171手目 人なる者、人ならぬ者(裏見・松平ルート)
「松平」
放課後、声をかけたとき、松平はスマホを熱心にみていた。
肩越しに覗き込む。
【先手:行方尚史 後手:羽生善治】
名人戦か。私は邪魔しちゃ悪いと思いつつ、もういちど声をかけた。
「松平」
松平は顔をあげて、「どうした?」と尋ねてきた。
「箕辺くんたちが倒れたって話、聞いた?」
「大げさだな。風邪だろ?」
「重病らしいのよ、それが」
松平は驚きの表情を浮かべて、スマホを仕舞った。
「重病? ……インフルエンザか?」
「意識不明って噂なの」
そんなバカな――それが、松平の第一声だった。
「だれがそんなこと言ったんだ?」
「神崎さん」
「神崎は、どっから情報を仕入れたんだ?」
「馬下さんかららしいわ」
「よもぎ? ……よもぎが言ったのか? 辰吉が重病だって?」
私は、事情を詳しく説明した。
「さっき、神崎さんから電話があったのよ。『辰吉殿らが重体と聞いたが、まことか』って。ただの風邪だって答えたら、『ひぃちゃんは重体だと申していたが……』とか言い出すじゃない。びっくりして、ソースを訊いたの。そしたら、馬下さんだって」
「裏見、神崎のモノマネ上手いな」
「でしょ……って、話を逸らさないで。一大事なんだから」
「ひぃちゃん、っていうのは?」
私は、T島県代表の大谷さんだと答えた。松平も、名前は聞いたことがあるようだ。
「でも、水曜まではピンピンしてただろ。伝言ゲームの失敗じゃないのか?」
「そんなことないわよ。3人とも信頼できるわ」
私が念を押すと、松平は荷物を片付け始めた。
「分かった。辰吉になにかあるとマズいし、見舞いに行くか。どこの病院だ?」
駒桜市立病院だ。そこそこ大きい施設だから、松平も急に心配になったらしい。私たちは学校を出て、バスを捕まえた。病院前に到着したとき、私のスマホが振動した。
発信先をみると、神崎さんだった。
「もしもし、神崎さん?」
《裏見殿、今、どちらにいる?》
病院の入り口にいることを伝えると、神崎さんは、
《拙者も、間もなく到着する。ひぃちゃんも着くそうだ。受付前で会おう》
と伝言して、通話を切ってしまった。
いったい、どうやって来る気なのかしら。まさか走って……ありうるから困る。
「裏見、どうした? やっぱり間違いだったんだろ?」
「うぅん、こっちに向かってるって」
松平も半信半疑だったけれど、とにかく受付を済ませることにした。
「すみません。まだ面会できますか?」
松平は、受付の女性看護士に声をかけた。
「はい、8時までは」
あら、結構遅くまでやってるのね。まだ4時前よ。
松平は、箕辺くんの名前を告げた。
「箕辺辰吉……少々お待ちください」
看護士さんは、心当たりがあるのか、パソコンをチェックし始めた。
「……もうしわけありませんが、その方は、ご家族以外面会謝絶になっています」
私と松平は、顔を見合わせた。松平は受付に寄りかかる。
「面会謝絶って、どういうことですか?」
「それは、お答えできません。患者さんのプライバシーです」
松平は、自分たちが同じ高校の同じ部活に所属していることを伝えた。
「病院の規約ですので……お答えできません」
「ちょっと待ってください。俺は一昨日、あいつに会ってるんです。いきなり面会謝絶とか言われても、わけが分かりません。詳しく説明……」
私は松平を落ち着かせた。看護士さんも、
「ご心配なのは、こちらも承知しています。しかし、規約は規約です」
と頑張ってきた。
私たちが揉めていると、うしろから声をかけられた。
「裏見殿、遅くなった」
獄門の制服を着た神崎さんが、大谷さんと一緒に立っていた。大谷さんのほうは、あいかわらずお遍路さんの格好をしていた。
「ふたりとも、早かったわね」
「このくらいの距離なら、走ってすぐだ」
「拙僧はヘリで来ました」
「ヘリ?」
「囃子原くんのヘリです」
うむむ……囃子原グループが動いてるのか。ということは、ほんとに重病なの?
「面会謝絶で、なかに入れてもらえないのよ」
「安心せよ。拙者が全員分の許可を取ってある」
さすが神崎さん。手際がいい。目を白黒させる看護士さんに許可証を提示して、私たちは、箕辺くんのいる病室へと向かった。
「辰吉ッ! 大丈夫かッ!」
ドアを開けた松平は、神崎さんに思いっきり怒られた。
「病室で大声を出すやつがあるか」
まあまあ。私は神崎さんをなだめて、室内を見回した。
ベッドがちょうど3つあって、箕辺くんのほかに、捨神くんと佐伯くんも一緒だった。
「みな、意識不明のようだ」
神崎さんの説明に、私は驚いた。3人の顔色を確認すると、生気がなくて、とても苦しそうな表情をしていた。私は神崎さんのほうが情報を掴んでいるのではないかと思って、詳細を尋ねた。
「呪いだ」
「呪い? ……ちょっと、ふざけてる場合じゃないでしょ」
「ふざけてなどいない。正確なところは、ひぃちゃんが説明してくれるであろう」
私は、大谷さんに真偽を確かめた。大谷さんも、「これは呪いです」と答えた。
「しかも、尋常な呪いではありません。とても強力なものです」
この状況、どう整理したらいいのかしら。困惑する。
「仮に呪いだとして、大谷さんはなにしに来たの? お祓い?」
「はい、その通りです……が」
大谷さんの凛々しい顔に、不安がよぎった。
「予想していたよりも、遥かに強い怨念を感じます。私ひとりでは手に負えません」
「なに? ひぃちゃんでは手に負えぬのか?」
「残念ながら……出雲さんにも来ていただかないと」
そのとき、室内に一抹の風が吹いた。窓は開いていないはずじゃ……あッ!
「待たせたぞな」
病室の片隅に、床まである黒髪ロングヘアの女性が立っていた。巫女さんの服を着て、両袖に腕をさしこみ、やや人間離れした暗さのある顔で、視線を下に向けている。
「い、出雲さん」
「おお、裏見氏……ジャビスコ将棋祭り以来かな?」
「え、ええ……出雲さんも、囃子原くんのヘリで、ここに?」
出雲さんはうなずくと、部屋の中央に移動し、3人の容態を順繰りに確認した。
「ふぅむ……これは、連呪じゃな」
「レンジュ?」
「特殊な呪いの一種でな、複数の人間を一蓮托生に巻き込むものじゃ」
意味が分からない。私は、もっと分かりやすい説明を求めた。
「数珠つなぎのようなものじゃよ。あるいは、輪護謨のようなものじゃな。ひとりの呪いを解くと、それがほかのふたりにぱちりと移動する。これが連呪じゃ」
「移動すると、どうなるの?」
「呪いの力が大きくなる。例えば、甲乙丙を四の力で呪ったとする。このうち、甲だけの呪いを解くと、この四が乙と丙に移り、ふたりは六の力で呪われることになる。今回の御仁らには、移された呪いに耐える力が、もう残っておらんじゃろう」
出雲さんは恐ろしい説明を終えて、大谷さんに向き直った。
「連呪を解くには、一秒たがわず、3人同時に祓うしかない……が」
「拙僧と出雲さんでは、お祓いの手法が異なるので、無理かと」
そ、そんな……私は、ほかに方法がないのかと尋ねた。
「こちらがわには、ない」
と出雲さん。私は彼女に詰め寄った。
「あなた、それでも有名な巫女さんなの?」
「神であれ仏であれ、人はそれを超えることができぬ。人は、存在する者どものなかで、まことに小さな位置しか占めておらぬゆえな。この呪いをかけた者も、おそらく人ではない。わらわは、人ならぬ者に『仕える』身であり、それを『従える』身ではないのじゃ。神道とは、そういうものよ」
大谷さんに確認しても、似たような返事だった。
ここで、松平が割り込んだ。
「待て……さっき、『こちらがわには、ない』って言ったな? あちらがわには?」
「……ある」
松平は、「あちらがわ」ってどこだ、と尋ねた。
「呪いをかけた者じゃよ……かけた本人ならば、簡単に解くことができる。じゃが、呪いをかけた者に会ったところで、聞き届けられるかは分からぬ。逆に、おぬしたちの命も危ないであろう。それでも、よいのか?」
私たちは、張本人の居場所を捜すことに即断した。
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ……わらわたちも、延命のために力を尽くそう」
「猶予は、どのくらい? 1ヶ月? 1週間?」
出雲さんは、壁の時計を見上げた。悪感が走る。
「そうじゃな……明日の日の出まで、それ以上はまかりならぬ」




