9手目 怪盗キャット・アイ
私たちは、横浪半島を出る橋のたもとで分かれた。桂太の家に戻ってしばらく待つと、玄関をひらく音がする。案の定、桂太だった。友人と散々遊んできたのか、息が上がっている。私たちはジュースを飲んで休憩したあと、K知市に繰り出した。さすがに自転車はキツいから、電車で移動する。駅前は、そこそこ賑やかだった。
「姉ちゃん、どっか行きたいところある?」
「とりあえず、お城が見たいわね」
私は、地図に書かれたK知城を指差した。このあたりを支配していた山内一豊のものらしい。駅前からは見えないようだ。
「いいけど、お城でいいの?」
お城は普通にみるでしょ。桂太だって、ちゃっかりH島城を見物していた。
「そっか……だったら、歩いて行ったほうがいいと思うよ。途中にも観光名所あるし」
私は納得して、歩くことにした。南に移動して川を渡り、さらに大通りを右に曲がる。商店街のような通りを突き進むと、城の白壁が見えてきた。
「H島城と、結構違うのね」
H島城は堀に囲まれていて、壁も木製で白くない。K知城も南に堀はあるけれど、他の三方は陸続きのようだ。それから、ちょっと小高いところに建っていた。
「そりゃ、日本全国違うんじゃないの」
そんなことを話しているうちに、表門がみえた、それをくぐると、銅像が現れる。
「これは、だれの銅像?」
「板垣退助だよ」
ふむふむ、日本史の教科書で読んだわよ。自由民権運動だったかしら。その銅像を右手に見ながら、階段をあがって行く。すると、一旦踊り場のような広い場所に出て、今度は左手のほうへ進む。本丸がだんだん近づいて来たかと思ったら、さらに右手へ曲がる。さすがに軍事施設だから、一直線には辿り着けないようだ。三の丸、二の丸と進んで、狭い門をくぐると、ようやく本丸に到着した。
近くでみると、なかなか立派だ。それに、見晴らしがいい。
「天守に上がったら、もっとよくみえるかしら?」
桂太は、天守からなら市内を一望できると答えた。私は、意気揚々と乗り込む。急勾配の階段をあがると、パッと視界がひらけた。
「んー、いいじゃない」
私は、城の西側もかなり広いことに気づいた。
「あそこにみえる建物は? お宮みたいだけど?」
「分かんない」
「あっちの道場みたいなのは?」
「知らない」
私は腰に手をあてて、桂太をにらむ。
「ちょっと、真面目に案内しなさいよ」
「いや、だってさ……地元の観光地とか、普通知らないし……」
そう言いながら、桂太は地図をひらいた。私も覗き込む。
「あれは八幡宮ですよ」
突然、男の声がした。私たちが顔をあげると……香宗我部くんが立っていた。
「八幡宮は、この城が作られるまえからあったものです。在来の宗教施設ですね」
「そ、そうなんだ……ありがとう」
香宗我部くんは、天守からみえるさまざまな景色について説明してくれた。ずいぶんと博識で、勉強になる。
「というわけで、坂本龍馬が生まれたのは、あのあたりですね」
香宗我部くんは、南西の方向を指差して、説明を終えた。
そして、私のほうに爽やかな笑顔を送る。
「なにかご質問は?」
「そうね……坂本龍馬の龍馬って、将棋の龍馬なの?」
そういう説もありますね、と、香宗我部くんは答えた。
なぜ気になったかと言うと、つじーんの名前が竜馬だからだ。辻姉の名前は乙女だし、ずいぶん変わった姉弟だな、と思ったことがある。
「裏見さんは、ほんとに将棋が好きなんですね。普通、そんな発想はしませんよ」
と香宗我部くん。軽口かと思ったら、かなりマジメな口調だった。
「裏見さんの棋力は、どれくらいですか?」
むずかしい質問だ。道場何段とか、24で何段とかじゃないのよね。私は、そういうところで認定を受けたことがない。
「市内で2、3番、かな」
「ほんとうに2、3番ですか? 姫野さんよりも強いということは?」
なにを言っているのやら、理解に苦しむ。
こういう過大評価は、失礼になることもあると思うんだけど。
「姫野さんより強いってことは、ないと思う」
「差は、どれくらいですか? ギリギリ勝てないとか?」
どうにも答えにくい質問で、私はしどろもどろになった。そりゃ、客観的にみれば、私は姫野さんよりも弱い。差も、紙一重じゃない。だけど、将棋指しは負けず嫌いだから、そうは主張しづらかった。
「ごめん、どうして私の棋力を知りたいの?」
香宗我部くんは、H島の戦力がどれくらいなのか気になる、と答えた。
でも、なんだか本音じゃないような気がする。なんとなく。
「そうですか……お昼ご飯を一緒にいかがですか。美味しいお店を紹介しますよ」
やっと話題が変わった。私は安心感と空腹から、この申し出に飛びついた。
城を出ると、南下して私鉄に乗る。そのまま、はりまや橋という有名な橋の近くの駅で下車した。しばらく歩いたところで、ラーメン屋が見つかった。昨日の夜は豪勢な海の幸をごちそうになったから、こういうのもいいな、と思った。
暖簾をくぐってなかに入ると、香宗我部くんは店主に挨拶し、一番奥のテーブル席に案内してもらった。着席後、香宗我部くんおすすめの、つけ麺を頼む。
「K知は楽しいですか?」
「ええ、楽しいわね。山陽とは違うところがあるし」
「そうですか……」
無言。なにか話してくださいな。
気まずい空気のなか、つけ麺が運ばれてくる。スープはモツ鍋みたいな感じで、とてもいい香りがした。箸を割って、早速いただきます。
「……美味しい」
本音が口から漏れた。
「気に入ってもらえたようですね。ここは、市内でも穴場なんです」
やっぱりこういうときは、地元の人間がいると助かる。ガイドブックに載っているお店を回ると、行列に巻き込まれてしまうからだ。
私は麺をすすり、後半はコショウで若干味を変えて、最後まで食べ切った。
「ごちそうさま」
私は箸を置いて、口もとを拭いた。
先に食べ終わっていた香宗我部くんは、見計らったように、私に話しかける。
「裏見さん、まだ時間はありますか?」
「ええ、いくらでもあるわよ」
デザートのお店を紹介してくれるのかしら。
「僕と一局指しませんか?」
……………………
……………………
…………………
………………
は?
「こ、ここで?」
「ええ」
「お店に迷惑じゃない? お昼時よ?」
「ここは、将棋用の予約席なんです」
狼狽する私に、香宗我部くんは解説した。ここの店主は将棋が好きで、常連さんのなかにも将棋ファンが多いから、一番奥のこの席だけ、対局スペースになっている。まるで、八一のような場所だ。でも、意味が分からない。
「な、なんで、わざわざ予約したの?」
「裏見さんと一局指したかったんです」
いや、説明になってないでしょ。私は弁明を求めた。すると、「H島の選手の棋力を知りたい」という、天守閣で聞いたのとおなじ台詞が返ってきた。
「どうして私なの? マイナー選手なんだけど?」
「駒桜市で2番手なのにマイナーということは、ないと思うのですが」
ぐぅ、これは迂闊。姫野さんの次に強いから、興味を持ったってオチ?
もっと控えめに言っておくんだった。歩美先輩たちをハブった呪いかも。
「僕相手なら、簡単に勝てますよ。単なる事務方ですからね」
「あの……その……実は……」
「香宗我部、そのあたりにしときな」
私たち3人は、一斉に入り口のほうを振り向いた。
「なんだ……磯前さんか」
香宗我部くんは、かなり親しげな調子で言った。
そう、入り口からこちらに歩いて来たのは、磯前さんだった。このまえとは色合いの違う釣り用のジャケットとズボンを履いていた。ヘルメットを持っている。
「なんだ、じゃないよ。その子に絡むのは止めておきな」
磯前さんは椅子を引くと、香宗我部くんのとなりに腰をおろした。
「僕は、裏見さんと将棋を指したかっただけだ」
「それなら、あたしがもう指したよ」
磯前さんの返事に、香宗我部くんの眉が動いた。
「ほんとうかい?」
「嘘吐いてどうすんの。彼女は全然違う」
違う? ……なにが?
首をかしげる私のまえで、香宗我部くんは、ホッとしたような顔を浮かべた。
そして、私のほうに視線をもどした。
「失礼しました。髪型が違うので、まさか、とは思っていたのですが」
だから、なにが。私はしびれを切らして、真意を問いただした。
「裏見さんが、怪盗キャット・アイじゃないかと思ったんです」
怪盗キャット・アイ――道中のバスで耳にした名前だ。
「私はお子様ショーのスタントなんかしないわよ」
「スタントじゃありません」
「コスプレイヤーでもないから」
「コスプレでもありません」
香宗我部くんは、声を落とす。
「裏見さんは、ほんとうに知らないんですか?」
知らない。私は、はっきりと答えた。
香宗我部くんは少しためらってから、怪盗キャット・アイの正体を明かした。
「将棋用具ばかり狙ってる女泥棒……? 漫画のキャラクターかなにか?」
「漫画じゃありません。リアルに存在します」
嘘でしょ。将棋専門の怪盗なんて、現実にいるわけがない。
ところが香宗我部くんは、ほんとうにいるのだと念押しした。
「見たことがあるの?」
「あります。夜中に学校のグラウンドで遭遇しました」
「見間違いかもしれないでしょ」
「猫耳ヘアバンドに黒のレオタードを着た女なので、見間違えようがありません」
なによ、それ。
猫耳ヘアバンドに黒のレオタードで徘徊してたって、そう疑われていたわけ?
私は変態じゃないから。
「で、その怪盗キャット・アイが、どうかしたの?」
「うちの市が、挑戦状を叩きつけられたんです」
「挑戦状……?」
「キャット・アイは、将棋に負けた高校から、戦利品を盗み出すんです」
意味不明。香宗我部くんは、E媛の高校がそれでやられたと答えた。十数万円もする駒を、部室の金庫から盗み出されてしまったらしい。とんでもない手口だ。
「E媛の高校……もしかして、あなたがE媛にいた理由って……」
「はい、情報収集です」
そうか、それでE媛を通過した私を怪しんでいたのか。なんとなく背景がみえた。
おそらく香宗我部くんは、見知らぬ少女がE媛からK知へ移動したと、磯前さんたちに連絡したのだろう。磯前さんがピリピリして将棋対決を挑んできた理由も分かった。
「そのキャット・アイって、強いの?」
「かなり」
「どれくらい?」
「低く見積もっても、高校県代表レベルかと」
え? そんなに?
「どうして分かるの?」
「E媛の3番手が、あっさりやられたからです。他にも、いくつか証言があります」
証拠があるわけか。私が驚いていると、となりから磯前さんが口を挟んだ。
「E媛はタイミングが悪かったんだよ。高校の1番手は3年で受験勉強、2番手は旅行中で不在。中学の最強も旅行でいなかった」
ふぅむ、それで3番手をぶつけたわけか……ん? 中学最強が旅行?
「中学最強って、石鉄くん?」
「あれ、裏見さんは彼をごぞんじなんですか?」
私は、彼のお兄さんがH島にいるから知っていると誤摩化した。
さすがに、温田さんとデートしているのを目撃したとは言えない。
「つまり、弱体化してるところを狙ってきたのね?」
香宗我部くんは、首を左右に振った。
「いいえ、キャット・アイは、そういうところに頓着しません。E媛は偶然です」
「どうして、そう言い切れるの? 穴を狙うのは、対戦ゲームだと王道でしょ?」
「うちは県下最強を出せる状況だからです。それにもかかわらず、挑戦状が来ました」
うーん、正々堂々タイプってことか。
「とりあえず、警察に連絡すればよくない?」
「あちこちでされています。でも、捕まらないんです」
「挑戦を無視したら?」
「無視した場合は、問答無用で盗まれるらしいです。それでやられた学校もあります」
えぇ……。
「だったら、勝っても盗まれるんじゃないの?」
「そこは大丈夫です。O山の中学県代表が勝ったときは、盗まれなかったそうなので」
うぅむ……徹頭徹尾、真剣勝負なわけか……潔い変態さんだ。
「そのK知最強っていうのは、男子? 女子?」
香宗我部くんは、男子だと答えた。磯前さんでは、ないようだ。
「じつは、ここに呼んであるんです。万が一、裏見さんが……あ、来ました」




