189手目 H島県高校将棋界、徹底解剖マニュアル
※ここからは、吉良くん視点です。
放課後、香宗我部先輩に呼びだされた俺は、王手町高校の将棋部にむかった。
ドアを開けると、先輩は大きな巻き紙をかかえて、ホワイトボードを用意していた。
それに、磯前先輩の姿もあった。テーブルに座って、ルアーの手入れをしている。
「おはようございます」
俺が挨拶すると、香宗我部先輩はにこりと笑って、
「吉良、遅かったな。なにかあったのか?」
と尋ねてきた。
「担任にプリント運びの手伝いやらされてて……で、なんか用ですか?」
「そろそろ、日日杯に備えようと思ってな。今日は作戦会議だ」
磯前先輩が来ている理由が、ようやく分かった。
だけど、まだ5月の最終日だ。日日杯は8月の中旬にある。
「まだ2ヶ月半もありますよ?」
「7月になったら期末考査も始まるし、今のうちにやっておいたほうがいいだろう」
なるほどな、と俺は思って、とりあえず部室の椅子に着席した。
両腕を後頭部で組み、背もたれに大きく寄りかかった。
「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず。兵法の基本だ。ライバルの県を分析してみたから、今日はそれを確認しよう。まずは、H島県から」
「H島の代表なら、捨神でしょう。知ってますよ」
「捨神だけが代表じゃないだろう。それに、女子のことを知っておくのも悪くない」
当たらないから、べつに知らなくてもいいような気がする。
香宗我部先輩は、ホワイトボードに大きな地図を貼った。
「地図がごちゃごちゃするといけないから、東と西に分けてみた。まずは、西部から説明する。西部は、単独の市がブロックを形成している地域と、複数の自治体が集まっている地域に分かれる。H島市は例外で、ひとつの市のなかに3ブロックだ」
さすが、100万都市。
「西のほうから時計回りにいくぞ。H島の西端にあるのは、七日市市。瀬戸内工業地帯のひとつで、満菱グループの工場がたくさんある。人口はそこそこ多いから、単体でブロックになっているわけだ。有名な女子は、正力安奈。男子には、めぼしい選手がいない。市代表は根津だが、中堅以下というところだ」
「あれ? 並木とか言うのがいませんでしたっけ?」
「並木は、H市内の進学校に通っている。ブロックの基準は、住所ではなく、所属校だ。七日市からは出られない。次に、西ブロック。瀬戸内海沿岸の小都市の集まりだ。鎌鼬市の神崎さんが、一番有名だな」
ああ、このまえ、大谷先輩と一緒にいた女性か。
忍者とか言ってたけど、ほんとなのかね。
「最近は、前空という新人が出てきたらしい。情報が少なくて、よく分からない。次に、北西ブロック。山中の小さな市や町が集まっているブロックだ。田舎ブロックだが、艶田市椿油高校の桐野花さんは、全国でも有名な選手だ。今年度も絶好調みたいだぞ」
香宗我部先輩はそう言って、磯前先輩に目配せした。
磯前先輩は、かるく肩をすくめただけだった。
「次に、駒桜市。西ブロックや北西ブロックとは異なり、小都市がどんどん合併してできた単独のブロックだ。西で艶田、南で鎌鼬、東でH島および本榧と接している。毎年、年度末には、四市対抗戦を行っているという話だ。ま、おまえにとっては、ここもあまり説明の必要はないだろう」
「捨神がいるところですからね。イヤでも覚えますよ」
「そう言えば、去年遊びに来ていた裏見さんも、ここの出身だったな。面子を見る限り、人材は豊富なようだ。次に、安芸ブロック。特に有名な選手はいない。白鳩平和、加掛、新生などの、マイナー校が出場枠を持ち回りしている。次に、本榧市。H市の北に位置する都市で、そこそこ人口は多い。有名な選手としては、吉備さんがいる」
「吉備とは指したことあるけど、まあまあ強かったね」
さっきまでだんまりだった磯前先輩が、急にコメントを残した。
これには、香宗我部先輩も興味を示して、
「ん? いつ指した? 吉備さんに、県代表経験はないはずだが?」
と尋ねた。
「お花ちゃんと一緒に、四国に来てたよ。中学のときかな」
「ああ、非公式戦か。吉備さんを『まあまあ』と表現できるところは、さすが磯前だな。それじゃあ、H市に入るぞ。ここは、西、中央、東の3ブロックに分割されている。高校もかなり多い。重要なところだけ紹介する。まずは、西から。西区はH島市の西端から西H島駅までのブロックで、有名な高校としては、修身と鐘ヶ峰がある。前者は進学校としても有名な男子高、後者は平均的な女子校だ。さっき名前の出た並木は、修身に通っている。ところで、どうして並木の名前を知ってるんだ?」
「勝ち始めたら手のつけられない選手がいるって、E媛の石鉄が言ってましたよ」
「なるほど、石鉄の兄さんは、瀬戸内海を渡って、修身の寮にいるからな。並木は、勝つごとに調子の上がる選手で、絶好調のときは捨神と同レベルらしい。県大会では、なるべく1回戦で潰すように、みんなで注意してるみたいだ」
リンチじゃないか。
「次に、中央区。H島駅を中心とする一大繁華街を含む地域だ。全国でも有名な女子高のソールズベリー女学院がある」
「三和さんの出身校ですね」
「その通り。県内屈指の進学校で、駒桜の藤花女学園と双璧だ。ソールズベリーは、毎年県代表級が入って来ていて、チーム戦では3年連続県代表になっている。ただ、個人戦での県代表は、2年の西野辺だけだ。しかも、中1のときの記録だ」
昔の名前で出ています、ってか。
「次に、東区。中心部からすこし離れた地域で、高校の数もだんだん減ってくる。そのなかで、男女ともに強豪を輩出しているのは、AICN学園だ」
「最近できた高校ですよね? AICNって、なんの略なんですか?」
「Academy for the International Community in Nipponらしいぞ。英語に力を入れている学校で、留学生もかなり多いようだ。複数の大手予備校が、共同出資している」
そう言えば、ブロック代表に中国人がいるって聞いたことあるな。ここか。
「最後に、K市ブロック。ここは、本拠地K市の比呂高校が有名で、最近は男女ともに代表を出している。H島の現幹事長も、比呂高校の出身だ……さて、H島西部の解説を終えたわけだが、なにか質問はあるか?」
俺も磯前先輩も、ないと答えた。
「では、東部の紹介に移ろう。東部は、五大ブロックから成っている」
「単独の市でブロックを形成している地域は、ない。合併がそこまで進んでいないというのもあるだろうな。東H市からいくぞ。東H市では友愛塾という、ちょっと変わった名前の高校が強い。民間団体が出資する私立で、雰囲気はやや古風だ。暴力団の資金が流れているという、黒い噂もあるが……真相は闇のなか。僕は、訪れたことがない。憶測はやめておこう。そのとなりのO道ブロックは、東部でも指折りの高校がある。黒潮だな。瀬戸内海に面していて、水泳も強い」
「名前は忘れましたけど、中学竜王戦の優勝者、出してましたっけ?」
「魚住のことだな。まあ、あれはいろいろ裏事情もあるが……とりあえず、比較的強いということだけ、覚えておいてくれ」
「でも、O道ブロックの男子で一番強いのは、そこじゃないでしょう?」
「うむ、O道ブロックで一番強いのは、M市の皆星高校、六連昴だ。彼は、もともと将棋ではなく、トレーディングカード業界で名を馳せていたみたいだな。中2で将棋を始めてから、あっと言う間に県代表まで駆け上がった。才能だけなら、捨神と同レベルか、それ以上だろう」
「そうですかね……捨神のほうが才能あると思いますけど……」
「ん? 捨神の肩を持つのか?」
「な、なんでもないですよ。で、そいつはどういう棋風なんですか?」
「純居飛車党で、バランス型の棋風だ。あとで棋譜を渡しておこう……それから、この地域はラーメンがおいしい。途中で下車して、観光するのもいいかもな」
観光かよ。もちろん、するけどな。
「O道の北にあるのは、世良市ブロック。世良高校という、地元の名前を冠した高校が、男女ともに強い。ただ、選手層としては、中の上から上の下という感じだ。桐野さんを倒した女流もいるらしいが、頓死のフロックだったことが判明している」
桐野先輩も、頓死することあるんだな。羽生名人も頓死するし、当然か。
「そこからさらに北へ入ると、北東ブロックになる。安芸ブロックと同じで、人口密度がかなり低い地域だ。全体で10万人もいない。将棋で有名なのは、三好赤陵高校。H島市まで出るのはたいへんだから、幹事は来ないかもしれない……最後は、F市ブロック」
「御城のいるところですね」
「F市は、H島で2番目に大きな自治体だ。50万人程度の規模がある。だから北区と南区にわかれている。H島市からは遠いこともあって、気質的にはO山寄り。対抗意識もあるようだ。方言もH島弁じゃない」
「さすがに、ここの有名な高校は知ってますよ。紫水館でしょう」
御城の高校。
「そうだな。どちらかと言えば、甲子園で有名な高校だが、将棋も強い。特に女子は、一時期、ソールズベリーよりも強かった。紫水館三姉妹がいた頃だ」
「三姉妹って言っても、血は繋がってないんですよね?」
「単に3人強い女子がいたというだけだな。学年は被っていない。歳も離れているから、3人が同じチームにそろったこともない。一番上から、索間、萬屋、筒井で、個人戦の県代表に全員なっている。一番下の筒井さんは、まだ大学生だったかな。さすがにみな卒業してしまったから、今はY口県の毛利三姉妹のほうが有名だ」
「吉川、毛利、小早川の3人ですよね。あれって、血が繋がってるんですか?」
「繋がっている。長女と次女は他家の養子になって、苗字が変わっただけらしい。長女の吉川さんは社会人だし、次女の小早川さんももう大学生だから、今のところ関係ない面子だな……と、紫水館の話が長くなってしまった。日日杯で重要なのは、そこじゃない。早乙女のいる、数学館積木寮だ」
磯前先輩の表情が、すこしだけ変わった。
俺はそれを横目で意識しつつ、べつのところに質問を飛ばした。
「ずいぶんと変わった名前の高校ですね」
「理数系に特化した学校で、数学の偏差値は全国でもトップクラスだ。早乙女は、そこに数学推薦で入れるほどの数学好きなわけだが、将棋もめちゃくちゃ強い」
「桐野先輩と、どっちが強いと思います?」
「そこは、なんとも言えない……全国大会の順位だと、同じくらいだと思う。磯前に訊いたほうがいいな。磯前は、どう評価する?」
「悪いけど、早乙女さんとは指したことないんだよね。分かんないよ」
「そうか……さて、だいたい説明を終えたわけだが、なにか質問はあるか?」
俺と磯前先輩は、ないと答えた。
「では、O山県に移ろう……と、そのまえに、ふたりとも、感想を言ってくれ」
香宗我部先輩は、俺のほうに顔を向けた。
「そうですね……とりあえず、全員倒せばいいんでしょう?」
「ひとの話を聞け」
地図は、下記のサイトからお借りしました。
http://www.freemap.jp/item/hiroshima/hiroshima.html




