112手目 5回戦 春日川〔藤花〕vs蔵持〔升風〕
※ここからは春日川さん視点です。
笑魅さんの引いた振り駒は、奇数先。私が先手です。
戦法を、どうしたものか……できれば、なるべく短期で終わるものを……。
「春日川さん、こんにちは」
この声は……。
「蔵持先輩ですね、こんにちは」
「ガムテープを貼るから、チェスクロの位置を合わせてね」
カタカタと、チェスクロを動かす音が聞こえました。私は目がみえないので、チェスクロを、ガムテープで固定してもらうことになっています。ボタンを押すたびに、だんだんと位置がずれてしまいますから。
「このへんで、大丈夫?」
手を伸ばして、確認……すこし、疲れる距離かも。
「もう少し、こちらへ寄せていただけませんか?」
「このくらい?」
ふたたび確認……今度は、よろしいですね。
「結構です」
ガムテープを貼る音がして、いよいよ対局間近。
私のところは、白星でみられているでしょうし、負けられない組み合わせです。高校での対局は初めてでしたが、対戦相手が微妙……もうすこし、上に当たるかと……棋力がそこそこ高いのは、今回の蔵持先輩だけ。森屋先輩がすこし下がって、あとのふたりは、ほぼ当て馬でした。
全勝賞もありますし、このまま取りにいきたいところです。
「対局準備の整っていないところはありますか?」
おそらく、ないでしょう。
「それでは、対局を始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
蔵持先輩が、チェスクロを押す音。対局開始。
「7六歩です」
「8四歩」
棋譜は、全部言ってもらうことになっています。特例ですね。
さすがに、盤と駒の音だけでは、駒の種類を判別しにくいのですよ。
「6八銀」
矢倉へ誘導。
3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右。
このあたりは、だいぶ楽ですね。定跡ばかりです。
3二金、7八金、4一玉、6九玉、7四歩、6七金右、5二金、7七銀。
そろそろ脳内将棋盤を起動しますか。
このような形のはず。
3三銀、7九角、3一角、3六歩、4四歩、3七銀、6四角、6八角。
まだまだ定跡。
4三金右、7九玉、3一玉、8八玉、9四歩。
「端ですか……」
「うん、9四歩だよ」
受けるか、受けないか……受けないでいきましょう。
「1六歩」
「うーん、逆を突くんだ……じゃあ、詰めよっかな。9五歩」
部分的には、後手が森内流になりましたね。それは、受けて立つところです。
私の棋風は、一撃必殺。脳内将棋は、どうしても体力を使いますから。
「1五歩」
「5三銀」
「1六香」
雀刺し。
「あいかわらず、過激だね……7三角」
1八飛と寄って、2四銀には2六銀で対抗。正真正銘の、飛車先不突き矢倉。
「こ、このかたちは、初めてみたかも……」
蔵持先輩、小考。
「……4五歩」
一応、最善っぽいですね……しかし、攻めます。
「3五歩」
同歩、同銀。これをさらに同銀ならば、同角から端を全面突破して勝ちです。
「2五銀」
さすがに、このやり取りについては、あらかじめ読んでいたわけですか。
「3四歩」
「3六歩」
私は、盤の中央に指を伸ばす。
「5五歩」
矢倉は、流れるがごとく。
同角、4六歩、同歩、同銀、7三角。
「7五歩」
蔵持先輩、わずかに体を動かしましたね……気配で分かります。
端の攻防に、目が行き過ぎです。ほんとうは、端を突破しなくてもいいのですよ。
「……同歩」
7四歩と打って、5一角と下がらせます。
完璧な立ち上がり。
「2六歩」
同銀なら2八飛以下、銀を抹殺しつつ、攻撃ポイントを切り替えます。
蔵持先輩は1六銀と、銀香交換を選択。飛車の封印ですね。
「そこは甘んじます。同飛」
9三桂、2五歩(これですぐに脱出できますから)、8五桂。
森内流らしい、桂馬の跳ね方。これは、相手にすると、かえって速くなりますか。
「2四歩」
狙いは、同歩、3五銀からの端攻め。
「ど、同角」
「こちらをお忘れでは? 7三歩成」
「うッ……」
2四歩は、二方面作戦なのですよ。うふふ。
「まだチャンスはあるよ、9二飛」
端に照準を合わせてきましたね……攻め合い、上等です。
「3五銀」
「9六歩ッ!」
なかなか力強い駒音。後手が一見(一聴?)調子よし。
「とりあえず、同歩です」
9八歩、同香、9七歩、同香、3五角、同角、7六香。
目一杯に展開させましたか……しかし、恐れる必要もありません。
「7四角」
怖いのは、9筋が破られて、飛車を成り込まれることだけです。
矢倉の右半分は、放棄しても構わないはず。
逆に言えば、飛車さえどこかへ行ってくれればいい、ということに。放置なら9二角成ですし、逃げ回るなら、その時点でこちらの王様は安泰。
「このまま攻めるか、それとも受けるか……どちらを選択します?」
蔵持先輩からは、返事なし。これは、悩んでいますね。
ちなみに、どちらでくるか……私の予想では、このまま攻めてきます。なぜだと思いますか? ……単純です。蔵持先輩は鈍感なので、7四角で飛車の進退を訊かれている、と思わないのですね。鞘谷先輩の猛烈アピールに気付かないのですから、この角の意味も気付かないでしょう……鞘谷先輩、どうかお幸せに。
というわけで、7七香成と来そうなのですが……。
「んー、7七香成、かな」
あ、やはり。
「同桂です」
「7六銀……いや、先に同桂成か」
同金寄、8五桂、9二角成、同香、3三香。
「なんだこれ……手が広過ぎる……」
ここで、二択ですね。7七桂成から先に攻めるか、それとも3三同桂と取るか。
「決められるものは、決めておこうか。7七桂成」
私の同金に、蔵持先輩は3三桂と、自陣に手をもどしました。同歩成、同金直。
「4五桂」
私のターン。放置は3三桂成、同金、5三角成で勝ち。
「4二銀打」
「9一飛」
「4一歩」
ここで、私が長考。残り時間は、体感的に5分ほどですね。
……………………
……………………
…………………
………………
「5二銀」
蔵持先輩は、「えッ」という声をあげた。
「5二銀? ……詰めろなの?」
「それは、お答えできません」
蔵持先輩の疑問は、分かります。この局面、既に詰めろを気にする段階ですので。というのも、私の王様は、7六香で詰めろがかかってしまうのですよ。7七香成、同玉、7六銀、6八玉、6七金、5九玉、5八金打まで。角筋が守りに利いていません。
「うーん……5二銀が詰めろにみえないから……」
どうやら、7六香、7八歩の変化をお読みのようですね。
私も、読み落としがないかどうか、確認しましょう。
……………………
……………………
…………………
………………
パシリ
「蔵持先輩、なにをお指しに?」
「あ、ごめん、7六香ね」
7六香……なるほど……うふふ……。
「どうしたの? なにかおかしかった?」
「いえいえ、なんでもありません……4一飛成です」
「えッ!?」
「つ、詰めろだったの?」
蔵持先輩は、ふたたび長考。しかし、時間はあまりないはず。
まず、2二玉、3三桂成までは確定。ここで同金や同銀は、2一金、1二玉、1一金、2二玉、2一龍までの、簡単な詰みです。蔵持先輩も、これは読んだでしょう。
というわけで、3三桂成、同玉の一手。ここで、すぐに4三銀成とします。おそらく、蔵持先輩は、この変化で詰まないと読んだのかと。まず、4三同銀には、4五桂。
(※図は春日川さんの脳内イメージです。)
3四玉の一手に、4三龍と切って詰み。同玉、5三角成、3四玉、3五金まで。
もちろん、これも読まれているでしょう。一番難しいのは、4三銀成、同玉の変化。これは、5三角成と大胆に切って、同銀とできない点を突きます。同玉、4五桂と打ち、6四玉ならば6五金、7三玉、7四銀、8二玉、8三金まで。4三玉ならば4二龍、3四玉(同玉は3三金、5一玉、6二銀、4一玉、4二金打まで)、3三龍……。
ピッ
おっと、蔵持先輩が、ここで1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「に、2二玉」
3三桂成、同玉、4三銀成、同玉、5三角成、同玉。
やはり、この筋で詰まないと読んでいましたか。
「4五桂」
蔵持先輩は、ノータイムで4三玉。
ちなみに、ここで4四玉は、4二龍、4三金(ほかの合駒は3三龍で詰み)に一瞬びっくりするのですが、3五銀捨が妙手。同玉、3六飛と連続で捨てて、同玉、3七金、2五玉、2六銀、3四玉、3五金打まで。死角はありません。
「4二龍」
「3四玉」
4五の桂馬が、一転して邪魔駒になる……将棋は、おもしろいですね。
だから、後手玉に取ってもらいます。
「3三龍」
ここで、蔵持先輩の手が止まりました。
「い、1六飛の位置が良過ぎる……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4五玉ッ!」
3六龍、5五玉、5六歩、6四玉、6五銀、7三玉、7四銀打、6二玉、3二龍。
「5二桂」
「7三金」
以下、5三玉、3三龍、4三合駒、6三金までです。
5二桂に代えて5二銀合なら、7三金、5三玉、3三龍、4三合駒、4四金まで。
どのように合駒しても詰みます。29手詰め。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
「ありがとうございました」
ふぅ……疲れました。あとで笑魅さんに、お茶を淹れてもらいましょう。
「いやあ、まさか、詰んでると思わなくて……」
蔵持先輩の第一声。感想戦の始まりです。
「7六香のところで、3二銀だったのでは?」
「受けか……春日川さんの予定は?」
「4三銀成、同金、3三歩です」
「それって、詰めろ?」
「詰めろです。そこで7六香ならば、3二歩成、同玉、3三歩、同金、同桂成、同玉に2五桂が好手で、詰みます」
「ごめん、ちょっと待って。3二歩成、同玉、3三歩、同金、同桂成……同銀は?」
「それは、2一銀と引っ掛けます。同玉は4一飛成ですから、4二玉か4三玉です。4三玉の場合は4一飛成、4二歩、3二龍、3四玉、3三龍と切ります」
「切って詰むの?」
「詰みます。同玉に、やはり2五桂が好手で、3四玉、4五銀、同玉、3七桂打」
4五銀捨てから3七桂打が、美しい手順ですね。こちらで詰ませたかったです。
「へぇ、詰め将棋みたいだね。以下、3五玉なら4五金、2四玉、3四金打まで。5六玉のトライは、5七金、5五玉、6五金まで。3七歩成なら、4六金、3四玉、3三金、2五玉に、2六飛、1五玉、1六歩、1四玉、2三飛成まで……全部、見えにくい手順だ」
その見えにくいものを心の目で見るのが、盲目の将棋指しというものです。
「2一銀に4二玉の場合は?」
「まず、4三歩と打診します。同玉ならば、さきほどの変化に合流。3一玉は3二金の一手詰みですから、逃げるなら5二玉ですが、6一飛成、同玉、6二金、同銀、同角成という、分かりやすい詰みがあります」
「そっか、これは簡単だったね。じゃあ、3三桂成に同玉だと?」
一番最初の変化にもどりました。
「それは、駒割りがさきほどと同じなので、2五桂の筋で詰みます」
この詰みを見つけるのに、時間を投入したわけですね。
「うぅん、すごいや。でも、もっと簡単に勝てる順が、あったんじゃない? 本譜は、見落としの可能性があって、怖いと思うんだけど」
「目が見えないとなおさら……ということですか?」
私の軽口に、蔵持先輩はあわてた。
「そ、そういう意味じゃないよ」
「冗談です……たしかに、見落としはあります。個人戦で大場先輩と指したときは、中盤に錯覚があって、完敗しました。しかし、だからと言って、安全勝ちに逃げ込むのは、私の体力が持ちません。サッと斬りに行って、あとは自分の読みと心中する……それが、私の棋風です」
蔵持先輩は、やたらと感心したご様子。
「なるほどね……棋風はそれぞれってことか……」
さて、2番席の伊織さんも勝ったようですし、これで2勝目のはず。
のこりの1勝は、どなたがあげてくださるのでしょうか。
場所:2015年度春季団体戦 5回戦
先手:春日川 琴音
後手:蔵持 冬馬
戦型:矢倉
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金
▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲6七金右 △5二金
▲7七銀 △3三銀 ▲7九角 △3一角 ▲3六歩 △4四歩
▲3七銀 △6四角 ▲6八角 △4三金右 ▲7九玉 △3一玉
▲8八玉 △9四歩 ▲1六歩 △9五歩 ▲1五歩 △5三銀
▲1六香 △7三角 ▲1八飛 △2四銀 ▲2六銀 △4五歩
▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀 △2五銀 ▲3四歩 △3六歩
▲5五歩 △同 角 ▲4六歩 △同 歩 ▲同 銀 △7三角
▲7五歩 △同 歩 ▲7四歩 △5一角 ▲2六歩 △1六銀
▲同 飛 △9三桂 ▲2五歩 △8五桂 ▲2四歩 △同 角
▲7三歩成 △9二飛 ▲3五銀 △9六歩 ▲同 歩 △9八歩
▲同 香 △9七歩 ▲同 香 △3五角 ▲同 角 △7六香
▲7四角 △7七香成 ▲同 桂 △同桂成 ▲同金寄 △8五桂
▲9二角成 △同 香 ▲3三香 △7七桂成 ▲同 金 △3三桂
▲同歩成 △同金上 ▲4五桂 △4二銀打 ▲9一飛 △4一歩
▲5二銀 △7六香 ▲4一飛成 △2二玉 ▲3三桂成 △同 玉
▲4三銀成 △同 玉 ▲5三角成 △同 玉 ▲4五桂 △4三玉
▲4二龍 △3四玉 ▲3三龍 △4五玉 ▲3六龍 △5五玉
▲5六歩 △6四玉 ▲6五銀 △7三玉 ▲7四銀打 △6二玉
▲3二龍 △5二桂 ▲7三金
まで123手で春日川の勝ち




