161手目 準備をする仲間たち
ウーン……あの女、あやしいよね。
「お嬢様、なにを考えてらっしゃるのですか?」
私は腹筋をやめて、寝そべったまま顔をあげた。
するとそこには、短パンにトレーニング・ウェアを着た巴ちゃんが立っていた。
「……キャット・アイって、知ってる?」
巴ちゃんは、知らないと答えた。私は腹筋マシーンから降りて、近くにあったベンチに腰をおろす。ここは、実家のトレーニングルーム。ヤクザの娘だから、ある程度は体を鍛えておかないとね。
「で、そのキャット・アイというのは? 新手のマフィアですか?」
「なんていうのかな……将棋専門のどろぼう?」
巴ちゃんは、よく分からないような顔をした。ま、当たり前だよね。だから、今日のできごとを、くわしく説明してあげた。すると、巴ちゃんは、それまで持っていたダンベルを床に置いて、
「信じられません。十数メートルもジャンプできる人間はいないでしょう」
と言った。私もうなずきながら、
「さすがにそこは、目の錯覚だと思うよ」
と返した。でも、目撃者がふたりいるんだよね。
あんまりよく知らないけど、兎丸くんのほうは信頼できそう。
「そのキャット・アイを、どうするのですか? 生け捕りに? それとも……」
「とりあえずは、生け捕りかな……箕辺くんも、正体を知りたがってるし」
辰吉くんの名前を出した途端、巴ちゃんは眉をひそめた。
「あの男と、少々からみ過ぎではありませんか?」
この察しの悪さ。都合はいいんだけどね、付き合ってるのを隠すのには。
「学校生活の送りかたは、私の自由だと思うよ?」
「しかし……」
「しかし、じゃないから……で、協力してくれるのかな?」
巴ちゃんは、もちろん協力すると答えた。
「私はお嬢様の右腕です。公園に現れたところで、延髄蹴りをかましてやりましょう」
「ウーン……それは、ちょっとマズいかな……」
「なぜですか?」
「相手は、将棋をやりたいって言ってるだけだし……死んじゃう可能性もあるよね?」
「そのときは、そのときです」
警察沙汰は、さすがにね。
「それならば……」
巴ちゃんは射撃場へ移ると、スチール製の棚を開けた。
なかから、木目の綺麗なショットガンを取り出す。
「ぺラッチのMX8だね」
オリンピック競技で有名な銃だ。私も一丁コレクションしている。
「これにゴム弾を入れてぶっ放しましょう」
「ゴム弾でも、死んじゃうことはあるよね?」
「そのときは、そのときです」
出たとこ勝負みたいな発想は、やめようね。
「遠距離から打てば、問題はないでしょう」
「それも、そうか……じゃあ、公園のどこかに張り込んで……」
○
。
.
「アハッ、3分経ったよ」
カップラーメンの蓋を剥がして、いただきます。
「美味しいね」
「うん……おいしい……」
やっぱり彼女と食べる夕食は、最高だね。
「捨神くんの部屋って、ベッドと将棋の本しかないね……」
「冷蔵庫と電子レンジもあるよ」
飛瀬さんにじろじろ見られると、恥ずかしいな。
ひとり暮らしだけど、ちゃんと掃除しといて良かった。
「飛瀬さん、今日は何時までいられるの?」
「定時報告が地球時間で11時だから、それまでは……」
あと2時間くらいか……十分だね。
好きな女の子とふたりきりになってすることと言えば……そう、将棋だよッ!
僕は盤を取り出して、テーブルのうえに乗せた。
「ごめん……まだ食べてる……」
「ゆっくり食べていいよ。僕は名人戦の棋譜並べてるから」
ああして、こうして……あ、そうだ。
「飛瀬さん、キャット・アイの件は、やっぱりダメなの?」
飛瀬さんは、すこしだけ表情が暗くなった。
「ごめんね……法律は法律だから……」
僕は、あわてて弁解する。
「謝らなくても、いいよ。内政干渉は、よくないから」
僕ひとりで、箕辺くんたちに協力しないといけない。どうしようかな。
とりあえずは、情報収集から。棋譜ならべを中断して、スマホを取り出す。
だれが詳しそうかな……普段なら、姫野さんなんだけど、キャット・アイは、これまで一度もH島に出て来なかった。やっぱり、戦った人かな?
となると、まずは、この番号だ。
プルル プルル
《もしもし、囃子原だ》
「アハッ、こんばんは」
《なんだ、捨神くんか……こんな時間に、どうした?》
僕は、駒桜市にキャット・アイが現れたことを説明した。
《ほぉ……ついにH島にも出たか》
「そうなんだよ……O山でキャット・アイを撃退したのって、囃子原くんだよね?」
《うむ、あれは去年の春だったな。つまりは、僕が中3のときだ》
「そのときのこと、詳しく教えてくれない?」
囃子原くんは、もちろんだ、と答えた。
こういうところで、囃子原くんは気さくだよね。
《あれは、ゴールデンウィークのときだったな。囃子原グループが所有している将棋盤を盗みたい、という挑戦状が届いた。宛名は僕だった。300万くらいの盤だから、警察を呼ぶまでもないと思って、勝負を受けた》
「勝ったんだよね?」
《もちろんだ……が、相当、手強かったな。危うく負けかけた》
そっか……囃子原くんが負けかけるってことは、僕と互角……あるいは、それ以上の可能性もある。少なくとも、女子なら桐野さんレベルか。
「居飛車党? 振り飛車党?」
《そのときは、四間穴熊だった。しかし、居飛車も指せるという噂だ》
「つまり、両刀使いなんだね」
《そうなるな……ところで、さっきから、汁をすするような音がしていないか?》
あ、耳聡いね。
「うん、友だちが来てるんだ」
《友だち……彼女ではないのか?》
ぎくり。
「そ、そ、そんなことは、ないよ」
《ハハハ、結婚式をあげるときは、招待状を送ってくれたまえ。遠慮せずにな》
囃子原くんは、まだ仕事があると言って、通話を切った。
うぅん、バレちゃったかなあ。
気を取りなおして、次のひとに電話しよう。
プルル プルル
《は〜い、もしもしなの〜》
「こんばんは、温田さん?」
《そうなの〜》
僕は、温田さんにも、キャット・アイの話をした。
《すごいの〜駒桜にも現れたの〜》
「なにか、情報を教えてもらえないかな?」
温田さんは、その場にいなかったと答えた。
「だれか、出会ったひとはいる?」
《ん〜よく分からないの〜。例の件は、どこの学校も秘密にしてるの〜》
温田さんは、吉良くんなら知っているかもしれない、と教えてくれた。僕は温田さんにお礼を言ってから、吉良くんのほうへ電話をかけ直した。
プルル プルル
《もしもし?》
「あ、吉良くん? こんばんは」
吉良くんは一瞬、僕がだれだか分からなかったらしい。
液晶に、名前が出てるはずなのにね。
《ん? 捨神か?》
「そうだよ。僕だよ」
《なんか雰囲気が違うな……オレオレ詐欺か?》
「なんでそうなるの? 僕の電話番号でしょ?」
《じゃあ、質問するぞ。大将棋で、前後にだけいくらでも動ける駒は?》
「反車!」
《ンー……捨神か……なんの用だ?》
僕は、キャット・アイの挑戦状について伝えた。
《あっそ……自分たちで解決しな》
「え? なんでそんなに冷たいの?」
《俺たちは、自分で解決したんだ。H島はH島で解決しろよ》
「でも、E媛にも現れたんだよね? E媛は協力してくれなかったの?」
吉良くんは、軽く舌打ちをした。図星だね。
どこかに協力してもらったに違いない。
《しかしなあ、協力っつっても、俺が自力でねじ伏せただけだぞ?》
「棋風とか、どうだった?」
吉良くんは、ゴキゲン中飛車で来られたと言った。
「ってことは、やっぱり振り飛車党なのかな?」
《いや、ひよこ先輩は、角換わりで負けたらしい》
「え? 大谷先輩が負けたの?」
電話の向こうから、「あッ」という声が聞こえた。
《すまん、今のはナシで》
「ナシで、じゃないよ。大谷先輩が負けたってことは、居飛車も強いんだよね?」
《俺は、その対局を観たわけじゃないからな。伝聞だぞ、伝聞》
「じゃあ、大谷先輩に電話を……あ、携帯持ってないんだっけ?」
しまった。連絡方法が、手紙しかない。
《俺も、ひよこ先輩には連絡つかないぞ……それにしても、捨神、変わったな》
「え? なにが? 変声期?」
《おまえ、昔はもっと、ゴニョゴニョしゃべってただろ?》
「あ、それはね……いろいろあって……」
《あッ! 分かったぞッ!》
いきなりの大声で、僕はスマホを耳から離した。
「なにが分かったの?」
《おまえ、女ができただろ?》
ぎくり。
「ど、ど、どうしてそう思うの?」
《男の勘だよ、勘……で、どこの誰なんだ? やっぱり将棋指しなんだろ?》
「ねぇ、キャット・アイに話をもどそうよ」
《待て待て……捨神のメガネにかないそうな棋力の女……西野辺か?》
「あのさ……僕とタイプが違い過ぎるでしょ?」
《そうか? 凸凹コンビのほうが、長続きしそうだが……桐野先輩?》
「吉良くん、さっきから、知ってる女子の名前をあげてるだけでしょ?」
携帯の向こうから、笑い声が聞こえた。
《わりぃわりぃ、H島で知ってるのは、県代表クラスだけだからな。で、誰なんだ?》
「もう……関係ない話はやめようよ」
《俺とおまえの仲だろ? 全国で覇を競った》
吉良くんは、写メを送れ、と言い出した。
「肖像権侵害でしょ、それ」
《なんだ、いることは認めるんだな?》
「/////」
僕が黙っていると、吉良くんは大きくタメ息をついて、
《ま、なんだか安心したよ。おまえ、いつか自殺しそうな顔してたからな》
「え……そんなこと……」
そう言えば、吉良くんとは、全国大会で会ったきりだな、と思った。あのときは、彼のほうが一方的に絡んできたけど、なんとなく懐かしい気がした。
《キャット・アイについては、香宗我部先輩に訊いてみるよ。間に合わないかもしれないけどな。それじゃ、日日杯で会おうぜ。またな》
そこで、電話は切れた。
なんだか、もうすこし話したいことがあった気もするけど……僕は、スマホを片付た。目の前で待ってくれていた飛瀬さんに、視線を送る。
「それじゃ、将棋を指そうか」
○
。
.
ふえぇ……すっかり遅くなっちゃった。
将棋部と生徒会の兼任は、大変だよぉ。
変質者に気をつけて帰ろうねぇ
ボクはなるべく灯りの多い道を選んで、自宅を目指していた。
「そこのカワイイお嬢さん」
「ふえ?」
ふりかえると、電信柱の灯りの下に、ジーパンタンクトップのお姉さんが立っていた。なによりもびっくりしたのは、髪の毛が真っ赤なこと。くわえタバコしてるし、天堂の不良かなぁ。怖いよぉ。
ボクが逃げ道を探していると、お姉さんは、腕に抱えていた篭を見せて、
「飴はいらんかね?」
とたずねてきた。
「アメ? アメって、食べ物のアメですかぁ?」
「そうだよ……とってもおいしい飴だよ」
お姉さんはそう言って、ボクのほうへ接近してきた。
タバコの匂いが強くなる。
お姉さんは篭のなかから、包装された四角い飴玉をとりだした。
「ボク、お金持ってませぇん」
「お金はいらないよ」
お姉さんはそう言って、ボクの手に飴玉をねじこんだ。
どういうことなのぉ? これって、ドッキリぃ?
ボクは周囲をキョロキョロしたけど、仲間らしいひとはいなかった。
「ごめんなさい、やっぱり、いらな……ふえ?」
ボクがふりむくと、お姉さんは、もういなくなっていた。




