147手目 食べたら飲む、飲んだら食べる
「本日はK戸までお越しいただき、まことにありがとうございます。将棋関係者の集まりということで、心待ちにしておりました。今宵は、ぞんぶんにお楽しみください」
一之宮さんは、持っているグラスをあげた。みんなも、それに続く。
「乾杯」
パーティーが始まった。早速料理にとりかかる。テーブルのうえには、和洋中の様々な料理がならんでいた。迷い箸になりそうなのを我慢しつつ、ミディアムレアのステーキとお寿司をチョイス。最初は、味の薄い白身魚からよね。
「このポテトサラダ、美味しいのですぅ」
桐野さんは、山盛りのポテトサラダを皿に乗せて、それを頬張っていた。
「ポテトサラダだけで、いいの? なにか取ってあげましょうか?」
「じゃあ、ポテトサラダおかわりくださぁい」
なにを言ってるんですか、このひとは。日本語が通じていない。
「口のまわりに、ポテトがついてるわよ?」
「あとでふきふきしまぁす」
さいですか。まあ、食事の邪魔をしてもしょうがないし、退散。
私はお寿司に舌鼓を打ちながら、会場を一瞥した。
すると、萩尾さんを中心に、何人か集まっているテーブルを発見した。
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もしや、とてつもなく美味しいものが、あそこにあるのでは。
私は背後から接近する。
「なにしてるの?」
さりげなく声をかけると、萩尾さんが振り返った。
「あ、裏見さん、ちょうどいいところに」
「なにが?」
「みんなで、利き茶をやってるんです」
お茶を飲んで、味わいを比較する遊びだと言われた。
なんて渋い遊び。将棋よりも渋い。
「我孫子くんが、K都から特別なお茶っぱを持ってきてくれたんです」
ちょっと背の低い、和服姿の少年が、扇子で自分の頭を叩いた。
「お初でやんす」
これまた、ずいぶんと変わった子のようだ。顔が幼いから、中学生っぽい?
「裏見さんも、どうぞ」
そう言って萩尾さんが差し出したのは、あのラベンダー色の湯のみだった。
私はそっと受け取って、まずは香りを嗅ぐ。
「……甘い香りがするわね」
「添加物じゃないでやんす。宇治玉露は、そういう香りがするでやんす」
玉露か。高級品じゃない。
私は香りを楽しんだあと、ひとくち飲んだ。
「……美味しい」
普段飲んでるペットボトルのお茶とは、別次元のシロモノだ。
湯のみのさわり心地も、しあわせになってくる。
「遠慮しないで、ずずっとやっちゃってください」
アビコくんの勧めにしたがって、私は残りを飲み干した。
「ありがとう」
萩尾さんに湯のみを返す。今度は、難波さんの番だ。
難波さんはニヤニヤしながら、湯のみを受け取った。彼女は、お茶よりも、湯のみのほうに興味があるようだ。手元で回したり、底の切り口の部分を念入りにチェックしたり、余念がなかった。
「ほんま、ええ品や。お高いんやろ?」
「難波さんらしいね。いきなりお金の話かい。いくらぐらいだと思う?」
「せやな……95万から105万のあいだ、ってとこやろ」
ちょ、そんなに高いわけが……。
「正解」
うっそッ!?
「難波さん、あいかわらず目利き上手だね」
「さすがは千昭姐さんでやんす」
まさか、100万近い湯のみだったなんて……飲むまえに聞かなくてよかった。手元が震えて、利き茶どころじゃなかったと思う。
「ほな、味見を……」
難波さんも一口飲んでから、いいお茶だと褒めた。
「後味のヒキとコク……ええお茶やわ」
こうして、どんどんお茶を回していく。そのあいだに、アビコくんが話しかけてきた。
「あっしは、我孫子でやんす。『我』に『孫』に子どもの『子』でやんす」
我孫子か。結構、めずらしい名前ね。
それにしても、なんで和服着てるんだろ。
「私は、裏見よ」
「失礼ですが、どちらのご出身でやんすか?」
私は、H島だと答えた。
「姫野姐さんのお友だちでやんすか。いつもお世話になってるでやんす」
なにをお世話になってるのやら、さっぱり分からない。
社交辞令かもしれないし、深くは突っ込まないことにする。
「姫野姐さんも美人でやんすが、裏見姐さんも、負けず劣らず美人でやんすねぇ」
あら、この子、口がうまいじゃない。
「そんなことないわよ」
「いやいや、姫野姐さんは蘭のような美しさでやんすが、裏見姐さんはコスモスみたいな美しさがあるんでやんす。この我孫子、一目惚れしちゃいそうでやんす」
え、なにそれ? お世辞? ナンパ?
距離感が掴めなくてドギマギしていると、横から車輪の音が聞こえた。
「我孫子さん、あんまりからかわないほうが、いいですよ」
Yシャツに黒いスカート姿の淡路さんが、車椅子に乗っていた。
どうやら、修理は終わったらしい。車輪が勝手に回っている。
「裏見さんは、彼氏持ちですからね」
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………………
その場にいた全員の視線が、私に集まる。
「なんや、裏見はん、彼氏持ちだったん?」
「ち、違うわよッ!」
私は淡路さんに、でたらめを言わないで欲しいと言った。
「え? あの付き添いの男子は、彼氏じゃないんですか?」
「付き添いって?」
「松平さんのことですが」
ちがーうッ! K戸駅で言われたことの意味が、やっと分かった。
「違うわよ。松平は、ただの同級生だから」
なんですか、みなさん。その目付きは。
私が説得を試みていると、桐野さんが来てくれた。私は彼女に事情を説明して、松平が彼氏ではないことを確認してもらう。
「あ、それは違うのですぅ」
証言ゲット。
「剣ちゃんが一方的に告白して、香子ちゃんが振っちゃったのですぅ」
余計な情報を付け加えるなぁああああああああッ!
「ほんま? えらい男前なのに、もったいないわぁ」
難波さんは、松平のほうをちらちら見ている。
「あら、そうだったんですか。これは失礼しました」
淡路さんは、ふふふと笑った。笑ってごまかすな。
もう、絶対この子、腹黒いんだから。
「なんて告白されたん? 夜道で、『おまえのことが好きやッ!』とか?」
くッ、方言をのぞけば当たってるのが腹立つ。
「私の話なんか聞いても、つまんないでしょ? 食事、食事」
私は話題を打ち切って、中華のテーブルにとりかかった。餃子、八宝菜、エビチリを皿に盛って、お箸でパクパク。どれも、絶妙な味付けだ。特にエビチリは、辛過ぎず甘過ぎずのぷりぷりした食感で、おかわりしてしまった。
ジャスミンティーをコップについでいると、姫野先輩に声をかけられた。
「裏見さん、楽しんでらっしゃいますか?」
「あ、はい」
「とつぜん呼び出してしまい、申し訳ありませんでした」
いえいえ。お風呂は大きかったし、料理は美味しいし、役得だ。
「こういう場で顔を売っておくのは、悪いことではありません。萩尾さんはY口の女子で一番強いかたです。難波さんは、近畿方面の顔役になられるひとですから」
むむむ、やっぱり県代表だったか。脳内将棋をあのレベルで指していた以上、かなりの手練だとは思っていたけれど。
「狭い世界です。横の繋がりを大切にしておけば、大学以降も役に立ちますので」
それは、どういう意味で役に立つのかしら。友だちを作りやすい? それとも、一之宮さんみたいなひとがいるから、就職でコネができる? あるいは、両方?
私はちょっと、考えさせられた。
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「それでは、夕食会を終えたいと思います」
時計が8時を回って、ようやく立食パーティーが終わった。お腹いっぱい。
姫野先輩に他のお客さんを紹介してもらったり、何人かで変則将棋を楽しんだり、いろいろイベントがあった。でも、半分くらいは食べていた気がする。
問題は、デザートが見当たらないのよね。コーヒーも出てこない。
「消灯時刻は設けませんので、このあとも、ゆっくりおくつろぎください」
解散かと思いきや、みんなだらだら残るようだ。
私はどうしようかと悩み、松平に声をかける。
「松平は、どうするの?」
「何人か知り合いができて、そいつらにボードゲーム誘われた」
松平が答えているあいだ、ふたりの男子がこちらにやって来た。
ひとりは、ちょっと茶髪が入った、さわやか系の男の子。ジーンズにスプライト入りのTシャツを着て、カーキ色のジャケットを羽織っていた。肩には、ずいぶんと高級そうなヘッドフォンを掛けている。音楽好きかしら。
もうひとりは、これまたファッショナブルな子で、フレームの厚いメガネに、ピアスをしている。服装は白の開襟シャツに黒のベスト、グレーの長ズボンだった。なんとなく、チャラい系とでも言えばいいのだろうか。でも、髪の毛は染めていない。
「こんにちは」
ヘッドフォンを肩にかけた少年が、先に挨拶をした。
「僕は鳴門って言います。裏見さんですよね?」
どうやら松平が、私の名前を教えて……ん? 鳴門?
「もしかして、四国の鳴門くん?」
「あれ? 僕のこと、知ってるんですか?」
捨神くんの手紙に、鳴門って名前があったような気がする。
そのことを伝えると、鳴門くんは笑った。
「大谷さんに会ったんですか。あのひと、変わってますよね」
ストレート過ぎる表現で、なんと返したものか迷った。
キャット・アイの話をするわけにもいかないし、テーマを変える。
「鳴門くんは、捨神くんの友だち?」
「全国大会で、1度会ったことがあります」
ぐッ、こいつも強そう。
「あ、紹介します。こっちは米子くんです」
「ちゃす」
ファッショナブルな少年は、なんとも気軽な挨拶をした。
「俺っちも、1年生です。裏見先輩は、2年生ですよね?」
「そうよ」
「駒桜市の多喜くんって、知ってます?」
知らないと、私は答えた。
「その子が、どうかしたの? お友だち?」
「俺っちと駿、バンド組んでるんっすよね。メンバー募集中なんです」
はしょり過ぎでしょ。つながりがさっぱり分からない。松平に確認すると、タキくんというのは、駒桜市内で有名なベーシストらしい。
「ベーシストって、なに?」
「ベースを弾くひとっす」
「……ああ、ギターのことね」
米子くんは、違うと言った。
「ベースとギターはべつですよ。先輩、バンドの演奏って見たことないっすか?」
知らんがな。ああいう音楽は、普段聞かないから。
「ギターは高音で、ベースは低音です」
鳴門くんが、なんとなく解説してくれた。
バイオリンとコントラバスの違いみたいな感じかしら。
「バンドってことは、どっちかが歌を歌うの?」
「僕がドラムで、米子くんはギターです」
「じゃあ、歌なし?」
「ヴォーカルは、べつにいます。女の子です」
今日は来ていない、と、鳴門くんは答えた。
「というわけで、ベースが足りないんです。多喜くんがいたらいいな、って」
「でも、あなたたち、H島県民じゃないんでしょ? どこ出身?」
「僕は、T島です……っと、大谷さんに会ったから、知ってますよね」
「俺っちは、T取です。ちなみに、ヴォーカルの子はW歌山なんで」
バラバラじゃない。山陽、山陰、四国、近畿で、どうやって会うのよ。
「あなたたち、どこで練習してるの? O阪あたりに集まるとか?」
「そこで、華蓮ちゃんの出番っす」
米子くんの説明は、どうも要領を得ないわね。説明下手なのかしら。さっきから、鳴門くんのフォローが必要になっている。
「一之宮さんと、どういう関係が……」
そのとき、ベルを鳴らす音が聞こえた。
セバスチャンさんが、入り口のところに立っている。
「デザートをご用意いたしました。遊戯室のほうで、お待ちしております」




