表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第22・10局 日日杯への道/吉良
242/682

230手目 三年越しの思い

※ここからは、吉良くん視点です。

 ああ……つまんないな……。

 俺は川の土手に寝転んで、夕焼け空を眺めていた。香宗我部こうそかべ先輩をまけたのはいいが、特にすることもなく……いや、することがなかったってのは、ウソだ。捨神すてがみのいる天堂てんどう高校をこっそりのぞいてみたが、将棋部にはだれもいなかった。正確に言うと、あいつがいる高校には、将棋サークルがあるだけで、部室はないらしい。

 捨神とは、中学の全国大会以来、何度か会っている……が、どうなんだろうな。すべて全国大会だった。親しい仲とは、言えそうもない。対戦成績は、俺の1勝0敗――47都道府県が参加する大会で、そうそう何度も当たるはずもなく……つまんないな。

 6月の温かな風が吹いた。K知の海風とは違う――そう思ったときだった。

「あれ? 吉良きらくん?」

 俺は芝生から背をはなして、起き上がった。

 首だけでふりむくと、そこには……白髪の男が立っていた。

 そのとなりには、ずいぶんとお洒落した女も立っていた。

「吉良くん……だよね?」

「捨神、なんでここにいるんだ?」

 そんな質問をした自分が、バカバカしかった。

 捨神が答えるよりもさきに立ち上がって、ポケットへ手を突っ込み、

日日にちにち杯の下見に来ただけだ」

 と、自分のほうから答えた。

 捨神は、ようやく合点がいったらしく、

「ああ、そう言えば、県外のひとは下見があるんだったね……でも、会場はH島市内のホテルじゃないの? 僕の招待状には、そう書いてあったけど?」

 と、次の疑問をぶつけてきた。

「香宗我部先輩と磯前いそざき先輩に、駒桜こまざくらまでムリヤリ連れて来られた」

「アハッ、そうなんだ」

 捨神は、妙に明るい笑顔を浮かべて、それから真顔になった。

「てっきり、ここで決着をつけようって言うのかと思ったよ」

「……」

「……」

 スッと風が吹いた。捨神のとなりにいた女が、なにか言おうとした。

 俺はそれを遮って、捨神に話しかけた。

「この3年間、どうしても気にいらないことが、ひとつだけあった……ひとつだけ、な」

「僕について?」

 俺は、首を縦に振った。捨神は、またおどけたような顔で笑った。

「まさか、となりに美人の女の子がいるから、じゃないよね?」

「ちげぇよ、茶化すな……3年前の全国大会のことだ」

 捨神の顔色が変わった。あせっているわけではなく、「ああ、やっぱりね」というような感じだった。俺は、どう切り出したものか迷った――捨神の野郎、なんでこんな高校生離れした落ち着きが出てるんだ。おかしいだろ。なにがあった?

 俺は地面を軽く蹴って、先を続けた。

「おまえ……あのとき、わざと負けただろ?」

 答えは、すぐには返って来なかった。イエスでもノーでもないような雰囲気だった。

「どうして、そう思うの?」

「あんな県代表の将棋があるかよ」

「アハッ、たしかにあれは、無様な棋譜だったね。でも、わざと負けたわけじゃないよ」

「体調不良だったのか?」

「さあ……どうだろうね」

 俺は舌打ちした。

「とにかく、わざと負けたわけじゃ、ないんだな? 将棋の神様に誓って言えるか?」

「言えるよ。でも、どうしてそこにこだわるの?」

 俺は、捨神の手前、正直に答えたものかどうか、迷った。

「……西日本の高校将棋界で、俺とおまえの序列がどうなってるか、知ってるか?」

「全然」

 だろうな。こいつは、そんなことを気にしそうにない。そして、それが腹立たしい。

「いい勝負、だとさ」

「アハッ、そうなんだ……あれ以来、全然指してないのにね」

 俺はポケットに手を突っ込んだまま、これまで考えてきたことをまとめようとした。

 だが、その考えは、いくつかの疑問へと、散り散りになってしまった。

「なあ……あの3年前の対局は、いったい何だったんだ? 将棋ってのは、盤上で格付けされるんじゃないのか? あの対局がなかったことになってるのは、なぜなんだ?」

 捨神は微笑んだ――目が笑ってなかった。

「僕はあのとき、わざと負けたわけでも、体調不良だったわけでもないよ。だから、3年前の対局をそういうふうに見てるひとには、ちゃんと反論してくれていいから。あれは、捨神すてがみ九十九つくもの惨敗局だった、ってね」

「ちげぇよ。俺がおまえより上だってことを、認めて欲しいわけじゃないんだ。そうじゃない……そうじゃなくて……将棋は、盤上で決着をつけるもんだろう。周囲の評価もお互いの序列も、関係がない。違うか? 大山おおやま康晴やすはるより升田ますだ幸三こうぞうのほうに人気があっても、大山が勝てば大山がタイトルをとる……これが、将棋のいいところじゃないのか?」

「それは認めるよ。これでも、ピアノが趣味だからね。芸術の世界では、結局、審査員の評価がすべてなのさ。スポーツでも、そうだろう? マラソンみたいな、純粋に記録狙いの勝負と、フィギュアスケートみたいな、審査員の評価がかかわってくる勝負とでは、根本的になにかが違うよ……なにかが、ね」

「将棋は、どっちだ? 前者じゃないのか?」

「もちろん」

「だったら、どうしてあの対局は、なかったことになってるんだ?」

 風が吹いた。捨神は、しばらくのあいだ、なにも答えなかった。

「俺の趣味がダンスだっていうのは、知ってたか?」

「……今、初めて聞いたよ。プロを目指してるの?」

「いや……ただの趣味だ」

 俺は、急に昔話がしたくなった。ためらいつつ、くちびるを動かした。

「昔、小学校で、ダンスのコンテストがあった。学校の代表を決めるコンテストだった。最後、俺ともうひとり、ダンス教室に所属してるやつが残った。数人の審査員のまえで、テーマ曲を踊った……俺の負けだった……が……」

「結果に納得がいかなかった。審査員には、ダンス教室の先生がいた……かな?」

 俺は、うなずいた。

「そのとき、俺ははじめて、将棋の素晴らしさに気付いた。審査員がいない競技の素晴らしさに……もちろん、ダンスが嫌いになったわけじゃない。今でも好きだ。ただ……」

 だんだんと、周囲が暗くなっていく。最後の夕焼けが、西の空に沈みかけていた。

「吉良くんは、どっち? あの対局で、僕らは決着がついたのかな?」

「……いや、ついてない」

「さっきと言ってることが違うね。どうして?」

 俺は、タメ息をついた。心の底からのタメ息だった。

「先月、おまえから電話をもらったよな」

「ああ、あのときは、ありがとね。おかげで……」

「あの電話を聞いて、なんとなく分かった気がする……おまえは、3年前と別人だ」

 捨神は、「へぇ」と言って、それからしばらく黙った。

「名前が変わったってこと?」

「そういう些末なことじゃなくて……そういや、なんで名前が変わったんだ? おまえ、捨神すてがみはじめじゃなかったか? いつから九十九つくもになった?」

 捨神は、悲しげに笑った。

「世の中には、いろいろあるんだよ、いろいろ、ね」

 俺は、なにか吹っ切れたような気がした。自分だけ3年間も悩んでいて、バカみたいだなと思っていた。だけど、捨神は捨神で、いろいろ悩んでいたんだと分かった。俺の場合は将棋だが、捨神は、人生の大切な部分に悩んでいたんじゃないだろうか。

「……仕切り直しだな」

 俺はポケットから手を出し、こぶしをかかげて、親指を下に向けた。

「日日杯で、おまえと決着をつける……中四国最強は、俺だ」

「望むところだよ」

 俺は微笑んで、土手をあがり、駅へと続く道を選んだ。

 駅では、香宗我部先輩たちが、心配そうに待っていてくれた。


  ○

   。

    .


「で、捨神に挑戦状叩きつけてきたってわけ?」

 瀬戸内海の潮風が、私の鼻をくすぐる。

 おなじ風に吹かれながら、義伸よしのぶは防波堤に寝転がっていた。

「それ以外、話すことなかったんで」

 ふーん……よく分かんないね、男ってのは。なにがしたいのやら。

 っと、手応えあり。私はリールを巻きながら、となりの麦わら帽子に声をかけた。

「ここは、よく釣れるね。魚住うおずみのとっておき、ってやつ?」

 麦わら帽子の少年は、釣り竿を持ったまま鼻の下をこすって、

「へへ、とっておきは、磯前いそざきの姉ちゃんでもヒミツだよ。ここは次点かな」

 とごまかした。ま、そんなもんか。私も、とっておきは誰にも教えていない。

 一方、折り畳み式の椅子に座った忠親ただちかは、

「釣りってむずかしいんだな……一匹もかからんぞ」

 とぼやいた。魚住は笑って、

「瀬戸内海で一匹も釣れないとか、香宗我部のあんちゃん、相当ヘタだね」

 と毒づいた。ま、この波で釣れないってことはないよね。

 リールを巻き終えると、カワハギが顔をのぞかせた。なかなかのサイズだ。

 私は針をはずして、クーラーボックスに魚を放り込む。

「義伸は、釣らないの?」

「遠慮しときます」

 損だよ、損。海が、こんなに綺麗なのに。

 私は、四国を遠望するように、ふたたびルアーを飛ばした。

 なにがあったか知らないけど――静かな闘志を感じる。

 くわばら、くわばら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=390035255&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ