92手目 騒ぐんじゃねえ! 祭りだ!
「これは先手持ちやろ。志摩組、先手を8割で買うたる」
持ち株の売買が始まった。
後半が1手60秒なのは、売買タイムをもうけるため。
「ちょっと早くねぇか?」
と、かっちゃん。礼子ちゃんは無視して、参加者を煽った。
「穴熊なら角銀交換は歓迎。5四歩が厳しいから先手持ちで文句あるん?」
礼子ちゃん、嘘がうまいね。ほんと後手持ちのくせに。
40秒……50秒……会場内はひそひそ話が聞こえるだけ。売りの声はかからない。
「あとで後悔しても知らんでぇ」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
この5四歩、結構急所だと思うんだよね。
ちなみに、持ち株の売買というのは、劣勢のがわに賭けている参加者が、自分の権利を他人に譲渡すること。例えば、私は先手に50賭けている。先手が敗勢になってそのまま負けたら、1円も返ってこない。ここで投了前に、だれかに10で買ってもらうのが、売買。50万で買った権利を10万で手放してるから、差し引き40万の損になる。でも、0よりはマシという考え方。
暴落した株の投げ売りに近い。そこで将来上がる(将棋で言えば逆転する)とみて買い漁れば、大もうけできる(かも)という寸法。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
6一飛、5三歩成、6四飛、7五銀、6八飛成。
「チッ、切ったか。これは先手がイヤらしいぜ」
かっちゃんは舌打ちして、葉巻を吸った。
同金寄、8八角成、同玉、5六銀、7七飛、6七歩、7八金寄、6八銀。
……………………
……………………
…………………
………………
ここかな。私はテーブルのマイクを引き寄せた。
「来島組、先手6割で買うよ」
これには、かっちゃんが驚く。
「ここで買いを入れるのか? 先手で?」
案の定、2、3人からコールがあった。
「8割」
と、和服姿のおじさん。
「ダメだよ。6割。先手不利でしょ?」
「7割5分」
「6割」
60秒以内に交渉はまとまって、6割5分になった。みんな手慣れたもの。
将棋は強くなくても、勝負勘になら自信があるんだよ、私は。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
6八同金上、同歩成、同金、5五角。
会場から、「いやあ、これは」という声が漏れた。
「微妙だな……切れるか切れないか……」
かっちゃんは葉巻の灰をこぼしつつ、マジメに考え始めた。
そのあいだも、どんどん売買が進む。さすがに先手の自発売りも出ていた。
「先手、7割で買わんかぁ」
さっき6割5分なんだから、買うわけないじゃん。ここは発破の掛けどき。
「ほらほら、さっき売らないから、そういうことになるんだよ。5割ね」
とはいえ、まだ売らないひとも多い。
「んー、俺は粘るぜ」
かっちゃんは渋い顔をして様子見。
「あとで買い叩かれても知らないよ」
5割は安いように見えるけど、敗勢になったらこんなもんじゃない。
2割、1割は当たり前。寄り筋に入れば、だれも買わなくなる。
終盤の仕手戦は、腕の見せ所だ。
会場全体が形勢判断を誤っていたら、逆に張った人が総取り。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
強く受けた。ここから先手が盛り返せるかどうか。
4六角、5七歩、6七歩、5八金、6八金、4八金、2五桂。
礼子ちゃんは、ふたたびマイクを握った。
「ほれ見ぃ、こんなの後手の切れ筋やわ。売っとき。今なら5割やでぇ」
これにも売り手が現れる。
礼子ちゃんはタブレットを処理しつつ、私のほうへ視線をむけた。
「うちと来島組のチキンレースやね」
「……そうだね」
買いを入れる=勝ちだと思うほうの株を買う。
「劣勢だから売れ」っていうのは方便でしかない。
私は先手優勢だと思ってるし、礼子ちゃんは後手優勢だと思っている証拠。
「ああ、これは来島さんに売ったのミスですわ。先手余せるけん」
と、パンチパーマのおじさん。残念。後悔先に立たず。
「俺は先手で自信ないけどなあ」
と、かっちゃん。全体的に疑心暗鬼な空気になってきた。
2五同桂、同歩。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
「ッ!」
絶句する私のとなりで、礼子ちゃんはニヤリとした。
「後手がええんとちゃう?」
……そんな気がする。
棋力が違い過ぎて分からないけど、普通なら真剣師が正しい。
ここで8六歩は、先手が寄りそうという合図にみえた。
また会場内がざわつき始める。
「お嬢様、大丈夫ですか? 後手持ちの声が多い気配……」
ともえちゃんは、若干心配するような口調。
私は意を決して、マイクを引き寄せた。
「来島組、先手買うよッ! 3割ッ!」
大勢の目が、3階席の私に向けられた。
「さすがに3割は安過ぎる。4割だ」
「じゃかぁしぃ! 売りたくないやつは売らんでええんじゃッ!」
あ、振り込まれた。やっぱり脅すに限るね。
「かっちゃんも売る?」
「いやあ……一口だしなぁ……男は腹をくくるもんだぜ」
さすがは、かっちゃん。大伴組の跡継ぎなだけはある。
一口っていうのがしょぼいけど。
6五桂、同銀、同銀、4五飛。
「あかん、両取りや」
1階席から悲鳴があがった。
7四歩、同銀、同銀、4六飛、5五銀、4五飛、6六銀。
一喜一憂タイム。飛車を打った時点で先手優勢かと思ったら、そうでもない。
この6六銀で、飛車を取られるのがほぼ確定してしまった。
「こいつはキツいぜ。さすがに8七飛とは逃げられねぇからな」
だね……7九銀、9九玉、7八金と寄られて、完全に寄り筋。
えーい、毒喰わば皿までッ!
「来島組、最後の買いだよッ! 2割ッ!」
タブレットで株の動きを調べる。
来島組 480万(213万)
志摩組 450万(209万)
……… …………………………
……… …………………………
私と礼子ちゃんの一騎打ち。3番手以下は持ち株50万以下。
()の中は投資額だから、差し引きが丸儲け。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
「3三じゃないだと? 打ち間違いか?」
かっちゃんが身を乗り出した。
ノータイムで7七銀成、同玉、6五銀打、同飛、同銀、同角成。
ここで礼子ちゃんは眉をひそめた。
「あかん……これ入玉あるで……」
4六飛、5六銀、4八飛成、6六玉。
会場は大いに盛り上がる。
「入玉できますかね?」
「どうでしょうなあ。後手は金がありますから」
あれこれ勝手な形勢判断が飛び交う。
かっちゃんは葉巻を吹かして、真剣に読んでいた。
「4四金とは打てないぜ。5四とで藪蛇になる」
「大丈夫や。7三桂から追撃でええ」
と礼子ちゃんは言うけれど、この状況でパンツを脱いでいいのかな。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
7三桂、5四馬、5八金、5五玉、5七金、4五銀、3三金。
きわどい。かなりきわどい。
「オーイ、志摩組の姉ちゃん、後手を買うてくれんか? 2割でええぞ」
「ちょ、ちょい待ち」
礼子ちゃんは形勢を見極めきれないのか、売りの誘いを断った。
4六歩、5六飛(!)、同銀、同金、同玉、6五銀、4五玉、5七龍。
一応、詰めろ。
「ムリヤリ止めにきてるな」
「そんなん見りゃ分かるわ」
もう一回後手売りのコール。礼子ちゃんはこれも無視した。
6五馬、同桂、5五銀、4四歩、同銀、5六角、5四玉、4六龍、5五金。
「入玉確定したでッ!」
と会場のおじさん。後手持ちのメンバーからため息が漏れた。
「ま、まだ勝負はついてないやろッ!」
礼子ちゃんはそう叫んだけど、買いを入れないのは劣勢を認めている証拠。
私はオレンジジュースを飲んで、成り行きを見守る。
5二歩、3一飛、5五龍、同銀、3二金打、5一飛成、5三歩、6四玉。
3二金打は一瞬ヒヤっとした。大丈夫っぽい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
礼子ちゃんがっくり。
「これは『手がありません』ってやつだ」
かっちゃんはウィスキーを呑んで、ふぅと一息吐いた。
「一口買っておいてよかったね」
と私。
「おう、これですこしは懐も温まるってもんよ」
7五飛、6一歩、6三桂、6二金上、7二飛成(!)
「切ったけど大丈夫かな?」
私は、かっちゃんに確認した。
「同金、6一龍、7一金、同桂成で、先手は寄りがない。6三飛も無意味だ」
なるほど、7一歩合とはできないんだね。飛車合は攻め駒がなくなるからアウト。
本譜は同金、6一龍、7一銀、同桂成。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
おたがいに一礼したシーンが映った。後頭部撮影。
《以上、155手をもちまして、先手の勝ちとなりました》
拍手ぅ。
礼子ちゃんはキセルを持った手で、そのままひたいを押さえた。
「あかん……いきなり200万も損してもうた……」
「ま、いい勝負だったんじゃないか? 仕手は悪くなかったと思うぜ」
「最後、先手に寄りはあったのかな?」
6六に逃がさない寄せがあったら、それで後手勝ちだったと思う。
「どうやろね……もともと細い攻めなんは分かってたんやけど……」
「4五飛〜3二角が好手だったよなぁ。さすがは真剣師」
あれは良かったね。私なら3三に打っていたところ。
1回戦の余韻が残るなか、かっちゃんは2本目の葉巻を切り始めた。
係員のお姉さんがやってきて、注文をとる。
「うちは水でええわ。酔い醒まして2回戦いくで」
「私はコーヒー」
「かしこまりました」
礼子ちゃんはキセルに火をつけ直しながら小声で、
「ところで、さっきの話やけど」
と振ってきた。かっちゃんには聞こえないように。
「さっきの話? ……なんかしてたっけ? ジャビスコ杯?」
「遊子ちゃん、男ができたんとちゃうん?」
……………………
……………………
…………………
………………
「その様子だと、図星やね」
「なんでそう思うの?」
「友人が遊びから服装まで変わったら、気付くに決まってるやろ」
沈黙を守る私のまえで、礼子ちゃんは煙をふぅと吐き出し、切なそうな目をした。
「うち、心配なんや……遊子ちゃんが好きになった相手、カタギやないかって……」
注文のグラスが置かれた。私は黙って、コーヒーにミルクをそそぐ。
「うちらは極道の娘……カタギの男を好きなったらあかん……分かるな?」
ヴィー
《これより、2回戦の賭け金に入ります》
礼子ちゃんはサッと表情を変えて、にっこりと笑った。
「ほな、負け分は取り返させてもらおうか」
場所:志摩邸地下カジノ場
先手:K田 M男
後手:M山 S喜
戦型:相穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △4二飛
▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △7二玉 ▲5六歩 △3二銀
▲2五歩 △3三角 ▲7七角 △4三銀 ▲5七銀 △8二玉
▲8八玉 △5四銀 ▲6六歩 △9二香 ▲9八香 △9一玉
▲9九玉 △8二銀 ▲8八銀 △6四歩 ▲5八金右 △6二飛
▲6八金寄 △7一金 ▲7九金 △5一金 ▲7八金寄 △6一金左
▲3六歩 △4五歩 ▲6八銀 △7二金左 ▲3七桂 △4二飛
▲2四歩 △同 歩 ▲6五歩 △4六歩 ▲3三角成 △同 桂
▲3一角 △5二飛 ▲4六歩 △4七歩 ▲6四歩 △4八歩成
▲同 飛 △2六角 ▲4七飛 △3二飛 ▲2七歩 △4四角
▲5五歩 △3一飛 ▲5四歩 △6一飛 ▲5三歩成 △6四飛
▲7五銀 △6八飛成 ▲同金寄 △8八角成 ▲同 玉 △5六銀
▲7七飛 △6七歩 ▲7八金寄 △6八銀 ▲同金上 △同歩成
▲同 金 △5五角 ▲6六銀打 △4六角 ▲5七歩 △6七歩
▲5八金 △6八金 ▲4八金 △2五桂 ▲同 桂 △同 歩
▲8六歩 △6五桂 ▲同 銀 △同 銀 ▲4五飛 △7四歩
▲同 銀 △同 銀 ▲4六飛 △5五銀 ▲4五飛 △6六銀
▲3二角 △7七銀成 ▲同 玉 △6五銀打 ▲同 飛 △同 銀
▲同角成 △4六飛 ▲5六銀 △4八飛成 ▲6六玉 △7三桂
▲5四馬 △5八金 ▲5五玉 △5七金 ▲4五銀 △3三金
▲4六歩 △5六飛 ▲同 銀 △同 金 ▲同 玉 △6五銀
▲4五玉 △5七龍 ▲6五馬 △同 桂 ▲5五銀 △4四歩
▲同 銀 △5六角 ▲5四玉 △4六龍 ▲5五金 △5二歩
▲3一飛 △5五龍 ▲同 銀 △3二金打 ▲5一飛成 △5三歩
▲6四玉 △6八歩成 ▲7五飛 △6一歩 ▲6三桂 △6二金上
▲7二飛成 △同 金 ▲6一龍 △7一銀 ▲同桂成
まで155手でK田の勝ち




