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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第19局 幹事会杯争奪戦(2015年5月31日日曜)
200/682

188手目 赤き狼

 対局が始まった。

 私たちは、固唾を呑んで見守る。

かえでっちの中飛車は、既定路線だべな。早乙女さおとめっちが、どうするかだべが……」

 奥村おくむらがしゃべり終えるまえに、素子もとこちゃんは3四歩と突いた。

 以下、5八飛、4二銀(?)、5五歩、4四歩、7六歩、4三銀と進む。


挿絵(By みてみん)


 な、なにこれ? ……トリッキー過ぎるでしょ。

 ギャラリーも、若干ざわついた。

 不破ふわさんは、飴玉のスティックを噛んで、素子ちゃんを睨みつけた。

「おい……どういう了見だ?」

「どうかしたの?」

 不破さんは、こぶしで机を叩いた。

「ふざけた将棋指してんじゃねぇぞッ!」

「5筋を受けるために銀を上がる将棋の、どこがふざけてるのかしら?」

 素子ちゃんは平然としている。でも、こんな受け方、尋常じゃない。

 後手は、ここからどう指す気なのだろうか。

「チッ……あとで吠え面かくなよ。7七角」

 3三角、3八銀、2四歩、4六歩、2五歩、8六角、6二銀。


挿絵(By みてみん)


 えぇ……陽動振り飛車……ですらないような……。

「早乙女っち、わざと負けようとしてるんじゃないべか?」

「それは、ないわ。素子ちゃんの将棋に対する姿勢はホンモノよ」

 私は、小6のときに参加した、将棋大会のことを思い出していた。小さい頃から将棋を指していた私は、ほかの町の子とも仲良くなっていた。桐野きりの先輩は中学に上がって、優勝は茉白ましろちゃんかな、なんて、みんなで話していたとき――こいつは現れた。

「奥村、あのときの大会、覚えてる? 5年前の」

「早乙女っちのデビュー戦だべか?」

「そうよ」

「忘れたくても、忘れられないべ」

 エントリーがほぼ終わりかけた頃、その子は現れた。赤い野球帽をかぶって。

 地元チームの帽子だってことは、すぐに分かった。近くに球場があるし、迷子かと思ったけれど、ちがっていた。参加者だったのだ。保護者につれられた少女は、会場のすみっこに座って、ひとりで詰め将棋を解き始めた。だれも知らないようだった。帽子が目立つという以外には、私も注目していなかった――1回戦で、茉白ちゃんが倒されるまでは。

 

 パシーン

 

 駒音が、私を思い出から連れもどす。


挿絵(By みてみん)


「奥村、どう進んだの?」

「ん、見てなかったべか。6八銀、8四歩、5七銀、8五歩、7七角、6四歩、1六歩、1四歩、4八玉、6三銀、3九玉だべ」

「ありがと……後手は、どうまとめるつもりなのかしら」

「こっちが訊きたいべ」

 形だけ見ると、まるで初心者の戦いみたいだ。

 でも、盤面全体のバランスは、取れているような気がした。

 2四角、8八飛。

 先手は向かい飛車に振りなおす。

 3三桂、5八金左、7四歩、8六歩、同歩、同飛、8五歩、8八飛。

 後手は飛車交換を避けた。このかたちなら、当然だ。

「7三桂」


挿絵(By みてみん)


 なにこれ……ほんとに意味が分からない。

 不破さんも、目を白黒させていた。奥村も首をひねる。

「これで勝てるんだべか?」

「一応、次は両取りになってるわよ」

 私の指摘に、奥村は「そりゃそうだべが……」と言葉をにごした。

 不破さんもそれは分かっているから、6八角と引いた。

 7二金、7七桂、4二玉。

 結局、そっちに囲うのか。

「チッ」

 不破さんは、イラついているのか、軽く舌打ちをした。

 机に両ひじをついて、考え込む。

 ここまでの残り時間は、先手が5分、後手が10分。差がついていた。

「……8五桂だ」


挿絵(By みてみん)


 この手が指された瞬間、盤面だけでなく、教室の空気も動いた。

 ある程度の指し手なら、一瞬で同桂、8六歩、7七桂成、同角、6五桂まで見える。

 ブロック代表ばかりのこの面子で、気づかないひとはだれもいなかった。

「せっかちね……同桂」

 8六歩、7七桂成、同角、6五桂、6八角、5七桂成、同金。

 不破さんは、入手した桂馬を放り投げ、左手でキャッチした。

「左桂は、さばけた」

「振り飛車脳とだけ言っておくわ。4五歩よ」


挿絵(By みてみん)


 後手が攻勢に入る。

「不破っち、さっきのは指し過ぎだと思うべ」

「どうかしら。後手の陣形が薄いのは事実だわ」

月代つきしろっちは、不破っちを応援してるべか?」

 そんなわけないでしょ。素子ちゃんに勝ってもらわないと困るのよ。

 私怨じゃない。幹事長としての、公人の立場だ。

 むしろ、私情で応援相手を決めているのは、ほかのメンバーだと思う。

 青來せいらちゃんは、不破さんの友だちだから、あからさまにそっちを応援。

 安奈あんなちゃんととおるくんも、不破さん持ちっぽい。ふたりとも常識人で、顔には出してないけどね。反対に、小古堰ここせと近いメンバー、とくにH島県東部の男子は、素子ちゃんのほうを応援しているようだ。さとるは女子に興味がないから、どうでもよさそう。

 仮に私が、私情丸出しで応援するなら――不破さんよね。部外者からは、なんでと思われるかもしれない。理由は簡単。素子ちゃんは全然協調性がなくて、大会の運営なんかもまったく手伝ってくれないし……なにより、強いからだ。H島の将棋界に颯爽と現れて、数々の大会を欲しいままに蹂躙してきた少女。野球と数学と将棋をこよなく愛する、赤い帽子の女――赤き狼。それが、彼女のあだ名だった。

「んっただこと言っても、男子だって捨神すてがみっちに散々やられてるべ」

「捨神くんは、まだかわいげがあるでしょ。素子ちゃんはちがうわ」

「イケメンなら許されるってだけだべ」

 ぎくっ。

「ま、言いたいことは分かるべ。捨神っちは、あれでも繊細だべからな」

 私たちが雑談しているあいだも、局面は進んだ。

 2八玉、4六歩、4四歩、同銀、3六桂(両取り!)、4七歩成、同銀。

 素子ちゃんは、持ち駒の銀をつまみ、ふわりと打ち下ろした。

「7七銀」


挿絵(By みてみん)


「ッ!?」

 不破さんの背筋が伸びた。

 会場からも、小さな悲声が聞こえた。

「これは……決まったべ。不破っちの勝ちは、もうないべ」

「……」

 私は、しばらく息をするのも忘れていた。

 この局面……この局面に不破さんを誘導したって言うの? 中押し勝ちのかたちに?

「ここから寄せまでは、数学的に47手ほどかかるわ。まだ指す?」

「……」

「楓さん?」

「うるせぇ! 黙ってろッ!」

 不破さんは、机を左手で叩き、歯を食いしばった。

 無情に時間が流れて、あっと言う間に30秒将棋になった。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「同角ッ!」

 素子ちゃんは、舞うように角を成り込んだ。


挿絵(By みてみん)


「私の玉は、永久に詰まない」

「黙れって言ってんだよッ!」

 5八銀打、7九馬、4四桂、4三歩、2三銀、4四歩。

 桂馬が殺された。

 3四銀成、3二金、3八銀、1五歩、同歩。

「角も殺すわよ。7五歩」

 これは、取っても意味がない。だけど、ほかに指す手もない。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「5四歩ッ!」

 同銀、4七銀左、7六歩、4四角、4三歩。

 

挿絵(By みてみん)


 角も死んだ。

 6六角には6五歩で、7五角と逃げたら8八馬の飛車損になる。逃げられない。

「すごいべ……狼に、はらわたを食い荒らされてるべ」

 将棋指しなら、目を覆いたくなるような局面だ。

 不破さんはそれでも、じっと盤面に集中する。

「3三成銀だッ!」

「同金」

 同角成、同玉、5八飛に、素子ちゃんは1七歩の手裏剣を飛ばした。

 同香、1六歩、同香、2四桂。


挿絵(By みてみん)

 

 急所に駒が置かれた。1六桂とされたら寄りだ。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「1七金ッ!」

 苦しい受け。攻めの手段が皆無になった。

 7七歩成、4六桂、6七と。

「5九飛だッ! まだ諦めねぇぞッ!」

 素子ちゃんは、ピンと人差し指を立てて、5九の飛車を見下みくだした。

「その手を待っていたのよ。4六馬」


挿絵(By みてみん)


「ッ!?」

 これには、ギャラリーも驚いた。

「寄りがあるべか?」

「すぐにはないような気がするけど……」

 私と奥村は、30秒将棋のなかで読みを入れた。

 不破さんも、単純に同銀とした。

「3六桂打」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「たまげたべ……寄ったべ……」

 一瞬で寄った。

 身じろぎもしない不破さんのまえで、素子ちゃんは野球帽のツバを上げた。

「楓さん、あなたなら気づいているはずよ……詰んでるわ」

 詰み? 寄りじゃなくて詰んでるの?

 同歩、同桂、3七玉、2八角、3六玉、3五歩、同玉、3四歩、3六玉……そこで3五銀かッ! 同銀は同歩、同玉、3四銀、3六玉、4六金で詰むッ! かと言って3四歩に2五玉も、2四銀、3六玉、3五金、同銀、同銀、4七玉、4六銀、4八玉、5七銀打、同飛、同とまでッ!

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「ど、同歩ッ!」

 3六同桂、3七玉、2八角、3六玉、3五歩、同銀。

「そっちを選んだのね……うつくしい投了図だわ……8六飛」


挿絵(By みてみん)


 これも、詰んでる。4六合駒、4五銀打、4七玉、4六銀以下だ。

 私たちが唖然とするなか、パキンとなにかが折れた。

 不破さんが、飴玉のスティックを噛み切った音だった。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!

 

「負け……ました……」

「ありがとうございました」

 教室が静まり返る。

 肩の荷が、ドッと降りた気がした――出場権は、守られたのだ。

 感想戦が始まるのを待つ。だけど、言葉の代わりに、ぽたりと水音がした。

 不破さんは、左腕を机に乗せたまま、涙を流していた。

「ハハッ……弱いな、あたし……笑えるほど弱い……ほんとに弱い……ううッ……」

 ぼろぼろと泣き始めた不破さんに、青來ちゃんが駆けよろうとした。

 だけど、安奈ちゃんが、それを押し止める。

 不破さんは、まぶたをぬぐいもせずに立ち上がり、教室を出て行った。


 静寂――赤き狼は、つまらなさそうに、ただ虚空を見つめていた。

場所:修身高校

先手:不破 楓

後手:早乙女 素子

戦型:力戦


▲5六歩 △3四歩 ▲5八飛 △4二銀 ▲5五歩 △4四歩

▲7六歩 △4三銀 ▲7七角 △3三角 ▲3八銀 △2四歩

▲4六歩 △2五歩 ▲8六角 △6二銀 ▲6八銀 △8四歩

▲5七銀 △8五歩 ▲7七角 △6四歩 ▲1六歩 △1四歩

▲4八玉 △6三銀 ▲3九玉 △2四角 ▲8八飛 △3三桂

▲5八金左 △7四歩 ▲8六歩 △同 歩 ▲同 飛 △8五歩

▲8八飛 △7三桂 ▲6八角 △7二金 ▲7七桂 △4二玉

▲8五桂 △同 桂 ▲8六歩 △7七桂成 ▲同 角 △6五桂

▲6八角 △5七桂成 ▲同 金 △4五歩 ▲2八玉 △4六歩

▲4四歩 △同 銀 ▲3六桂 △4七歩成 ▲同 銀 △7七銀

▲同 角 △5七角成 ▲5八銀打 △7九馬 ▲4四桂 △4三歩

▲2三銀 △4四歩 ▲3四銀成 △3二金 ▲3八銀 △1五歩

▲同 歩 △7五歩 ▲5四歩 △同 銀 ▲4七銀左 △7六歩

▲4四角 △4三歩 ▲3三成銀 △同 金 ▲同角成 △同 玉

▲5八飛 △1七歩 ▲同 香 △1六歩 ▲同 香 △2四桂

▲1七金 △7七歩成 ▲4六桂 △6七と ▲5九飛 △4六馬

▲同 銀 △3六桂打 ▲同 歩 △同 桂 ▲3七玉 △2八角

▲3六玉 △3五歩 ▲同 銀 △8六飛


まで106手で早乙女の勝ち

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