143手目 花ひらく人間将棋
「それでは、始めさせていただきましょう……人間将棋を」
に、人間将棋? 駒の代わりにひとを動かすアレ?
「炎天下でやるのは、ちょっと重労働じゃない?」
私は、使用人さんたちのことが心配になる。日射病のリスク。
一之宮さんは「うふふ」と笑って、スマホのようなものを取り出した。
「気象観測衛星によれば、これから1時間は部分的な曇り空になります」
そ、そういうことか。将棋を始めるタイミングで雲がかかった理由を、私はようやく理解した。それに、風が吹き始めて、庭園は急に過ごしやすくなった。
まばらに見える青空が、なんだかとても美しい。
「セバスチャン、裏見さんのために、対局台の準備を……」
「お待ちください」
声をあげたのは、セバスチャンさんじゃなくて、姫野さんだった。
麦わら帽子姿で、一歩前に出る。
「ここは、わたくしがお相手いたしましょう」
「うふふ……裏見さんをフォローなさるのですか?」
「そうではありません。昨年の借りを返させていただきます」
昨年の借りというのが何なのか、イマイチよく分からなかった。おそらく将棋で負けたんだろうな、とは思った。公式大会なのか、それとも非公式大会なのか。
同時に、一之宮さんが姫野さんに一発入れられる実力だと言うことも分かった。ただの花好き、将棋好きなお嬢様というわけでは、ないようだ。
一之宮さんは、白い日傘をくるりと一回転させた。
「裏見さんとは、またの機会にいたしますか……セバスチャン、対局台の準備を」
一之宮さんは、巨大な盤の外側、ちょうど5一の手前に移動した。
姫野さんは、5九のほうへ移動する。そこにも、白い石で枠付けがされていた。
「華蓮様、姫野様、バランスにお気をつけください」
セバスチャンさんがスマホをフリックすると、白い石が引っ込んで、ふたりは宙に浮き上がった。芝生のなかから、リフトのようなものが現れたのだ。私たちの背の高さを超えて、盤全体を見渡せる位置まであがった。
男女の召使いも分散して、姫野さんがわに男性陣が、一之宮さんがわに女性陣がつく。それぞれ大きな麦わら帽子をかぶっていた。どうやら、駒の種類を書いた板がついているらしい。私たちの位置からだと、若干見えにくいわね。
「観戦者の方々には、スタンドを用意させていただきます」
セバスチャンさんがもう一回フリックすると、1筋のがわにスタンドが現れた。
私と松平は、その最上段に移動する。淡路さんはそのままだとあがれないから、力持ちのメイドさんがふたりがかりで、私のとなりに座らせた。
《マイクテスト、マイクテスト、本日も満開なり……よろしいですわね》
《わたくしのほうも、準備はできました》
姫野さんと一之宮さんは、ピンマイクのようなものをセットした。
ここからでも、声がよく聞こえる。
《それでは、ホストの礼儀にしたがい、咲耶さんの先手です》
《分かりました》
ひとつ、大きめの風が吹いた。ふたりのスカートが揺れる。
《7六歩》
姫野さんの初手で、対局開始。7七にいた男性が、一歩前に出た。
一之宮さんは日傘をくるりと回す。戦法を考えているのかしら。現代将棋では、後手のほうに選択権があるのよね。3四歩か8四歩かだけでも、かなり展開が違ってくる。
《人間将棋と言えば、やはり全軍躍動する戦法……8四歩です》
《6八銀》
矢倉だ。姫野先輩の選択は早かった。
《お互いの得意戦法。ぞんぶんに戦いましょう。3四歩》
《6六歩》
6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右、3二金、7八金。
このあたりは、もう手慣れたものだ。すこしも考えない。
4一玉、6九玉、7四歩、6七金右、5二金、7七銀、3三銀、7九角。
後手は矢倉急戦を選択しないのね。
じっくり構えていくみたい。
3一角、3六歩、4四歩、3七銀、6四角、6八角、4三金右、7九玉。
「女ヤクザと花園の魔術師、この一局は、見物です」
と淡路さん。どうやら、棋風を熟知しているようだ。ネーミングが物騒だけど。
3一玉、8八玉、2二玉、1六歩。
《どう致しましょうか……森内流でもよいのですが……》
一之宮さんはちょっとだけ考えて、8五歩とした。一番オーソドックスな手だ。
《2六歩》
《7三銀》
《4六銀》
あいかわらず、姫野先輩はノータイム。なにやら作戦でもあるのかしら。
それを察知したのか、一之宮さんがここで動いた。
《研究手順へ向かうのは困ります。7五歩です》
これは積極的。急戦でもないのに、後手から仕掛けた。
「同歩、4五歩、3七銀と引かせてから、7五角だろうな」
と松平。たしかに、それっぽい進行だ。
「一之宮さんは、攻め将棋なの?」
私は、淡路さんに尋ねた。
「いえ、攻め将棋というよりは、序盤が若干テキトウなひとです」
ってことは、7五歩も気分なのか。
「攻め将棋と言えば、やはり咲耶さんでしょう。裏見さんも、実体験がおありでは?」
大有りです。
「そもそも、私が将棋部に入ったのって、姫野先輩が切っ掛けなのよね」
「憧れの先輩ですか?」
「ンー、なんて言うのか、リベンジ?」
喫茶店『八一』でぼこぼこにされたから、歩美先輩の勧誘を受けた。
あの事件がなかったら、そのまま帰宅部だったかもしれない。
《7五同歩です》
姫野さんが、ようやく指した。賞味1分くらい。
松平の予想通り、4五歩、3七銀、7五角の手順。
姫野さんは7六歩、6四角とバックさせてから、4八飛と回った。
いかにも姫野先輩、って感じの手よね。攻め一辺倒。
これ、なにされても4六歩ってことでしょ。
《攻め合いは、受けて立ちます。7四銀》
一之宮さんは銀を立った。おそらく7三桂〜8六歩として、同銀なら8五銀のぶつけ、同歩なら8五歩の継ぎ歩狙いだと思う。シンプルだけど、先手も忙しくなった。
《4六歩》
それでも攻める。同歩に1七桂。
一之宮さんは、ここぞとばかりに、8六歩と打診した。
《同……銀》
銀で取った。これには当然の7三桂。
《2五桂》
ここで、一之宮さんが小考。
「さすがに、4四銀と一回逃げとく?」
「それは、危なくないか? 3五歩で加速するぞ」
うぅむ、そう言われてみれば、そうか。2四歩と殺しにいく手は見えるけど、3四歩、2五歩、4六銀と出られた形が、ちょっと厳し過ぎる。4五歩、同銀、同銀、同飛、4四歩と収めるのは、4九飛と深く引かれて、1九の香車にヒモがついてしまう。
それに、ただで取られるのがイヤなら、1三桂成と飛び込む手順もある。
「後手は攻め駒が欲しいでしょうし、8五銀とそのままぶつけるのでは」
淡路さんは、銀のぶつけを推奨した。
《……8五銀です》
同銀……とは、できない。同桂で次に7七歩が痛打。
かと言って、無視は8六銀、同歩、8五歩の継ぎ歩がある。
「とりあえず、3三桂成?」
「それしかないように見えるが……ただ、問題が解決しないな……」
それは一理ある。3三桂成、同桂のあと、やっぱり8五銀の処置が悩ましい。
《攻め駒を攻めよ、とは、けだし名言です。7五銀》
ふわぁッ!? 角を攻めに行ったッ!?
これには、一之宮さんもちょっとだけ困惑する。
への字型の眉毛を、ますます折り畳んだ。
《積極策ですか。読んではいましたが、3三桂成すら入れないとは》
対応として、一回5三角は、ありそう? 5三角……さすがに8六歩は、ないわよね。9四銀とバックしてくれればいいけど、単に7四歩で困る。8五歩、7五歩と取り合ったあとに、8五桂跳ねが残っているからだ。
「これは、華蓮さんのほうが、困っている感じですね。5三角と下がれません」
「え? 下がれないの?」
「5三角には4六角があります」
なるほど、なるほど。6四歩は同銀があるから、受けになってないのか。
8三飛とムリヤリ受けるのは、8四銀、同飛、7三角成の強襲が成立する。
《仕方がありません。取りましょう。同角》
同歩、4七歩成、5八銀。
うわ、これは厳しい。姫野先輩、一本取られた?
攻めてるはずが、逆に攻められてるような。
《……9五角》
姫野先輩は、飛車を見捨てて角を出た。
「これは気づきにくい好手だな。4七銀成、7三角成、3七成銀、8二馬の取り合いは、ほぼ駒損になってない。しかも、3七の成銀に馬が当たってる」
むむむ、さすがは姫野先輩。返し技を用意していたか。
風が吹く。一之宮さんは、ぱたりと日傘を閉じた。
その柄で、ぽんぽんと手のひらを叩く。
それまでのおっとりとした雰囲気は消えて、かなり真剣な表情をしていた。
「盤面が不利と見て、本気を出しに来ましたか」
淡路さんのひとことで、私たちも手に汗握る。
「お飲物は、いかがでございますか?」
セバスチャンさんが、お盆にグラスを乗せてきた。
「水分補給は、こまめになさったほうが、よろしいかと」
私たちはお礼を言って、グラスを選ぶ。
オレンジジュースかアップルジュースかミネラルウォーターの三択だ。
私はアップルジュースを手に取った。
セバスチャンさんは、スタンドの最上階から、盤面を一瞥する。
「先手、やや有利のようですな」
「将棋、おできになるんですか?」
私の質問に、セバスチャンさんは首を縦に振った。
「こう見えましても、お嬢様の指南役を仰せつかっておりますので」
ということは、有段者か。
「お嬢様の真骨頂は、不利になってからでございます」
それだけ言い残して、セバスチャンさんはスタンドの階段をおりて行った。
「やや有利って言うか、かなり先手がいいように見えるけどな」
松平はオレンジジュースを飲みながら、そうつぶやいた。私も同感。
一之宮さん、序盤をテキトウに指し過ぎたんじゃないかしら。
私たちが見守るなか、目を閉じて考え込んでいた一之宮さんは、軽くうなずいた。
《8六歩》
すっごい手が出た。
《飛車も金も取らない、と》
《駒を取るのが将棋の本質ではありません》
ふたりのあいだで、言葉のジャブが交わされる。
姫野さん、長考。
「同歩は、さすがにないよな。同銀、7三角成、8七歩、7九玉、4七銀成は、さすがに先手がもたないだろ。8二馬に3九飛くらいで寄る」
松平の解説に、私は口を挟む。
「9八玉で、ギリギリ耐えてるんじゃない?」
「それは4七銀成、8二馬に3八飛が痛打じゃないか?」
8二馬に3八飛……。
(※図は裏見さんの脳内イメージです。)
7八の金が浮いてるのか。いきなりの詰めろだ。
「となると、8六歩に同歩はないわね。放置して7三角成かしら?」
「以下、8七歩成、同金……いや、同金は危ないか。8六歩、8二馬、8七歩成、同玉、8六歩、7八玉、4七銀成で、さっきと似たような形になる」
「じゃあ、同玉? 顔面受けするの?」
松平は、あごに手を添えて、前のめりになって考える。
読んでるときだけは、サマになってるのよね。いつもそうしてればいいのに。
「……それしかない気がするな。8七歩成、同玉、4七銀成、8二馬、8六飛に、9八玉と引いて粘るか。飛車を先に使ってるから、3八飛の心配がない」
怖いなあ。紙一重のような。
《……7三角成》
姫野先輩も、8六歩を放置した。
8七歩成、同玉。予想通りの顔面受け。
《うふふ……それでは、4七銀……不成》
ん? 成らなかった?
「銀に当てないのか?」
松平も、頭にハテナマークを浮かべる。
姫野先輩は読んでいたらしく、すぐに8二馬と取った。
《8六飛では続きませんので、5九飛とさせていただきます》
大柄な男性が、駒台から5九の地点まで走って行った。
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……………………
…………………
………………
ああッ!




