225手目 赤き狼のヒミツ
はじめまして、宇和島伊代です。
E媛県県立M山高校1年生。香宗我部先輩のあとを継ぎ、現在は四国高校将棋連盟の幹事長をしています。よろしくお願いします。容姿は、三つ編みに眼鏡の、ちょっと田舎っぽいかっこうです。現に田舎出身なので、しょうがありませんね。
さてさて、自己紹介は、ここまでにして――私は今、H島県東部の状況をさぐるため、F山市にやって来ています。香宗我部先輩たちとは、別行動ということですね。会場のホテルも下見したかったのですが、日日杯の当日には泊まれますし、問題ないでしょう。それよりも大切なのは、H島高校将棋界の2大選手のデータを集めることです。
というわけで私は、沿岸部ぞいの坂道をのぼりながら、数学館積木寮を目指しているのです。数学館積木寮――変わった名前ですよね。理数系の名門で、伝統的な進学校とは一線を画している、新しい法人です。瀬戸内海のうららかな日射しに照らされた校舎は、白く輝いていて、築年数が浅いことを教えてくれます。
正門を通過。セキュリティが、大したことありません。こういうとき、女子高生というのは得です。男性だと、警備員に呼び止められかねませんから。さらに進むと、学生が住んでいる寮が見えて来ました。下調べによると、こっちの小さな建物が、女子寮のはず。私は地図を確認して、寮の玄関に踏み込みました。しーんとして、初夏の静けさが広がります。
「ごめんください」
……だれも、いないのでしょうか。
「ごめんくださーい」
しばらくして、よぼよぼのおばあさんが出て来ました。
「はいはい、どなたですか?」
「早乙女素子さんに会いに来ました」
口実は、いろいろと考えてあります……が、おばあさんは、特に質問もせず、
「早乙女……ああ、あの子ね……どうぞどうぞ」
と言って、すぐに通してくれました。
他人事ですが、こっちがかえって心配になってきます。しかし、好都合なので、そのまま上がってしまうことにしました。靴を脱いで、来客用の下駄箱へ。おばあさんに部屋の番号を聞いてから、2階へ上がりました。
ほんとに静かですね。事前調査で、女子はほとんどいないことが分かっていますが、もしかすると、罠なのでは――いやいや、高校生が罠ということはないでしょう。
そんなことを考えつつ、2階へ到着。すると――
「カァプ〜カァプ〜」
という、女の子の声が聞こえてきました。なにやら、打楽器の音も聞こえます。
私はこっそりと、声の聞こえるほうへ移動。部屋のドアが開いていました。プレートの番号を確認して、なかを覗き込みます。白いユニフォームに赤い野球帽をかぶった黒髪ロングの少女が、ポスターに向かってメガホンを打ち鳴らしていました。怖い。
「カァプ〜カァプ〜……あら? どなた?」
少女は、私に気づきました。目を細めたと思いきや、
「あら、E媛の宇和島さんじゃない」
と、名前を当ててきました。むむむ、なぜ身バレしてしまったのでしょうか。
「こ、こんにちは……早乙女さん、ですよね?」
「そうよ……どうしてそんな顔をするの?」
「いえ……初対面ではないかな、と……」
「中学の全国大会で、すれ違ったじゃない」
「すれ違っただけで覚えてるんですか?」
「私、電話帳1冊くらいなら1回で覚えられるのよ」
えぇ……記憶力良過ぎでしょう……怖い。
「ところで、なにをなさっているんですか?」
私が質問すると、早乙女さんはユニフォームを見せて、
「今夜、マヅダスタジアムでカァプの試合を観るから、予行演習をしていたの」
と答えました。
そう言えば、このひと、カァプ女子でしたね。ファイルにそう書いてありました。
とはいえ、寮の部屋で予行演習をするのは、常軌を逸しています。
将棋指しは、変わったひとが多いです。
「宇和島さんこそ、どうしてここにいるの?」
「あ、それはですね……」
私が用意してきた答えを返すまえに、早乙女さんはメガホンをポンと叩きました。
「もしかして、宇和島さんもカァプの応援に来たの?」
「え?」
「それなら、事前に連絡して欲しかったわね。チケットは買ってある? 私、年間指定席で買ってあるけど、実はファンクラブチケットも持ってるの。1枚くらいなら、分けてあげるわよ。それとも、宇和島さんも年間指定席かしら?」
「え、あの……私はべつに……」
「でも、そのかっこうは、いただけないわね。応援ユニフォームは? メガホンも持っていないみたいだし、カァプ帽はちゃんとかぶって移動しないとダメよ。今シーズンの特典タオルケットは? まさか、買ってないんじゃないでしょうね?」
私は、早乙女さんを落ち着かせようとしました。
「ちょ、ちょっと待ってください。すこしお時間を」
早乙女さんは、じっとりとした目付きで、首をかしげました。
「時間? ……なんの時間? スパイの時間じゃないでしょうね?」
ギクリ。
「と、トイレですッ! トイレタイムッ!」
「うふふ、宇和島さんも、カァプの試合に興奮してトイレが近いのね……お手洗いは、そこを曲がって右に真っすぐよ」
私は猛然とダッシュして、トイレに立て篭りました。
スマホを取り出します。
プルル プルル
《もしもし、香宗我部だ》
「もしもし、宇和島です。たいへんなことになりました」
《こっちも大変なことになった……義伸が行方不明なんだ》
「え?」
私は、香宗我部先輩の説明に耳を澄ませました。
《……というわけで、義伸を捜索中だ。そっちは、まだF山市か?》
「あ、はい、早乙女さんのところに……こっちも、たいへんなことになってます」
《どうした? 早乙女にスパイがバレたか?》
「そ、そういうことじゃなくて、彼女、様子が……」
そのときでした。ギィッと、入り口のひらく音が聞こえました。
カツカツと、靴音がこちらの個室に向かってきます。
コンコン
私はスマホを押さえて、
「は、はい」
と返事をしました。
「宇和島さん、トイレが長いみたいだけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
「そう……試合までは時間があるけど、どうしましょうか? 早めにマヅダスタジアムまで移動して、グッズコーナーでも観て回る? それとも、1991年ゼリーグ優勝の録画でも見直す? 私は、どっちでもいいわよ」
ひぃいいいい……ほ、ホラーになってきました。だれか助けて。
「ト、トイレで話すのもアレなので、もうちょっと待ってください」
「それも、そうね……じゃあ、部屋で待ってるから」
足音が遠ざかって、早乙女さんは女子トイレから出て行きました。
「ふぅ……もしもし、香宗我部先輩、聞こえますか?」
……………………
……………………
…………………
………………
あれ?
「もしもし? もしもし?」
スマホの画面を確認すると、通話が切れていました。
もういちど掛け直してみましたが、まったく応答がありません。
ど、どうしましょう……とりあえず、長居すると怪しまれるので、トイレを出ることにしました。こっそり抜け出せば……ってッ! 待ち伏せされてるじゃないですかッ! 早乙女さんは、メガホンを持ったまま、通路の真ん中に立っていました。
「遅かったわね。それじゃあ、進路を決めましょうか。マヅダスタジアムに移動する? それとも、私の部屋でカァプ優勝の記念VTRを観る? どっち?」
どっちもイヤです。時間稼ぎをするため、ポケットからハンカチを取り出しました。
額の汗を拭いていると、早乙女さんの表情がみるみる変わります。
「宇和島さん……そのハンカチ……」
「え? どうかしましたか?」
私はハンカチを確認しました。
「ああッ! こ、これはッ!」
私が応援してる読切ジャイアントの特典ハンカチじゃないですかッ!
「宇和島さん……あなた、読切のファンだったのね……」
「ち、違いますッ! これはもらい物ですッ!」
「ウソよ……宇和島伊代って刺繍してあるじゃない……」
うわぁあんッ! 応募者の名前入りハンカチでしたッ!
「早乙女さん、落ち着きましょうッ! 野球ファン同士、話せば分かり合えますッ!」
「問答無用ッ!」
私はメガホンでポカリとやられて、気を失ってしまいました。
○
。
.
「というわけで、これより裁判を行います」
「も、もごぉ」
手足を縛られたうえに、猿ぐつわを噛まされ、寮の一室に監禁されてしまいました。しかも、H島陣営から応援が、ちらほら。知っている顔も知らない顔もありました。
「こ、こ、これはどういうことなの……ッ」
暗そうな感じの眼鏡少女が、爪を噛みながらそう尋ねました。
「この女、読切ファンでした」
「べ、べつにどこのファンでもいいでしょ……ッ」
「渋川先輩も、まさか読切ファンですか?」
「ち、違うけど……そ、それより、この女、どうするの……ッ」
ふたりのやりとりに、背の高目な少年がタメ息をついて、
「幹事長の月代に引渡せばいいんじゃないのか?」
とつぶやきました。
このひとは、顔を見たことがあります。竜王戦で優勝した御城先輩ですね。
「ひ、比呂高校まで、何時間かかると思ってるのよ……ッ」
「1時間くらいだろ?」
「そ、それは新幹線を使った場合でしょ……ッ 各停だと2時間はかかるわよ……ッ」
「じゃあ、月代に取りに来させるか」
「私はマヅダスタジアムへ行くので、ついでに連行してもいいです」
早乙女さんの提案に、ほかの2人も頷きました。
「め、めんどくさいから、それで頼むわ……ッ」
「俺も女に興味はない。さっさと連れて行ってくれ」
このふたりが有力者なのか、ほかのメンバーは特に異議を唱えませんでした。
ただひとり、ツバ付き帽子をかぶったジャケットの少年を除いて。
「犯罪者でもありませんし、このまま釈放したらどうですか?」
「な、なに言ってるの……ッ こいつはスパイなのよ……ッ」
「ただの偵察でしょう。僕は、釈放に1票入れます」
この少年――六連昴くんです。顔写真を念入りに見たので、間違いありません。
「昴くん、同じ1年生として忠告するけど、サインを盗むのは野球だとルール違反よ」
「いや、早乙女さん、野球の話をされてもね……」
「だったら、昴くんの得意なトレーディングカードでもいいわ。他人のデッキを盗み見るのは、大会だとルール違反じゃないの?」
「今回のケースは、デッキを盗み見たってわけじゃないと思う。早乙女さんは、この子に研究ノートでも見られたの?」
「私は棋譜を全部覚えているから、研究ノートなんて持ってないわ」
それはそれで怖いです。
「ほらね……この子は、無罪ですよ、御城先輩、渋川先輩」
なんだか、風向きがこちらに変わりました。
六連くんの提案なら、無下にはできないでしょう。県代表です。
上級生ふたりも、揉め始めました。
「む、六連がああ言ってるけど、どうするの……ッ」
「俺はF山市の幹事だが、こういう場合の決定権は持っていない」
「わ、私だって持ってないわよ……ッ」
御城先輩は、腕組みをして、寮の一室を徘徊しました。
「月代は、今回の日日杯に、そこそここだわっている。男女とも、H島の優勝で終わらせたいとこぼしてたからな……勝手に釈放すると、あとで怒られるだろう」
「あ、あんなお化けポニーテール、怒らせてもいいけど……ッ」
「まあ、それはそうだが……」
どうやらH島も、東と西では温度差があるようです。これもひとつの情報。
と、そう思った瞬間、パチリと指を鳴らす音が聞こえました――早乙女さんでした。
「いい方法を思いついたわ……野球で決着をつけましょう」




