は、葛城副会長から箕辺会長にバトンタッチ。
僕の目のまえには、ショートボブ風の髪型をした古谷くんが座っていた。
とくに話しかけることもなく、対局開始の合図を待つ。
「それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
後手の僕がチェスクロを押す。
「五見くんの1回戦の相手は、林家さんだっけ?」
「そうだよ」
「どんな対局だった?」
雑談タイムなのか、それとも情報収集なのか。
こういうところが不気味なんだよね、古谷くんって。
「横歩の短手数だったよ。50手くらいだったかな」
「へぇ、それはまた短いね。横歩は五見くんの得意戦法だし」
古谷くんは、スッと7六歩。僕は10秒ほど考えて、3四歩と合わせた。
これ、戦法を誘導された気がするな。今の会話で。
2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金。
「2四歩」
横歩だ。避ける理由はなかった。得意戦法なのは事実。
問題は、古谷くんの苦手戦法でもないってこと。
「同歩」
同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛。
序盤はハイペースだ。どっちから手を変えるか。
「3三角」
「6八玉」
そのかたちか。古谷くんのほうが主導したいらしい。
だったらそれに合わせる。
「8二飛」
「今回は積極的にいかせてもらうよ。3六歩」
2二銀、3五飛――なんだ、この飛車の位置は?
おそらく最新形なんだろうな。
パッと見、8八角成、同銀、4四角と打ちたい。
けど、これは簡単に受かる。8三歩だ。
(※図は五見くんの脳内イメージです。)
同飛に3二飛成が、いきなり詰めろ。
というわけで、僕は一回受けておくしかないわけだ。
「4二玉」
この手をみて、古谷くんは2度ほどうなずいた。
両腕をテーブルにおいて、静かに読み始める。
……………………
……………………
…………………
………………
「じゃあ、僕も一回受けるよ。3八銀」
ん? そこか……角を交換して2八に打ちたくなるな。もちろん、いきなり2八角は3七角で止まる。でも、2七歩と垂らして、同銀(3九金や2五飛はさすがにムリ)、2八角と打てば、3七角と打ち返されても同角成、同桂、2八角の打ち直しができる。先に4六角と合わせてくるのも同じで、同角成、同歩、2八角、3七角、同角成、同桂、2八角。4七の地点が空くから、後者のほうが悪いと思う。
と、ここまで読んだのはいいとして、すぐに指せるわけでもない。香車を拾ったあと、先手からカウンターパンチが飛んでくるはずだ。例えば、現局面から2七歩、同銀、8八角成、同銀、2八角、3七角、同角成、同桂、2八角、3八銀、1九角成と仮定する。
(※図は五見くんの脳内イメージです。)
ここで先手はどう反撃してくるか。
まず、桂馬を跳ねたついでに4五桂、というのはちょっとムリかな。馬筋が通るっちゃうし、3六に歩があるから3三歩と打てるわけでもない。後手は5三の地点にだけ気をつければいい。よって、この順は考えない。
むしろ先手が指したいのは6六角だよね。次に2二角成、同金、3一銀となれば、これは僕の負けだ。もちろん3三歩とでも打っとけばいいんだけど、8四歩の合わせ技が一番困る。例えば、8四歩、同飛、6六角。
(※図は五見くんの脳内イメージです。)
こうなったときに、支えきれるか。
支える順はひとつしかない。2四飛だ。これなら2二角成に同飛とできる。つまり、現局面から最も有力なのは、2七歩、同銀、8八角成、同銀、2八角、3七角、同角成、同桂、2八角、3八銀、1九角成、8四歩、同飛、6六角、2四飛、2五歩(さすがに2五飛のぶつけはやりすぎ)、2三飛。
だいぶ読めたかな。この順は、後手もそこそこやれるだろう。
「2七歩」
僕はチェスクロを押した。古谷くんは、深く息をつく。
「最善で来るね」
「最善かどうかの自信はないよ」
古谷くんは30秒ほど考えて、同銀と取った。
うーん、まいったな。指し手が速い。
現時点で僕が20分、古谷くんが27分。だいぶ差がついちゃったぞ。
研究にハマってる感がある。
「8八角成」
同銀、2八角、3七角、同角成、同桂、2八角、3八銀、1九角成。
「8四歩」
おっと、読みのレールに乗った。
安心したような、怖いような。
僕は30秒だけ確認して、同飛と取る。
6六角、2四飛、2五歩、2三飛。
ここで古谷くんの手が止まった。眼光鋭く盤面をにらむ。
そのオーラは、日頃の優しげな彼とはまったく別人だ。
やっぱり普段の古谷くんは古谷くんじゃないんだね――なんちゃって。
ゲームで人柄が変わるのは、よくあることだよ、うん。
それよりも僕が気になるのは、この局面で先手に手があるのか、ってことだ。
一見すると後手の飛車は窮屈だ。先手は広々としている。
でも、こっちには香車がある。例えば、8五飛と回ってきたら、8四歩と打つ。同角は8二香で串刺しになるし、同飛ならもう一回8三歩と叩ける。同飛成、8二香で、同じように串刺しにできるという寸法だ。以下、8二龍、同銀、2四香、3三飛と寄って、飛車角交換をしても、まだ後手がいいと思う。
となると……ちらっとイヤな順が浮かんだ。
……………………
……………………
…………………
………………
大駒を切ってくるかな?
角切りは成功しない。同飛のあと、銀を活用する場所がない。
馬を切るのも同様だ。桂馬の打ち場所はない。
切るとしたら飛車。3二飛成。
同玉に3四金と打つ手が、飛車を殺している。
(※図は五見くんの脳内イメージです。)
これは放置できない。2三金に同銀としても同玉としても困るからだ。
2三金、同銀は1一角成がある。2三金、同玉は4一飛。
だから、取られるにしても、一回移動しておいたごうがいい。3三飛か。
3三飛、同金、同銀なら、飛車の打ち場所はない。
……………………
……………………
…………………
………………
ん? 待てよ? 今の読み筋は、飛車を切れないって意味なのか?
だけど、飛車を切れないなら先手が悪いと思う。
早指しで、古谷くんがマズい順に飛び込んだのかな。
あんまりそういう考えはしたくないんだけど。
僕はカバンからミネラルウォーターを取り出した。ひとくち飲む。
……………………
……………………
…………………
………………
そうか。さっきのは読み抜けだ。3三飛のあと、すぐに交換する必要はない。
3五歩と伸ばす手がある。
(※図は五見くんの脳内イメージです。)
これは……これは第一感、好手だぞ。
次に4五桂と絡められたら終わる。
そこまで考えたとき、古谷くんの手が伸びた。
「こうかな」
パシリ
切ってきた。
同玉と同時に、3四金が置かれた。
僕はペットボトルを置いて、長考に沈んだ。




