167手目 駒桜市であった怖い話(葉山ルート)(2)
「おはようございまーす」
新聞部のドアを開けると、室内には数人の生徒がいた。部員が3人と、その3人にインタビューを受けている女子学生がひとり。水泳でインターハイに出た子だったかしら。私は邪魔にならないように、壁際を歩いて、目的の棚に向かった。紙製のファイルを、順番に見ていく。
「……あった」
【駒桜市怪談特集 H17〜】
私はファイルをごっそり引き抜いて、閲覧用のテーブルに腰を下ろした。5月の日射しが窓際から差し込んで、心地がいい。でも今は、箕辺くんのことが心配だった。
善は急げとばかりに、私はファイルをひらいた。それは、平成17年から始まった「駒桜市怪談特集」という、恒例イベントの記録だった。よくある作り話じゃない。先輩部員たちが、取材を通じてコレクションしたもの。H島県学生記者クラブから表彰を受けたこともある、由緒正しい代物だった。
私は最初のほうから、順番にページをめくっていった。
赤い桜(記者:山田)
桜川の土手に、一本だけ赤い桜が咲いている。その根元には、殺された遊女の死体が埋まっているらしい。そこでお花見をすると、恋愛運が悪くなると言い伝えられている。
上町の河童(記者:上野)
上町の廃工場で、河童が何度も目撃されたことがある。真っ赤な目をしていたという証言が多い。宇宙人ではないかという噂が流れている。
山桜公園の巨大ナメクジ(記者:菅)
深夜の山桜公園で、人の大きさほどもあるナメクジが目撃された。公園にたむろしていた天堂高校の生徒が、空き缶を投げつけると、裏山のほうへ消えて行ったらしい。
リアル系の話だから、センセーショナルなものは少ないわね。『遠野物語』みたいな感じで、興味深い。私は見落としがないように注意しつつ、【呪い】【病気】のキーワードがあるかどうか、念入りに探してみた。
……………………
……………………
…………………
………………
「おい、葉山」
「ッ!?」
いきなり声をかけられて、私はファイルを閉じた。
ふりかえると、眼鏡をかけた、痩せ身の部長が立っていた。
「ずいぶん、熱心に読んでるな。探し物か?」
部長は、私の肩越しに、ファイルの名前を読み取った。
そして、にやりと笑った。
「なるほど、怪談特集にむけて準備してるわけか。感心だな」
「え……あ、はい」
私はごまかしつつ、窓のそとをみた。日射しが弱くなっている。
壁の時計を確認したら、なんと6時を過ぎていた。
「もうこんな時間ですか?」
「ああ、他の連中はもう帰ったぞ」
そろそろ鍵を閉めたいと、部長は言った。私は、あまり成果がなかったこともあって、遠回しに、
「病気にまつわる怪談って、聞いたことありません?」
と尋ねた。部長は、すこしばかりきょとんとした。
「病気? どういう病気だ?」
「なんていうか……現代医学では解明できない奇病、みたいな?」
部長は眼鏡をなおして、マジメに考え込んだ。
「奇病……聞いたことがないな」
私はがっかりして、ファイルを棚に閉まった。部長は、窓の戸締まりを確認する。
「葉山のことだから、てっきりアレで決めてると思ってたが」
「アレ? ……アレって、なんですか?」
「飴玉お姉さんだよ、飴玉お姉さん」
私はその名前を聞いて、ようやく部長の言いたいことが分かった。
「街中でこどもに飴を配ってる、変な女のひとでしたっけ?」
「そうそう。スタイルがよくて、美人らしいぞ」
私も、その噂は耳にしていた。最近、駒桜に現れた女性で、年齢は二十代前半くらい。目撃者が口をそろえて言うには、「髪の毛が真っ赤」らしい。不自然なくらい赤いという話だから、多分、染めているのだろう。
「飴玉お姉さんって、ほんとにいるんですか? 新聞部では目撃情報がないですよね?」
「俺は、いると思ってるぞ。市立でも、声をかけられた奴がいる」
「ほんとに飴玉もらえるんですか?」
部長は、伝聞だが、と断ったうえで、
「俺の知り合いは、捨ててしまったらしい。気味が悪いんだとさ」
と笑った。
そりゃ、そうだ。いくら美人でも、知らないひとからもらった食べ物は、口に入れにくいと思う。私たちは、飴玉お姉さんの話をしつつ部室を出て、校舎をあとにした。グラウンドには、運動部しか残っていない。遠くで、吹奏楽部の楽器が、奇妙な音を立てた。
「それじゃ、記事のほう、楽しみにしてるぞ」
「はい……」
私は校門のところで、部長と分かれた。タメ息をついて、家路につく。
結局、なんの情報も得られなかった。意気消沈。
私は、見落としがあったんじゃないかと思い、怪談をひとつずつ思い返してみた。河童の話は違うし、ナメクジも関係なさそうでしょ。それから、深夜の自動販売機――
「おい、カメラマンの姉ちゃん」
聞き覚えのある声に、私はふりかえった。
私服を着崩した金髪少女……不破さんが立っていた。
「こんにちは、どうかしたの?」
「どうかしたの、じゃねぇだろ。市立の連中は、ちゃんと調査してるのか?」
「調査って、病気の調査?」
それ以外になにがあるんだと、不破さんは悪態をついた。
「もちろん、してるわよ」
「で、収穫は?」
私は、なにもなかったと答えた。
不破さんは髪の毛をぐしゃぐしゃにして、
「かァ……使えねぇ記者だな」
とつぶやいた。さすがに私も機嫌を悪くする。
「あのさぁ……私たちは、ただの学生でしょ。お医者さんでも警察官でもないのよ」
「その医者と警官が役に立ってねぇから困ってんだろ」
「昨日の今日で、病気が完治するとは思えないんだけど」
そこだ、と言わんばかりに、不破さんは私を指差した。
「ほんとに病気だと思うか?」
「それ以外に、なにがあるのよ? 呪い?」
不破さんは、わざとらしくタメ息をついた。
「だれもオカルトだなんて言ってないだろ……毒だよ、毒」
「毒? ……毒なら、すぐに分かるでしょ」
「未知の毒かもしれないだろ。病気じゃ、説明のつかないことが多過ぎるんだよ。なんで師匠たち3人しか感染しないんだ? 宇宙人の野郎は、師匠にべたべた触ったとかぬかしてたぞ。市立でも清心でも、ほかに感染者は出てないんだろ?」
なるほど、不破さん、なかなか鋭いわね。
「でも、あの3人が一緒に食事してたところ、見てないわよ?」
不破さんは、スティック付きの飴を軽く噛んで、なにかをさし出してきた。
「それは?」
「飴の包装紙だ」
私は驚愕する。
「ど、どこにあったの?」
「師匠の洗濯物を漁ったら、ポケットから出てきた」
市販品なんじゃないか、と私は尋ねた。
「師匠は、飴を食べる習慣がないんだよ。もらい物で間違いない」
「飛瀬さんからのプレゼントじゃない?」
「そこんところは確かめた」
うぅむ……となると……私を、ある閃きが襲った。
「ねぇ、不破さん……飴玉お姉さんって、知ってる?」
不破さんは、知らないと答えた。私は、噂の内容を伝えた。
「飴を配ってる不審者ッ!? マジかよッ!?」
「あくまでも、噂だけどね」
「善は急げ、だ。さっさと捜しに行くぞ」
不破さんは、きびすを返しかけた。私はあわてて引き止める。
「捜すって……まさか、飴玉お姉さんを捜すの?」
「当たり前だろ。そいつが一番怪しいんだ」
「そんなの、ただの憶測だし……仮に憶測が合ってるなら、殺人犯ってことでしょ?」
こどもに毒入りの飴を配るなんて、どう考えても凶悪犯罪者だ。
「だからどうしたんだよ? ビビってんのか?」
「まずは、警察に相談しない?」
「んなことしてたら、手遅れになるだろ。証拠もねぇのに……それでも記者か?」
む、この女、私の記者魂に火をつけてきたわね
「分かったわ……手分けして捜しましょう。他のメンバーは?」
「他のメンバー? 2年生のことか?」
「そうよ」
「みんな、バラバラに行動してるらしいぜ」
私は、応援を呼ぶかどうか悩んだ。飴玉お姉さんの犯行で決まりなら、全員に集まってもらったほうが、いいんだけど……でも、カンナちゃんと遊子ちゃんは、別ルートで調査してるみたいだし、ここは私と不破さんで頑張るしかないか。
「でも、ふたりじゃキツくない?」
不破さんは、分かってねぇな、と言って、スマホを取り出した。
「天堂には、毎晩夜遊びしてる不良がわんさかいるんだ。招集かけるぜ」
なんというコネの使い方。
「コネクションを制する者はマスコミを制する……あなた、記者に向いてるわね」
「んなお世辞はいいから、さっさと捜すぞ。で、どこに出るんだ、そいつは?」
○
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夜9時。駒桜公園は、静まり返っていた。
ときどきカップルが横切るくらいで、とても心細い。
私は挙動不審にならないように、待ち合わせのフリをして、スマホをいじっていた。
あのあと、新聞部のネットワークを駆使して、飴玉お姉さんの出没エリアを特定した。山桜公園〜駒桜公園のルートと、駒桜公園〜天堂高校へのルートで、比較的多く目撃されていた。絶対にそこ、というわけではないようだけど、確率的に張り込む。
私は、この2ルートが合流する駒桜公園を担当することになった。キャット・アイが出たところとあって、なんだか怖いわね。私は、気分が萎えないように、スマホの画像フォルダから、箕辺くんの写真を引っ張り出した。
「……」
箕辺くん、ほんとに大丈夫かしら……悪化してないといいんだけど……この気持ちは、同級生として……うぅん、違う。私はあらためて、箕辺くんを諦めきれていないことに気付いた。我ながら、悲しい笑いが漏れてくる。
「そこのお嬢さん、彼氏待ちかなぁ?」




