229手目 存在感のない女
※ここからは、越知さん視点です。
あれ……あれれ……?
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…………………
………………
なんでだれもいないんですかね?
「へ、へんですね……香宗我部先輩は、ここへ集合って言ったのに」
私は、近くにいた警備員さんに話しかけました。
「すみませーん」
「……」
「もしもーし?」
「……」
反応してください。私は警備員さんの肩をたたきました。
警備員さんは、びっくりして、
「きみ、いつからそこにいるんだね?」
と、疑わしげな視線をこちらに向けてきました。
さっきからいます。
「このあたりに、高校生の集団がいませんでしたか?」
「高校生の集団……ああ、それなら、もう出発したよ」
えぇ……なんで私を置いて行くんですかね。
私は携帯で、みんなに連絡を入れようとしました――あ、家に忘れたんでした。
しまった。知らない土地で携帯がないのは致命傷。どうしましょう。
「このあたりに、マップみたいなものってありますか?」
「地図なら、ホテルのフロントでもらえるよ……そう言えば、ここにもあったかな」
警備員さんは、詰め所から1枚持って来てくれました。私はお礼を言って、早速地図をひらきました。どれどれ……H島の観光地図。これなら便利ですね。
私はホテルの敷地を出て、次の行き先を考えました。
どこに行けば、みんなと合流できるでしょうか……H島駅……んー、観光で駅前をうろうろすることはないですね。原爆ドームとかH島城とか、観光名所のほうがいいかも。だとすると、このホテルから一番近いのはH島城……私は、そこを目指すことに決めました。H島城は、目と鼻の先で、ホテルの窓から見えるくらい近かったからです。
とりあえず、大通り沿いに進みます。
「えっと、こっちの道でいいんですかね……なんかぐるぐるしてるような……」
あ、制服姿の女子高生を発見。声をかけてみましょう。
「すみませーん」
「……」
「もしもーし?」
「……」
な、なんで気付かないんですかね。
警備員さんのときと同じように、私は肩をたたきました。
「なにするんですかッ!?」
うわッ、びっくりした。大きなリボンをつけた女の子は、大声で、
「私になんの用ですかッ!? こっちは今、急いでるんですよッ!」
とまくしたてました。H島県民は怖いなあ。
「す、すみません、H島城って、どう行けばいいんですか?」
「修学旅行ですかッ!?」
私は、将棋の大会で視察に来たら、はぐれてしまったと答えました。
「もしかして、日日杯ですかッ!?」
「あ、はい」
「おどりゃひとのシマでなにデカイ顔しとんじゃッ! ですッ!」
「え、ちょ、もごぉ」
○
。
.
30分後――私は、見知らぬ学校にいました。女の子しかいないから、女子校かな。
男子の目を気にしてなさそうな雰囲気があるし……って、なんでこんなところに?
少女はどんどん私を引っ張って、ある部屋に連れ込みました。
「西野辺主将ッ! いますかッ!?」
ドアの開け方が乱暴過ぎて、ガチャンと音がしました。
なかには、ねじりんぱっていう髪型をした少女がいました。
リボンの子とおなじ制服でした。
「うっさいわねぇ……ゴキブリでも出たの?」
「スパイを捕まえましたよッ!」
リボンの少女は、イカリングヘアの少女に私を引渡しました。
じろじろと顔を見られます。
「あれ……? あなた、K知の越知さんじゃない?」
やっと知ってるひとに会えたぁ。
じつは、私も相手の顔に見覚えがあったんですよ。
「H島県代表の、西野辺茉白先輩ですよね?」
西野辺先輩は、名前を覚えられているのがうれしかったのか、胸を張りました。
「そうそう、私が西野辺茉白。いやあ、うちのバカ青來がごめんね」
西野辺先輩は、リボンの少女の頭をぽかりとやりました。
「なんで殴るんですかッ!? パワハラですよッ! パワハラ!」
「うっさいわね。他県のひとに失礼なことして、恥ずかしくないの?」
「県代表だとか県代表じゃないとか、そんなのは関係ありませんッ! こいつはスパイですよッ! スパイ! スパイは銃殺刑と相場が決まっていますッ!」
西野辺先輩は両手をあげ、わざとらしくやれやれと首を振りました。
「県代表って言うのはね、殿上人なのよ」
「ああッ! 身分差別ですかッ! っていうかあんた1回しかなったことないでしょ! しかも中1のときッ! 4年前ッ!」
「じゃかぁしぃ! しばくぞッ!」
「しばけるもんならしばいてみぃやッ! ですッ!」
バーンと、将棋盤が取り出された。
「殺す」
「おうおう、やろうってんですかッ!」
ふたりは盤を挟んで座り、駒がならべられました。
え? なにこれ? なに?
「絶対後悔させてやるからね。うりゃ……よし」
どうやら、西野辺先輩が先手になったようです。
チェスクロの位置を変えました。
「じゃ、30秒将棋で、よろしく」
「よろしくお願いしますッ!」
ケンカでもちゃんと挨拶する将棋指しの鑑。
「100手以内に投了させるからね。7六歩」
「それはこっちの台詞ですッ! 3四歩ッ!」
2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金、2四歩。
横歩。
「私の得意戦法ですよッ! おりゃおりゃおりゃーッ!」
同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛、3三角、3六飛。
無難に引きました。
「2二銀ッ!」
「8七歩」
ここで、リボンの少女は小考。
「……こっちですッ!」
最近は減っている8五飛型になりました。
2六飛、4一玉、7七角、6二銀、6八銀、5一金。
後手はすっごくオーソドックス。流行りの美濃にすらしないのか。
先手の動きがあやしいから、警戒したいのは分かります。
「6九玉」
「舐めてますねッ! 7四歩ッ!」
5九金、7三桂、4八銀、7五歩、1六歩。
うーん……先手は意味が分からないです。
「なんなんですか、その囲いはッ!?」
「茉白ちゃんスペシャル」
「見栄と傲慢を兼ね備えてるわけですねッ!」
「は?」
「そんな囲いには、こうですッ!」
リボンの少女は、7七角成としました。
同桂、8四飛(こういうとき桂馬に当たるのが8五飛の弱点)、7五歩、7六歩。
「同飛」
リボンの少女は、5四角と思いっきり打ちおろしました。
西野辺先輩は、この手にニヤリとしました。
「こう返したら、どうするの?」
え? 飛車ぶつけ?
私がおどろいたのと同時に、リボンの少女もおどろきました。
「2八飛があるのに……? なんで……?」
「ほらほら、テンション落ちてるよ」
「考え中ですッ!」
いやあ、これは30秒将棋だと判断がつかないです。
アッと言う間に時間がなくなりました。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同飛ッ!」
「ふふふ、取ったね。同歩」
西野辺先輩、笑ってる場合じゃないですよ。これは次の手が痛いはず。
「7六歩ですッ!」
そうそう、これこれ。
リボンの少女は、有利を意識しているような感じでした。
ところが、西野辺先輩のほうも余裕しゃくしゃくで、
「歩切れになったねぇ」
と言ってから、8一飛と下ろしました。
7七歩成、同銀、8九飛、5八玉、9九飛成。
ほらほら、後手のほうが攻めてます。どっちか持てと言われたら、後手です。
それにもかかわらず、西野辺先輩は、静かに7四歩と進めました。
7四歩……お手伝いじゃないかな? 6五桂で……ん? 待ってください。6五桂、8八銀に9八龍だと、8七角で龍が……5七桂成、同銀、8七角成、同銀……ん? ん?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「はわわ、6五桂ッ!」
西野辺先輩は、手順に8八銀と引きました。
「りゅ、龍が……ッ!」
こうなってみると、後手が明確にいいとは言えなくなってきました。
「どうする? 切る?」
「静かにしてくださいッ!」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「切りますッ! 5九龍ッ!」
同玉、4五桂。
ん? これはまた後手が良くなったような?
横歩で中央に殺到できるのは大きいです。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6八金」
「5五香ッ! 3つ利いてますよッ! 3つッ!」
西野辺先輩は、スッと5筋の歩を伸ばしました。
「5六歩」
リボンの少女の顔色が変わりました。
「そ、それは……」
「青來レベルなら分かるよねぇ、この手の意味が」
「うぅ、分かりたくありませんッ!」
いや、これは私でも分かります。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同香ッ!」
西野辺先輩は、パシリと歩を打ちました。
「完切れ、かな」
……ですね。後手には、もう手がありません。
「ま、まだ行けますッ! 7六歩ッ!」
8四角、7七金、6二角成、6八金、同玉、7七金。
「5九玉、と」
西野辺先輩は王様を逃げて、チェスクロを押しました。
「持ち駒がないみたいだけど?」
「ぐぅう……負けました……」
「ありがとうございました」
いやぁ……熱戦でした。いいものを観た気がします。
リボンの少女はプルプル震えて、
「こ、これが県代表の将棋ッ! 感動しましたッ!」
と、感涙にむせび泣きました。
「でしょ? 反省した?」
「東雲青來、一生ついていきますッ!」
「じゃ、肩揉んで」
「もみもみ」
え、なにこの流れは。
肩を揉まれてひと息ついた西野辺先輩は、突然思い出したように、
「あ、そうだ。コーヒー飲みたいなあ。喫茶店開いてたっけ?」
とたずねました。
「土曜は3時半までやってますッ!」
「だったら、飲みに行きましょ。カフェラテ♪ カフェラテ♪」
ふたりは急に席を立って、部室を出て行きました。
……………………
……………………
…………………
………………
え……私、また無視された……なんで……?
――越知夢子、存在感がなさ過ぎて、Mission complete――
場所:ソールズベリー女学院将棋部の部室
先手:西野辺 茉白
後手:東雲 青來
戦型:横歩取り8五飛戦法
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲3六飛 △2二銀
▲8七歩 △8五飛 ▲2六飛 △4一玉 ▲7七角 △6二銀
▲6八銀 △5一金 ▲6九玉 △7四歩 ▲5九金 △7三桂
▲4八銀 △7五歩 ▲1六歩 △7七角成 ▲同 桂 △8四飛
▲7五歩 △7六歩 ▲同 飛 △5四角 ▲8六飛 △同 飛
▲同 歩 △7六歩 ▲8一飛 △7七歩成 ▲同 銀 △8九飛
▲5八玉 △9九飛成 ▲7四歩 △6五桂 ▲8八銀 △5九龍
▲同 玉 △4五桂 ▲6八金 △5五香 ▲5六歩 △同 香
▲5八歩 △7六歩 ▲8四角 △7七金 ▲6二角成 △6八金
▲同 玉 △7七金 ▲5九玉
まで69手で西野辺の勝ち




