183手目 H島県幹事会杯争奪戦 準決勝 不破vs御城
準決勝に進んだあたしは、教室のすみっこで休憩。
次は御城先輩だ。高校竜王戦の優勝者だからなあ。気合い入れていくぜ。
「よぉ、楓」
いきなり声をかけられた。友愛塾の大伴だった。
サングラスを外して、こっちをじっと見ている。
「勝利、なんの用だ?」
「用がなけりゃ、話しかけちゃダメなのか?」
「そうは言ってないだろ……で、用はないんだな?」
「ある」
あるのかよ。
あきれるあたしの横へ、勝利は腰をおろした。
「駒桜に、来島っていう女がいるだろう」
「いるけど……まさか、ラブレター渡せとかじゃないだろうな」
勝利は、きっぱりと否定した。
「最近、トラブルがあったとか、そういう話は聞いてないか?」
「トラブル? ……ああ、市立でも、師匠とおなじ病人が出てたな」
「もっとまえの話だ」
勝利は、4月頃のことだと言った。覚えてねぇよ。
「あたしは市立じゃないから、そんなこと言われても知らないよ」
「そうか……悪かったな」
やけに聞き分けがいいな。なにがしたかったんだろうか。
首をひねっていると、月代幹事長の声がかかった。
「それでは、準決勝を始めます。着席してください」
よし。あたしは、教室の中央へ。準決勝だけあって、注目度は、なかなか。御城先輩はすでに着席して、本を読んでいた。あいかわらずだなあ。なに読んでんだ。
あたしは駒を並べて、振り駒。表が4枚。今度は先手。
歩をもとの位置にもどしていると、御城先輩が顔をあげた。
「捨神は、大丈夫だったのか?」
「大丈夫でしたよ」
「なんの病気だ? 後遺症は?」
「えーと……心因性発熱、でしたっけ。ストレスが原因らしいです」
「そうか」
御城先輩は、やけにホッとしたようだった。ま、片思いの相手だからな。
でもなあ、師匠にはもう彼女いるんだよね、これが。ここで伝えたら、動揺して楽勝になる気がするな。盤外戦術……いや、やめておこう。師匠自身、まわりに隠してるような気がする。それにしても、なんで相手がアレなんだ。
「対局準備の整っていないところはありますか? ……それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
あたしは一礼して、御城先輩がチェスクロを押す。集中、集中。
「5六歩」
あたしの武器は、これ一本。
3四歩、5八飛、1四歩、5五歩、1五歩。
変則的な出だし……からかってるわけじゃなく、策がありそうだ。おそらく、公式戦だと使えないけど、試してみたくなるような作戦だろう。
あたしは7六歩から、慎重に駒組みを進める。
6二銀、4八玉、4二玉、3八玉、3二玉、6八銀。
「ほぉ……そのかたちにしてくるか。だったら、5四歩だ」
いきなり開戦。だけど、部分的には、よくあるパターンだ。
同歩は8八角成で投了になるから、5七銀と上がっておく。
5五歩、4六銀。歩は、これで取り返せる。
5三銀、5五銀、5二飛と回って、位の攻防戦になった。
「この格好で支えるのはムリか……4六銀」
あたしは、おとなしく引いておいた。無謀なケンカはしない。
御城先輩は30秒ほど考えて、8八角成と成った。
同飛に、すぐさま5四銀が指される。
「5八飛で」
「3三角」
このタイミングか……さすがに、7七角しかない。
7七角、5五歩、2八玉、6二金、3八銀。
美濃囲いを完成させたところで、御城先輩は「ふむ」と息をついた。
「5筋の制空権は、俺がにぎったようだな」
「欲張り過ぎじゃないですかね。バランスが悪いですよ」
言葉のジャブをはなってから、対局はさらに進む。
7四歩、6八金、7三金。
「やっぱりバランス悪いですね」
「そういうことは、位を取り返してから言うんだな」
おう、望むところだ。
あたしは飴玉をほおばって、5筋奪還の作戦を練る。
……………………
……………………
…………………
………………
なかなかむずかしいな。早指しでも、スキがない。
とはいえ、ここで怯んだら女がすたるし、いくぜ。
「5六歩ッ!」
6四金〜7三桂とされるまえに動く。
御城先輩も、動かれることは予想していたらしく、対応が早かった。
6四金、5五歩、同銀、同銀、同金の銀交換。
ここで立ちどまると、5六歩で本格的に制圧されてしまう。
「4六銀」
あたしは、銀を打って牽制した。
「そうきたか……5四歩だ」
5五銀、同歩。金銀交換。
「4五金ッ! 歩をいただきますッ!」
イモ筋だが、受けがない。
本命は、5五金のスライドじゃなくて、3四金だ。
御城先輩は、本で顔をあおぎつつ、5六歩と伸ばした。
ここが、一回目の正念場だな。長年の勘で分かる。
まず、いきなり3四金はない。7七角成、同桂、5七銀と打ち込まれて終わる。
飛車先を止める必要があるな……5五歩〜5六飛か?
強気でいいなら、5四歩もあるんだが……7七角成が気になる。同桂のあと、5七銀、同金、同歩成、同飛、6八角があるからな。5六飛と上がって、7七角成、5三歩成……これは、あたしのほうがいけそうか。すぐに角交換が成立しないなら、5四歩でいこう。
「5四歩」
御城先輩は腕組みをして、体を前後に揺らし始めた。
「……なるほど、角交換はムリか。それなら、こうだ」
これは……5六飛の防止と、5四銀から歩のかすめ取りか。
場合によっては、7六銀の進出も見ている。
ここで3四金か? 3四金、7七角成、同桂……さすがに5四飛、6五桂、3四飛、5六飛みたいな展開は、あたしに都合が良過ぎる。5四銀とすなおに逃げて……いや、それは後手が消極的過ぎるな。これもあたしがいい。
3四金、7七角成、同桂のときに、銀を逃げないで5七銀、同金、同歩成、同飛、6八角か? これなら銀は取れないが……ただ、5八飛、7七角成、5三歩成、9二飛、4三とがあるんだよな。これは、後手勝てないだろ。
「……」
「どうした? ずいぶん考え込んでるな」
あたしは右肘をついて、口もとに手をあてた。
なにかあるぞ、これ。飛び込むとマズい気がする。
……………………
……………………
…………………
………………
そうかッ! 7七角成が間違いだ。3四金、2二角、同角成、同玉、7七桂に、5七歩成と成り捨てて、同金なら5四銀。同飛なら7九角か。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
5五角としても、1二玉で続かない。
危ねぇ。これはあたしの負けだ。
だが同時に、対応策も思いついた。華麗にいくぜ。
「5三歩成」
あたしの一手に、御城先輩も微妙に反応した。
「読みきりか……そうでないと、おもしろくない。同飛」
「3四金ッ!」
これなら、さっきの順はない。6五の桂跳ねが、5三の飛車に当たるからだ。
以下、おたがいに少しずつ時間を使い始めた。
2二角、同角成、同玉、7七桂、5四銀、8二角。
敵陣に先着できた。
「4五銀」
「9一角成」
御城先輩の手が止まった。
「金はくれてやる、というわけか?」
「拾いたきゃ、どうぞ」
ここは、相手も悩ましいはずだ。5七銀なんかも見えるからな。
御城先輩はセオリー通り、駒得の3四銀を選択した。
玉頭にプレッシャーがかかっていたから、それを除く意味合いもありそうだ。
「5五香ッ!」
二歩のルールを突いた強手。飛車が横に動けないところを狙っている。
あたしはこの手を指してから、チェスクロを確認した。
残り時間は、あたしも御城先輩も1分。
勝負所とみたのか、御城先輩は持ち時間を使い切った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5七歩成だ」
同飛、7九角、5八飛から、6八角成と切ってきた。
しまった。この手があったか。あたしはしぶしぶ、同飛と取る。
御城先輩は5四歩と打って、香車を殺しにきた。
「そうは問屋がおろしませんよッ! 6五桂ッ!」
5一飛、5二歩、同飛、5三歩、3二飛、5四香。
香車の救出に成功。
「さすがに読みの範囲内だッ! 6四金ッ!」
ぐッ……攻め駒を攻めてきたか。5四金〜6五金とされたら終わる。
ここで、あたしも1分将棋に突入した。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8一馬ッ!」
5四金なら6三馬をみせる。
「いったん受けるか。5一歩」
一瞬の小康状態。5八飛と寄った。
以下、4五銀、4六桂、5六銀打と、ふたたび5筋の攻防戦が始まった。
「桂馬を逃がすしかないか……7三桂成」
「6七銀不成だ」
ちくしょ〜、飛車が使えなくなった。9八飛だ。
「3六歩」
後手は、3筋の飛車が活きてきた。
同歩、5六銀引成。
こうなったら、不破さまの腕の見せどころだあ。
まずは、7七角と王手して、4四金と使わせる。そのあと、4八金で囲いを厚くした。
「手がない……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4二金ッ!」
ん? さすがにそりゃ緩手じゃないか。
あたしは29秒ぎりぎりまで考えて、6三成桂と寄った。
5五金右、5二歩成、同歩、同香成、同金、同成桂、同飛。
「5七歩ッ!」
全部さばけたうえに、5筋を止めたぞ。手応えあり。
御城先輩は、やや険しい表情。
「安全策が裏目に出たか……6六成銀」
「8六角」
冷静に指す。
御城先輩は、一番急所と思しき2四桂を打った。
あたしは3七銀と固める。
「7六成銀」
「切りますッ! 3一角成ッ!」
同玉、6三馬、9二飛、7二歩。
おたがいに飛車が使えなくなった。
3二香、6四馬、2二玉、4一金。
4一金は、普通ならぼんやりしている手だ。一段目の金は、動きが制約される。
でも、この局面なら、3一馬を見て絶品。
途中に防壁がないから、止めることもできない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3六桂」
突っ込んできた。
「同銀ッ!」
「同香」
「全軍突撃ッ! 3一馬ッ!」
3三玉に、いったん3七歩と受けて、同香成、同桂まで清算する。次は4五桂だ。
御城先輩は7二飛と寄って、二段目の守備を厚くした。
「2五銀」
上から押さえる。
当然に3五金と上がってきたが、4五桂、同金左に3四銀打。
「入玉するか……4四玉」
そうはさせないぜ。4五銀、同金、6四馬の詰めろ。
中段玉、なぜか寄せやすし。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3五金ッ!」
「3六桂ッ!」
同金なら、3四金、4五玉、5四馬で即詰み。
御城先輩は、しぶしぶ3三玉と引っ込んだ。
3四歩、2二玉、3一馬。
「……さすがに挽回の余地がない。投了だ」
「ありがとうございました」
ふぅ……あたしは、額の汗をぬぐった。
今日、めちゃくちゃ調子よくね? またまたまた快勝。
一方、御城先輩は、あまり納得がいかないような顔をしていた。
「飛車抜きの中飛車に負けるのか……冴えないな」
「4二金は、なんだったんですか? あそこから、急に指しやすくなりましたけど」
感想戦を始める。問題の局面までもどした。
「この局面は、これしかないだろう」
御城先輩はそう言って、もみあげ付近の髪を引っ張った。
「単に5五金右だと、なにがイヤなんです?」
「それは、6三馬が金当たりになる。4二金、6二成桂で、一応一手稼げるが、その一手のときに動かせる駒がない。一歩あれば3五歩なんだがな」
ん、そうか。緩手だとは思ったが、ほかに手がないようだ。
「あたしの読み不足ですね」
「まあ、手がない局面で読みが深まってもしょうがないんだが……終始、歩切れが響いたな。3二に玉がいるうちは、1六歩、同歩、同香すらありそうだった」
さすがに、ムリじゃなかろうか。
あたしたちは、もうすこしまえの分かれを検討した。
すると、教室のドアがひらいて、
「アハッ、みんなそろってるね」
という、師匠の声が聞こえた。あたしたちは、そちらへ一斉に振り向いた。
「あれ、師匠、来てたんですか……って」
おいおい……自称宇宙人と一緒かよ。
師匠は、白い開襟シャツに黒の長ズボン。宇宙人のほうは、ラベンダー色のフレアミニスカ-トに、クリーム色の長袖ニット。どうみても、デート帰りだった。
御城先輩は、ふたりの関係なんかまったく知らないから、
「お、捨神、いいところに来たな」
と言って、師匠を感想戦に巻き込んだ。
自称宇宙人は、すこし距離をとったところに待機。
あたしは、そっちに話しかけた。
「おい、宇宙人、こんなところで、なにやってんだ?」
「捨神くんが寄りたいって言ったから、寄りました……」
彼女をつれて将棋の幹事会に立ち寄るとか、普通ならアウトだぞ、これ。
「あれ……不破さん、決勝まで残ってるの……?」
「あたりまえだろ」
「駒桜市って、レベル高いんだね……」
そりゃ、そうだ。
県大会決勝までいった兎丸が、師匠のおかげで代表になれないんだからな。
だてに将棋文化の町じゃないぜ。
「決勝の相手は……?」
ん、そういや、だれだ。あたしは、となりの対局席をのぞきこんだ。
場所:H島県幹事会杯争奪戦(修身高校) 準決勝
先手:不破 楓
後手:御城 悟
戦型:先手ゴキゲン中飛車
▲5六歩 △3四歩 ▲5八飛 △1四歩 ▲5五歩 △1五歩
▲7六歩 △6二銀 ▲4八玉 △4二玉 ▲3八玉 △3二玉
▲6八銀 △5四歩 ▲5七銀 △5五歩 ▲4六銀 △5三銀
▲5五銀 △5二飛 ▲4六銀 △8八角成 ▲同 飛 △5四銀
▲5八飛 △3三角 ▲7七角 △5五歩 ▲2八玉 △6二金
▲3八銀 △7四歩 ▲6八金 △7三金 ▲5六歩 △6四金
▲5五歩 △同 銀 ▲同 銀 △同 金 ▲4六銀 △5四歩
▲5五銀 △同 歩 ▲4五金 △5六歩 ▲5四歩 △6五銀
▲5三歩成 △同 飛 ▲3四金 △2二角 ▲同角成 △同 玉
▲7七桂 △5四銀 ▲8二角 △4五銀 ▲9一角成 △3四銀
▲5五香 △5七歩成 ▲同 飛 △7九角 ▲5八飛 △6八角成
▲同 飛 △5四歩 ▲6五桂 △5一飛 ▲5二歩 △同 飛
▲5三歩 △3二飛 ▲5四香 △6四金 ▲8一馬 △5一歩
▲5八飛 △4五銀 ▲4六桂 △5六銀打 ▲7三桂成 △6七銀不成
▲9八飛 △3六歩 ▲同 歩 △5六銀引成▲7七角 △4四金
▲4八金 △4二金 ▲6三成桂 △5五金右 ▲5二歩成 △同 歩
▲同香成 △同 金 ▲同成桂 △同 飛 ▲5七歩 △6六成銀
▲8六角 △2四桂 ▲3七銀 △7六成銀 ▲3一角成 △同 玉
▲6三馬 △9二飛 ▲7二歩 △3二香 ▲6四馬 △2二玉
▲4一金 △3六桂 ▲同 銀 △同 香 ▲3一馬 △3三玉
▲3七歩 △同香成 ▲同 桂 △7二飛 ▲2五銀 △3五金
▲4五桂 △同金左 ▲3四銀打 △4四玉 ▲4五銀 △同 金
▲6四馬 △3五金 ▲3六桂 △3三玉 ▲3四歩 △2二玉
▲3一馬
まで139手で不破の勝ち




