女子高生、解説役に挑む
私が男性スタッフに声をかけられたのは、最後の衣装チェックのあとだった。
「裏見さん、裏見香子さん、スタンバイお願いします」
私は返事をした。靴の具合を確かめてから、壇上にゆっくりとのぼった。ポニーテールが揺れる。階段をのぼりきっても、拍手は起きない。本物の主役たちは、となりの部屋で対局している。私のうしろにあるスクリーンが、その会場を映し出していた。マイクが駒音をひろっている。
「裏見さん、こちらへどうぞ」
私は、白いテーブルクロスで覆われた、長方形の解説席に腰をおろした。花柄のドレスを身にまとった少女が、先に着席していた。私は高校生らしいワンピースを選んだつもりだけれど、おとなし過ぎたかしら。ま、いっか。見栄はっても、いいことないし。
とりあえず、あいさつ。
「一之宮さん、今日はよろしく」
「裏見さん、よろしくお願いいたします」
私は遅刻を詫びて、椅子に座った。ヘッドセットを装着し、そこから伸びているマイクを口もとに合わせた。
「これ、しゃべっても選手には聞こえないのよね?」
私は、選手への助言にならないかどうか、一之宮さんに確認をとった。
「ネット中継につながっているだけなので、ご安心を」
それはそれで緊張する。
私はマイクを2、3度小突いてから、手元にあるタブレットを確認した。
っと、結構進んでた。
「どれから解説する?」
一之宮さんも、自分のタブレットをタブペンでスクロールさせた。
「そうですね……裏見さんに決めていただいたほうが……」
先輩に丸投げ禁止──とりあえず、私は女子の対戦表を確認した。
《日日杯 女子の部 1日目1回戦》
(K知県) 磯前 好江 vs (T島県) 大谷 雛
(E媛県) 宇和島 伊代 vs (Y口県) 長門 亜季
(K知県) 越知 夢子 vs (T取県) 梨元 真沙子
(E媛県) 温田 みかん vs (H島県) 桐野 花
(T島県) 那賀 すみれ vs (S根県) 出雲 美伽
(K川県) 二階堂 亜紀 vs (O山県) 鬼首 あざみ
(H島県) 西野辺 茉白 vs (H島県) 早乙女 素子
(Y口県) 萩尾 萌 vs (K川県) 二階堂 早紀
(Y口県) 毛利 輝子 vs (O山県) 剣 桃子
「……磯前vs大谷戦は、どう?」
「そこですか……同郷の桐野さんあたりからかと思いました」
「ダメ?」
「いえ、わたくしはどこからでも」
じゃあ、一之宮さんにはもうしわけないけど、磯前vs大谷戦から。このふたりとは仲が良くて、将棋が分かりやすいのよね。完全に私情で選択してしまった。
とりま、タブレットでお目当ての対局に切り替える。
【先手:磯前好江(K知県) 後手:大谷雛(T島県)】
ほほぉ……こうなってますか。
「ふたりとも3年生で、棋風は居飛車党です」
一之宮さんは、タブレットの選手情報を読み上げた。
私も、過去の戦歴をチェックした。
「公式の対戦成績は……ナシ、か……全国大会で当たってないのね」
「1年に1度の大会で、他県の選手とは指したことのないひとも多いです。とはいえ、おふたりは四国勢ですから、非公式では指していると思います」
それも、そうか……っと、盤面が動いた。
「端を突き返さなかったわね」
「これは、詰めるしかないでしょう」
一之宮さんが言い終わるまえに、端が詰められた。1五歩だ。
「矢倉で端を詰められたら、後手の主張はなにかしら?」
「その分の手数を稼いで、速攻だと思います」
「例えば?」
一之宮さんは、タブペンで駒を動かしながら、
「最短は7三銀〜7五歩ですから……7三銀、4六銀、7五歩は、どうでしょうか」
と提案した。
【参考図】
ふむふむ、せっかちだけど、無いとは言い切れない。
「同歩、同角の進行?」
「それは、先手に3五歩の反撃を残して損です。同歩、4五歩、3七銀、7五角かと」
一之宮さんの読み筋を、私は頭で追った。
すると、イヤホンからスタッフの声が聞こえた。
《すみません、なるべくタブレットでも動かしてください》
うむむ、人使いが荒いわね。
私は、タブレットを動かしつつ、続きを考えた。
「あ、裏見さん、7三銀が指されましたよ」
4六銀も、すぐに指された。そこで、後手の手がとまった。
「一之宮さんの読み通りになりそうね」
「次の一手は、長考すると思います……ほかの対局も、いかがですか?」
「そうね……今度は、一之宮さんが選んでいいわよ」
一之宮さんは、温田vs桐野戦を選択した。即答だった。もとからチェックしたかったのね。先輩後輩は気にせず、言ってくれればよかったのに。
私はタブレットのメニュー画面をひらいて、局面を切り替えた。
【先手:温田みかん(E媛県) 後手:桐野花(H島県)】
うわ、凄いかたちになってる。力戦形だ。
「初手から見てみましょうか」
私は、局面を初手にもどした。7六歩、3四歩、1六歩、1四歩、6八飛、2四歩、4八玉、2五歩、2八銀、6二銀、3八玉、5四歩、7五歩。
【途中図】
「これは……えーと……」
私は、解説に悩んだ。すると、一之宮さんが代わりに説明してくれた。
「温田さんも桐野さんも振り飛車党なので、出だしを警戒したのだと思います。1六歩、1四歩の様子見から、後手が態度を保留しているかっこうです。相振りもありえるかと」
ふむふむ、なるほど。
「ありえるって言うか、そっちの可能性のほうが高いわね。2五歩と伸ばしてるから」
この歩は、2二飛と振らない限り、負担になってしまう。
案の定、桐野さんは5三銀以下、6六歩、3三角、7八飛、2二飛と進めていた。
というわけで、これが、現局面。
「先手は金無双っぽいけど、矢倉に組み替えるの?」
私の質問に、一之宮さんは、
「どうでしょうか……私は居飛車党なので……」
と、言葉を濁した。もともと振り飛車党だった私は、昔の知識を総動員して、先を読んでみ。先手も後手も飛車先を切りたいから──
「2六歩は防げないから……先に7四歩、同歩、同飛、7三歩、7六飛?」
「有力ですね」
「あるいは、一回6八銀と上がっておくのもありね。例えば……6八銀、2六歩、同歩、同飛、6七銀、2二飛に2七歩とか」
【参考図】
6七銀→2七歩の順が大切。でないと、6六飛、同角、同角で痺れてしまう。
「それも、有力ですね」
こらこら、一之宮さん、便乗してばっかりじゃない。
私は、タブレットの画面を、現局面までもどした。
その途端、6八銀が指された。
「こっちなんだ……温田さん、消極的」
「これだけの大舞台です。さすがに慎重になるかと」
それも、そうか──中四国エリアの高校生最強を決める大会。それが、この日日杯だ。中国地方5県(H島、O山、T取、S根、Y口)、四国地方4県(E愛、K知、T島、K川)の代表が集結している。どの選手も、県大会を勝ち抜いたメンバーだ。今指している桐野さんは、私と同じH島の出身で、過去4回県代表になっている。相手の温田さんは、E媛の出身で、こちらは過去3回県代表。どちらも強豪だ。
しかも、日日杯は異例の4日制。初日から3日目までは総当たり。その時点でベスト4に残ったメンバーが、最終日に準決勝と決勝のトーナメントを争う。持ち時間は、それぞれ30分60秒。ものすごく長丁場の戦いだった。
パシリ
タブレットが動いた。
2六歩が指されていた。
「桐野さんは、いつも通りという感じですか」
そうね……私と桐野さんは、比較的親しい間柄だ。何回か指している。普段はほんわかした女の子だけど、ダイレクト向かい飛車でガンガン攻めて来る棋風。将棋指しは、普段の性格と盤上の性格が、ちぐはぐなイメージ。私は、そんなことないわよ。
「これは、同歩?」
「2七歩成、同銀は、3七歩成、同銀と違って、意味がありません」
「ってことは、同歩、同飛……」
パシリ。
あ、指した。