234手目 練習試合その2 古谷〔清心〕vs馬下〔市立〕(1)
※ここからは、馬下さん視点です。
市立と清心の合同練習会、初戦のお相手は、古谷くんですか。
いきなり強敵と当たってしまいましたが、かえって練習になります。
胸を借りるつもりでいきましょう。
「馬下さん、よろしく」
「よろしくお願いします」
淡々と駒をならべまして……チェスクロを、15分30秒に。
「馬下さんは、来年度の話、箕辺会長から聞いてる?」
「箕辺先輩からですか? いえ……なにも……」
来年度と言われても、まだ6月です。早過ぎるような。
そんな疑問をよそに、古谷くんは先を続けました。すこし小さな声で。
「じつはね、来年度の役員の相談を受けたんだ」
なるほど、と思いました。
現1年生のあいだでも、なんとなく察しがついている事柄です。
「古谷くんが次期会長……ということですか?」
古谷くんは、最後に飛車をならべて、こくりとうなずきました。
私は、どう答えたものか、数秒だけ考えて、
「1年生のなかで、反対するひとはいないと思います」
と返しました。性格や同級生からの評価を考えても、適任です。現1年生では市内最強ですし、棋力的にも申し分なし。県大会の決勝まで行ったひとですから。
笑魅さんあたりはなにか言いそうですが、彼女は本気で言っていません。
おちょくって終わりでしょう。
無難な返しだと思ったのに、古谷くんは表情をやや深刻にしました。
「その点で、馬下さんに相談が……」
「準備のできていないところは、ありますか……?」
飛瀬主将の問いかけ。
古谷くんは、口をつぐみました。気になります。
杏さんと新巻くんのところがすこし遅れたものの、無事、準備完了。
「練習試合ということで、1局15分30秒です……よろしくお願いします……」
「よろしくお願いします」
ここのテーブルは、古谷くんの先手になりました。
「7六歩」
無難な初手です。私は10秒ほど考えて、8四歩。
「横歩は拒否、か。了解。6八銀」
3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩。
矢倉の出だし。心して掛からねば……と、そのまえに。
「さきほど、お話があったのでは?」
「ああ、それはまたあとでいいよ」
たしかに、いったん始まってしまった将棋は、ノンストップです。
集中しましょう。
4八銀、4二銀、5八金右、3二金、7八金、4一玉。
おたがいにオーソドックスなかたちを選択。
「馬下さんは、奇襲をしてこないから助かるよ。6九玉」
む? 助かる、と? なめられていますか?
私は7四歩と突きながら、
「どういう意味ですか?」
とたずねました。古谷くんは、顔色ひとつ変えずに金を持ち上げて、
「奇襲は、あんまり好きじゃないんだよね。やるのもやられるのも……6七金右」
と指しました。真意を把握できません。
ふつうに考えると、助かる=楽だと思うのですが……古谷くん、紳士な顔をして、ときどき毒舌が漏れているような気がします。まさか、そちらが本性なのでは。
と、ゲスな勘ぐりはやめておきまして、5二金。
矢倉中飛車もしません。
古谷くんとおなじで、私もあまり奇襲は好きではないので。
以下、7七銀、3三銀、7九角、3一角、3六歩、4四歩。
持ち時間の短い将棋です。矢倉の序盤はハイペース。
3七銀、6四角、6八角、4三金右、7九玉、3一玉、8八玉、2二玉。
「4六銀」
むッ、2六歩と突かないまま4六銀ですか。
さすがに反発したくなります……いざ。
「4五歩」
一番突っ張ったかたちを選択。
先手は2六歩を突いていないので、こちらも8五歩や9四歩が入っていません。
これが吉と出るか、凶と出るか。
「3七銀」
「5三銀」
古谷くんは、ふーんと言った顔つき。
「馬下さん、そこそこがんばった指し方だね……じゃあ、僕も」
古谷くんは、飛車を4筋に回しました。
これは……後手が出遅れていますか?
しかし、2六歩を省略すれば先手有利、というのはありえないでしょう。
そんなことなら、プロは全員2六歩を突かなくなってしまいます。
後手からも、速攻を仕掛ける順があるはず。
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…………………
………………
9四歩〜9三桂ですか。
(※図は馬下さんの脳内イメージです。)
森内流の応用で、桂馬を跳ねながら端を狙う作戦。
古谷くんが、これに気付いていないとは思えませんが……疑心暗鬼は禁物。
相手を尊重することと、おびえることはちがいます。
「9四歩」
古谷くんは、納得のほほえみ。
「そうこなくっちゃね。4六歩」
先に仕掛けられました。取らざるをえません。
「同歩」
古谷くんは、黙って9六歩……む? 9六歩?
こちらが端攻めしようとしているのに、先手から突くのですか?
顔をあげて、古谷くんの表情を確認しようとした途端、目が合いました。
すぐに視線を逸らします。恥ずかしい。
「……9三桂」
跳ねるしかありません。
「6五歩」
この手に、私の将棋センサーが反応しました。
もしや……7筋が薄くなるのを狙っていた?
ここから銀を繰り出されると、7三に桂馬が利いていないので、突破される虞も……いやしかし、そこまで矢倉は簡単ではないでしょう。
私は自分を落ち着かせて、7三角と引きました。
「6六銀」
うッ……本気で7筋を狙いに来ています。
この局面は想定していませんでした。てっきり、4六銀と8五桂〜9五歩の攻め合いになるとばかり……古谷くんに、してやられたようです。とはいえ、後手が悪いようにもみえません。想定外の局面になることと、不利になることとは異なります。先手は7七の銀を繰り出していくわけですから、防御力では後手にふれる流れ。
私は気をとりなおして、対応を考えました。
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……………………
…………………
………………
「6四歩」
こちらから仕掛けましょう。4六銀と出られるまえに。
「同歩」
「6二飛」
先手と同じ対応をします。攻めの筋に飛車。
8五桂跳ねは、しばらく保留です。
「それが馬下さんの回答なんだね……位を確保するよ。6五銀」
問題の局面になりました。
6二飛の次は、6四銀とぶつけるのが自然です。
しかし、本譜では、交換しないで7四銀〜8三銀成とする手があります。
これが難物で、6四銀と出なければ防げるというものでもありません。
例えば、6四銀、7四銀、8二角、8三銀成、7一角、8四成銀。
(※図は馬下さんの脳内イメージです。)
これは、8五桂を完全に封じられた格好。
しかし、6五銀と進出して、7三成銀には6四飛、4六角、4四角(王手)とすれば、6六歩と止めても、同銀、6四角、6七銀成がまた王手で、先手が敗勢。6六歩と止めるところで5五歩と止めるのは、こちらの飛車も助かるので6六銀と出て有利。
銀を7筋にすりこまれるのは、そこまで痛くはありません。
「6四銀」
力強く前進。
古谷くんはすこしだけ考えて、7四銀と出ました。
「8二角」
「6五歩」
先受け? ……あッ。
「4四角と出られない……」
私のひとりごとに、古谷くんはにっこり。
その笑顔もやめてください。恥ずかしくなります。
「さあ、馬下さんなら、どうするかな?」
「……」
これは、困ったかもしれません。
5三銀、8三銀成までは必然ですが、7一角と逃げたあと、後手は手がない……その状態で4六の歩を回収されたら、ゲームセット。試合終了。ということは、4六の歩が生きているうちに、ひと暴れする必要があります。
私はチェスクロを確認。残り時間は、私が7分、古谷くんが8分。
15分30秒は、やはりきついです。
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……………………
…………………
………………
「5三銀」
とりあえず銀を逃げます。
「8三銀成」
この手に合わせて、9五歩。
仕掛けましょう。当初の予定どおり、ここから端攻めです。
「首尾一貫……馬下さんらしいね。角をもらっておくよ」
8二成銀、同飛。
「4六角が飛車当たりだけど、どうするのかな?」
「それは9二飛です」
逃げる手が、端攻めにつながるという読み。
「思っていたよりは、後手も続きそうかな……9五歩」
「8五桂」
「その桂馬には、死んでもらうね。8六歩」
ん? 桂馬を殺しにきた?
どういうことでしょうか。7筋は切れているので、桂馬は死なないはずです。
7七歩、同桂、同桂成のとき、8五桂と打ち直させないための歩突きでしょうか。
だとすると、「桂馬を殺す」という表現は、やや不適切なように思います。
「……7七歩」
古谷くんは、そのしなやかな指を、7八の金にかけました。
金で取るのですか? 同桂は端が弱い、と?
「7九金」
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……………………
…………………
………………
まさかの、取らないという選択。
先手玉が、とても危なくなったようにみえます。
これで勝算があるのか、それとも棋力差があるとみて、ムリをしているのか。
例えば、ここから両サイド挟撃で9七歩だと?
(※図は馬下さんの脳内イメージです。)
8五歩と取り切りですか?
そこで9五飛と出れば、次に9八歩成が決まります……が、9六歩、同飛、9七香で受け止められますか。同飛成、同桂、9六歩、9八歩以下は、7七玉と逃げる手も生じていて続かない、と……ふむ。7九金は、うまい手でした。
などと、感心している場合でもなく……普通に困りました。
9五飛と走る予定は変更できないので、9六歩と打たれたときに8五飛とスライドするしかないです。古谷くんが飛車を捕捉する手を用意しているかどうか……8五飛には8六歩だと思いますが、それで飛車が死んでいるようにはみえません。
「……9七歩です」
8五歩、9五飛、9六歩、8五飛、8六歩。
完全には捕捉されていない……ならば、飛車を展開するのみ。
「6五飛」
当然の6六歩に対して、私はもういちど飛車を動かします。
「4五飛」
古谷くんは、スッとくちびるに指を添えました。
そういうセクシーポーズもやめてください。恥ずかしくなります。
「9一角成、4八飛成、同銀の決戦は、玉形の差で僕が悪い、と……9七香」
手堅い一手。先手の端は安全になってしまいました。
7七歩を取られるまえに、ひと仕事しないといけません。
攻め潰すなら、上からです。
「8五歩」
チェスクロを押すのと入れ違いに、古谷くんの腕が伸びました。
パシリ
あッ!




