159手目 裏見大先輩の証言
※ここからは箕辺くん視点です。
「で、箕辺くん、こんな時間に私を呼び出した理由は?」
時計の針は、午後5時を過ぎていた。
俺は裏見先輩のねっとりした視線を感じながら、用件を伝えた。
「キャット・アイ? ……知ってるわよ」
いきなりの有力情報に、俺は身を乗り出した。
「どこで、ですか?」
裏見先輩は、八一のコーヒーを飲みながら、思い出すように目を閉じた。
「王手町高校のグラウンド」
王手町高校……K知の有名な学校だ。
「どういう経緯ですか?」
裏見先輩は、K知で起こったことを事細かに説明してくれた。まず、E媛でキャット・アイが現れたこと。それを香宗我部という人物が目撃して、対策を練ったこと。そして、王手町高校のグラウンドで、100万円の将棋盤を賭けた勝負があったこと。
どれも信じがたい証言だった。でも、裏見先輩だから、信じざるをえなかった。裏見先輩は、すこし言いにくそうな顔で、先を続けた。
「じつを言うとね……親戚の家にも現れたのよ」
「裏見先輩の、ですか?」
「そうよ。おじいちゃんの弟の家」
どうやら、K知を訪れたのは、親戚の家を訪問するためだったらしい。その近くにある海岸で、キャット・アイに出会ったとか。時系列的には、そちらが先のようだ。
「で、どうなったんですか?」
「大谷っていう子が、負けちゃったのよ。彼女も、県代表だったんだけど」
なるほど、捨神の言っていた「県代表クラス」というのは、どうやら事実らしい。
「そのとき、神崎先輩も一緒にいたんですよね? 捕まえられなかったんですか?」
裏見先輩はカップを置いて、腕組みをすると、しばらく瞑想した。
むずかしい顔をしている。
「頭がおかしいと思われるかもしれないけど……あれって、人間じゃないと思う」
「え? ……どういう意味ですか?」
裏見先輩は、ごにょごにょと言葉をにごした。
「とにかく、キャット・アイには、あまり関わらないほうがいいわ」
「佐伯が挑戦状をもらってるんです。なにか攻略法はありませんか?」
さすがに、協力してくれとは言えない。受験生だから。
裏見先輩は、こぶしをひたいに当てて、身をよじるように考え込んだ。
俺は、固唾を呑んで見守る。
「……ごめん、ないわ」
俺は、肩を落としかけた。が、先輩に失礼だと思って、
「分かりました……俺たちでなんとか解決します」
と答えた。
「いくつか、アドバイスだけしておくわね。キャット・アイは、指名した相手を、絶対に変えないわ。捨神くんを代わりに出そうとしても、無理でしょうね。それから、動物を操る能力があるの。ケガをしないように注意してちょうだい」
「動物を操る能力ですか?」
裏見先輩は、マジメな顔でうなずいた。
「さっきも言ったけど、キャット・アイは、超人的ななにかよ。用心して」
「……分かりました」
俺は、相談に乗ってくれたお礼に、コーヒー代を支払うと言った。だけど、裏見先輩は年上だからという理由で、それを断った。俺と遊子は、もういちどお礼を言って、八一を出る裏見先輩の背中を見送った。
……………………
……………………
…………………
………………
「人間じゃないって、どういうことかな?」
となりに座っていた遊子が、眠たそうに尋ねた。
「え……ああ、どういうことなんだろうな」
裏見先輩は、飛瀬=宇宙人説も信じていないはずだし、おかしいな。
俺が首をひねっていると、横合いから綺麗な腕が伸びてきた。
猫山さんだった。
「おかわり、いりますか?」
「……はい、お願いします」
遊子もおかわりを頼んだ。
猫山さんは、熱々のコーヒーを注ぎながら、俺たちをじろじろ眺めた。
「これから、デートですか?」
「え……いや……」
俺は、顔が赤くなるのを感じた。
「いやあ、うらやましいですねぇ」
俺がもじもじしていると、まるで助け舟みたいに、店のとびらがひらいた。
ふりかえると、白装束を着た、髪の長いお姉さんが入ってきた。草履をはいていて、ずいぶん変わった格好だな、と思った。
お姉さんは、すぐに猫山さんに手を振った。
「愛ちゃん、また来たぞい」
猫山さんは、かすかにため息をついて、お姉さんをカウンター席に案内した。
マスターは顔見知りなのか、なにやら上機嫌だ。
「タマさん、いらっしゃい」
「今日も例のやつを頼むのじゃ」
あやしい裏メニューでも出るのかと思いきや、マスターは湯のみを取り出して、緑茶を入れ始めた。メニューには書いてないから、裏メニューと言えば裏メニューなんだが……どうも拍子抜けしてしまう。タマさんは猫舌なのか、お茶をふぅふぅしながら、マスターと世間話に興じ始めた。
「最近、愛ちゃんがかまってくれんから、さみしくてしょうがないのぉ」
「愛ちゃんは、なんだかいそがしいみたいだね」
タマさんはちょっと猫背ぎみに、お茶をズズッとすすった。
「いそがしいと言うても、限度があるじゃろ。猫の手なら貸してやるぞい」
会話に耳を澄ませていると、うっかり目が合ってしまった。
「なんじゃ? わしになにか用か?」
しまった。俺がそう思ったのも束の間、タマさんは席を立った。
こちらへ近寄ってきて、じろじろと顔をながめてくる。
「あの……すみません、たまたま顔を向けただけで……」
「ンー、おぬし、どこかで会ったことがあるのぉ」
え? どういうことだ? 俺は、タマさんの容姿を、念入りに観察してみた。
ぜんぜん記憶がよみがえらない。初対面だと感じる。
ところが、タマさんはポンと手をたたいて、
「おお、そうじゃ、そうじゃ、初詣のとき、ふたりともおったじゃろ?」
と言った。
「初詣……駒桜神社ですか?」
「もちろんじゃ」
タマさんは、ひとりでうんうんとうなずいて、
「ならば、あの……なんと言うたかの? 呪いさんだったかの?」
ノロイという名前に、俺は聞き覚えがなかった。
だけど、思い当たることがあった。
「裏見先輩ですか?」
「そうじゃ! 香子ちゃんのことじゃ!」
裏見先輩の名前が出て、俺はすこしだけ警戒感をゆるめた。
あいかわらず、変わった知り合いの多い先輩だな……。
忍者もいるし、こういうひとがいても、おかしくはないか。
そんなことを考えていると、タマさんは勝手におなじテーブルに座った。
「おぬし、名前はなんと言うのじゃ?」
「箕辺です」
「なかなか男前じゃな。そちらのかわいいお嬢さんは、なんと言うのじゃ?」
「……来島です」
遊子が自己紹介すると、タマさんは、「うん?」と首をかしげた。
「来島……どこかで聞いたことがあるのぉ」
「気のせいだと思います」
遊子は、そう断言した。なんだか警戒している感がある。
「お姉さんのお名前は?」
「わしか? わしはタマじゃ!」
いや、それはさっきから分かってるわけで……俺は、苗字をたずねた。
「ニャハハ、苗字はないぞ」
えぇ……はぐらかされた。他人の名前を訊いといて、自己紹介しないのか。同性の遊子が警戒しているように、あやしい女の人だ。俺は身構えた。
一方、タマさんは飄々とした感じで、お茶を飲み続ける。
「おぬしたち、夫婦か?」
「え……ちがいます」
「ということは、許嫁じゃな」
俺と遊子は、顔を赤くした。と同時に、なんだか古めかしい言い方なのが気になる。
「恥ずかしがらんでも、ええんじゃぞ。最近の若者は、進んどるからのぉ」
「いえ……その……俺たちは、将棋の集まりで……」
「それに比べて、愛ちゃんは男っ気がないわい」
カウンターからダッシュしてきた猫山さんは、タマさんの頭をお盆で叩いた。
「なにベラベラしゃべってるんですかッ!?」
タマさんは、頭を押さえて、
「いたたた……愛ちゃん、怒らんでもええじゃろ」
と嘆いた。
「余計な話はしないで、それを飲んだら帰ってくださいねッ!」
猫山さんが怒ったところ、初めて見た。いつもは軽いノリなのに。
タマさんが言っていることは、ほんとうなんだろうか。
ただ、あれだけ綺麗なひとなのに、相手がいないのは変だな、と思った。
タマさんは、まったく悪びれる様子もなく、ふたたび俺たちに顔をむけた。
「ところで、おぬし、『将棋』と言ったな?」
「え……あ、はい」
「どうじゃ、わしと一局指さんか?」
え? このひと、将棋指せるのか?
誘われたことよりも、そっちのほうが意外だった。
「すみません、俺たちは、これからちょっと用事が……」
「デートか?」
「いえ、そうじゃなくて……」
俺が言いわけを探していると、そでを引かれた。遊子だった。
「辰吉くん、指してあげなよ」
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…………………
………………
「今からか?」
遊子は、訴えかけるようなまなざしを送ってきた。
これは……なにか、あるな。よく分からないが、指したほうが、よさそうだ。
こういうときの遊子の判断力は、俺よりも高い。
「分かりました……盤は、どうします?」
「持っとらんのか?」
俺は、マグネット盤なら持っていると答えた。将棋部員だからな。
「まぐねっと……なんじゃ、それは?」
「これですよ」
俺は、小さめのマグネット盤を取り出した。
タマさんは、物珍しそうに、
「鉄でできとるんじゃの……」
と言いながら、駒を突ついた。そして、駒が盤にひっつくのがおもしろいのか、パチパチとおなじ動作を繰り返した。そのたびに、首をひねる。
「これは……どうなっとるんじゃ?」
「磁石ですよ」
タマさんは、「ふぅむ」と言って背筋を伸ばし、腕組みをした。
「世の中には、不思議なことがあるもんじゃのぉ」
な、なにを言ってるんだ、このひとは? 演技か? 演技なのか?
困惑する俺をよそに、タマさんは駒を並べ始めた。
その手つきは、さっきまでの言動とはちがって、なかなか手慣れたものだ。
俺も駒を並べる。遊子のそばで指すなんて、緊張するなあ。
「じゃんけんじゃ!」
じゃんけん、ぽん……俺がチョキ、タマさんがパー。俺の先手だ。
「お手やわらかに頼むぞい」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
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…………………
………………
あれ、なんでこんな流れになったんだ?
清心に怪盗が現れたとかで、佐伯に呼び出されて……分からん。
「初手に長考か?」
「あ……すみません」
俺は7六歩と指した。気分を落ち着かせるために、コーヒーを飲む。
「8四歩じゃ」
居飛車党か……じゃあ、矢倉で。
「6八銀」
タマさんはうなずいてから、うれしそうに3四歩と突いた。
6六歩、8五歩(早いな)、7七銀。
「7二銀じゃ!」
あ、これは……7八金、8三銀、7九角、8四銀。
「ぼ、棒銀?」
これはびっくりだ。単純過ぎるだろう。
「ニャハハ、将棋と言えば棒銀、棒銀と言えば将棋じゃ」
タマさんは、妙な笑い方をした。
俺は気合いを入れ直す。
彼女のまえだ。いいところ見せるぞ。




