168手目 飴玉お姉さん(葉山ルート)(3)
「そこのお嬢さん、彼氏待ちかなぁ?」
「ッ!?」
私は、あやうくスマホを落としかけた。
暗闇のなかにポツンと、赤い光がみえる。タバコの火だった。
片手に篭をさげた赤髪ロングの女性が、くわえタバコでこちらに歩いてくる。服装は白のTシャツにGパン。ずいぶんとラフな格好だ。アクセサリはつけていない。
私は、獲物が見つかったという事実に――いや、それとも、私という獲物を、お姉さんは見つけたのだろうか。彼女は、許可も取らずにとなりに座って、スマホを覗き込んだ。
「なかなかイケメンだね。やっぱり彼氏? ……ん」
お姉さんは、箕辺くんと私のツーショット画像を、じろりと見つめた。
そして、急にニヤニヤし始めた。
「あれれ、合成画像?」
ギクリ――私はスマホをフリックして、画像を切り替えた。
顔が火照る。
「さては、好きな男子との合成写真かな? んー?」
「ち、違います」
「でも、顔の解像度が、微妙に違ってたよ?」
この女、目が良過ぎでしょ。解像度がほとんど一緒の写真を選んだのに。
私は、いろんな要素が合わさって、恐怖心を覚えた。
お姉さんはニヤニヤするばかりで、またスマホを一瞥した。
「……それ、なに?」
「え?」
「漢字がいっぱい書いてあるね」
私はスマホを確認する。
ああ、今日撮影しておいた、赤井さんとの指し掛け局面だ。
「しょ、将棋です」
「ショウギ? ……ショウギって、なに?」
将棋を知らないなんて、珍しいわね。「ルールが分からない」とか「やったことない」人なら、いくらでもいるんだけど、名前すら聞いたことないなんて。
私は、ボードゲームの一種だと答えた。
お姉さんは、くわえタバコを揺らしながら、
「ふぅん……地球にも、そういうのあるんだ」
とつぶやいた。
「いや、地球っていうか、日本の……ん?」
私は、お姉さんの容姿を、もういちど確認してみた。髪の毛が真っ赤なのと、胸がやたら大きい以外にも、スタイルが東アジア離れしている気がした。
「お姉さん、日本人ですか?」
「そうだよ。トメ子って言うんだよ」
トメ子? ……また、ずいぶんと古めかしい名前だ。
私があやしんでいると、お姉さんは、右手にぶらさげた篭を持ち上げた。
「ところで、飴食べない?」
緊張が走る。
(ほ、ほんとに飴玉お姉さんなんだ……ど、どうしよう)
不破さんたちに応援を求めることも考えたけど、間に合いそうにない。
私は今、凶悪犯罪者かもしれない女と、マンツーマンなことに気付いた。
手が震えてくる。
「あれぇ、お嬢さん、手が震えてるよ」
「こ、これは……」
飴玉お姉さんは、なにかを察したように、
「ああ、もしかして、何回か会ったことある?」
と尋ねてきた。私は首を左右に振った。
「ふぅん……じゃあ、なんで手が震えてるの?」
「く、癖です。癖……あがり症」
飴玉お姉さんは、納得したのかしなかったのか、かるく微笑んだ。
「そっか、あがり症なんだ。それで好きな男子に告白できないんだねぇ」
さっきから、そっち方面に話を持っていき過ぎでしょ。
私が憤慨するなか、お姉さんは、篭から飴をふたつ取り出した。
「とっても美味しい飴だよ。食べると、すっきりして気持ちよくなるから」
お姉さんは、有無を言わさず、私の手のひらに飴を押し込んできた。
「好きな男の子にも、あげるといいよ。相思相愛になれるかも」
え……なにこれ……もしかして、脱法ハーブ?
誘い文句が怪し過ぎる。
「食べないの?」
「……友だちと一緒に食べます」
私は証拠品をポケットにしまった。犯罪現場を押さえたみたいで、ドキドキする。
飴玉お姉さんは、タバコをふかしながら、ベンチに寄りかかった。さっきから気になっているのだけれど、タバコからは煙がまったく出ていない。でも、なんだか甘ったるい匂いがするし、吸っているのは間違いないようだ。
お姉さんは、篭をベンチに置くと、深く息をついた。香りが濃くなる。
「ところで、さっきのボードゲーム、おもしろいの?」
「え?」
「ショウギだよ、ショウギ」
お姉さんは、将棋に興味を示してきた。意味が分からない。飴を配った以上、さっさと移動すると思ったんだけど――とりあえず、おもしろい、と答えた。将棋部員だってことを差し引いても、まあ、おもしろいゲームよね。
すると、お姉さんは、ルールを教えてくれと言ってきた。
「最近、ヒマなんだよね」
なんなのかしら、このノリ――ほんとにただの変なお姉さん? いや、変だからこそ、毒入りの飴を配っているのかもしれないし……私は、ルールだけ手短に伝えた。
「ん? 一人用のゲームじゃないの?」
「一人なら、詰め将棋っていうのがあります」
「ま、チップの動かし方から教えてよ」
私は鞄から小さな将棋盤を取り出して、駒の動かし方を教えた。ずいぶんと飲み込みが早くて、一発で覚えてくれた。次は、駒の並べ方と、勝敗のつけ方なんかを教えた。
「ふんふん……なるほどね、やっぱりあたいが知ってるゲームに似てる」
「チェスですか?」
お姉さんは、バイキンガルドっていうゲームだと答えた。全然知らない。
「さっき写真に写ってたのは? あれがツメショウギなの?」
「いえ……あれは、後輩と指してたやつの途中で……」
「へぇ、じゃあ、その続きで遊ぼうよ」
こ、このひと、本気で言ってるの?
困惑する私をよそに、お姉さんは勝手に駒を並べ始めた。
「これって、ターン制なんだよね? どっちの番?」
「わ、私の番です」
「じゃ、よろしくぅ」
パシリ パシリ パシリ パシリ
い、いきなりぶつけてくるのか……私は同飛、同歩、5一飛と下ろした。
4二玉(そっちに逃げるんかい)、7一飛成。先手がだいぶ良くなった。
お姉さんは、形勢判断がよく分かってないのか、鼻歌を歌っている。
「……ひとつ、訊いてもいいですか?」
「ん? なに?」
「飴玉お姉さんって、駒桜市のひとですか?」
お姉さんは、違うよ、と答えた。どこまで突っ込んでいいのか、分からない。犯罪者相手だから、言葉を選ぶ必要があるわよね。手を動かしつつ、考える。
パシリ パシリ パシリ パシリ
ん、意外とやるわね。
バイキンなんちゃらとかいうゲームを、やってるだけのことはある。
6七角成に同銀とできないパターンだ。
「6八銀」
がっつり受けるわよ。
「うーん……なるほどねぇ、ガードされるとダメなんだ」
飴玉お姉さんは、2九飛成として、手を渡してきた。
ここで私は考えつつ、お姉さんから情報を聞き出す質問を練った。
「……お姉さんは、なんで飴を配ってるんですか?」
「ボランティア」
また、取ってつけたような回答ね。
「ボランティアって、なんのボランティアですか? 青少年の更生とか?」
「みんなに気持ちよく生きてもらうボランティア」
うわぁ……これ、ほんとに脱法ハーブじゃないでしょうね。
ポケットの飴が、なんだか重たくなったような錯覚にとらわれた。
私が距離をとっていると、飴玉お姉さんはくわえタバコのまま、
「ちょい考え過ぎじゃない?」
と言った。私も、これ以上はうまく情報を引き出せない気がした。不破さんたちが気付いて駆けつけてくれる様子もない。それどころか、この公園の空間だけ孤立してるみたいに、だーれもひとの気配がしなくなっていた。梢だけが、街灯に浮かび上がっている。
「そんなに難しいシチュエーションなの、これ?」
「いえ……指します」
私は5一角と打った。
これで、詰んでるわよね。
3一や4一に逃げるのは、3三角成がある。普通なら3一玉で詰まないかたちだけど、飴玉お姉さんの持ち駒は、歩だけ。3一玉、3三角成のとき、4一に打つ駒がない。5三玉とうえのほうに逃げたら、6二龍、6四玉、6五銀、5五玉、5六金まで。5二玉が一番面倒だけど……ん? 5二玉の場合が分からない。
「どうしよっかなぁ……こう?」
飴玉お姉さんは、5三玉とした。詰みに気付いていないようだ。
6二龍、6四玉、6五銀、5五玉、5六金。
「詰みですね」
「ツミって、なに?」
「勝利条件の達成です。お姉さんの王様は、もう動けませんよ」
飴玉お姉さんは、あんまり表情を動かさないで、盤面をみつめた。
「んー、そっか、たしかに動けないねぇ」
お姉さんは負けを認めると、篭を持って、ベンチから腰をあげた。
「楽しかったよ。それじゃ、またねぇ」
お姉さんは、公園を出て行く。私は、追いかけようかどうか迷った。10秒ほど逡巡してから、不破さんにMINEで連絡を入れ、こっそりとあとをついていく。住宅街に続く方向で、挟み撃ちにできる可能性があったからだ。
メープルちゃん 。o O(おい、どっちに向かってる?)
はやまん 。o O(山桜公園のほう。でも、微妙にちがうかも)
メープルちゃん 。o O(うまくこっちに誘導しろ)
はやまん 。o O(ムリよ。尾行中)
メープルちゃん 。o O(そこをなんとかするんだよ。頭使え)
使ってるわよ。でも、うしろから誘導をかけるなんて、できるわけがない。
催眠術師じゃないんだから。
MINEを打ちながら見失わないようにするのも、難しい。飴玉お姉さんは、街灯があまりない道を選んでいるようだ。妙に曲がりくねっていて、どこへ向かっているのやら、だんだん見当がつかなくなってきた。
メープルちゃん 。o O(今、どこだ?)
私は返信をしかけて、手の動きを止めた。飴玉お姉さんが立ち止まって、あたりを確認したからだ。私は、電信柱の影に隠れて、息をひそめた。すると、お姉さんは有刺鉄線の隙間から、空き地に足を踏み入れた。建築資材がほったらかしになっている場所だった。
私は見つからないように、顔を出した。その瞬間――ま、まぶしいッ!?
○
。
.
翌朝、私は自宅で、化学部のOB、H大理学部の男性から電話をもらった。
「毒は検出されなかった……?」
携帯の向こうから、眠たそうなあくびが聞こえた。
《そう、ただのハッカ飴だった》
「そ、そんなはずないです。もういちど調べてもらえませんか?」
それはできない、という、ちょっと厳しめな返事が耳に響く。
《徹夜で検査した俺の身にもなってくれ。大学の備品だってタダじゃないんだぞ》
「それなら、カンパで少しくらいは……」
《高校生のお小遣いじゃムリだ。後輩が『殺人』だの『麻薬』だの言うから、特別に調べてやったんだぞ。感謝しろ。じゃあな》
どさりとソファーに寝転がるような音が聞こえて、通話が切れた。
私はスマホを片手に、ぼんやりと窓のそとをみやる。
昨日の夜、飴玉お姉さんは、まぶしい光のなかに消えてしまった。行方不明。
「ど、どういうことなの……?」
場所:駒桜市立高校の部室 → 駒桜公園
先手:葉山 光
後手:赤井 もみじ → 飴玉お姉さん
戦型:先手棒銀
▲2六歩 △3四歩 ▲2五歩 △3三角 ▲3八銀 △2二銀
▲2七銀 △3二金 ▲2六銀 △4二角 ▲7六歩 △3三銀
▲1五銀 △4四歩 ▲7八銀 △5二金 ▲5八金右 △4三金右
▲6八玉 △8四歩 ▲7九玉 △8五歩 ▲7七角 △5四歩
▲8八玉 △8六歩 ▲同 歩 △同 角 ▲同 角 △同 飛
▲8七歩 △8二飛 ▲6六歩 △4一玉 ▲6七金 △3一玉
▲2四歩 △同 歩 ▲同 銀 △同 銀 ▲同 飛 △2三銀
▲2八飛 △2四歩 ▲9六歩 △8五飛 ▲1六歩 △2五飛
▲同 飛 △同 歩 ▲5一飛 △4二玉 ▲7一飛成 △2八飛
▲1七桂 △4九角 ▲6八銀 △2九飛成 ▲5一角 △5三玉
▲6二龍 △6四玉 ▲6五銀 △5五玉 ▲5六金
まで65手で葉山の勝ち




