221手目 天真爛漫裏見流
やはりと言いますか、案の定と言いますか――やって参りました。
升風高校の剣道場です。入り口のところで、既に喚声が聞こえていますね。
「いざ、道場破りに参らん……じゃなかった、道場破りに行くわよ」
しぃちゃんはそう言って、剣道場の敷居を跨ぎました。よくある木貼りの床に、がらんとした空間が広がっています。一般的な体育館ではなく、ほんとうに剣道専用のスペースみたいですね。奥には、並んで竹刀を振っているひとたちが大勢。男女合同ですか。相方は藤花女学園のメンバーでしょう。
「たのもぉ!」
しぃちゃんは入り口で、大声を張り上げました。
裏見さんっぽくないような……あ、奥にいるメンバーが気づきました。
ショートヘアの女子で、なかなか迫力があります。しぃちゃんほどではありませんが。
練習を監督していたようなので、上級生っぽいですね。
「香子ちゃん、どうしたの?」
「道場破りに来たわ」
「は?」
少女は眉間に皺を寄せて、聞き返しました。当然の反応と言えます。
ところで、しぃちゃんに教えてもらうまでは勘違いしていましたが、H島弁で「は?」というのは、「もういちど言ってください」という意味らしいです。怒っているわけではないので、気にしないのが吉です。Y口県東部からH島県西部では方言が似ていて、Y口県のほうでは「はぁ?」、H島のほうでは「あぁ?」も、「もういちど言ってください」の意味らしいです。眉間に皺を寄せるのがコツとか。中国地方は怖いですね。
「は、じゃないわよ。道場破りに来たの」
「それ、ギャグ?」
しぃちゃんは、ギャグじゃないと答えました。
相手の女性はあきれ顔で、
「そんなこと言ってるヒマがあったら、英単語でも覚えたほうがいいわよ」
と言って、奥に引っ込もうとしました。
「あら、逃げるの?」
しぃちゃんの挑発に、相手の女性はふたたび振り返りました。
「あのねぇ……ま、いいわ。山田さんッ!」
「はーい」
奥から、ひとりの女性が駆けつけました。
「鞘谷先輩、お呼びですか?」
「この子の相手をしてあげて……ケガさせちゃダメよ」
「何段の方ですか?」
「素人」
「しょ、初心者の方を相手にするのは、ちょっと……」
「道場破りとか言ってるし、適当に一本取って追い返しといて」
「は、はい」
さてさて、しぃちゃんの思惑通りになってしまいましたね。
しぃちゃんは奥の更衣室で着替えて、山田さんと向かい合いました。
提げ刀の状態で一礼。帯刀後に、開始線まで3歩進みます。
この時点で相手のひとは、ちょっと変に思ったのか、
「ほんとに初心者ですか?」
とたずねてきました。
「打ち合ってみれば、分かると思うわよ」
「……分かりました。手は抜きませんので、注意してください」
山田さんは、私に開始の合図を頼みました。
「始めッ!」
試合開始――と思いきや、しぃちゃんは目にも留まらぬ速さで踏み込んで、
「面ぇえん!」
と一喝、相手の防具が痺れるほどの打ち込みを入れました。
しんと、会場が静まり返ります。
「面、入ったでしょ?」
しぃちゃんは残心の体勢で、私に話しかけました。あ、私が主審なのですか。
「一本ッ!」
私は右手をあげて、一本を宣言。見よう見まねですが、こんな感じでしょう。
さきほどのサヤタニさんが戻って来て、腕組みをしました。
「山田さん、手抜いちゃダメでしょ」
「い、いえ、手抜いたわけでは……」
「しょうがないわね。佐藤さんッ!」
「はい」
「ちゃちゃっと片付けて」
「はい」
さきほどと同じ作法で、ふたたび仕切り直しに。
「始めッ!」
交差した瞬間、相手の竹刀がヒュッと弾き飛ばされました。
それが地面に着地するよりも早く、しぃちゃんの面が炸裂。
佐藤さんは、エア帯刀の格好で、しばらく呆然としてから、
「巻き上げ……られた……?」
と絶句しました。
この技は、拙僧も知っています。自分の竹刀と相手の竹刀が交差しているときに、くるりと回転させて、相手の竹刀を落とさせる技ですね。実力差があるときは有効です。
さすがにおかしいと思ったのか、サヤタニというひとも動きました。
「ちょっと、面を外しなさい」
「どうしたの? もう終わり?」
「いいから外しなさい」
しぃちゃんは、面を外しました。サヤタニさんは、ほっぺたをつねります。
「なにしてるの?」
「んー……忍ちゃんの変装かと思ったけど、違うのか……」
おっと、勘がよろしいようで。今回の変装は、新開発の特殊素材によるものだと、さきほど教えていただきました。つねったくらいでは外れません。
「あなた、剣道経験者だったの?」
「実はね、私、天真爛漫裏見流の伝承者なのよ」
こういうときに笑わないスキル、重要です。
「て、天真爛漫裏見流? そんなの聞いたことないわよ」
「一子相伝だから」
サヤタニさんが目を白黒させていると、ひとりの少年が駆けつけました。
「どうしたの、涼子ちゃん?」
「冬馬、実は……」
かくかくしかじか。
「天真爛漫裏見流? ……ごめん、僕も聞いたことないや」
「そうよね。やっぱり嘘だわ」
「ふたりとも、嘘だと思うなら、手合わせしてみる?」
しぃちゃん、押せ押せになってきました。
サヤタニさんはムッとした表情で、
「私が県大会の入賞経験者だって、知ってて言ってるの?」
と、睨み返しました。
「んー、県大会レベルだと、ちょっと厳しいかしら」
「でしょ」
「サーヤのほうが、ね」
「……」
サヤタニさんは奥に引っ込むと、自分の面と竹刀を持って来ました。
トウマくんは、慌てて引き止めます。
「う、裏見さん相手に本気はマズいよ」
「冬馬は黙ってて」
なかなか手厳しいですね。トウマくんのほうが気弱なのか、引っ込みました。
ところで、ようやく思い出したのですが、しぃちゃんのライバルに、鞘谷涼子という人がいるらしいです。多分、この準備してる女性のことですね。
普段はいい勝負をしているみたいですが……今回は、どうなるでしょうか。
防具の装着を終えたふたりは、正式な剣道の作法にのっとって入場。
一礼後、開始戦まで移動、蹲踞から起立。
部員たちも練習をやめて、観戦に回りました。
「始めッ!」
しぃちゃんと鞘谷さんは喚声をあげて、間合いを取りました。
さすがのしぃちゃんも、すぐには打ち込めませんか。
竹刀を小刻みに振って、様子の見合い。さきほどとはスピードが違います。
「いやーッ!」
鞘谷さんが先攻。しぃちゃんはがっちりと受け止めてから、鍔迫り合いに。
打ち合いのあと、ふたたび間合いの確認。
そろそろ、様子がおかしいことに気づいてきたのではないでしょうか。鞘谷さんは、さきほどよりも大きく間合いを取りました。さらに、脇を固めます。
「でやーッ!」
今度は、しぃちゃんの攻撃。強烈な打ち込みが入って、鞘谷さんの竹刀がブレました。ここぞとばかりに追撃しかけたところで、鞘谷さんの見事な足さばき。三たび間合いの取り直しです。試合続行。鞘谷さんもやりますね。
「やーッ!」
鞘谷さんは攻勢に転じましたが、これもしぃちゃんは軽くかわしました。
なるほど……だんだん見えてきましたよ。鞘谷さんのほうは息があがってきているのに対して、しぃちゃんの動きには衰えが見えません。これは、忍者的呼吸法でしょう。公式戦ではルール違反なので使わないと言っていましたが、決めにきています。
「裏見さん、すごいな。天真爛漫流って、ほんとにあるんだね」
トウマくん、騙されてます。
と、そろそろ試合も大詰め。たしか、1試合5分だったはず。
試合時間には、拙僧もうるさいですよ。ソフトボール部に所属していますから。
現在、3分40秒が経過しました。
「ハァ……ハァ……」
「涼子ちゃん、息があがってるわね。そろそろ限界かしら」
「将棋どころか剣道でも私より上とか……絶対に認めなーいッ! でやーッ!」
頭に血が昇ったら、そこで試合終了です。
突進してきた鞘谷さんをひらりとかわして、しぃちゃんは華麗に胴を決めました。
見事な残心。拙僧、あなたを友人に持てたことを、誇りに思います。
「一本ッ!」
私が高らかに宣言したところで、鞘谷さんは竹刀を落とし、
「そ、そんな……裏見香子に一本取られるなんて……」
と言ったまま、ばたりと倒れてしまいました。
トウマくんたちが、慌てて急行。
たしか、3本勝負だったと思うのですが……続行不能ですね、これは。
「涼子ちゃん、大丈夫?」
「うーん、冬馬、人工呼吸して……」
「良かった。意識はあるんだね」
「ないから人工呼吸して……」
おやおや、なんだか怪しげな流れになってきました。
拙僧たちも、そろそろ解散と致しましょう。南無三。




