236手目 練習試合その3 来島〔市立〕vs田中〔清心〕
※ここからは、来島さん視点です。
「僕は来島さんとか。よろしく」
眼鏡をかけた、いかにも普通っぽい上級生。
このひとは、清心の前部長、田中先輩。
私はキャラクターフードをなおして、挨拶する。
「よろしくお願いします……受験のほうは、よろしいんですか?」
「いやあ、春には優勝させてもらったけど、うちは主力が3人しかいないからね。合同練習会で人数が足りないのは、迷惑かな、と思って」
ふぅん……うわさ通り、マジメな先輩みたい。
たしかに、清心の準レギュラーは、市立の準レギュラーよりも弱いと思う。
私たちは駒を並べて、カンナちゃんの合図を待った。
「ところで、市立は、だれが県大会に出るの? もう決まった?」
「……いえ、まだです」
私の返事に、田中先輩はもうしわけなさそうな顔をした。
「あ、ごめんごめん。べつに偵察してるわけじゃないんだよ。そもそも、うちが市立と当たるわけないし……ただ、清心は佐伯、古谷、新巻の3人で決まりだけど、市立は人数が多いから、どうするのかな、と思って」
「そのあたりは、飛瀬さんと相談して決めることになると思います」
まあ、こっちもスパイを疑ったわけじゃないんだよね。県大会は、男子と女子が別々になるから、女子の部の市立と男子の部の清心はぶつからない。そりゃ、清心がどこかの女子高とつるんでいて――例えば、ソールズベリーとか――情報を売らないって保証はないわけだけど……残念ながら、ほんとに決まってないんだよね、出場選手。
「準備のできていないところは、ありますか……?」
カンナちゃんの確認。私は思考を中断した。
「練習試合ということで、1局15分30秒です……よろしくお願いします……」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
私と田中先輩は、お互いに一礼。
振り駒で後手番になった私は、チェスクロを押した。
「7六歩」
田中先輩の無難な初手。私は8四歩と突いた。
先輩は受験疲れなのか、首をコキリと鳴らした。
「どうしようかな……しばらく指してないし……慣れたやつでいこう。6八銀」
矢倉だね。
3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右。
さすがに速い。このあたりは覚えゲー。
3二金、7八金、4一玉、6九玉、7四歩、6七金右、5二金、3六歩、4四歩。
私がチェスクロを押すと、田中先輩は、うーんと唸った。
「さて、どうしたもんか……5二金型だから、急戦はないとして……」
あんまり考えるところでもないと思うけど、ほんとに将棋離れしてたのかな。
それだと私の練習にならないよ。ぷんぷん。
「……普通に指すか。7七銀」
3三銀、7九角、3一角、6八角、4三金右、7九玉。
「9四歩」
「森内流? 3七銀」
「7三銀」
田中先輩は腕組みをして、首をかしげた。
「そんなかたち、あったかな?」
自分でも、めずらしいと思う。独自研究。
どんなゲームでも、オリジナルチャートは考案しておかないとね。
成否はともかく、少しでも時間を使ってくれれば吉。
「棒銀っぽいか……4六銀」
「6四銀」
ここで田中先輩、また小考。
「受験勉強のあいだに、矢倉も変わったのかな? だったら分かんないや。2六歩」
あ、ひらきなおられた。これが一番困る。
5三角、3七桂、2四銀、9六歩、1四歩、1六歩、3一玉、8八玉。
「7三桂」
これには、田中先輩も目を白黒させた。
「角換わりじゃないのに同形?」
同形じゃないよ。後手番は王様が入城していない。
「8六銀」
「8五桂」
「なるほど……それが狙いか。だったら2五桂」
田中先輩、将棋を忘れてるとか言って、なかなかついてくるね。
やっぱり気が抜けないかな、この練習試合――県大会レギュラー選抜戦は。
カンナちゃんはただの練習試合だって言ったけど、絶対にウソ。
おそらくこれは、レギュラーを決めるための大切な試合。
市立は、裏見先輩が飛び抜けてる。でも、先輩は県大会には出ない。
すると、枠は3つ。カンナちゃんは確定で、残りをよもぎちゃん、あずさちゃん、私の3人で争う格好。接戦なのは、私とあずさちゃん。春の成績なら、私で確定かな。でも、あれがフロック勝ちじゃなかったかどうか、カンナちゃんは確認したいんだと思う。この練習試合で。
だから、負けられない。私もお兄ちゃんと一緒で、見栄っ張りだからね。
「7五歩です」
開戦。私から仕掛ける。
「さすがに同歩はないな。3五歩」
「同歩」
「うッ……そこは取るのか……」
田中先輩は10秒ほど考えて、7五歩と手をもどした。
今度は、こっちが悩ましくなる。
研究だと、3五同銀をメインに考えていた。
「……4五歩」
少しひねる。
3五銀、同銀、同角なら、次に7五銀、同銀、同角で後手良し。
というのも、後手の6四角に対して、先手は4六角とぶつけられない。
「これは……取れない。5七銀」
ポイントゲット。
「3六歩」
3八飛、9五歩、同歩、3七歩成、同飛。
「2六角ッ!」
あまり深く調べた順じゃないけど、とりあえず研究の範囲内。
持ち時間も、田中先輩が4分、こっちが8分で、倍残している。
「参ったな……4五歩が邪魔で攻撃できない……」
先手は5七銀がネックになってしまった。私のペースかな。
「2七飛」
「2五銀」
田中先輩は覚悟を決めたように、深くうなずいた。
「2六飛」
切ってきた……あッ! 飛車銀両取りッ!
マズい。でも、顔には出さない。ゲーマーはうろたえない。
しれっと、さも読んでましたかのように同銀。
「両取りで自信ありなの? 7一角」
「7二飛」
「こっちが悪いとは思えないんだけどな……2六角成」
だね。先手が悪いとも言えなくなっちゃった。がっかり。
気を取り直して、9七歩と垂らす。
同香でも放置でも、次は7七歩。
「同香」
田中先輩は、取る方を選択した。
「7七歩」
「同桂」
これは同桂成――ん、待った。
「失礼しました」
私は駒をもどす。
……………………
……………………
…………………
………………
こっちのほうがイイかな。
「9七桂成」
反対側を交換。桂頭が弱いのを見越して、7五銀〜7六歩を狙いたい。
「あ、うーん……そっち……」
ピッ
先手は30秒将棋に。
田中先輩は後頭部をガリガリと掻いた。
「15分30秒はキツいな。同銀」
「7五銀」
私はグッと銀を繰り出した。
「さて、受けないといけないわけで……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
ん? ……あ、同飛は6二馬だね。
以下、7四飛は6三馬の追撃だし、9三飛は9四歩、同飛、9五歩、同飛、9六歩と収められちゃいそう。どっちも選びたくない。
私はここが正念場と見て、時間を使った。残り1分まで考える。
「9二飛」
深く逃げておく。
「反撃のチャンスが回って来たんじゃないか。3三歩だ」
同金直、2五桂。
マズいなあ。ほんとに反撃されてる。
ピッ
おっとっと、私も30秒将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2九飛」
こうなったら斬り合い。おどりゃあ、掛かってこいや、ってね。
どうせ金を逃げても3三歩、同桂、同桂成、同金、2五桂で泥沼になる。
「3三桂成、と」
田中先輩は、意気揚々と金を取った。
「同桂」
先手優勢だと思っているのか、田中先輩はうんうんとリズムを取り始めた。
だけど、20秒あたりで態度が変わった。
「あれ……意外と手がない……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「分からんッ! 5九角ッ!」
……え? これは頑張り過ぎじゃない?
狙いは分かる。6八の角が死に体だから、活用しようってこと。
でも、連携が見るからに悪い。
私は疑問手に疑問手で返さないよう、冷静に考えた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3四桂」
徹底的にイビる。3七馬なら3六歩。
「トチった……5九の角が完全にお荷物じゃないか……」
時既に遅し。チェスクロは、無情に時間を刻む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4八馬ッ!」
こっちのターン。
「7六歩」
激痛のはず。田中先輩は苦悶の表情。
「まだ桂馬を逃がす余裕が……」
ないんじゃないかな。
6五桂は7七香、同金直、同歩成、同金、7六歩or8五桂で筋に入って――
「6五桂」
あれ? ほんとに逃げた。
「……7七香」
「6八金寄」
……………………
……………………
…………………
………………
寄ったかな。最後の確認。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5九飛成」
私の飛車切りに、田中先輩は驚いた表情。
「そこの角と飛車を交換?」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同馬」
7九角、9八玉、9五飛、9六歩、同飛、同銀、同香。
「そ、そうか……寄ってるね……負けました」
「ありがとうございました」
ふぅ、最後は気持ちのいい詰み。快勝。
市内の中堅同士なら、こんな感じの終盤かな。
「最後、7七香に同金直だった?」
「それは同歩成、同金、7六歩で、やっぱり寄り筋だと思います」
「だったら、6五桂とは逃げられないのか……3九歩?」
【検討図】
あ、うーん……どうだろ。
「7七歩成、同金直、7六歩、7八金、7七香以下、さっきと同じになりませんか?」
「7七香、同金直、同歩成に同玉だと?」
王様で顔面受け――私は、8五桂を提案した。
田中先輩は王様に指をかけながら、
「こっちに逃げて助からないかな?」
と言い、6八玉と逃げた。
【検討図】
あんまり助かってるようには見えない。
と言っても、すぐに寄せる順もないかも。
「9七桂成で、駒を補充します」
「あ、うん……それでこっちはもう手がないか……」
田中先輩、諦めるの早いよ。
「3八香は、どうですか?」
「それは反撃になってなくない?」
「桂馬を入手して3五桂と絡めば、私のほうも……」
感想戦を続けていると、急に教室のドアが開いた。
「佐伯くんッ! なにやってるのッ!?」
場所:駒桜市立=清心合同練習会
先手:田中 広典
後手:来島 遊子
戦型:矢倉
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金
▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲6七金右 △5二金
▲3六歩 △4四歩 ▲7七銀 △3三銀 ▲7九角 △3一角
▲6八角 △4三金右 ▲7九玉 △9四歩 ▲3七銀 △7三銀
▲4六銀 △6四銀 ▲2六歩 △5三角 ▲3七桂 △2四銀
▲9六歩 △1四歩 ▲1六歩 △3一玉 ▲8八玉 △7三桂
▲8六銀 △8五桂 ▲2五桂 △7五歩 ▲3五歩 △同 歩
▲7五歩 △4五歩 ▲5七銀 △3六歩 ▲3八飛 △9五歩
▲同 歩 △3七歩成 ▲同 飛 △2六角 ▲2七飛 △2五銀
▲2六飛 △同 銀 ▲7一角 △7二飛 ▲2六角成 △9七歩
▲同 香 △7七歩 ▲同 桂 △9七桂成 ▲同 銀 △7五銀
▲7三歩 △9二飛 ▲3三歩 △同金上 ▲2五桂 △2九飛
▲3三桂成 △同 桂 ▲5九角 △3四桂 ▲4八馬 △7六歩
▲6五桂 △7七香 ▲6八金寄 △5九飛成 ▲同 馬 △7九角
▲9八玉 △9五飛 ▲9六歩 △同 飛 ▲同 銀 △同 香
まで96手で来島の勝ち




