18手目 女子の部1回戦 鞘谷〔藤花〕vs裏見〔市立〕(2)
パシリ
なるほど……これは、読んであった手だ。
正確に言うと、2五歩を突かないで直接この角打ちかと思っていた。
手の意味自体は単純で、4五の桂馬の救出。
5二金で角は死ぬけど、同角成、同飛、4一銀、8二飛、3二銀成、同玉と剥がせば、先手も戦える。2五歩を入れたのは、2八飛と寄って切る順も考慮に入れたのだろう。攻めに弾みをつけている。
「サーヤ、なかなかやるわね」
「今さらなに言ってんのよ」
「おたがいに受験勉強で、棋力も落ちてるかな、と」
サーヤは、肩をすくめてみせた。
褒められて、まんざらでもない様子。
それじゃ、サーヤの強烈な攻めを見習って、私も攻めちゃいましょ。
「4七歩」
この手に、サーヤの表情がくもった。弛緩ぎみだった頬を引きしめる。
「垂らしの歩……」
サーヤはあごに手を当てて、2度さすった。
「わざと取らせに行く作戦?」
「……」
サーヤの憶測は、当たっていた。
4七歩は、先手に5八金〜4七金とさせるのが狙いだ。
看破されちゃったけど、回避するのはむずかしいと思う。
放置なら4八歩成で、こちらがよくなる。
「攻める手があれば、あるいは……」
サーヤ、持ち時間を大量に使う長考。
首をひねったりして、ああでもないこうでもないとつぶやく。
攻める手は、さすがにないと思うけどなあ。
「……5八金」
ほらね。私はいったん、2六角成と逃げた。
「なーんか誘導された気もするけど……4七金」
「2七馬」
飛車をイジメにかかる。
4八飛、4六歩、同金、3七馬。
「ちょこまかとうるさい。4九飛」
さて……ここからが問題。
飛車をイジメ続けるなら、3八馬と入りたい。
けど、それが厳しいかと言われたら、微妙。
3八馬、6九飛、3七馬、5六金と進めてみても、なにかあるわけじゃない。
むしろ狙い目なのは、4八歩……なんだけど、歩がない。
ということは、この一手。
「9五歩」
端で回収する。
サーヤはこれを予想していなかったらしく、目を見張った。
「なに、それ?」
ご自分でお考えください。
「……そっか、歩を補充して4八歩……だけど、成立してるの?」
サーヤは、疑問形で台詞をむすんだ。
彼女の考えていることは、なんとなく分かる。9五同歩、同香、同香、4八歩に2九飛と逃げて、これが銀当たり。以下、4六馬、2五飛は、駒得になっていない。
私も考えないといけない順だ。工夫が必要。さしあたり、3六馬を予定している。2九飛、5八馬と入って、次に8六歩……いや、これはそんなに厳しくないか。
私はチェスクロを確認した。残り時間は、私が13分、サーヤが12分。
サーヤは時間がないと判断したらしく、9五同歩と取った。
私は深呼吸して、本格的に読みを深める。
……………………
……………………
…………………
………………
7五歩、同歩を入れておく手がありそう。
例えば、ここから7五歩、同歩、9五香、同香、4八歩、2八飛、4六馬、2五飛、3六馬、2九飛、5八馬は、どう?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは次に7六歩を狙っている。攻めが途切れることはない。
私はさらに30秒ほど確認して、7五歩と突いた。
「ん? 歩の回収じゃなかったの?」
ちゃんと回収するわよ。あとでね。
サーヤは、読みをずらされたと誤解したらしい。この手にも1分考えてくれた。
「狙いがよく分からないけど……同歩」
9五香、同香、4八歩、2九飛、4六馬。
「2五飛」
「3六馬ッ!」
サーヤは、うッとうなった。
「しまった……7六の地点がキズになってる……」
さあ、どうする。
サーヤ、苦渋の3連続長考。
時間差が大きくなる。私は11分、サーヤは7分。
さんざん悩んだあと、サーヤは持ち駒の歩を手にした。
ん? 歩? それは読んでないわよ。
パシリ
せ、攻めてきた。
飛車を見捨てるとは思わなかったから、今度は私が長考する。
ここで初めて、本日のお茶のキャップを開けた。
喉をうるおしつつ、4三歩の対応を考える。
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……………………
…………………
………………
取らない手もある……かな。
居飛車党なら、次に4二歩成、同金で、先手が指せると判断するひともいそう。矢倉や角換わりだと、飛車がなくても寄せることは可能だから。でも、このかたちなら、後手は入玉がある。それを阻止するためには、4二歩成、同金に2七香とか2八香とか、そういう手を指さないといけない。
その香車を打たれたときの形勢判断が、私のなかでつかなかった。うむむ。
「……高校最後の個人戦かもしれないし、ちょっと踏み込むわ。2五馬」
私は飛車を取った。後悔しないために。
4二歩成、同金、2七香、5八馬。
「6八金打」
受けた? ……イケる気がしてきた。
残り8分の貴重な時間を使って、私は読みに没頭する。
7六歩が第一感で、同銀、同馬は後手優勢。
本命は5八金、7七歩成、同金(同桂は7六歩が残る)かしら。
そこで6九飛と下ろすのが、強烈に厳しい。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
いきなり下ろすか、8六歩や7六歩を入れるかは、意見が分かれるところかも。
いずれにせよ、7六歩〜6九飛までは確定だ。
私はサーヤの対応を訊くため、読みを打ち切って7六歩と打った。
5八金、7七歩成。
「同玉」
そっちか……どうやら、入玉を目指そうとしているらしい。
ここで6九飛? 9六の地点が空いてるから、9六飛でもいい気がしてきた。
その瞬間、私の王様に迫ってくる手があるかどうか……候補は、5一角の金取りか、2四歩の逃げ道封鎖よね。一回2四歩と打ってきそう。4二金が離れてるから、そのまま2三歩成、3一玉、2二銀で詰みだ。4一に角が利いている。
つまり、2四歩は詰めろ。先手玉に詰めろは掛かる?
……………………
……………………
…………………
………………
掛からないっぽい。9六飛は、6八玉〜5九玉を許していて、捕まらない。
こういうのがあるから、角換わりの後手番はつらいのよね。押していても、自玉がそこまで安全じゃない。2四歩、同歩以下で、もういちど収める必要あり。かと言って、2四歩を直接的に封じる手はダメ。受けに駒を投入する余裕がない。
私は残り5分を切ったところで、6九飛と下ろした。
「2四歩」
やっぱりの詰めろ。
同歩、2三歩、同玉、2五歩、同歩、2四歩、同玉。
ここまで指して、サーヤの顔がゆがんだ。
「攻めが続かない……」
さすがに、これは詰めろがかからない。
サーヤも受けに出るはずだ。私は攻めを考える。
「……」
「……」
サーヤは残り2分まで考えて、7六銀と打った。
6筋と8筋の同時受け。ちょっと欲張りじゃないかなぁ。
「8九飛成」
私は、一番普通の手を選択した。優勢なときに、奇策はいらない。
「7一銀」
ふむふむ、残り2分まで考えたのは、この入玉策を練るためか。
だーけーどー、先手陣に対しては、詰めろがいくらでもかかる。
私は、残り1分まで徹底的に考えた。一直線の変化が多い。
……………………
……………………
…………………
………………
「6九銀」
7八龍までの詰めろ。分かりやすくて、ほどきにくい。
「……6八金右」
私は10秒だけ確認して、8六金と打った。
「うッ……」
サーヤは青ざめた。入玉は絶望的。
8六の金を取ろうが取るまいが、王様を右に逃げるしかない。
「取ったほうがいい……? でも、取ると同龍だし……」
サーヤは口もとにこぶしをあてて、ぶつぶつとつぶやいた。
ピッ
サーヤ、1分将棋。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同歩ッ!」
サーヤは、金の入手を優先した。
後手玉を攻めるには、角一枚じゃ足りないと判断したのだろう。
私も1分将棋になる。冷静に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同龍」
6七玉、5五桂。
ここに桂馬を打てるのは大きい。
「くッ、5六玉」
「7六龍」
「そっちも攻めが止まってるじゃないッ! 8二銀成ッ!」
甘い。こっちの攻めは切れてない。
「4七銀」
4六玉、6六龍――サーヤは、ここでなやんだ。
「あ、合駒選択?」
合駒なら、なにを打たれても3五銀だ。
以下、3七玉、3六銀直、2八玉まで決める。
このとき、金合だったら5六龍、同歩、3七金、1八玉、2七銀成、2九玉、3八銀成まで。飛合だったら5六龍、同歩、2七銀成、同玉、2六香、1八玉、2八飛、1七玉、2七飛成まで。後者の場合は3六銀直に同飛もあるけど、同龍、2八玉、2七龍、同玉、2六香以下、さっきとおなじ詰み筋に入る。
最後に角合の場合は、5六龍じゃなくて6八龍と切るのが詰めろ。以下、同金、3七金となって、5六金合の場合とおなじになる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3七玉ッ!」
これまで読んだ順を回避してきた。
「でも、それは詰み。3六銀不成」
サーヤは、眉をひそめた。
「詰み? ……詰まないでしょ。2八玉」
2七銀不成、同玉、2六龍。
さあ、これで先手玉は詰んでいる。シンキングタイム。
サーヤは時間攻めに出て、すぐに3八玉と指した。
「3七香」
「4八玉」
私は、スーッと龍を入る。
「2八龍」
「え? それは5九玉〜6九玉で、詰まな……あッ!」
やっと気付いたわね。
5九玉、3九龍、4九歩合に4七桂不成(!)と跳ねて、6九玉、4九龍まで。
金2枚が邪魔になるという、皮肉な詰み方だ。
「まさか桂馬と龍だけで詰むなんて……」
サーヤは、くやしそうに目をつむった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
「ありがとうございました」
おたがいに一礼して終了。
私は対局をふりかえりつつ、お茶を飲んだ。
サーヤが口をひらくのを待つ。
「……最後、5六に合駒したほうがよかった?」
「それも全部寄るわ」
私はさっきの読みを伝えた。
サーヤも、ふんふんとうなずいて、
「そっか……合駒は全部寄るのね……2二飛も意味ないし……」
と言ってから、すこしまえにもどした。
【検討図】
「受けずに7一銀?」
サーヤはすこし迷ったあと、ようやく銀を打った。
私も気になった順で、結構厳しい。
例えば8三飛と逃げると、7二角成、8四飛、5一角で、どんどん悪くなる。
「無視して8九飛成かな」
私は桂馬を回収した。
サーヤは椅子にもたれかかって、うーんとうなった。
「ここで8二銀成は、本譜と同じ6九銀で参るのよね。2二飛と打っても、2三金が飛車当たり。私の王様には詰めろがかかってて、飛車が実質死んでる」
そういうこと。4二飛成とするヒマがない。7八龍一発で詰んでしまう。
「2二飛の代わりに6七銀だと、香子ちゃんの対応は?」
「5八銀不成かな」
【検討図】
「同銀で?」
「8六金と打って、6七玉、7八龍、同玉以下、並べ詰み」
5八が金から銀に変わったことで、頭金の詰みが生じている。
サーヤは、感心したようにうなずいた。
「なるほどね。じゃあ、6七銀はやめて……」
「第2局は定刻どおり始めますので、終わったところから休憩に入ってください」
箕辺くんの指示に、まわりが慌ただしくなってきた。
サーヤは右肩をぐるぐる回して、ため息をつく。
「さすがは県竜王、最後の詰みは、あざやかだったわね」
サーヤに褒められると、なんだか照れる。
「2回戦もがんばってちょうだい。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
場所:2015年度 春季団体戦 女子の部 1回戦
先手:鞘谷 涼子
後手:裏見 香子
戦型:角換わり腰掛け銀
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △3二金 ▲7八金 △8五歩
▲7七角 △3四歩 ▲8八銀 △7七角成 ▲同 銀 △4二銀
▲3八銀 △7二銀 ▲9六歩 △9四歩 ▲4六歩 △6四歩
▲4七銀 △6三銀 ▲6八玉 △4一玉 ▲5六銀 △5四銀
▲5八金 △4四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲3六歩 △5二金
▲7九玉 △3一玉 ▲3七桂 △7四歩 ▲6六歩 △3三銀
▲4八飛 △4二金右 ▲8八玉 △2二玉 ▲6八金右 △2四銀
▲4五歩 △同 歩 ▲同 銀 △5九角 ▲3八飛 △4五銀
▲同 桂 △4四銀 ▲2五歩 △同 銀 ▲6三角 △4七歩
▲5八金 △2六角成 ▲4七金 △2七馬 ▲4八飛 △4六歩
▲同 金 △3七馬 ▲4九飛 △9五歩 ▲同 歩 △7五歩
▲同 歩 △9五香 ▲同 香 △4八歩 ▲2九飛 △4六馬
▲2五飛 △3六馬 ▲4三歩 △2五馬 ▲4二歩成 △同 金
▲2七香 △5八馬 ▲6八金打 △7六歩 ▲5八金 △7七歩成
▲同 玉 △6九飛 ▲2四歩 △同 歩 ▲2三歩 △同 玉
▲2五歩 △同 歩 ▲2四歩 △同 玉 ▲7六銀 △8九飛成
▲7一銀 △6九銀 ▲6八金右 △8六金 ▲同 歩 △同 龍
▲6七玉 △5五桂 ▲5六玉 △7六龍 ▲8二銀成 △4七銀
▲4六玉 △6六龍 ▲3七玉 △3六銀不成▲2八玉 △2七銀不成
▲同 玉 △2六龍 ▲3八玉 △3七香 ▲4八玉 △2八龍
まで120手で裏見の勝ち




