156手目 怪盗キャット・アイ、再来す
「いやあ、兎丸、悪いな。夜遅くまで付き合ってもらって」
「いいよ。僕も練習したかったし」
俺の名前は、新巻虎向。清心の新1年生だ。
市内の団体戦で優勝した俺たちは、県大会への切符を手に入れた。
せっかくだし、できれば上位に食い込みたい。そう考えて、遅くまで練習していた。
兎丸とのVS形式。30秒将棋を延々と指すのだ。
「もう8時か……」
「虎向は、親に連絡しなくてよかったの?」
「これくらいなら、心配されないさ」
廊下はまっくら。非常灯光が、うっすらと緑色に輝いていた。
「佐伯先輩は、どこで練習してるんだろ?」
俺は、部室のほうを振り返りながら、そうつぶやいた。
今日は見なかったんだよな。
「2年生のメンバーじゃない?」
ふぅん……それも、そうか。捨神先輩がいるし、相手には、こと欠かない。
「そう言えば、最終戦で……」
「そこのお兄さんたち」
いきなり、女の声がした。俺と兎丸は、おどろいて振り返る。
声の主が分かった俺は、思わず目を見張った。
黒いレオタードにアイマスクをした女が、腕組みをして立っていたからだ。
しかも、猫耳が生えている。
「こ、こんばんは……」
「こんばんミ」
「お姉さん、体操部の方ですか?」
俺は、なにか困ったことがあって、声を掛けられたんじゃないかと思った。
例えば、更衣室の鍵が開かないとか、そういうことだ。
アイマスクをしているのは、レオタードが恥ずかしいからかもしれない。
けど、ポーズはそう見えないんだよな……堂々としている……。
「新巻虎向と古谷兎丸だね?」
なんだ、呼び捨てか。失礼な上級生だな。
「そうですけど、なにか?」
俺の質問に、相手はなにも答えなかった。代わりに、カードを渡してくる。
え、まさかのラブレター? 参っちゃうなあ。どれどれ。
佐伯宗三 殿
我が輩は猫である
清心高校の将棋部に代々伝わる駒をもらいたい。
将棋で決着をつけよう。
今週の水曜日22時に、駒桜公園で待っている。
怪盗キャット・アイ より
ฅΦωΦฅ
……………………
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…………………
………………
え? なにこれ?
「すみません、意味が分からないんですけど」
「ニャッハッハ、おまえが理解する必要はない。佐伯に渡せ」
目を白黒させていると、横から兎丸がのぞきこんできた。
「これ、窃盗の犯行予告じゃない?」
「ニャ!? なんで分かった!?」
分かるに決まってるだろ! 俺は分からなかったけどな!
「おまえ、どろぼうだなッ! 逮捕してやるッ!」
俺が飛びかかると、女はサッと身をひるがえした。
勢いあまった俺は、廊下につんのめる。
「いてて……避けるなッ!」
「これだから、人間はイヤなんだよ。暴力的だねぇ」
「緊急逮捕するときは、暴力を使ってもいいんだぞ」
立ち上がった俺のまえで、レオタードの女は、人差し指を振ってみせた。
「ダメダメ、こういうときは、将棋で決着をつけないとね」
なに言ってんだ、こいつ。
俺がもういちど飛びかかろうとしたところで、兎丸に肩を叩かれた。
「虎向、ちょっと落ち着いたほうがいいよ」
「どろぼうだぞ、どろぼう。兎丸も手伝え」
「さっきの身のこなし、尋常じゃなかったよ。スポーツ選手かも」
俺だって、サッカーやバスケは得意だ。負けてたまるか。
まえに出ようとしたところで、兎丸に引き止められた。
「そっちのウサギちゃんは、なかなか物わかりがいいね。どうだい、一局?」
マジで将棋を指すつもりなのか……危ないひとな気がしてきた。
兎丸は、真剣な表情で答える。
「将棋を指して、どうするつもりなんですか?」
あまり考えていなかったのか、女は口もとに指を添えた。
「そうだね……」
女は、俺の鞄から突き出ている、ビニール製の将棋盤に気付いた。
「我が輩が勝ったら、その将棋盤をもらうよ」
俺は兎丸をうしろに回して、こぶしをにぎった。
親友に手出しはさせないぞ。
「だったら、俺と勝負しろ。勝ったら、なにがもらえるんだ?」
女は首を左右にひねって、もういちど考える。さっきから、行き当たりばったりだな。
「猫缶1個あげようか?」
「全然割りにあってないだろッ!」
「ンー……我が輩の家にある、特製カツオブシは、どうだい?」
「そんなの要らない」
「注文が多いねぇ……じゃあ、ほかの学校から盗んできた、ビニ盤をあげるよ」
あ、こいつ、窃盗を白状したな。
「よし、受けて立つぞ」
「虎向、やめておいたほうがいいって」
「兎丸、俺に任せろ。ここで取り返しておけば、清心の名が上がるぞ」
挑戦を受けて立った俺は、校庭の花壇に移動した。ベンチがあるからだ。
駒を並べて、兎丸に秒読みを頼む。
「1手30秒だぞ」
「了解……先手は、ゆずるよ」
こいつ、舐めてるな。高校生の実力、見せてやる。
俺は颯爽、7六歩と突いた。3四歩、6六歩。
「3二飛」
この女、振り飛車党か。しかも三間。
「俺も振り飛車党だッ! 7七角ッ!」
3五歩、8八飛、6二玉、3八金、2四歩、8六歩、2五歩。
「ん? 三間なのに、2筋から伸ばすのか?」
「我が輩がどこの位を取ろうが、勝手なのだよ」
騙されないぞ。指し手がしなやかだし、有段者とみた。
相手の狙いを看破してやる。
「……そのまま3四飛と浮くわけか」
「20秒」
俺は8五歩と伸ばす。案の定、3四飛と浮いてきた。
以下、6八銀、7二銀、4八銀、7一玉、4九玉。
相手は美濃。俺は矢倉模様を目指す。
「2四飛」
女は、3六歩と仕掛けずに、2筋へ飛車を移動させた。
「そう言えば、名前を聞いてなかったな」
「我が輩は、キャット・アイ」
やっぱり痴女じゃないか。
「20秒」
「3九玉だ。仕掛けて来い」
4二銀、5六歩、1四歩、5七銀左、1五歩。
なんだ、これ……1〜3筋を全部伸ばしてきた?
絶対に8四歩と突かせないつもりか?
俺はすこし悩んで、5八金と様子をみた。
「5二金左」
仕掛けて来ないな……ゆさぶるか。
「4六銀」
3四飛とムリヤリ戻らせてから、2八玉と入る。
それまで高速指しだったキャット・アイは、初めて手を止めた。
「なかなかやるね……4四歩」
飛車の横利きが止まった。
「8四歩だッ!」
同歩、同飛、8三歩、8五飛。
ポイントを稼いだんじゃないか。
「1三角」
悠長だな。ひとつ問題があるとすれば、後手のほうが堅いってことか。
俺は29秒まで考えて、6五歩と突いた。
4三銀に6四歩、同歩と突き捨てて、角道を通しておく。
「ここで狙いの筋ッ! 3六歩ッ!」
キャット・アイは、ニヤリと笑って、眉を高くあげた。
「ニャルほど、ニャルほど……同歩に2五飛ってわけだね」
ぐッ、読まれてる。
「だが、取らないわけにもいかない。同歩」
俺は勢い良く、2五飛と滑り込んだ。
「3二銀」
さすがに、飛車成りを受けてきた。が、これは予想の範囲内だ。
3五歩、1四飛と押さえてから、2六飛と引く。
キャット・アイは腕組みをして、真剣に考え始めた。
「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「3三桂」
ここで3六飛……いや、待てよ。3六飛、2五桂は、こっちが先攻される。
……………………
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…………………
………………
飛車をイジメておくか。
「1六歩」
同歩なら1五歩と叩いて、2四飛、同飛、同角、2二飛。
1五歩に同飛、1六香は飛車が死んでるから、必然的にこの順になるはずだ。
俺が自分の読みを確認していると、盤面に手が伸びた。
赤いマニキュアを塗った、艶かしい指だ。
「4五歩」
ん? 4五歩? ……逃げ道になってないぞ。4四には角が利いている。
「5七銀引」
「3五角」
「え?」
2二飛成の見落としか? 龍が銀当たり……いや、1二飛があるのか。
1二飛に3一龍と入るのは、1六歩と取り込まれて勝てない。
陣形差があり過ぎる。
「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「い、1五歩ッ!」
2六角、1四歩――飛車交換になった。
キャット・アイは、歩を手にして、わざわざ俺に見せつけてくる。
「角はあげるよ。1八歩」
これは……2六歩なら1九歩成、同玉、1五香か。どう逃げても飛車を打たれる。
「20秒、1、2、3」
兎丸ぅ、その秒読みをとめろぉ!
「ど、同香」
キャット・アイは、さらに1七歩と叩いた。
さすがに相手をしていられない。1七同香、3五角は、次に2五桂がある。
「えーい、大駒さえあれば、なんとかなるッ! 2六歩ッ!」
「大駒がいくらあっても、受からないときは受からニャいのさッ! 1八歩成ッ!」
同玉、1五香、2七玉、1九飛。
これ、絶対に俺が悪いぞ。この女、何者だ?
「3九金」
王様の逃げ道を広げる。
「1八飛成……じゃなくて、1八香成」
ぐッ、この手も強い。
一見、1八飛成としたくなるが、それは3六玉のあとで、進展性がない。
1八香成〜2九成香とすれば、いざというときに、1四飛成も指せる。
「だけど、これを見落としてるなッ! 5五角ッ!」
「ニャハハハ、そんなの見落としてるわけがないだろう。4六歩」
同角、2八歩、3一飛、2九歩成。
「銀か飛車か……」
1九角は単なる大駒交換。3二飛成は銀の丸得だ。
でも、それは一瞬の損得。3九の金は取られてしまうだろう。
「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「3二飛成ッ!」
キャット・アイは3七歩成と成り捨てて、同角に2八成香と寄った。
俺は3六玉と上がって、入玉の準備をする。
「さて、ここからどう決めるかだけど……3九と」
キャット・アイは、金を入手した。3三龍、3八と、6四角。
「1五飛成」
上下挟撃。
「そろそろ、投了の準備じゃない?」
「するわけないだろッ! そっちは駒が足りてないぞッ!」
まだ粘れる。俺は、2五角として、詰めろを防いだ。
「往生際が悪いね……6三銀」
角を攻めてきた……いや、違う。5四銀の準備だな。
「このまま突撃ッ! 6二歩ッ!」
キャット・アイは、ほほぉと感心してから、同金直と取った。
7五桂、6四銀、6三歩、2七角、3五玉、4三桂、3四玉。
っと、これは入玉できるんじゃないか?
キャット・アイも、ずいぶんと悩み始めた。
「猫まっしぐら……2四金」
同龍、4五角成、3三玉、3二歩、同玉、2四龍。
大駒は取られたけど、持将棋のルールを決めてないから、いくらでもごまかせる。
「6二歩成ッ!」
「同金」
「3四歩ッ!」
俺の受けに、キャット・アイは、ちょっとだけびっくりした。
読んでなかったか?
と思いきや、すぐに犬歯を見せて笑う。
「ニャんだ、詰めろに気付いてなかったのか」
詰めろ? この局面で詰むのか? ……詰まないだろ。
盤面を精査する俺のまえで、キャット・アイは、飛車を打ち下ろす。
「5・二・飛」
俺は、キャット・アイの持ち駒を確認する。
「歩しかないよな?」
すると、キャット・アイは、俺の持ち駒を指差した。
金金銀歩が3枚……あッ。
「合駒が悪過ぎる……」
「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
俺は慌てて、4二銀と打った。
同飛、同玉に、キャット・アイは、ススッと龍を引く。
……………………
……………………
…………………
………………
「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」
「負けました」
俺は、頭を下げた。
キャット・アイも一礼してから、腰に手をあてて、ふんぞり返る。
「完勝、完勝……それじゃ、こいつはもらっていくよ」
キャット・アイは、盤駒を抱え、目にもとまらぬ速さで、ベンチから飛び退いた。
空中でくるりと一回転して、グラウンドに着地する。
「おいッ! 逃げるなッ!」
俺もベンチから飛び上がり、あとを追おうとした。ところが、キャット・アイは、信じられないような脚力で、正門まで一気に駆け抜けた。そのまま、フェンスを飛び越えて、夜の闇のなかへと消えてしまった。
「な、なんだ、あいつ……人間じゃないのか?」
場所:清心高校の校庭
先手:新巻 虎向
後手:怪盗キャット・アイ
戦型:相振り飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △3二飛 ▲7七角 △3五歩
▲8八飛 △6二玉 ▲3八金 △2四歩 ▲8六歩 △2五歩
▲8五歩 △3四飛 ▲6八銀 △7二銀 ▲4八銀 △7一玉
▲4九玉 △2四飛 ▲3九玉 △4二銀 ▲5六歩 △1四歩
▲5七銀左 △1五歩 ▲5八金 △5二金左 ▲4六銀 △3四飛
▲2八玉 △4四歩 ▲8四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8三歩
▲8五飛 △1三角 ▲6五歩 △4三銀 ▲6四歩 △同 歩
▲3六歩 △同 歩 ▲2五飛 △3二銀 ▲3五歩 △1四飛
▲2六飛 △3三桂 ▲1六歩 △4五歩 ▲5七銀引 △3五角
▲1五歩 △2六角 ▲1四歩 △1八歩 ▲同 香 △1七歩
▲2六歩 △1八歩成 ▲同 玉 △1五香 ▲2七玉 △1九飛
▲3九金 △1八香成 ▲5五角 △4六歩 ▲同 角 △2八歩
▲3一飛 △2九歩成 ▲3二飛成 △3七歩成 ▲同 角 △2八成香
▲3六玉 △3九と ▲3三龍 △3八と ▲6四角 △1五飛成
▲2五角 △6三銀 ▲6二歩 △同金上 ▲7五桂 △6四銀
▲6三歩 △2七角 ▲3五玉 △4三桂 ▲3四玉 △2四金
▲同 龍 △4五角成 ▲3三玉 △3二歩 ▲同 玉 △2四龍
▲6二歩成 △同 金 ▲3四歩 △5二飛 ▲4二銀 △同 飛
▲同 玉 △2二龍
まで110手で怪盗キャット・アイの勝ち




