182手目 H島県幹事会杯争奪戦 2回戦 正力vs不破
よーし、1回戦は完勝。
あたしはトーナメント表を確認しながら、ほくそ笑んでいた。
「あら、次は楓さんとなのね」
対局を終えた安奈が顔をのぞかせた。
「魚住くんを破るなんて、やるわね」
「あいつ、なんか調子悪かったぞ。楽勝だった」
あたしの発言を、安奈はあんまり信用してない気配だった。失礼なやつだな。
「私も、楓さんのほうが指しやすくていいわ」
「ん? 舐めプか?」
「ちがうわよ。指し慣れてるひとのほうがいいってこと」
そりゃ、女子のほうが指しやすいのは事実だわな。公式戦はほぼ男女別だから、男子は男子と、女子は女子と指す機会のほうが多い。学校が同じでもない限り。
あたしが1回戦の流れを説明していると、青來も会話にくわわってきた。
「ふたりとも、勝ったんですねッ! インコンパチブル最強じゃないですかッ!」
「青來さんも、勝ったのね……」
安奈は、じっとりとした目つきで、青來を見つめた。
青来は、いかにも自慢そうに両手でガッツポーズをとった。
「並木くんをボコボコにして来ましたッ!」
「……」
「なんですかッ!? その沈黙はッ!?」
「……」
「並木くんに勝っちゃダメなんですかッ!?」
「青來さん、夜道には気をつけたほうがいいわよ」
「ッ!???」
御愁傷様――とか言ってる場合じゃないんだよな。次は安奈とだ。青來と当たるなら決勝戦だから、しばらく放置でいい。目のまえの敵に、全力を尽くすぜ。
「それでは、2回戦を始めます。着席してください」
月代幹事長の指示にしたがって着席。あたしと安奈が駒をならべているあいだ、並木が周囲をうろうろしていた。安奈がすばやく反応して、並木を呼び止めた。
「並木くん、ヒマなら私を応援してちょうだい」
は? なんだそれ? せめて「観て行ってね」くらいにしとけよ。
並木は悩んだような顔をして、くちびるに親指の第一関節をそえた。
「僕、御城先輩の将棋を観ようかな、って思うんだけど」
「御城先輩の将棋なんか観ても、うしろから襲われるだけでしょ」
どうやって対局者がうしろから襲うんだよ。むしろおまえだろ、それ。
「御城先輩はそんなことしないよ。捨神先輩一筋だからね」
「御城先輩の将棋は、何回も観てるでしょうに」
「正力さんの将棋は、小中でもっと観てるよ」
「そう……親の顔より見飽きた私の将棋なんて、応援する価値がないのね」
「さすがに父さんと母さんの顔のほうがよく見てるよ」
なんだこの会話。私が呆れていると、安奈はいよいよ奥の手を使ってきた。
「観戦したら、あとで餡パンおごってあげるわよ」
「ほんと? じゃあ、観戦するね」
いいのか……? それでいいのか……?
「それでは、振り駒をお願いしまーすッ!」
月代幹事長の指示で、あたしは振り駒をした。と金が3枚で、あたしの後手。
「対局準備の整っていないところはありませんね? ……それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
あたしは一礼してから、チェスクロのボタンを押した。
7六歩、3四歩、2六歩、5四歩。とりあえず中飛車を見せる。
安奈は居飛車党だから、さっきみたいな相振り模様にはならないはずだ。
6八玉、5五歩、4八銀、5二飛、7八玉、6二玉。
「6八銀」
ほぉ……急戦か。しかも、超速ですらない、と。並木のまえだから、負けにくいように穴熊でくるかと思ったが、そうでもないようだ。あたしも受けて立つ。7二玉ともう一段深く潜って、9六歩、9四歩の交換を入れる。7七銀と先手が上がったところで、あたしは5六歩と仕掛けた。
「せっかちなのね。位を取り返せるけど、いいの?」
「ああ、構わないぜ」
「……6六銀」
5七歩成、同銀上、4二銀、5五歩。
「これで、ゴキゲンのメリットはなくなったわね」
「へへ、それはどうかな」
あたしはスティック付きの飴玉を頬張って、8二玉と入った。
「飴ばっかり舐めてて、虫歯にならないの?」
「ならないんだな、これが」
「酒、タバコ、砂糖……嗜好品は体に悪いと、相場が決まってるの」
「じゃあ、餡パンもダメだよなあ?」
「……餡パンは、いいのよ」
ひとによって結論を変えるなあ。あたしはそれが一番嫌いなんだよ。
5六銀、4四歩、6五銀右。
ふぅん……かなりの積極策だな。5八飛とでも回るつもりなのかね。
「6二銀」
「5八飛」
チッ、ほんとに回ってくるのか。ちょっと前のめりなんじゃないのか。彼氏(?)のまえでいいところ見せようとしたって、いいことないぜ。
さて、2筋を逆用したくなる。あたしは机に両肘をついて、しばらく考えた――4三銀+3一角+3二飛の組み合わせを狙うか。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
狙いは3五歩と伸ばして、3六歩、同歩、同飛、3七歩に2六飛のスライドだ。とはいえ、2八飛と戻れば、ただの一手損。穴がないかどうか、30秒ほど考える。
……なさそうだな。よし、いくぜ。
「4三銀」
今度は、安奈が小考。5九金右と指した。
右辺は捨てるつもりか。あたしは予定通り、3一角と引く。
「7五銀」
「ほんとに右辺は捨てるんだな」
「あら、そんなつもりはないのだけれど」
なにかあるのか? 3五歩、6八金右、3二飛。
「5六飛」
ん……この受け方はさすがだな。
一見、3四銀〜4五銀で止まる。だが、3四銀、5四歩、4五銀、5九飛のあと、3六歩、同歩、同飛、3七歩、2六飛に4四角と飛び出して、2八飛成(4四角が2六の飛車に当たっているから5二歩と受けられない)、5三歩成のほうが速いってわけだ。そこで5八歩としても、6二と、5九歩成、6一とが詰めろ。
どうやら7五銀は、角道を開ける意味もあったみたいだな。さすが、県大会常連でベスト4まで行ったことのある女だ。
「それなら、3四飛とさせてもらうぜ」
銀を上がらずに、4四の地点を受けておく。
5四歩、7二金、6六角、3三桂、8八玉、4五歩、7八金上、4四銀。
石田流っぽくなっちまったな。らしくないぜ。
安奈は、ここでまたすこし考えた。
次に5五歩〜3六歩が見えてるわけだが……ん、5八飛か。やるな。おそらく、これが唯一の3六歩防止策だ。あたしは、すぐには3六歩と突けない。突いたら、同歩、同飛のときに4四角で銀が素抜かれちまう。だから、いったん5五歩とするわけだが、そこで3八飛と回られて手がなくなるという寸法。
「最悪、千日手にもできるわけか……なら、こうだな」
あたしは、5五歩と先に受けた。安奈は3八飛と回る。
3筋を受けられた以上、駒を足さないとな。あたしは、本格的に石田組を目指した。
1四歩、8六歩、1三角、5七角、5一金、7七金上。
そろそろ飽和するわけだが……ちょっと工夫しておく。
まず2四飛と回って、2八飛を打診。それから、3四飛と戻った。
この挑発に、安奈は黒皮手袋をアゴにそえ、小考。
さあ、どうする。千日手のお誘いだぜ。安奈はあんまり挑発に乗るタイプじゃないが、今回は公式戦じゃないし、並木に観戦しろって言った手前、指し直しはやりにくいはず。
「……8五歩」
よし、千日手を選択せず。あたしは1五歩と突いて、2五歩に5六歩と伸ばした。
「玉頭にプレッシャーはかけたけど……むずかしいわね。6六角よ」
「3六歩ッ! 開戦だッ!」
同歩、5七角成、同角、同歩成、3二角、5五角。
あたしのほうは、と金ができた。これを活用できれば勝ち。
安奈の勝ち筋は、粘って8四歩から殺到する順。
「2三角成ッ!」
安奈は2八の飛車を放置して、3四の飛車を取りにきた。2八角成、3四馬は、次に4四馬の銀取りになってるから却下。あたしは冷静に3六飛としておく。
「3七歩」
ここで、飛車交換に持ち込むかどうかの選択権がもらえた。飛車交換をしたいなら、4七とと寄って、3六歩、2八角成、4三飛だろう。だけどこれは、銀取りと5三歩成を同時にみせられてる。あんまりやりたくない。
「ってことは、角切りだな。3七角成」
「あいかわらず強引ね」
おまえの並木に対するアプローチのほうが、よっぽど強引だろうが。
同桂、同飛成、1八飛、2六桂、3八歩。
ふむ……なにがなんでも飛車が欲しいわけか。だが、やらない。
「3六龍」
飛車の捕獲を中断して、龍を逃げておく。
以下、2八飛、3八桂成、1八飛に、2六歩の追撃。
「これで飛車は死んだな」
あたしは椅子をうしろにかたむけて、腕組みをした。
「危ないわよ……とはいえ、困ったわね」
安奈はそう言って、チェスクロを確認した。
残り時間は、あたしが3分、安奈が1分。考えるとしたら、ここで最後だろ。
案の定、安奈は30秒将棋になるまで考えて、6六角と打った。
「銀と、と金の両取りか……と金のほうは、やる。5五歩」
5七角、2七歩成、3四歩、2五桂、2二馬、3四龍。
ここまで指して、安奈は前歯を噛み合わせた。
「徹底的に対応するわけね」
「おう、徹底的に対応してやるよ」
1一の香車だけは助けられなかったな。
以下、1一馬、1八と、同香、5八飛、1三角成に、5六歩と伸ばす。
「5七歩成のまえになにかしないと、ゲームセットになるぜ?」
「分かってるわよ……3五歩」
同銀なら馬筋が通るか――防御が固まるから、よくない。
あたしは4三龍として、1枚は自陣で活用することにした。30秒将棋に突入。
「2四馬」
っと、桂馬を取られちまうな。3七桂成と逃げるのは3四馬で、龍馬交換になる。
あたしは無視して5七歩成とした。2五馬、3四歩、4六歩、4八飛成、4五歩。
「取ると馬が利いて面倒か……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6八とッ! 攻め合いだッ!」
8四歩さえ入らなきゃいいんだよ。
4四馬、7八と、同金、4四龍、同歩、6八金、7九香、7八金、同香。
「おかわりッ! 6八金ッ!」
張り付いたぜ。
安奈は6九金、4七歩、6八金、同龍、7七銀、7九角、8七玉、6七龍に、3四馬として、手の込んだ受けをみせた。
「あたしの玉は無傷ッ! このまま押し切るッ! 8八金ッ!」
8六玉、6五龍、5三歩成、8九金、6二と、同金上、6六銀打。
「9九金」
「くッ……龍を取ったら詰み……」
その通り。6五銀なら9七銀、8七玉、8六香と打って、同銀上は8八角成、同銀引は9八銀不成で詰み。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「は、8七金ッ!」
あたしは8筋の歩に指をそえた。
「まさか、こっちから突くことになるとは思ってなかったが……8四歩だ」
「ッ!?」
実は、これも詰めろなんだよなあ。
同銀は7四桂一発で詰み。同歩は8五歩、同玉、7四銀、8六玉、8五香まで。6五銀なら8五歩、同玉、9三桂、9四玉、8三金、9五玉、9四銀、8六玉、8五香までの並べ詰み。
「ま、負けました……」
「ありがとうございました」
ふぅ、1回戦に続いて2回戦も快勝。気持ちがいい。
安奈はあきらめ気味にタメ息をついて、
「飛車交換になればこっちが有利だったはずなのに、ならなかったのが誤算ね」
と言った。
「千日手でも良かったんじゃないか?」
「2四飛、2八飛、3四飛のところ? ……あれって、ただの挑発じゃないの?」
「それもあるけど、あたしだって打開はそんなに簡単じゃなかったからな」
「石田に組み替えさせたのは失敗だったわね。4三銀以下のあたりで、手があれば良かったんだけど……並木くんなら、どう指すかしら?」
安奈のうしろで熱心に観戦していた並木は、うーんと唸ってから、
「僕だったら、超速か穴熊にしてるかも」
とだけ答えた。
「そう……採用した作戦が間違いだったのかしら」
「そんなことはないと思うよ。正力さんのほうも、途中までは模様が良かったし」
あちこちで、対局が終わり始めた。
あたしは、また椅子をかたむける。
「細かく見る時間がないな。ほかに、なにかあるか?」
「いいえ、私と並木くんは、コンビニに行かなくちゃいけないから」
ああ、そう言えば、餡パンをおごってやるって話だったな。
安奈は席を立った。
「長時間応援させて、ごめんなさい。餡パンを買いに行きましょう」
「うん、僕は正力さんにプリンをおごるね」
並木のひとことに、安奈はきょとんとした。並木はえらくマジメな顔で、
「僕の応援パワーが足りなかったんだよ。それに、中学までは、コンビニでよく餡パンとプリンのおごりっこしてたよね。だから、ひさびさにそうしようよ」
と言った。
「並木くん……」
安奈は頬を染めて、並木と一緒に教室を出て行った。
……………………
……………………
…………………
………………
え、なにこの敗北感。
場所:H島県幹事会杯争奪戦(修身高校) 2回戦
先手:正力 安奈
後手:不破 楓
戦型:後手ゴキゲン中飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲6八玉 △5五歩
▲4八銀 △5二飛 ▲7八玉 △6二玉 ▲6八銀 △7二玉
▲9六歩 △9四歩 ▲7七銀 △5六歩 ▲6六銀 △5七歩成
▲同銀上 △4二銀 ▲5五歩 △8二玉 ▲5六銀 △4四歩
▲6五銀右 △6二銀 ▲5八飛 △4三銀 ▲5九金右 △3一角
▲7五銀 △3五歩 ▲6八金右 △3二飛 ▲5六飛 △3四飛
▲5四歩 △7二金 ▲6六角 △3三桂 ▲8八玉 △4五歩
▲7八金上 △4四銀 ▲5八飛 △5五歩 ▲3八飛 △1四歩
▲8六歩 △1三角 ▲5七角 △5一金 ▲7七金右 △2四飛
▲2八飛 △3四飛 ▲8五歩 △1五歩 ▲2五歩 △5六歩
▲6六角 △3六歩 ▲同 歩 △5七角成 ▲同 角 △同歩成
▲3二角 △5五角 ▲2三角成 △3六飛 ▲3七歩 △同角成
▲同 桂 △同飛成 ▲1八飛 △2六桂 ▲3八歩 △3六龍
▲2八飛 △3八桂成 ▲1八飛 △2六歩 ▲6六角 △5五歩
▲5七角 △2七歩成 ▲3四歩 △2五桂 ▲2二馬 △3四龍
▲1一馬 △1八と ▲同 香 △5八飛 ▲1三角成 △5六歩
▲3五歩 △4三龍 ▲2四馬 △5七歩成 ▲2五馬 △3四歩
▲4六歩 △4八飛成 ▲4五歩 △6八と ▲4四馬 △7八と
▲同 金 △4四龍 ▲同 歩 △6八金 ▲7九香 △7八金
▲同 香 △6八金 ▲6九金 △4七歩 ▲6八金 △同 龍
▲7七銀 △7九角 ▲8七玉 △6七龍 ▲3四馬 △8八金
▲8六玉 △6五龍 ▲5三歩成 △8九金 ▲6二と △同金上
▲6六銀打 △9九金 ▲8七金 △8四歩
まで136手で不破の勝ち




