218手目 今日は何の日?
※ここからは、黒木美都夫くん視点です。
「ん〜♪」
キッチンから、鼻歌が聞こえてくる。母さんは、いつもの魔女服にエプロンをして、蛇の薫製を輪切りにしていた。今日はごちそうかな。カレンダーを見る。6月6日――そういうことか。僕はマンドラゴラ茶をひとくち啜って、ケルベロスに骨をやった。ケルベロスは嬉しそうにしっぽを振って、3つの頭でケンカをしながら、骨をしゃぶった。
母さんは材料を鍋に放り込んで、包丁を魔法のステッキに持ち替えた。ずいぶんと年季の入ったものだ。それが父さんからの結婚プレゼントだと、僕は知っていた。人間界だと指輪を贈ることが多いけど、魔界では違う。母さんは、空中に魔文字を書きながら、
「Sub nomine meo, provoco meum virem!!」
と呪文を唱えた。パッと魔法陣が輝いて、ポンと煙があがった。
そして――毛布にくるまった、若い悪魔が現れた。父さんだった。父さんはいびきをかいて、ぐぅぐぅと寝ていた。時差があるからね。しょうがない。
「ダーリン♪」
「Zzz」
「ダーリン、起・き・て♪」
母さんが猫撫で声で話しかけると、父さんは目をパチリとさせた。こういう夫婦の睦言を聞かされる息子の身にもなって欲しい。ケンカしてるよりは100倍マシだけど。
父さんは目をこすりながら、大きく背伸びをした。あいかわらず上半身は裸だった。お客さんがいたら、どうするつもりなんだろう。この前も、前空さんがいたような。
「ふわぁ、どうした? なんか用か?」
「ダーリンにクイズです。今日は、なんの日でしょうか?」
父さんは、ぽりぽりと後頭部を掻いて、2本の角をさすった。
「んー、日本の6月に、祝日はあったか?」
「またまた、ダーリンったら、とぼけちゃって」
父さんは床にあぐらをかいて、腕組みをした。目を閉じて、真剣に考える。
「ゴールデンウィーク……は5月だよな。海の日は7月だし……富士山開きは、明治維新のあとで無くなったんだっけか? だとすると……ん?」
父さんは目を開けて、母さんの顔をみた。
「おまえ、なんの呪文を唱えて……おいッ! それはマズいってッ! ちょッ!?」
ズドドドド――ン……
○
。
.
30分後、青空の見えるキッチンで、僕は父さんの背中に湿布を貼っていた。
「いててて……もっと優しく……」
「ダメだよ、父さん、結婚記念日を忘れたら」
床に寝そべった父さんは、苦痛にうめきながら、
「忘れてたんじゃないぞ。1日間違えたんだ。今日は5日だと思ってた」
と答えた。僕は湿布に薬剤を塗りながら、あきれた。
「だったら、『もしかして結婚記念日か?』って確認すればよかったのに」
「おいおい、そんな質問した時点で、大変なことになるぞ」
それも、そっか。僕は最後の湿布を貼って、テレビをつけた。
地上のニュースをやっていた。
《本日、午前8時頃、艶田市の山間部に、巨大な火球が落下したとの通報がありました。地元の消防隊が、調査を行っています。付近の天文台によれば、そのような現象は観測されていないとのことで、山火事も確認されていません。次のニュースです》
あーあ、ニュースになっちゃってる。
「美沙のやつ、背中にメテオストライク打ち込むことはないよなあ」
「母さん、本気で怒ってたね。屋根が壊れちゃったよ」
「こんなのは、俺の魔法で簡単に治せるさ。それより、夫婦仲を直すぜ」
夫婦喧嘩は犬も喰わない、ってね。地上の名言だよ。
そもそも、母さんと父さんは、珍しいカップルだった。珍しいというのは、人間と悪魔のカップルだから、ではない。人間と悪魔のカップルなんて、それこそ五万といる。魔女は悪魔と契約しないといけないから。僕みたいな半人半魔の子供たちも、たくさん。
珍しいのは、母さんと父さんが、一夫一妻だってこと。悪魔は普通、複数の魔女と契約する。というのも、それが悪魔の仕事だから。つまり、ハーレムだね。でも、父さんは母さんと契約して以来、他の女性とは契約を結んでいないみたいだ。魔女は魔女で、最初に契約した悪魔が気に入らなかったら、鞍替えすることだってできる。下級悪魔は、上級悪魔に奥さんをよく寝取られてるから、結構悲しい存在。でも、母さんは、別の悪魔に鞍替えしたことはないらしい。母さんは、父さんのことを「うだつが上がらない」って言うけれど、他の女性と契約を結ばないんだから、うだつが上がらないのは当たり前。
ようするに、父さんは母さんにベタ惚れで、母さんは父さんにぞっこんってわけ。おしどり夫婦というか、バカップルというか、そんな感じ。
「美沙のやつ、どこ行ったんだろうなあ。買い物か」
「買い物だろうね。ケンカのあとは、だいたいそうしてるから」
「さすが俺の息子、よく観察してるな」
観察できるほどケンカしないで欲しいんだけど。
父さんは、ぴょんと飛び上がって、背中の羽をバサバサさせた。
「よし、悪は急げ、だ。ミユキ!」
父さんが叫ぶと、空中からスーッと女のメイドさんが現れた。
ショートの、こざっぱりした女性だった。幽霊メイドの美雪さんだ。
美雪さんは、スカートのまえで手をそろえて、ペコリと頭を下げた。
「お呼びでございましょうか、旦那様」
「今から、美沙を捜しに行く。手伝ってくれ」
「承りました。買い物ついでに、捜して参ります」
父さんは大きく羽ばたくと、
「美都夫、おまえも手伝え」
と言った。
「その格好で行くの? マズくない?」
「それも、そうだな」
上半身裸の人間が飛んでたら、さすがに警察沙汰だよ。頭に角が生えてるし。
父さんは床に着地して、ポンと煙を出した。蝙蝠に変身する。
「街中に蝙蝠は、変だよ」
父さんはもういちど煙を出して、黒猫に変身した。
「それなら、大丈夫かな……でも、空を飛べないよね?」
「おまえのホウキに乗せてくれ」
僕は、タクシードライバーじゃないんだけどなあ。魔法でホウキを取り出して、父さんを肩に乗せた。ホウキの操縦は、結構得意なんだよ。
「ちょっと待て。美都夫も変身しないと、ヤバくないか?」
「あ、そっか」
僕は、つけっぱなしのテレビに目をやった。ひとりの少年が映っていた。僕はそれを魔法でトレースした。ポンと視界が煙って、容姿が変わる。キャップ帽を被った、なかなかの好青年だ。それじゃ、出発。
僕が床を蹴ると、ホウキは浮かび上がり、中国山地の大空へと舞い上がった。
○
。
.
「この町は、あいかわらず人間が多いなあ」
黒猫がしゃべる。僕は変なひとに思われないように、小声で返した。
「で、見つかりそう?」
「そう焦るな。このあたりにホウキで着陸したことは、魔力の痕跡で分かる……お」
父さんは、しっぽを揺らして、あたりをキョロキョロした。
「……美沙の匂いがする」
「どのあたり?」
「この大通りを真っすぐだ」
僕たちは人混みをかきわけて、大通りを進んだ。すると、巨大な百貨店の手前で、右に曲がるように指示された。右に曲がると、シックなスイーツ店が見えた。
「あの中だ」
なんだ、おやつを買いに出たんだね。僕はホッとして、中を覗き込んだ。ガラス張りの自動ドアの向こうに、母さんの姿があった。ところが――
「おい、なんだあの男どもは?」
母さんは、ふたりの少年と、なにやら話をしていた。話をしていた、というのは正確ではなくて、どうも言い争っているような雰囲気だ。と思ったけど、相手の少年たちは、ごますり態度で、なだめすかすような笑い方をしていた。
「さては、ナンパだな。喰い殺してやる」
父さんが、飛び出しかけた。僕は魔法でゲージを作って、父さんを閉じ込めた。
「おい、こら、出せ」
「僕が様子を見てくるよ」
僕はゲージを完全防音にしたあと、自動ドアをくぐった。
いらっしゃいませ、と、店員さんに挨拶された。僕は、スイーツケースを覗き込むフリをして、3人の会話に耳を澄ませた。ガラスの反射で、行動も理解できた。
「これは私が買ったもので、家族用なんですよ」
母さんの、怒ったような声。
タレ目の少年は、控えめな調子でつづける。
「H島のひとですよね? 僕らは、四国から来たんです」
「だから、どうしたんですか?」
「僕たちは、ここのチーズケーキを食べに来たと言っても、過言じゃないんです。でも、きみが買ったところで、売れきれちゃったんです」
「そんなに食べたかったら、どうして午前中に来なかったんですか?」
「午前中は、用事があったんですよ。どうしても抜けられなくて……ね、阿南くん?」
となりの、いかにも髪型を気にした少年は、ハハハと笑って、
「そうそう、用事があったんだ。1個くらい譲ってくれないかな」
と催促した。この少年、ちょっと図々しい。
「ダメなものは、ダメです」
「そんな……僕はいったい、何しにH島へ……ん」
タレ目の少年は、母さんのバッグに目をつけた。
「そのキーホルダー、将棋の駒ですか?」
「まあ……そうですが……」
「僕たちも将棋指しなんです。将棋で決着をつけませんか?」
母さんは眉間に皺を寄せた。
「将棋で決着……? 冗談でしょう」
タレ目の少年は笑って、
「話し合ってもラチが開きませんし、将棋で決着をつけましょう」
と強気になった。さっきの図々しい少年も便乗する。
「そうそう、僕たち、弱いから」
「そんなわけないです。自信があるから将棋としか考えられません」
「そう言わずにさ」
生意気そうな少年が、一歩前に出た。
僕はふりかえって、割り込む。
「きみたち、女子高生になにしてるの? ナンパ?」
僕が声をかけると、3人は別々の反応を示した。
最初に反応したのはタレ目の少年だった。
「ち、ちがうよ、僕はこのスイーツについて交渉して……ああッ!」
タレ目の少年は、急に大声を出した。
「む、六連くん、どうしてここに?」
ムツムラ? ムツムラって誰だろ? 僕はキョロキョロした。
すると、生意気そうな少年のほうも、あごに手を当てて、
「なぁんだ、きみも来てたのか。3人でナンパする?」
と尋ねた。実の母親はナンパしないよ。っていうか、ムツムラってだれ?
どうも、僕が変身した少年の名前みたいだ。テレビに映ってたのは、カードゲームの大会だったと思う。そんなに有名人なのかな。失敗した。
一方、母さんには、さすがに変身がバレたらしい。じっとりとした目で見られた。
とりあえずこの場をおさめようか。僕は強気に出る。
「とにかく、女性を囲って脅しちゃダメだよ」
タレ目の少年はすこしあせったようすで、
「誤解だよ、六連くん。僕たちは、スイーツの相談をしてるんだ」
と弁明した。生意気そうな少年も加勢にくる。
「彰は、ここのチーズケーキの味見をしたいんだってさ」
「そう、H島で一番美味しいチーズケーキなんだ」
タレ目の少年は手を組んで、瞳をキラキラさせた。スイーツ系男子?
「というわけで、そこのお嬢さん、僕と将棋で決着をつけましょう」
「あのですね……私は、これから家族のところへ……」
うーん、母さんが迷惑してる。ここはアイデアを……あ、そうだ。
「ねぇ、きみたち、僕と将棋を指さない?」
僕の提案に、タレ目の少年はびっくりした。
「む、む、六連くんと?」
一方、生意気そうな少年は、その顔をますます不敵にした。
「いいねぇ、僕も参加するよ。どうせなら、ここで決着をつけたいから」
「阿南くん、ダメだよ。香宗我部先輩が、県代表と指しちゃダメだって……」
「彰はマジメだなぁ。指してもバレないよ。30秒将棋?」
勝負の内容は、もう考えてある。僕は猫のゲージをテーブルに置いた。
「崩し将棋だよ」




