111手目 5回戦 獅子戸〔升風〕vs高崎〔藤花〕
※ここからは高崎さん視点です。
「チッ……育成オーダーでこなかったか」
オレは、軽く舌打ちをした。すると、目の前に座っている、ライオンのたてがみ頭の男子が、ちらりと顔を上げた。ちょっとイカツイこの男子こそ、オレの対戦相手、獅子戸譲二。普段は、ジョージって呼ばれてる。居飛車党で……まあ横歩になるかな。
「いおりん、さっきから、なんで俺のこと、じろじろ見てるんだ?」
「ンー、ちょっと考えごとしててね」
「……明日は雪だな」
バカだなあ、5月に雪が降るわけないだろ。どういう天気予報なんだよ。
「ライオンと虎って、どっちが強いと思う?」
「……それが考えごとなのか?」
「なんかさあ、おまえの髪型と、うしろにみえる虎向のこと比べてたら、疑問に思った」
ジョージは、テーブルにひじをついて、そのうえに顎を乗せた。
「俺と虎向のどっちが強いか、って比喩か?」
「ちげぇよ、純粋にライオンと虎のどっちが強いか訊いてんの」
だいたい、将棋じゃ虎向のほうが強いだろうが。そんな質問しない。
獅子戸は細かいところがあるから、ずいぶんと悩み始めた。
「ライオンと虎……1対1なんだよな?」
「あたりまえだろ。集団リンチはナシだ」
「ライオンの牡と牝って、どっちが強いんだった?」
「牡はたてがみがあって、牝はないんだよ」
さすがにオレでも知ってる。だけどジョージは、あきれたように、ため息をついた。
「特徴を訊いてるわけじゃないんだが……国語の成績が悪いだろ?」
ぐッ、なぜそのことを。
「いいから、答えろ」
「とりあえず……ライオンは狩りをするのが牝だから……」
ここで、振り駒のアナウンスが入った。笑魅が振る。
「藤花、奇数先」
「升風、偶数先」
くそぉ、また後手かよ。たまには先手で指させろ。
オレは、チェスクロを自分の右側において、対局開始の合図を待った。獅子戸は、なぜかライオンと虎の問題について、まだ考えている。盤外戦術になっちまったぞ。そういうつもりは、なかったんだが。
「それでは、対局を始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
オレがチェスクロを押して、対局開始。
「どっちが強いかは、ネットで調べるか……7六歩」
3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金、2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛。
予想通りの横歩だ。
「3三角」
「3六飛」
「8四飛」
8五飛には、しない。最近は、こっちが普通だ。2六飛、2二銀、8七歩、5二玉、5八玉、7二銀、3八金、1四歩、4八銀、1五歩。
「端を詰めてくるのか……」
ジョージは、すこしばかり眉をひそめた。
「最終戦だし、積極的にいくよ」
バスケでもそうだけど、大一番で消極的な方針はダメなんだよ。ガンガン押して、相手にプレッシャーをかけるのが吉だ。人間って、メンタルの弱い動物だからね。
「こっちも、攻撃の態勢を築かないとな……3六歩」
「8六歩」
オレの手をみて、獅子戸は悩ましげにのけぞった。
「いきなり仕掛けか」
同歩、同飛、3五歩。
「行くぜッ! スリー・ポイント・シュート!」
ガタリと、椅子の揺れる音。
「げッ! そっちかッ!」
横歩のアレに飛び込むぜ。同銀、5五角打。
「放置なら、8八角成、同金、同角成だぞ」
「くそッ、分かってるって……だが、これは止まる。6六歩だ」
なるほど、6六同角、7七銀なら、先手で止められるってわけか。
「そうはさせるか、1九角成」
3七桂、2五歩、5六飛。
ん……思ったより、稼げてない感じか? 第一感、5四香の返しなんだが……5四香には3六飛と逃げるしかなくて……そこで1八馬だよな。2七歩と受けるつもりか? そうなると、オレのほうも手がない……すぐに5七香成から崩せるわけでもないし……。
「チェッ、桂馬が立ちおくれたな」
オレはコーラを飲んで、一息ついた。
ジョージは、ほれみろと言った感じで、
「だろ? 7四歩って突くまえに攻めるから、そういうことになるんだ」
と言った。オレは、コーラのペットボトルを、テーブルに打ち付けた。
「うっせぇな、いつ突くかは、オレの勝手なんだよ」
とはいえ、こっから7四歩〜7三桂とする暇がないのは、事実だな。それについては、認めざるをえない。ジョージのほうは、3四歩〜4五桂がある。ってことは、なにかしないといけない。候補は……2六歩だ。同飛、1七馬と、移動を迫る。
「5四香」
3六飛、1八馬、2七歩、2六歩、同飛。
「1七馬」
2五飛と浮くのはありえないから、3六飛か4六飛。4六飛は3五馬として、拠点の歩を払える。だから、実質的には3六飛の一択。これなら、3四歩からの攻めを、3五歩で切り返すことができる。3四歩、4四角、4五桂、3五歩みたいな。
獅子戸もむずかしいとみたのか、ここで長考。
「どっちもありそうだが……逃げないほうがいいか。3四歩」
ンー、読みが、はずれたな。逃げないのもあったか。
4四角、3三歩成、同桂、3四歩、2六角、3三歩成、同銀、2六歩。
駒割りは、あんまりいい感じじゃないね。ジョージも飛車を持っちまった。
ここは、いったん撤退したほうが良さそうだ。
「1六馬」
3九金と引かせてから、3四馬と逃げる。ジョージ、ふたたび長考。
「しまったな……金当たりで逃げ回れるのか……」
ま、たまたまだけどね。3四馬が7八金に当たってなかったら、危なかった。
問題は、ここで4五角がみえるんだよね。
(※図は高崎さんの脳内イメージです。)
同馬、同桂は、こっちが不利。馬が消えたうえに、銀当たりになる。
パシリ
ジョージは、オレが考えている最中に、4五角と打ってきた。
同馬はできないから……3六歩と攻め合うか。3六歩、3四角、同銀、2五桂と逃げてきて、これを喰いちぎる順もありそうだ。2五同銀、同歩、3七歩成、同銀……ここで飛車を下ろすか? ただ、下ろす場所が難しいな。1九飛は意味ないし……先に桂馬を打つか? 4五桂、4六銀、5七桂成、同銀、同香成、同玉……これだッ! 次に5九飛ッ!
「3六歩ッ!」
3四角、同銀、2五桂、同銀、同歩、3七歩成、同銀。
「4五桂ッ!」
「くッ! 4六銀ッ!」
5七桂成、同銀、同香成、同玉。
「5九飛だッ!」
これは優勢の感触があるぞ。ジョージも、頭を抱えた。
「しまった……中央を過小評価してた……」
「7四歩を突かなくても、中央突破できるんだぜ?」
オレは、コーラをがぶ飲みする。いやぁ、うまい。
「逆転の芽があるのは、これくらいか? ……5八香」
香車で受けてきたか……うまくいけば、5三香成、同玉、6五桂狙いね。
「じゃあ、消すしかないよな。6九銀」
6八金、5八銀成、同金、5四香、5六歩、同香、4六玉、5八飛成。
「5四歩」
さてと……これ、ヘタしたら、詰めろになってるんだよな。先手は持ち駒が多い。
残り時間は、オレがまだ10分余してるし、ちょっと考えよう。5三歩成、同玉、6五桂は確実として、これでオレの玉が詰んでるかどうか……6二玉とスライドして、5三角と打たせてから5二玉ともどるのは、どうだ? これが一番詰まない形か? 4二飛、5一玉、6二銀……は詰むから、素直に4二同金、同角成、同玉。
(※図は高崎さんの脳内イメージです。)
これで詰まないっぽいかね。5四桂、3一玉、3二歩、2一玉と、横へ逃げていけば、駒が足りないだろう……ん? 待てよ。今は4六に玉がいるから、6五桂って打つ必要性がないよな。4五桂でも紐はついてる。4五桂だと、右にも駒が利くから、捕まるか? 5三歩成、同玉、4五桂、6二玉、5三角、5二玉、4二飛、同金、同角成、同玉、5四桂、3一玉……3二銀、同玉、3三金、2一玉、2二銀、1二玉……打ち歩詰め?
なにか読み間違えてないだろうな? 3二銀のところで3二歩は、同玉なら詰みだが、2一玉と寄られたときに詰まないはずだ。5四桂に代えて3四桂は、5一玉と下がられたときに、継続手段がない。
……………………
……………………
…………………
………………
詰まないってことで、いいんだよな? だったら、ジョージの寄せをみるぜ。ここから即詰みがあるなら、それで話は終わりだ。読む順番がおかしかったか。まずは……駒を節約するなら、5七龍の王手。でも、詰め将棋的には、ありえない。八段目の横利きがなくなる。むしろ、5七角と打ちたいよな。5六玉は3五角成から即詰み。3六玉は……3五歩と頭を押さえて、2七玉、3六金、1七玉、1六歩までか。突き歩詰め。
ん? 待てよ? ってことは、3七玉でも詰みだよな? 3六歩がある。
オレは、ニヤリと笑った。
「なんだ、簡単に詰んでるじゃないか。5七角」
ジョージは、がっくりと肩を落とした。
「さすがに見落とさないか……」
「当たり前だ。詰みまで指すか?」
「しょうがないよな、団体戦だし」
3七玉、3六歩、同玉、3五歩、2七玉、3六金、1七玉。
「1六歩、と」
「負けました」
「ありがとうございました」
おたがいに一礼して、対局終了。この勝ち、デカイんじゃない?
ジョージは、たてがみみたいな髪の毛の端をつまんで、くるくると回した。
「どっかで、えらく間違ったな」
「4五角以下は急転直下だったし、そこでべつの手だったんじゃない?」
オレたちは、局面をもどした。
……………………
……………………
…………………
………………
「ほかの手があるように、見えないんだが」
とジョージ。
「6七角で、ぎりぎり凌いでない?」
「同馬で?」
「同金のあと、7八角も7八飛も打てないと思うよ」
「8七歩から叩いて終了だろう」
ん、そうか。8筋に歩が利くんだな。
「8七歩、同銀、8八飛は終わりだから、8七歩、7九銀か……でもさ、本譜は詰みまで一直線に進んじゃったわけだし、こっちで耐えるほうが、よくない?」
「次の3六歩を、どうやって耐える?」
ああ……オレも、髪の毛をくしゃくしゃにした。
「これは激痛だな。明確にオレのほうがいい」
「もっとまえで間違った気がするな。1七馬と引かれたとき、3六飛と寄るんだったか」
「いや、それはオレも読んだけど、3四歩、4四角、4五桂、3五歩の止めがあるだろ。先手からは、攻められなくなると思うんだけど。それとも、全部守り切るわけ?」
「守り切るって言ってもなあ……左辺の格好が悪過ぎるし……」
「ようするに、最初の飛車成りが成立してるってことじゃないの?」
ジョージは、あんまり認めたがらなかった。序盤で悪くしてるってことだから。
「ほかは、どうなってるんだろうな?」
ジョージは、左右を確認した。
笑魅と勝己、琴音と蔵持先輩は、まだ指していた。
「ここが早く終わり過ぎなんだよ」
オレは、腕組みをして、椅子にもたれかかった。
「しょうがないだろ、横歩は事故ったら粘れない」
まったく……お、そういえば、思い出したぞ。
「ところで、ライオンと虎、どっちが強いんだ?」
「またそのネタか?」
「このままだと、夜眠れなくなるだろ」
「ライオンは集団で狩りをするだろ。虎は一匹狼で……」
虎がオオカミ? ……おかしいだろッ!
場所:2015年度春季団体戦 5回戦
先手:獅子戸 譲二
後手:高崎 伊織
戦型:横歩取り8四飛型
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲3六飛 △8四飛
▲2六飛 △2二銀 ▲8七歩 △5二玉 ▲5八玉 △7二銀
▲3八金 △1四歩 ▲4八銀 △1五歩 ▲3六歩 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3五歩 △8八飛成 ▲同 銀 △5五角打
▲6六歩 △1九角成 ▲3七桂 △2五歩 ▲5六飛 △5四香
▲3六飛 △1八馬 ▲2七歩 △2六歩 ▲同 飛 △1七馬
▲3四歩 △4四角 ▲3三歩成 △同 桂 ▲3四歩 △2六角
▲3三歩成 △同 銀 ▲2六歩 △1六馬 ▲3九金 △3四馬
▲4五角 △3六歩 ▲3四角 △同 銀 ▲2五桂 △同 銀
▲同 歩 △3七歩成 ▲同 銀 △4五桂 ▲4六銀 △5七桂成
▲同 銀 △同香成 ▲同 玉 △5九飛 ▲5八香 △6九銀
▲6八金 △5八銀成 ▲同 金 △5四香 ▲5六歩 △同 香
▲4六玉 △5八飛成 ▲5四歩 △5七角 ▲3七玉 △3六歩
▲同 玉 △3五歩 ▲2七玉 △3六金 ▲1七玉 △1六歩
まで96手で高崎の勝ち




