164手目 恐ろしき住人たち
「え? あれがキャット・アイなの? ……僕、すれ違っちゃったよ」
捨神ぃ、なにやってるんだ。
「あんな変な格好してる女が、何人もいるわけないだろ」
「だって、大場さんのほうが変な格好してるじゃないか」
大場が聞いたらキレるぞ、それ。
「捨神くんが会ったのは、キャット・アイで間違いないよ。位置情報が一致してる」
佐伯はそう言って、追跡機の画面をみせた。
これまでのことを捨神に話して、3人で追いかけることにする。
夜道をどんどん進んで行くと、俺たちが普段使っている通りに出た。
「それ、合ってるのか? ……住宅街に突っ込んでるぞ」
「まだ移動してるから、捨てられてはいないと思うよ」
いやいや、発信器だけ外された可能性もあるぞ。
そのへんのサラリーマンの鞄に、放り込まれたのかもしれない。
俺が指摘すると、佐伯は、
「これ以外には手がかりがないよ。とにかく、追いかけよう」
と提案した。これはその通りだから、俺と捨神も賛成した。
「そこを左」
俺たちは、細い路地に入った。さすがに使ったことのない道で、たしか、中小企業の工場が並んでいる区域だ。古い建物しか見当たらない。電灯も小さくて心細い。
「あッ」
「どうした?」
「ターゲットが止まった」
「なにッ!?」
やっぱりバレたか。俺たちは、発信器の位置まで突っ走った。
「はぁ……はぁ……ここは、どこだ?」
「上町3丁目47番って書いてあるよ」
捨神は、近くの電信柱を指差した。
「全然知らない場所だな……ん?」
俺はふと、その名前に、見覚えがあるような気がした。
「あれ……飛瀬の住所って、そんな感じじゃなかったか?」
これには捨神が真っ赤になって、
「飛瀬さんを疑ってるの? さすがに怒るよ?」
と反論してきた。
「い、いや……飛瀬が犯人とは、言ってないだろ」
それに、飛瀬とは身長が合ってないからな。キャット・アイのほうが高い。
「で、発信器は、どこにあるんだ?」
「この建物の庭みたいだね」
佐伯はそう言って、年代もののアパートを指し示した。
「百鬼夜行……? すごい名前だな」
「入ってみようか」
「不法侵入だろ?」
「さすがに、だれも住んでないんじゃないかな、これ」
そう言われてみると、あまりにもボロボロで、住人がいるように見えなかった。
俺たちは、錆びたゲージを開けて、中庭に入った。
周囲には雑草が生い茂っていて、虫の音が聞こえた。
「……あった」
佐伯は、庭のすみに放置された箱を発見した。
「中身は、あるか?」
「……ある」
蓋を開けてみると、盤駒は、そのままになっていた。
駒の一部が盗まれたんじゃないかと思って調べてみたが、全部あった。
「変だな……箱ごと捨てたのかな?」
佐伯は、怪訝そうにつぶやいた。
「そこで、なにをしてるんですか?」
突然の声に、俺はアパートの2階を振りあおいだ。そして、二重にびっくりした。
「ね、猫山さんッ!」
「おやおや、箕辺くんじゃありませんか」
それから1分後、俺たちは、猫山さんの部屋に通されていた。
「すみません、お茶は切らしてるんですよ」
「い、いえ……おかまいなく」
俺は、室内を見回した。映画に出てくる、昭和の安アパートみたいだ。壁はあちこち剥がれていて、畳はささくれだっているし、窓もガムテープで継ぎはぎしてあった。すごく窮屈で、六畳一間というのは、こういうことを言うんだろう。
猫山さんみたいなひとが、こんなところに住んでるなんて、なんかショックだ。
「ところで、3人とも、なにをなさっていたんですか?」
猫山さんの質問に、俺たちは、どう答えたものか迷った。
「今度、清心が県大会に出るので、練習してました」
知恵をふりしぼって、嘘をついてみる。
「熱心ですねぇ……でも、どうしてうちの中庭に?」
「近道しようとしたら、道に迷って……」
猫山さんは、くすくすと笑って、
「夜の駒桜は、怖いですからねぇ。男3人でも、用心したほうが、いいですよ」
と添えた。俺は、「は、はい」としか、答えようがなかった。
どぎまぎする俺とは対照的に、佐伯は平静な顔をして、
「ところで、あやしげな女ふたり組が、近くを通りませんでしたか?」
とたずねた。
「あやしげな女ふたり組……分かりません。共同トイレのほうにいたので」
トレイも共同なのか。そう言えば、シャワールームもない。
「バイクの音を聞いたとか、そういうことも、ありませんか?」
「いえ、べつに」
コンコン
質疑を打ち切るように、ドアがノックされた。インターホンはないようだ。
「おや、どなたでしょうか」
猫山さんは、俺たちを押しのけて、玄関に出た。
とびらを開けると、おっとりした色白の女性が、顔をのぞかせた。
「久慈です……こんばんは」
「おやおや、久慈さん、こんばんは」
クジと呼ばれた女性は、手に鍋を持っていた。
風変わりなことに、なぜか麦わら帽子をかぶっている。
そして、先客の俺たちに、顔を向けた。
「あら……お客さんですか」
猫山さんは、クジさんを部屋に通して、ちゃぶ台のそばに座らせた。
室内が、ますます窮屈になる。
「こちらは、お隣に住んでいる、久慈さんです」
俺たちも、順番に自己紹介した。
「箕辺です。猫山さんには、喫茶店でお世話になってます」
「アハッ、その友だちの捨神です」
「佐伯です。高校生です」
「どうも、御丁寧に……ちょうどよかったです。じつは、夕飯が余ってしまいまして、猫山さんにおすそわけをしよう、と……みなさんも、いかがですか」
夜食のお誘い。俺たちは形式的に、おかまいなく、と答えた。
「いえいえ、そう遠慮なさらずに」
久慈さんは、鍋の蓋を開けた。
……………………
……………………
…………………
………………
え?
「おやおや、これは立派なキャベツですね」
そう、キャベツだった。
ロールキャベツとか、そういうのじゃなくて……キャベツが丸ごと一個入っていた。
これから調理するつもりなのだろうか。
俺がいぶかっていると、久慈さんは、のろのろとした仕草で、
「どうぞ」
とすすめてきた。
「え……あの……」
これには、猫山さんが笑って、
「こういうひとたちは、皿と箸がないと、食べてくれませんよ」
と言い、洗い場から皿を3つ取り出してきた。
「すみません、気が利かなくて……では……」
久慈さんは、手でキャベツをバリバリ裂いて、皿に分けた。
……………………
……………………
…………………
………………
これを食べろってことなのか? ドレッシングもなしで?
「おいしいですよ」
「いえ……その……お腹がいっぱいです」
久慈さんは、もったいない、というような顔をした。
「そうでしたか……では、失礼ながら、私がもらいます」
久慈さんは、皿のうえのキャベツをつまんで、バリバリと食べてしまった。
それから、お腹が空いた、と言って、のこりのキャベツも齧り始める。
おすそわけに来たんじゃないのかよ。
「いやあ、私もお腹が空いてきました。夜食にします」
猫山さんは、キッチンで鍋に火をかけた。
カツオブシの匂いがしてくる。みそ汁でも温めているのだろうか。
「もうすぐ、梅雨ですね」
久慈さんは、唐突に天気の話を始めた。
天気は、会話がないときのテクニックだからな。スモールトークってやつだ。
高校の教科書で習ったぞ。
「はい、学校に行くのが、たいへんです」
「私、じめじめしているのが、大好きなんです」
なんだ、その自分語り……やめてくれ。
「そ、そうですか……それは、よかったですね」
ここで、佐伯が割り込んでくる。
「久慈さんは、猫山さんのお友だちなんですか?」
「はい」
「喫茶店の八一で、お会いしたことがないように思います」
そう言えば、そうだな。友だちとか言って、ただの隣人なんじゃないか。
「私、カフェインが大嫌いなんです」
へぇ、今時めずらしい。
「じゃあ、コーヒーとかがダメなんですね」
俺の発言に、久慈さんは、緑茶や紅茶もダメだと答えた。筋金入りだ。
「普段は、なにを飲んでるんですか? 牛乳とか?」
「ビールです」
い、いきなりアルコールをあげてきた。
「お酒が強いんですね」
「ビールの匂いが好きなんです」
えぇ……なんだ、それ。アルコールが好きなわけじゃないのか。
と、そうこうしているうちに、久慈さんは、キャベツをあらかた食べてしまった。
一部だけ、猫山さんのために選り分けてある。
そして、当の猫山さんも、茶碗を持って席にもどってきた。
「それ……猫まんまですか?」
茶碗には、ご飯にみそ汁をぶっかけたものが入っていた。
「そうです。世界で一番おいしい食べ物ですよ」
おいしいのは認める。
猫山さんは、久慈さんのキャベツをオカズに、よく分からない会話を始めた。
「そう言えば、アルバイト先に、タマさんが来てました」
「あら、タマさん、まだご存命なんですね。てっきり、お亡くなりになられたのかと」
「しばらく、顔を見せてませんでしたからね。腰を痛めてたらしいですよ」
久慈さんは久慈さんで、キャベツの芯まで食べ始めた。
早く帰りたいのだが、どう切り出していいのか、分からなかった。
ワオーン ワオーン
なんだ? ……室内犬か? アパートのなかから聞こえるぞ。
猫山さんは会話を中断して、大きくタメ息をついた。
立ち上がって玄関を開け、廊下に向かい、
「ご近所迷惑ですよッ!」
と注意した。すると、犬の鳴き声はやんだ。
猫山さんは席にもどって、また猫まんまを食べ始める。
「すごいですね。一喝して犬が黙るなんて」
俺は、褒めたつもりだった。ところが、猫山さんは、
「215の住人が、いつもこの時間に鳴くんですよ」
と言った。
「え……アパートの住人なんですか?」
「そうですよ。そろそろ、大家に言わないといけませんね」
……………………
……………………
…………………
………………
帰ろう。
「すみません、お邪魔しました。両親が心配してるといけないので、帰ります」
「あ、そうですか。どうぞ、これからも八一をごひいきに」
俺は、猫山さんのコマーシャルな挨拶を受けてから、部屋をあとにした。板張りの廊下を歩いているときも、木製の階段を降りているときも、なんだか寒気がした。ひそひそ話が聞こえたり、だれかに見られているような気さえした。
外に出た俺は、夜の新鮮な空気を、胸一杯に吸い込んだ。星明かりが、ちらほらとまたたく。かえってそれが、俺たちを現実へと引き戻してくれた。
「ふぅ……これから、どうする?」
「盤駒はもどってきたから、もういいんじゃないかな?」
佐伯は、あっけらかんと答えた。
「アハッ、僕、なんの役にも立ててないね」
「そんなことはないよ。他県から情報を集めてくれたし」
今回のMVPは、発信器作戦を考案した佐伯とポーンで決まりかな。
とりあえず俺たちは、公園へもどることにした。




