10手目 四国最強の少年
ふり返ると、目つきの鋭いオールバックの少年が立っていた。白の半袖シャツに黒のベスト。グレーの半ズボン。顔は顎に向かっていくラインが細く、磯前さんとくらべて、そこまで日焼けしていない。でも、腕に筋肉はついていた。屋内系のスポーツをしている雰囲気だ。バスケとか。背はそこそこかな。
少年は私にちらりと視線を向けた。予備の椅子を持ち出して、テーブルの端に腰をおろした。緊張が走る。
「こいつが、例の女ですか?」
少年は、ずいぶんとぶっきらぼうに尋ねた。
香宗我部くんがたしなめる。
「義伸、失礼だぞ」
「で、結果は?」
香宗我部くんは、私がキャット・アイじゃないことを保証した。
ヨシノブと呼ばれた少年は、私の顔をのぞきこむ。
「ふぅん……そっか」
信用しやすい性格なのか、それとも私が怪盗なんてありえないと思ったのか、ヨシノブくんはあっさりと背を引いた。そして、ポケットに手を突っ込んだまま、ちょっと偉そうな態度で、香宗我部くんに話しかけた。
「ってことは、俺がやるしかないわけですね」
「そうは言っていない。今から相談して決める」
香宗我部くんの返事に対して、ヨシノブくんは不満げな表情をうかべた。
「なんで俺じゃダメなんですか? 四国で俺より強いやつはいないんですよ?」
とんでもなく強気な発言が出た。
私は疑惑の目をむける。香宗我部くんは、ようやくこの少年を紹介してくれた。
「彼は、吉良義伸、県立王手町高校の1年生です」
吉良くんは、よろしく、と、愛想のない挨拶。なんか印象悪いなあ、と思いきや、よくよくみると、顔立ちは年相応の幼さで、背伸びしてる感がカワイイ。地方特有の、つっぱりたいお年頃、というやつだろうか。
「お姉さん、なんて名前ですか?」
「裏見よ」
「出身は?」
「駒桜」
吉良くんは、よく手入れされた眉毛を持ち上げた。
「駒桜? 捨神のいる町ですよね?」
「捨神くんのこと、知ってるの?」
当たり前だろうと、吉良くんは態度で示した。
「裏見先輩は、俺のこと知らないんですか?」
「知らない」
堂々と答えてみた。こういうタイプは、いじりたくなる。
案の定、吉良くんは自尊心が傷つけられたのか、身をよじった。「知らないとか、もぐりですね」と返せないのは、根がグレていない証拠。
「なんで知らないんですか?」
「私、高校から公式戦デビューで、学生棋界にくわしくないのよね」
吉良くんはチッと舌打ちして、目をつむった。
「じゃあ、四国で一番将棋が強い男って覚えといてください」
「ほんとぉ?」
ちょっと煽ってみたら、香宗我部くんがあいだに割って入った。
「身内びいきじゃありませんが、義伸は四国で一番強いと思います」
四国の県代表のなかでもトップだと、香宗我部くんは付け加えた。
ンー、そうか、ちょっとからかい過ぎたようだ。反省。
「つまり、捨神くんとはライバル?」
吉良くんは、このコメントにも舌打ちした。
「ライバルじゃないですよ。あいつのほうが格下です」
ところがこれは、香宗我部くんが認めなかった。
「いい勝負だろう」
いい勝負なのか……それはそれで衝撃的なんだけれど。捨神くんより強い子には、会ったことがない。おなじH島県代表の桐野さんがいい勝負かな、と思う。
磯前さんもここで煽る。
「まあ、四国でトップと言っても、微差だろ」
吉良くんはめんどくさそうな顔をして、
「微差じゃないですよ」
と答えた。
「じゃあ、あたしに10割勝てる?」
吉良くんは黙ってしまった。磯前さんの質問は、ちょっとイジワルだ。人間同士の将棋で10割はムリ。羽生名人だって、10割勝ってるわけじゃない。事故はある。吉良くんは、こうみえて、いじられキャラなのかもしれない。
「そんな話は、どうでもいいじゃないですか。キャット・アイをやっつけるんでしょう」
香宗我部くんもマジメな顔になった。
「まず、だれが挑戦を受けるか、それを考えないといけない」
「だから、俺でいいじゃないですか? ほかにだれが出るんです?」
「義伸は、まがりなりにも四国最強だ。軽々と出せない。出して負けたら、ほかの地方に舐められるからな。O山の県代表が撃退に成功した以上、どうしても比較される」
どうやら香宗我部くんは、四国将棋界の面子を気にしているようだ。高校生なのにブランド管理とか、ずいぶんと老練。駒桜市にそんな怪盗があらわれたら、捨神くんでもぶつけてお茶を濁すところだろう。
「俺は負けませんよ」
「将棋でそういう宣言は意味がない。来年度は大切な大会も控えている。自重しろ」
「あの盤、いくらするか分かってるんですか? 100万ですよ、100万」
100万!?
「ご、ごめん、キャット・アイが盗みたがってるものって、何なの?」
香宗我部くんは、市内の某高校が所有している将棋盤だと答えた。
「榧製の5寸6分盤です。時価で100万くらいすると言われています」
「だったら、吉良くんを出すしかなくない?」
私は部外者なのに、うっかり口出ししてしまった。
撤回するまえに、吉良くんが猛スピードで便乗してくる。
「ほら、H島のお姉さんも、そう言ってるじゃないですか。俺で決まりです」
香宗我部くんは少しむずかしい顔をして、両肘をテーブルに乗せた。
吉良くんに返事をするかと思いきや、相手は私だった。
「ここだけの話ですが……僕と磯前さんは、キャット・アイを捕まえたいんです」
「捕まえる? ……さっき、警察でも捕まらないって言ってなかった?」
「警察は、あんまり本気にしてないんですよ」
「どうして?」
「作り話だと誤解されてるんです。ちょっと人間だと思えないところがあって……」
私は、比喩かなにかと思った。でも、香宗我部くんは、そのままの意味だと答えた。
「数メートルもある壁を飛び越えたり、高速で電柱にのぼったりできるんです」
「えぇ……嘘でしょ?」
「嘘じゃないんです。E媛のときも、取り押さえようとしたんですが、グラウンドのフェンスを乗り越えて、そのまま消えてしまいました。僕は、この目で目撃したんですよ」
私は、なにかトリックがあるんじゃないかと指摘した。例えば、仲間が紐で吊り上げているとか。香宗我部くんは、それもありうると認めたうえで、
「ただ、あれは人間の動きじゃなかったと思います」
と主張した。
「仮に……仮に超人的な怪盗だとして、どうやって捕まえるの?」
「T島の女性に、助っ人を求めています」
「助っ人? 女性? ……トリックを見破る名人とか?」
「いえ、多少は神通力が使えるので、なんとかなるのではないかな、と……おかしな話だと思われるかもしれませんが、キャット・アイは、化け猫という噂もあるんです。あたまに付けてる猫耳は、ヘアバンドじゃなくて本物だとか」
あのさぁ……化け猫とか、いるわけないでしょ。
中国地方から来た私を、からかってるんじゃないかしら。疑わしくなる。
「それに、その女性は、将棋も強いんです。T島の県代表ですから。でも、連絡が取れなくて……T島の知り合いに声をかけているんですが、まだ見つかっていません」
さいですか――私は水を飲もうとコップに手を伸ばし、ふと止めた。
将棋が強い、女性、T島……あれ? 心当たりがある。
「それって、大谷さん?」
香宗我部くんは、顔をあげた。
「ご存知ですか?」
「今日の午前中に、横浪半島で会ったわよ」
なんてこった、と香宗我部くんは叫んで、席を立った。
「横浪半島の、どこですか?」
「お寺の裏で」
「義伸、手分けしてさがすぞ」
あわてて勘定を済ませる香宗我部くんを、私は呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待って、電話を入れれば……」
「彼女は携帯を持ってないんです」
私は、神崎さんが一緒にいたことを伝えた。
香宗我部くんたちの顔が、パッと明るくなる。
「神崎さんに、連絡を取っていただけますか?」
「いいわよ」
私たちは邪魔にならないように店を出て、神崎さんの携帯を呼び出した。
プルル プルル
《もしもし、神崎だ》
「あ、神崎さん? 裏見だけど」
《どうした。やはり座禅を組む気になったか》
私は、これまでの経緯を手短かに告げた。
《それは一大事だ。ひぃちゃんと代わろう》
私も、携帯を香宗我部くんに預ける。香宗我部くんは大谷さんに、キャット・アイがあらわれたこと、彼女を捕まえるつもりなこと、そのためには、大谷さんの協力が必要なことを説明した。
「ええ……ありがとうございます。それでお願いします」
香宗我部くんは携帯を切ると、私に返した。
「どうだった?」
「まだT佐市にいるそうです。今から合流する約束をしました」
ふむふむ、お役に立てたようだ。
「ありがとうございました。それでは、また後ほど」
○
。
.
「いやあ、いきなり孫娘ができたみたいで、うれしいね」
角刈りの、よく日に焼けた老人が、焼酎入りのグラスを手に笑った。
このひとこそ、おじいちゃんの弟、裏見銀二郎。
おじいちゃんに全然似てなくてびっくりした。性格も別人。
昨日の夜も上機嫌だったけど、今日は輪をかけてにぎやかだ。それもそのはずで、桂太の家の座敷には、神崎さんと大谷さんも同席していた。ふたりとも借りた浴衣姿で、夕食をごちそうになっている。今日釣ったばかりの魚が、刺身や焼き物になって、テーブルのうえに並べられていた。
「どんどん食べてくれよ。俺が獲ってきた魚だ」
言われなくても食べております。
私はカツオのたたきを頬張りながら、次の魚に迷う。
鯛もおいしそうだけど、ここは地味にアジを……。
「裏見さんのおじいさまは、もとからK知にお住まいなのですか?」
大谷さんの質問。よく聞いてくれたとばかりに、銀二郎さんは目をつむった。
「じつはな、俺は親父と……香子のひいじいちゃんだな。親父と大げんかして、16のときに家を飛び出したんだ。それから日本全国をふらふらして、ここに落ち着いた」
なんか衝撃的。こういう裏話って、家族にも内緒のことが多いと思う。現に私は、おじいちゃんの弟が、K知で漁師をしているという情報しか知らなかった。
桂太はタメ息をついて、
「どうせ落ち着くなら、もっと都会にして欲しかったよ」
と言った。
銀二郎さんは、桂太の後頭部をパシリとはたいた。
「馬鹿野郎、K知はいいところだろうが。それに、おまえの父ちゃんと母ちゃんは、ここで知り合ったんだ。ほかの土地に住んでたら、おまえは生まれてないんだぞ」
「そりゃ、そうだけどさ……」
そうそう、過去を改変すると、自分が消えちゃう。
タイムスリップして矛盾が生じないのは、SFの世界だけだわ。
私はアジのフライを食べながら、そんなことを思った。
「ま、ゆっくりしてくんな」
銀二郎さんはあらためて、私たち3人にそう挨拶した。
大谷さんと神崎さんは、たまたまK知に遊びに来ている、という設定。ほんとうは、香宗我部くんに頼まれて、キャット・アイを捕まえる予定だった。いきなりホテルをとるのはムリだから、桂太の家が選ばれた、というわけ。
私たちは大いに食べて、歯を磨いてから、就寝することになった。2階の客間で、雑魚寝する。電気を消して、私はすぐに寝入った。
……………………
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…………………
………………
ん? 私は肩を揺すられて、目を覚ました。
「どうしたの?」
目をこすりながら起き上がると、神崎さんが膝立ちになっていた。
「なにやら、外の様子がおかしい」
「様子? なんの?」
風が吹く。どうやら窓が開いているようだ。
神崎さんは、窓際にいる大谷さんに声をかけた。
「どうだ。なにか察知したか」
「……やはり、物の怪の気配がします」
ワケが分からない。お願いだから寝かせて欲しい。疲れが取れなくなる。
「しかも、こちらに近づいて来ています」
「偵察に行ったほうがよいな……裏見殿も、支度をせよ」
「私は、ここで寝てるから。おふたりでどうぞ」
ニャーオ
私は布団を引いて、身構えた。
「え……なに、今の?」
一瞬、猫かと思ったけど、なにかがおかしかった。人間のモノマネにも聞こえた。
神崎さんと大谷さんは、おたがいに示し合わせたかのように、うなずきあった。
「どうやら、獲物がお越しのようですね……裏見さん、準備を」




