198手目 出来上がったレポート
「この手の意味は?」
「攻防手かな、と」
虎向くんの説明に、兎丸くんは軽く首をかしげた。
「ちょっと中途半端に見えるね。5九角成としない限り、攻めにはならないから」
「うーん、やっぱそうかなあ」
虎向くんは、椅子をうしろにかたむけた。
こらこら、危ない。
「私のほうは一手余裕ができたから、3四と」
5九角成の攻め合いはどうなるんですか、と、兎丸くんは尋ねた。
「私の読みでは、一直線の斬り合いね。4四と、6八馬、同金、5八歩成、5四と」
【参考図】
「大丈夫なんですか? 先手が、すごく危険に見えますけど?」
と箕辺くん。
「全然問題ないわ。6三とと入れば、後手陣はそれで崩壊してるから」
「6三と……ああ、理解できました。同金、7一角、9二玉、9五歩で、後手は飛車を下ろしてるヒマがないんですね。となると、3四とには同金?」
「俺は同金じゃなくて、5五金を選択しました」
虎向くんは、香車のうえに金を逃げた。
「私は4七桂と追撃したわ。以下、5九角成、5五桂、同香、同飛成」
並べながら、虎向くんほうはのけぞった。
「6筋が弱過ぎて、どうしようもないんですよね。さっきの3四とを放置できなかったのもそうですし、5五桂も次に6三桂成があるから放置できません」
私から見ると、まだいい勝負に見える。
虎向くんは、5八歩成とした。
「これは……取るわよね。対局中は、6六飛も気になったけど」
裏見先輩の独り言に、箕辺くんは、
「5八同飛、同馬、同龍の順は、6六桂がありませんか?」
と質問した。
「それは問題ないわ。5一龍と戻って、7八桂成、同銀、6六桂、8七銀と逃げたあと、後手は手がないから。まあ、これが本譜の進行なんだけど……そこで3九飛だった?」
「はい、3九飛と下ろしてます」
兎丸くんは、「あッ」と喫驚して、
「これ……虎向の負けになってるね」
とつぶやいた。虎向くんも同調する。
私には、とてもそうは見えない。
「次の私の一手が急所だったわ」
裏見先輩は、力強く6四歩と突いた。
あッ……さっき解説してもらった順だ。6筋を執拗に攻める。
でもでも――
「この場合は、同歩も同銀もあるわよね? 虎向くんのほうは、それでもダメなの?」
「どっちもダメです。まず、同銀は6八香っていう巧い手があって、桂馬と銀が串刺しになります。同歩が本譜なんですけど、そこで4五角と打たれたのが攻防でした」
「新巻くんは、4九飛と下ろしたほうが良かったんじゃない?」
裏見先輩の指摘に、虎向くんは否定的な態度。
「4五角に同飛成、同銀と粘っても、勝ち目がないと思います」
「それも、そっか……本譜は、6四同歩、4五角、5四歩に8五歩よ」
「これも急所に入ってますね。虎向の陣形は8三銀と7三銀の連携が重要ですから、8四歩と打たれると一気に崩壊します」
さっきから、兎丸くんの解説は助かる。
「俺は同歩、5四角に6五馬と引いて、角を消しました」
「それでも同歩、8四歩よね」
裏見先輩は、8四の地点に歩を打ち込んだ。
同銀直、8三歩、9二玉。
「ここから、ちょっとぐだぐだだったわ。8二金で寄れば簡単なんだけど」
「俺も8二金を先に読んでました。同銀、同歩成、同金、2八角みたいな」
【参考図】
おっと、これは厳しそう。
「これでも良かったかなあ……ただ、最初の8二金に9三玉もあるわよね?」
「それは9五歩か7二金でダメだと思いますよ、さすがに」
いろいろあるけど、虎向くんのほうが敗勢みたいね。
私は、続きをうながした。
「私が選択したのは、6四桂」
「この桂を打たれたときは、8三金と手順に逃げれてラッキーだと感じました」
「7二桂成に8二金打と打たれて、私もちょっとやっちゃったかな、と思ったわ。とりあえず6三角と足して、8六歩、8二成桂、同金に7二金。ここで8七歩成なら、8二金、同銀、8一龍、9三玉に8五桂が成立して、後手が詰むわ」
「というわけで、俺は9三玉と逃げました」
兎丸くんは両腕を組んで、斜めに盤をのぞきこむ。
「……第一感、9五歩が詰めろかな」
裏見先輩も同調した。
「私もそう思ったから、読み切れないまま9五歩と突いたわ」
「俺は詰まないと思ったから、8七歩成」
見解が分かれた。どっちが正しいのかしら。
兎丸くんもむずかしいと感じたようで、ちょっと考えさせてくださいと言った。
「8七同金は7八桂成で、どんどん悪くなるから……僕なら、9四歩、8三玉に7三金とします。同金は8一龍、8二合駒、7二銀、同金、同角成で詰み。同桂は7二銀、同金、8一龍、8二合駒、7二角成で、やっぱり詰み。同銀も7二銀、同金、8一龍以下、同じ変化……ですから、一番面倒なのは7三同玉ですか」
王様が戦場に近づくほうがいいなんて、なんか変な感じ。
私がそんなことを思っていると、兎丸くんはポンと手を叩いた。
「あ、簡単に詰んでますね。7三同玉に6四金捨てで」
「同玉、5四角成、7三玉、5三龍までです」
裏見先輩は感心したように、
「さすがは古谷くんね、私はなかなか見えなかったわよ」
と言った。
「いえいえ、岡目八目ですよ」
兎丸くんは謙虚。
「というわけで、俺が詰まされて負けました」
パチパチパチ。私は最後に、全体の感想をお願いした。
「そうね……中盤は難しいところがあったし、相手の指運に助けられた印象かしら」
「やっぱり格上には入りにくいというのを実感した対局でした」
では、解散。虎向くんたちは、同じ1年生の女子とわいわいやり始めた。
裏見先輩は鞄を持って、さっさと帰宅。
「どうする? 俺たちも帰るか?」
箕辺くんは、部屋が狭いことを指摘した。
「そ、そうね……一緒に帰る?」
普段なら掛けないような台詞を、私は小声でつぶやいた。
箕辺くんはマジメな顔になって、
「そうだな。飴玉お姉さんがしつこいかもしれないし、これからは毎日一緒に帰ろう」
と言ってくれた。うれしい。
廊下へ出て、そのまま校舎をあとにする。
「ポーンが倒れたって聞いたけど、貧血か?」
「う、うん、そんな感じ」
ほんとは佐伯くんの好みを聞いて、卒倒しただけ。病気じゃない……いや、病気みたいなものか。私だって、その患者なのだ。
「箕辺くんって……私のどこがよかったの?」
唐突な質問に、箕辺くんはきょとんとした。
「どうしたんだ、今さら?」
「い、一応聞いときたいかな、と思って」
「一応もなにも、告白したときに伝えただろう?」
「も、もう一回教えて」
箕辺くんはあらたまった表情で、頬の筋肉を引き締めた。
「葉山は将棋部のムードメーカーで、一緒にいて楽しかったし、大会の取材なんかもマジメに取り組んでくれていたのが好印象だった。あと……」
「あと?」
「すごくカワイイ」
私は顔が真っ赤になるのを感じた。
と、同時に、どこか不安になる。
「ほんとにそう思ってる? そばかす顔なんだけど?」
「そんなの気にするなよ。チャームポイントだぞ」
「/////」
私が照れていると、箕辺くんは喫茶店に寄ろうと誘ってくれた。
快諾してドアを開けようとした瞬間――
「光ちゃん……そこに入っちゃダメ……」
振り返ると、カンナちゃんが立っていた。
「カンナちゃん、どうしたの? 部の相談?」
「光ちゃん……目を覚まして……」
「目を覚ます……?」
「箕辺くんと付き合ってるのは、光ちゃんじゃなくて、遊子ちゃんだよ……」
「!」
私は、鞄を落とした。
箕辺くんがとなりから出て、私のまえに立った。
「飛瀬、なにを言ってるんだ。俺は最初から光と付き合ってるぞ」
「ううん……きみは、箕辺くんじゃない……」
私は箕辺くんの横顔を見た――そして、どこか違和感があることに気づいた。
「あなた……だれ……?」
「おいおい、俺のこと忘れたのか? 俺は箕辺辰吉だよ」
「ちがう……あなた、箕辺くんじゃない……箕辺くんはもっと……」
もっと……なんだろう。影がある。そう、陽気さの裏に、どこか影がある。
その正体は分からないけれど、私はそう見抜いていた。
「光、こんな自称宇宙人の話なんか聞いちゃダメだ。俺を信じろ」
「箕辺くんは、そんなこと言わないわッ!」
「光、俺は……」
「違うッ! 箕辺くんじゃないッ!」
パッと周囲が明るくなり、私は目を覚ました。
夕暮れどきのアパート。三畳一間の空間に、強烈な西日が差す。
ちゃぶ台を囲んで、飴玉お姉さんが座っていた。
「……現実に帰るんだね?」
お姉さんは、さみしそうにタバコをくゆらせた。甘い香り。
「あの……私……ここは……?」
「さあ、帰りなよ。荷物はそこにある」
お姉さんは、部屋のすみを指差した。
私はぼんやりとした頭で、鞄を持ち、靴を履いた。
怖いとか怖くないとかを超越して、なんだか落ち着いた気分だった。
「ひとつだけ、教えてくれないかな」
「……はい」
「どうして、この部屋に戻ってこれたの?」
私は、なにを質問されているのか、さっぱり分からなかった。
「同級生の女の子に声をかけられて……気づいたら、ここにいました……」
お姉さんは、ふぅん、とつぶやいた。
西日が背景に燃えて、お姉さんの髪を深紅に染め上げた。
「飴玉が欲しかったら、また来なよ……夢を見るのは、タダなんだから」
こうして、私の不思議な体験は、幕を閉じた。
飴玉お姉さんは、何者だったんだろう?
どうして、あんな変な夢を見たんだろう?
どうして、最後にカンナちゃんが現れたんだろう?
謎は深まるばかりだ。
でも、一番謎なのは――取材の記事が、あの夢の通り、できあがっていたこと。
一字一句たがわずに。
対局中の香子ちゃん視点
115手目 5回戦 裏見〔市立〕vs新巻〔清心〕
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