219手目 悪魔との取引
ふたりは、お互いに顔を見合わせた。
タレ目の子、アキラくんは、
「崩し将棋って、音を立てずに将棋の駒を取るゲームのこと?」
とたずねた。僕は、そうだ、と答えた。
すると、生意気そうな少年――アナンくんだっけ?――が、
「んー、それって、本将棋だと自信ないっていう意味なのかなあ?」
と挑発してきた。アキラくんは、アナンくんを押しとどめた。
「僕は、崩し将棋でいいよ」
「彰は、慎重派だね。六連くらい、ちょいとやっつけちゃえばいいのに」
アキラくんは、アナンくんの口を塞いだ。
そんなにチーズケーキが食べたいのかな。ほんとにスイーツ系男子だね。
「それじゃあ、ゲームをするまえに、ひとつ約束してもらえるかな?」
僕はそう言って、交互にふたりを見比べた。
「負けたら、チーズケーキを諦める、だよね?」
「そう。アキラくんには、それを悪魔に誓って欲しい」
「え? 悪魔に?」
アキラくんは、意味が分からないという顔をした。
「あ、もしかして、カードゲームの作法かなにか?」
「誓ってくれる?」
「いいけど……きみって、ほんとに六連くん?」
「僕のこと忘れたの?」
アキラくんは、僕の顔をじっくりと観察した。
「……そうだよね。六連くんだよね。どういうふうに誓えばいいの?」
「自分の名前と宣誓の内容を言ってから、『悪魔に誓います』で締めくくるんだ」
アキラくんは、ちょっと間をおいて、
「長尾彰は、崩し将棋に負けたら、チーズケーキを諦めることを、悪魔に誓います……これで、いいのかな?」
僕は、それでいいと答えた。今度は、アナンくんに同じことを言わせる。
「阿南是靖は、崩し将棋に負けたら、お姉さんのナンパをあきらめることを、悪魔に誓います。チーズケーキには、あんまり興味ないから、こうしとくね」
「ありがとう。そして、ようこそ、悪魔の世界に」
周囲が、灰色に染まる。世界がガラスのように崩れ去り、景色が一変した。
荒涼とした台地のうえに、僕らはたたずむ。風が吹いて、それぞれの衣服を揺らした。
その中央に、テーブルがひとつ。どこまでも続く赤い空と、白昼の月。
僕は変身を解いた。
「き、きみはだれ?」
アキラくんは驚いて、目を白黒させた。
「僕? 僕は悪魔だよ」
「あ、悪魔ッ!?」
「半分は人間だけどね」
「あ、悪魔がなんで崩し将棋なんかするの?」
普通、そこは質問しないと思う。
「母さんの趣味だから」
「えぇ……」
困惑したアキラくんは、アナンくんのほうを向いた。
「こ、これって、どういうこと? 僕たち、スイーツショップにいたよね?」
「え? こんなの夢に決まってるだろ?」
「あ……夢なんだ……」
アキラくんは、心の底からホッとした様子で、胸を撫で下ろした。
「そっか。チーズケーキは、まだ売り切れてないんだね。目が覚めたら買いに行こう」
このふたり、メンタリティが凄いな。
将棋指しってタフなのかもしれない。母さんもタフだし。
一方、当の母さんは腕組みをして、
「美都夫、あんまりイタズラしちゃいけませんよ」
と、たしなめた。
「母さんも迷惑してたし、多少はOKだよね?」
「これを多少とは言いません」
そうかな。いきなり喰い殺したりするよりは、優しいと思う。
「とりあえず、座ろうか」
僕たちはテーブルを囲んで、席についた。魔法で将棋盤と駒を用意する。
僕は箱をあけて、そのまま盤のうえにひっくり返した。
「崩し将棋のルールを知らないひとは、いないよね?」
アキラくんはうなずいて、
「音を立てないように、駒を取るんだよね? でも、バリエーションが多いよ?」
と言った。僕は、
「駒の大きさに関係なく、一番多くの駒を取ったひとが勝ちで、いいかな?」
と提案した。ふたりは、了承してくれた。
「駒は全部で40枚。反時計回りに取って行こう」
4人でじゃんけんして、僕→母さん→アキラくん→アナンくんの順番になった。
「それじゃ、僕から行くね」
僕は駒の山を見つめて、取りやすそうなものを選ぶ――右端の歩かな。
「Veni」
スッと駒が動いて、僕の手元までスライドした。無音。
アキラくんは、ポカンと口をあけた。
「こ、駒が勝手に動いた……」
「『手を使って』とは言ってないからね。魔法もアリだよ」
そもそも、このゲーム、魔法の練習用に考案されたものだから。
母さんも魔法のステッキを取り出して、
「Sub nomine meo, veni」
と、魔法を唱えた。左端の銀がスライドした。
「アキラくんの番だよ」
「う、うん……これ、手を使わなくても、いいんだよね?」
「いいけど……足でも使うの?」
アキラくんは、ポケットから細長いケースを取り出した。
開けると、箸が入っていた。
「マイ箸だよ。ちゃんと洗ってあるからね」
「箸で取るの?」
アキラくんは箸を手にして、駒の山を調べた。
「……てっぺんの桂馬がいいかな」
アキラくんはそっと箸を伸ばして、桂馬をつまみ上げる。
そのまま音を立てずに、回収した。
アナンくんが、パチパチと拍手した。
「ブラボー、さすがは未来のパティシエ」
「アハハ、そうでもないよ」
「じゃ、今度は是靖様の番だね」
アナンくんは、ためらいなく指を伸ばして、手前の金を引き抜いた。
かなり際どい取り方だったけど、音はしなかった。
「僕、崩し将棋は得意なんだよ」
アナンくんは、手にした金を放り上げながら、ニヤリと笑った。
……………………
……………………
…………………
………………
マズいな。このふたり、肝が据わってるだけじゃなくて、器用だ。
僕は、もういちど魔法で歩を回収する。
母さん→アキラくん→アナンくんと進んで、まただれもミスしなかった。
「きみたち、強いね」
「四国最強の将棋指し、阿南是靖を舐めないで欲しいな」
「きみが四国最強なの?」
「そうだよ」
これには、タレ目のアキラくんが異議を唱えた。
「吉良くんが聞いたら、怒るよ」
「義伸は2番手、僕が1番手さ」
「でも、阿南くん、吉良くんに一回も勝ったことないよね?」
アナンくんは、テーブルに肘をついて、くちびるを尖らせた。
「あれは、本気を出してないからだよ」
「えぇ、そうかなあ? E媛のなかでも、石鉄くんのほうが強くない?」
アナンくんは相手にせず、早く取るように命じた。
僕は魔法で駒を引き寄せながら、
「四国で将棋の強いひとたちが、なんでH島にいるの?」
と尋ねた。これには、アキラくんが答えてくれた。
「日日杯の下見に来たんだよ」
「ニチニチハイ?」
「3年に1度ある、中四国最大の棋戦だよ。囃子原グループが協賛なんだ」
「きみたちは、その代表選手?」
「うん、僕はK川の県代表」
とアキラくん。
「僕はE媛さ」
とアナンくん。
「それぞれの県から、ひとり出るんだね」
僕がそう言うと、アキラくんは訂正してきた。
「違うよ。『過去に県代表で全国大会に行った選手』は、全員参加できるんだ。何人代表がいるかは、各県でバラバラ。K川は、男子が僕だけで、女子は2人」
「E媛は男子が3人、女子が2人」
「あれ? それって不公平じゃない? 人数の多い県のほうが有利だよね?」
アキラくんはマイ箸をカチカチやりながら、また訂正してきた。
「違う違う。県同士の戦いじゃなくて、個人戦だよ。参加資格が県代表なだけ」
「ああ、なるほど、そういう……」
僕が納得しかけたところで、アナンくんが口を挟んだ。
「建前はそうなってるけど、実質的には県の対抗戦だろう?」
「えぇ? そんなことないよ」
「あるね。香宗我部先輩は、四国勢が勝つように情報収集してるじゃないか」
「まあ、あのひとは、そういうところがあるけど……」
「香宗我部先輩だけじゃないぞ。H島が2連覇するかどうかは、結構話題になるし、Y口の連中と話したときも、県単位で動いてるような口ぶりだった」
「Y口は保守王国で同族意識が強いから、そういうふうになるだけだよ」
と、こんな話をしながら、僕たちは駒を取り合った。
だれもミスしない。ここまで完璧な崩し将棋も、珍しいんじゃないかな。
アナンくんは5枚目の駒をつまみながら、
「ところで、僕が勝ったら、どうなるの?」
とたずねた。
「ささやかな願いをひとつ叶えてあげるよ」
「それだけ?」
「賭けてるものが、ナンパとチーズケーキだからね……っと、僕の番か」
40枚だから、全員がノーミスなら10ターンで引き分けになる。
今から6周目――ちょっと工夫しよう。
「Veni et reconsta!!」
駒が静かに浮いて、お互いに複雑なタワーを作った。
1番上の歩が、僕の手元に着地する。
「そ、それはルール違反だよッ!」
アキラくんが叫んだ。
「取るときに組み直しちゃいけない、ってルールはないよ」
「そ、そんな……」
アキラくんがごねてるあいだにも、母さんは魔法で駒を呼び寄せた。
しかも、さらに複雑なかたちに組み直す。
「えぇ……これ、どうなってるの……」
アキラくんはさんざん取る場所を探して、箸を伸ばした。
触れた途端、バランスが崩れて、駒の塔が崩れた。
「も、もうダメだぁ。僕のチーズケーキが」
アキラくん、頭を抱えて悶絶。さっき夢だって言ってたのに。
一方、アナンくんは、笑い始めた。
「どうしたの?」
「いやぁ、さすが悪魔だな、と思って……でもさ、これ、僕は取り放題だよね?」
たしかに……盤のうえには、崩れた駒が散らばっている。取り放題だった。
「次は、もっとキツいトラップを用意するよ」
「あっはっは、参ったな……そこで、ちょっと提案があるんだ」
「提案? 悪魔と取引するのは、命取りだよ。話は聞いてあげるけど」
「このまま、引き分けにしない?」
「引き分け……? どういう意味?」
「僕は、そこのお姉さんを諦める。彰は、お姉さんの持ってるチーズケーキを諦める。その代わり、魔法で別のチーズケーキと女の子を用意する。どう?」
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………………
「きみ、悪魔的に冴えてるね」
「だろぉ」
僕らは和解した。まずは、アキラくんのためにチーズケーキを出してあげる。
アキラくんは紙箱を抱き締めて、
「ああ、夢にまで見たチーズケーキ……神様、ありがとうございます」
と、目をうるうるさせた。危ないな、このひと。
「じゃ、次は女の子出して」
「それなら、もう準備してあるよ」
「え? どこに?」
アナンくんは、キョロキョロした。
「1、2、3で人間界に戻れるから、そこで会えるよ」
「ほんと? 美人だよね?」
「うん、綺麗だよ……それじゃ、いくね、1、2、3!」
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「いやあ、俺が悪かった。反省してる」
H島の空を、2本のホウキが飛ぶ。ひとつは僕、ひとつは母さん。
黒猫姿の父さんは、母さんの肩に乗って、しっぽを振っていた。
「私こそ、ちょっとやり過ぎました。反省してます」
「ナンパとか、されなかったか?」
「されてませんよ。ダーリンったら、心配性」
「ハニーは美人だからなあ。俺はいつも不安なんだ」
「ダーリンこそ、浮気しないでくださいね」
父さんと母さんは、チュッチュと口づけをかわした。
はいはい、そういうのは帰ってから、ふたりきりでやってね。
「ところで、美都夫、人間に甘くするのは、良くないですよ」
「甘くはしてないよ」
「チーズケーキと女の子まで用意するなんて、大甘です」
そうかなあ。だって、【別の】チーズケーキと【別の】女の子だからね。
賞味期限の話はされてないし、人間かどうかも聞かれてない。
悪魔と取引するのは、命取りなんだよ――ほんとにね。




