268手目 暴飲暴食
後手は、攻勢に転じた。
囃子原くんも、真剣な顔になる。
「ふむ、なかなか厳しい……が、取るしかあるまい。同歩」
次の6七香が激痛に見える。
ただ、先手に香車を渡すと、6三香っていう打ち返しがあるのよね。
同金、6一飛成は、先手のほうが速いかもしれない。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「3八龍」
キャット・アイは、龍を先に入った。
捨神くんの番だ。
「これは対応しないとダメっぽいね。8八玉」
スラッグ・ガールは、この手にくちびるを噛んだ。
「冷静だな……6七に打つかどうか……」
スラッグ・ガールも、6七香か6七銀打を本命に読んでいるようだ。
私たちは、固唾を飲んで見守る。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「5八香」
そっちに打ちましたか。
「ハハハ、厳しく迫ってくるな。将棋ドラマのような一手が必要だ」
囃子原くん、楽しんでる場合じゃないでしょ。
このままだと5九香成以下で崩壊してしまう。
「おふたりに敬意を表して、囃子原礼音、帝王の一手をお見せしよう……4八金」
「お、押し売って来たニャ!」
え? 囃子原くんの見落とし? 4八に紐はついてないわよ?
……………………
……………………
…………………
………………あ、そっかッ!
私が気づくのとほぼ同時に、ほかのメンバーもハッとなった。
「アハッ、これはいい手だね」
「しまったニャ……速度が逆転してる……」
そう、速度が逆転した。次の手は、おそらく5三歩だ。
4八金を入れずに5三歩は、5九香成、同金、5八歩成。
【参考図】
これに対して、4八金、同龍、5三歩なら、5八歩成とできない。香車が邪魔。
しかも、それを嫌って5九香成と捨てるのは、同金が龍当たりになる。
「ニャニャニャ、ニャンともかんとも」
「アイちゃん、落ち着いて対処しろ。まだこちらがいい」
どうかしら。後手は5二歩成が入ったら脆いわよ。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「ど、同龍ッ!」
「5三歩だよ」
「受け駒はあるッ! 7一金打ッ!」
スラッグ・ガールは、受けに回った。
5二歩成、同金寄、同と、同金、6七金、同銀成。
「同馬、これで銀が消えたね」
うまい。5筋からのプレッシャーを消した。
「まだ勝った気でいるのは早いぞ。4七桂不成」
スラッグ・ガールは、不成を選択した。5九香成の予定かしら。
「龍にどいてもらおう。5七角」
「それはナメちゃんの罠にハマってるニャ。3七龍」
ぶつけた。3七同飛成は、先手の攻めが一気に遅くなる。
「後手は5八の香車を見捨ててる……」
飛瀬さんの言うとおり。私もその点が気になった。
キャット・アイとスラッグ・ガールが見落としているとは思えない。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「5八金」
捨神くんは香車を払った。
「アイちゃんの狙い、察したぞ。4六銀」
……6八角、5九金、同金、同桂成狙いってこと?
でも、3七飛成と清算しに行く手があるわよね。
よく分からなくなってきた。内容が高度すぎる。
「角を逃げているようでは勝てないな。7一飛成」
囃子原くんは飛車を切った。
同銀に4五馬と飛び出す。
5七銀不成、7二香、6二銀、7一銀、8二金。
うまい。銀の回転で受けのスペースを確保した。
「ニャハハ、そう簡単には崩れんニャー」
「では、こちらも手をもどそう。5七金」
キャット・アイは、6三歩と打った。
先手の攻めが止まったようにみえる。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「8二銀成」
捨神くんが金を取って、スラッグ・ガールが同玉。
囃子原くん、飛車を切った責任をとらないとマズいわよ。
後手は2枚飛車になった。攻めが止まると反撃される。
「ハハハ、お嬢さんたち、ほんとうに強いな」
「ただの化け猫じゃニャいって分かったか?」
いや、化け猫な時点でびっくりなんですが。私は信じてないけど。
将棋が好きな変態アスリートでしょ。
「1、2、3、4、5」
「僕も礼儀として、最強の手で応酬させてもらおう。5三歩」
なるほど、急所だ。居飛車党なら、パッと見、感触のいい手。
「これはさすがに取れニャい……けど、先に3八飛」
7八金、5一金、7一銀、同銀、同香成、同玉、5二銀、6二銀。
必死の受け。キャット・アイたちは、ぎりぎりで凌いでいる。
5一銀不成、同銀――ここで囃子原くんは腕組みをした。
「これくらい崩せばいいだろう。4九金だ」
ん? 一転して受けた?
盤面のギアチェンジが起きて、キャット・アイもすぐには指さなかった。
「4九金……龍を閉じ込めるつもりかニャ……?」
「それはお答えできない。自分で考えたまえ」
「1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「2八飛成ッ!」
捨神くんも、むずかしい顔をしていた。
囃子原くんの手を、どうにか繋げようとしているみたいだ。
「うーん……そこに金打ちなら、これしかないと思うんだよね……3八歩」
龍の撃退。方針はマッチしている。
「ふぅ、暑くなってきたね。ビールでも飲みたいわ」
スラッグ・ガールは、胸元を手で煽いだ。
「ナメちゃん、ビールは帰ってからだぞ」
「分かってるってば。ちょっといい手が思い浮かんだのよ」
スラッグ・ガールはそう言って、符号を読み上げた。
「3四角」
これは……な、なるほど、同馬、同龍なら一石二鳥ってことか。
だけど、取らなければいいのでは? 4四馬で?
「4四馬」
ほら、囃子原くんも、そう指した。
「それは香車で串刺しニャー、4一香」
「囃子原くんは、香車をそこに使わせたかったんじゃないの? 3四馬」
同龍、1一と、2九龍、5六角。
「ちょいと癪だけど、節約して受けるよ。9四龍」
スラッグ・ガールは、龍回りで8筋を受けた。
5八金右、5九桂成、6八金右。
先手は引き締まってきた。囃子原くんと捨神くんの息が合っている。
「こうなったら、大駒は全部もらおうか。4五銀」
スラッグ・ガールは、角に銀をぶつけた。
取らない手もありそうだけど……6七角に5六歩が面倒かな……。
「1、2、3、4、5、6」
「同角だ」
「同香」
捨神くんの手番。
「ここまでくれば、攻めても大丈夫かな。4三銀」
攻守の天秤が揺れ始めた。
「こちらもまだ攻めるぞッ! 3五角ッ!」
スラッグ・ガール、攻防の角打ち。
4六歩、6九成桂、同金、同龍、5二歩成。
殴り合いだ。
5六歩、6七金寄、4六角、6八金打、5九龍、5一と。
「くッ、さすがに支えきれない。7二玉」
スラッグ・ガールは王様を早逃げした。
5二と、4四龍、5四桂、7四歩、6二桂成、7三玉。
「先手優勢ですね……」
飛瀬さんの評価に、私もうなずき返した。
問題は、ここからどう寄せるか。4筋方面に抜けられると逆転する。
「入玉を防ぐなら、このへんかな。5四銀打」
捨神くんは、寄せの網をしぼった。
「チッ、狭くなった。8四歩」
スラッグ・ガールは、29秒ぎりぎりで懐をひろげた。
「さあさあ、入玉は無理だぞ。4七香」
「こうなったら寄せるしかニャいニャー、2四角」
万が一のときのスナイパーが配置された。
でも、間違えなければ先手勝ちでしょ。捨神くん、囃子原くん、がんばれ。
「4五香」
「5五龍」
「ひとつ心を折っておくか。5八歩」
「からいニャー。友だちなくすニャー」
「ハハハ、帝王に【お友だち】はいないのだ」
友だち大事に。
8五歩、6三成桂、8四玉、6五銀、4五龍、6四成桂。
粘るわねぇ。
7三香、5四銀引不成、4九龍上、6三銀不成、8三銀。
「6九香だ」
「おまえ、ほんとにカラいニャ!?」
「どうする? 降参か?」
「ぐぬぬ、まだ指すニャ。9五角」
9六歩、6八角左成、同金引、6七歩。
吉良くんのときもそうだったけど、執念がすごい。
普通ならとっくに投了している。
「これで終わりにしようか。6二角」
捨神くん、最後の一手――キャット・アイたちは投了した。
「うにゃー、また負けちゃった……」
キャット・アイは肩を落とした。
一方、囃子原くんはご満悦。
「楽しませてもらったぞ。褒美に猫缶1年分をやろう」
「ほんとかニャ!?」
「あっ、私にもビールちょうだい」
「うむ、ビール券も1年分やる」
「やったぁ!」
と、当初と目的がちがっているような気がするんですが、それは。
「それじゃあ、また我が輩と勝負しよう。さらばだニャ」
「バイバーイ」
キャット・アイとスラッグ・ガールは、地面を蹴って時計台のうえに飛び乗った。
公園の街灯から街灯へと跳ねまわり、暗闇のなかへ姿を消した。
「ふぅ……疲れちゃった」
捨神くんは、ひたいの汗をぬぐった。体が弱いらしいから、ちょっと心配。
飛瀬さんがすぐに駆け寄った。
「大丈夫……?」
「うん、疲れただけだよ。180手近く指したんじゃないかな」
なんか割り込みにくい雰囲気。
私は囃子原くんのほうへ声をかけた。
「お疲れさま。すごい試合だったわね」
「執念深い猫どもだ」
私は、彼女たちの素性をたずねた。囃子原くんは、知らないと答えた。
「とはいえ、あいつらの狙いは分かっている」
「狙い? 転売目的とか?」
「『伝説の棋具』を捜しているのだ」
でんせつのきぐ? ……またオカルトっぽい話になってきた。
「天野宗歩が使った将棋盤とか? あるいは、羽柴秀吉愛用の駒?」
「ハハハ、それはそれでおもしろい……が、もっとおもしろいものだ」
むむ、気になるじゃないですか。天下人のアイテムより重要なものって、なによ。
私は、率直にたずねてみた。
「将棋の精霊が宿っている棋具だ」
……………………
……………………
…………………
………………は?
「囃子原くん、あんまりからかわないでちょうだい」
「からかってはいない。中国地方に昔から伝わる棋具だ。将棋の精霊が宿っていて、所有者に仕えてくれるらしい。僕が理事をしている財団にも捜させているところだ。駒なのか盤なのか、それとも他の道具なのかも不明でな。まだ見つかっていない」
えぇ……どこまでが冗談なのか分からない。
「さて、僕はそろそろ帰ろう。スケジュールが詰まっているのでね」
囃子原くんは、剣さんに声をかけた。
「秒読みご苦労だった。帰るぞ」
「ハッ」
ふたりは高級車に乗り込んだ。すぐにエンジンがかかる。
私はそれを見送りながら、ぼんやりと対局のことをふりかえった。
ワン ワン
「っと、ごめんなさい、散歩の途中だったわね」
あんまり遅くなるといけないから、もう帰りましょう。
散歩の続きは、また今度、と。
○
。
.
1週間後――
「いやぁ、ナルちゃんが元気で良かったねぇ」
ここは、喫茶店『八一』。
マスターはコーヒーを淹れながら、自分のことのようにホッとしていた。
「けっきょく、風邪だったのかい?」
「いえ……食べ過ぎです」
マスターは笑った。恥ずかしい。
「笑い話で済むのが一番だよ。ほら、うちの愛ちゃんも」
マスターは声をひそめて、カウンターの奥に目配せした。
メイド服姿の猫山さんが、ぐったりと突っ伏していた。
「猫山さん、どうしたんですか?」
「うぅ……食べ過ぎ飲み過ぎです……」
あらら、飲み会でもあったのかしら。猫山さん、年齢的に大学生っぽいし。
そんなことを考えていると、目のまえにカップが置かれた。
「はい、お待たせ。香子ちゃんも体には気をつけなよ」
「ありがとうございます」
受験生だものね。みんなも体調には気をつけましょう……あちちッ!?
場所:駒桜市川の辺公園
先手:囃子原・捨神ペア
後手:もののけペア
戦型:後手四間穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲2五歩 △3三角
▲4八銀 △3二銀 ▲5六歩 △4二飛 ▲6八玉 △6二玉
▲7八玉 △7二玉 ▲5七銀 △8二玉 ▲5五歩 △9二香
▲3六歩 △9一玉 ▲3五歩 △同 歩 ▲4六銀 △3六歩
▲2六飛 △4五歩 ▲3五銀 △4三銀 ▲2四歩 △同 歩
▲5八金右 △8二銀 ▲2四銀 △4四角 ▲3六飛 △2二飛
▲2三歩 △3二飛 ▲3三歩 △同 桂 ▲5四歩 △3五歩
▲同 銀 △8八角成 ▲同 銀 △5四銀 ▲3四歩 △2五桂
▲4四銀 △3五歩 ▲同 飛 △2六角 ▲2二歩成 △3五角
▲同 銀 △7二飛 ▲5五歩 △同 銀 ▲3三歩成 △5一金左
▲4三と △3八飛 ▲3三角 △5六銀 ▲6八角 △2八歩
▲5五角成 △3六飛成 ▲5三と △5七歩 ▲5九金引 △2九歩成
▲6三と △4二飛 ▲5三と △4三桂 ▲7七馬 △3五桂
▲4二と △6二金左 ▲3一飛 △1九と ▲7九銀 △6六歩
▲同 歩 △3八龍 ▲8八玉 △5八香 ▲4八金 △同 龍
▲5三歩 △7一金打 ▲5二歩成 △同金寄 ▲同 と △同 金
▲6七金 △同銀成 ▲同 馬 △4七桂不成▲5七角 △3七龍
▲5八金 △4六銀 ▲7一飛成 △同 銀 ▲4五馬 △5七銀不成
▲7二香 △6二銀 ▲7一銀 △8二金 ▲5七金 △6三歩
▲8二銀成 △同 玉 ▲5三歩 △3八飛 ▲7八金 △5一金
▲7一銀 △同 銀 ▲同香成 △同 玉 ▲5二銀 △6二銀
▲5一銀不成△同 銀 ▲4九金 △2八飛成 ▲3八歩 △3四角
▲4四馬 △4一香 ▲3四馬 △同 龍 ▲1一と △2九龍
▲5六角 △9四龍 ▲5八金上 △5九桂成 ▲6八金右 △4五銀
▲同 角 △同 香 ▲4三銀 △3五角 ▲4六歩 △6九成桂
▲同 金 △同 龍 ▲5二歩成 △5六歩 ▲6七金寄 △4六角
▲6八金打 △5九龍 ▲5一と △7二玉 ▲5二と △4四龍
▲5四桂 △7四歩 ▲6二桂成 △7三玉 ▲5四銀打 △8四歩
▲4七香 △2四角 ▲4五香 △5五龍 ▲5八歩 △8五歩
▲6三成桂 △8四玉 ▲6五銀 △4五龍 ▲6四成桂 △7三香
▲5四銀引不成△4九龍上▲6三銀不成△8三銀 ▲6九香 △9五角
▲9六歩 △6八角左成▲同金引 △6七歩 ▲6二角
まで191手で囃子原・捨神ペアの勝ち




