191手目 おまけの飴玉
「はいはーい、ここにいるよぉ」
がさがさと、雑草を踏む音が聞こえた。
私はカメラを持って身構える。
ドラム缶のうしろから、真っ赤な髪がふわりとなびいた。
「みんな大好き、飴玉お姉さんだよ」
くわえタバコをしたお姉さんは、右腕に網かごをかかえて、こちらに手を振った。自分のあだ名を知っているのも驚きだけど、どこに隠れていたのか見当がつかなかった。
「おやおや、かわいい男の子だね」
飴玉お姉さんは、優太くんに目をつけた。
大場さんが一歩前に出る。
「優太くん、気をつけないとダメっスよ」
飴玉お姉さんは、口の端にくわえたタバコを揺らして笑った。
「あたしは、みんなに気持ちよ〜く生きてもらうのが趣味な、優しいお姉さんだよ」
激しく嘘くさい。私も大場さんのそばに寄って、スクラムを組んだ。お姉さんは、私の顔をちらりと見てから、おやッ、と声を出した。
「また会ったねぇ。彼氏とは、相思相愛になれたかな?」
「へ、変なこと言わないでください」
「光ちゃん、好きな男子がいるんっスか?」
「い、いないってば」
「べつに隠さなくてもいいっスよ。角ちゃんは恋のキューピットっス」
私と大場さんが押し問答している横で、飴玉お姉さんは優太くんに声をかけた。
「ぼうやは、飴玉好きかな?」
「大好きですッ!」
「じゃあ、一個あげようねぇ」
優太くんは、ぴょんぴょんしながら一個受け取った。すぐに食べるかと思いきや、とんでもないことを言い始める。飴玉お姉さんと、将棋を指したい、と。私たちは止めようとしたけれど、飴玉お姉さんのほうもノリ気だった。
「いいねぇ、あのゲーム、最近ハマってるから」
えぇ、そんなタイプに全然見えないんだけど。
「将棋の輪をどんどん広めましょうッ!」
優太くんは、ショルダーバッグからプラスチックの将棋盤を取り出した。
いつでも持ち歩いてるなんて、凄いわね。
「あそこの土管のうえでやりましょうッ!」
ふたりは制止も聞かず、さっさと移動してしまった。仕方がないから、私たちも土管の端に座る。駒並べを横目に、私は大場さんとひそひそ話をした。
「こんな展開でいいんっスか?」
「こっちが聞きたいわよ……ところで、優太くんって強いの?」
「角ちゃんと同じくらい強いっス」
だったら、負ける要素がないわね。飴玉お姉さんは初心者だ。
私はシャッターチャンスと見て、写真を撮らせて欲しいと頼んだ。
「いいよ。お嬢さん、名前はなんて言うの?」
名前を教えるのは、なんだかはばかられた。ごにょごにょする。
「ぼうやの名前は?」
「優太ですッ!」
こら、答えちゃダメでしょ。大場さんの教育が行き届いていない。
「ユウタくんね、了解」
「お姉さん、早く指しましょうッ!」
「OK、OK、ユウタくんが勝ったら、飴玉を一個おまけしてあげる」
優太くんは喜んだ。
「但し、お姉さんが勝ったら、 ユウタくんも、なにかちょうだい」
あ、賭けをし始めた。流れによっては、切り上げて帰らないとマズいわね。
「僕、あんまりおこづかい持ってないです」
「お金じゃないよ。とっても簡単なこと」
「簡単なこと? なんですか?」
お姉さんとチューして、とか言い出しそう。やっぱり変質者じゃないの。
私と大場さんは、強く警戒した。
「お姉さんが勝ったら、『地球あげちゃいます』って言ってね」
意味不明。さすがの優太くんも、ぽかんとした。
「地球は僕のものじゃないから、あげられませんよ?」
「言うだけでいいんだよぉ」
なにかのごっこ遊びかしら。優太くんもそう解釈したのか、OKした。
「それじゃ、お姉さんの先手で、よろしく」
「あ、ダメですよ。ちゃんと振り駒しないと」
優太くんの振り駒で、結局、お姉さんが先手になった。
「ぱちっ、と」
お姉さんは、7六歩と指した。ほんとに勉強したっぽいわね。
「対局するまえは、よろしくお願いしますって元気よく言いましょう」
「いろいろルールがあるんだね。よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますッ!」
パシリ パシリ パシリ
んー、こんなもんよね。
お姉さんが初心者なのもあるけど、優太くんが強い。
私は、盤面も含めて、お姉さんの写真を撮った。
【飴玉お姉さん、将棋を指す】みたいなタイトルで、いいかしら。
「ああすると、こうなって……あれれ、お姉さんの負けかな?」
飴玉お姉さんも、寄りに気づいたようだ。
「負けたときは、どうすればいいの? 黙って終わり?」
「『負けました』って言いましょう」
「負けました、と……ユウタくん、強いねぇ。飴玉おまけしてあげる」
お姉さんは、土管のすみに置いてあった篭から、追加の飴を取り出した。
「ありがとうございますッ!」
お姉さんは、タバコをすぱぁ〜とやってから、右手をひらひらさせた。
「ところでさ、このへんに、カかトから始まる名前のひと、いない?」
いきなりの変な質問で、優太くんは首をかしげた。
「カカトさんですか? 珍しい名前ですね」
「カカトじゃなくて、カかト」
「いっぱいいると思います」
「じゃあ、カンから始まる名前のひと」
それなら、ある程度は絞り込めるかしら。カンから始まる苗字は少ないはず。
「僕は、H島県人じゃありません」
「Hシマケン人って、なに?」
「ここはH島県ですよ。お姉さん、どこから来てるんですか?」
「それは、どうでもいいからさ。カンなんちゃらって女、知らない?」
優太くんは、知らないと答えた。
飴玉お姉さんは、私と大場さんのほうへ視線を移した。
「そこのお嬢さんたちは、知らない?」
「そのひとが、どうかしたんっスか? お友だちっスか?」
「ちがう、ちがう。ばったり会ったら困るなあ、と思って」
お金を借りてて、会うと催促されるからマズいってことかしら。なんだか事情がありそうなので、私たちは空気を読んで答えなかった。本当のことを言うと、獄門の神崎さんとか、去年まで藤女にいたらしい甘田さんとか、候補はいる。でも、こんな怪しいひとに、名前を教えるわけにはいかない。
「そっか、いないなら、いいや。そっちのほうが助かるし」
飴玉お姉さんは篭を拾いあげて、優太くんにバイバイした。
「また指しましょうッ!」
「飴が食べたくなったら、我慢せずに、いつでも来てね」
お姉さんはそう言って、空き地を出て行った。
○
。
.
「うそ……でしょ……」
その夜、私はパソコンのまえで固まっていた。
デジカメのメモリーカードが、認識されないのだ。
何度抜き差ししても、結果は同じだった。
「ちょっと待ってよ。このまえ買ったばかりなのに……」
ヴィー ヴィー ヴィー
携帯電話だ。
メモリーカードが気になってしょうがない中、私は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
《もしもし……光ちゃん……?》
「カンナちゃん、こんばんは。こんな時間に、どうしたの?」
私は時計を確認した。9時を過ぎていた。
カンナちゃんは、今度の県大会に備えて、相談があると言った。
《べつに大したことじゃないんだけど……うぅん、ちょっとは大したことかな……今年度の県大会で、取材対象になってるのが駒桜市らしいんだよね……連盟広報誌の……》
「広報誌って、去年の12月に、高校将棋連盟の本部から送られてきたやつ?」
私はまだ入部(させられた)直後で、そういうメディアにしか興味がなかったから、妙に記憶していた。
《そうそう……それ……47都道府県から、自治体がピックアップされてる会誌……それの対象が、今年度は駒桜市だから、記事を送らないといけない……》
「え? あれって、本部から記者が来て取材受けるんじゃないの?」
さすがにそんな予算はないと、カンナちゃんは答えた。ま、当たり前か。47都道府県全部をめぐるなんて、交通費だけで何十万とかかりそう。
《それでね……うちと清心が対象校だから、清心のほうからも、光ちゃんに一任したいみたいな流れなんだけど……大丈夫そう……?》
「いいわよ。任せてちょうだい。ただ、カメラの調子が悪いわ」
《え……壊れた……?》
私は、メモリーカードが認識されないことを伝えた。
《うーん……ごめん……経費で落とすのはムリかな……》
「壊れたと決まったわけじゃないし、もうちょっと粘ってみるわ」
《水に浸けたとか、そういうアクシデント……?》
「帰ったらいきなり反応しなくなってたの。接触不良かも」
《地球製品は、故障率が高いからね……》
人が困ってるのに、またそういう冗談を……ん、ちょっと待ってよ。
「カンナちゃん、飴玉お姉さんって知ってる?」
《ごめん……もう一回言って……》
私が名前を繰り返すと、カンナちゃんは知らないと答えた。
「カンなんとかっていう女の人を捜してるらしいの」
苗字だとばっかり思ってたから、気づかなかった。カンナちゃんも一致している。
《カンなんとか……神崎さんじゃないの……?》
やっぱり、そうかしら。将棋関係者というのも先入観だし、1億2000万人の中から特定できるほうがおかしいわよね。私はひと安心した。
《それじゃ、忙しいところ悪いけど、よろしくね……》
はいはい、任せておきなさい。
佐伯くんたちの日常生活を、ばっちり取材しちゃうわよ。




